Top Page
バックナンバー  1998年
バックナンバー  1999年
バックナンバー  2000年    
食べある記
 
バックナンバー  2000年
7月
8月
9月
10月
11月
12月
   
 
バックナンバー  2001年
バックナンバー  2002年
バックナンバー  2003年
バックナンバー  2004年
バックナンバー  2005年
 
バックナンバー  2006年
バックナンバー  2007年
バックナンバー  2008年
バックナンバー  2009年
バックナンバー  2010年

12月31日
大晦日の朝
穏やかな、大晦日の朝です。暖炉の前では、お客様同士がのんびりと歓談し、冬にしては早い出発の用意を、ぼちぼち始められた方もいらっしゃいます。朝食の後片付けを終えて、私はパソコンの前に座っています。いつもと変わらぬ、薫風舎の朝の風景です。
さあ、これから年越しの準備です。お節を作って、掃除をして、買い物に行って・・・。夜は、みんなで年越しそばをいただき、リピーターの森さんのお土産の、ハンガリーワインで乾杯することになっています。それを楽しみに、もうひとがんばりです。
今年も、大勢の方が、薫風舎をそして薫風舎のホームページを訪れてくださいました。本当に、ありがとうございました。皆様、どうかよい年をお迎えください。


12月30日
黒豆の香り
巷は、「今世紀最後」とか、「21世紀」の幕開けなどと騒いでいるが、どうも我が家は今年、12月に入っても、一向に「師走」の気ぜわしさを感じることができない。これは、まずいことだ。あれもこれも、やらなければならないことがたくさんあるのに、3人でのほほんとしているうちに、ついに30日になってしまった。
年末年始には、薫風舎でもささやかながら、お客様と一緒に、年越しそばや、お節をいただくことにしている。そろそろ、うま煮やきんぴら、なますなどの用意もしなければいけない。
まずは黒豆を煮ようと、今朝、夕べからつけておいた鍋に火をかけた。やがて、鍋が沸騰してくると、ぷん、と黒豆のいい匂いが鼻をかすめた。そのとたん、急に年の瀬を感じたのだった。
においの記憶、というのは、無意識に体の中に染みついているもので、何かのにおいをかいだ瞬間に、ふわっと昔の情景が甦ったりすることが、そういえば時々あるものだということを思い出した。
黒豆を煮ているときの匂いは、私が幼い頃から感じてきた、新しい年へのわくわくする気持の記憶でもあった。


12月29日
冷えた朝
今日は、冷え込んだ朝だった。厨房の窓から見えるカラ松林の木の枝に、霧氷がきれいに付いて、きりりとしまった雪の表面が、朝の光の中できらきらと輝いている。
ラウンジの窓から山のほうを見ると、裏の小さな川から立ち昇った冷たい霧が、雑木林の幹のあたりに絡まって、しばらくじっとしていた。
やがて、山を厚く覆っていた雲が少しずつ切れて、オプタテシケの左肩が、うっすらと見え始めた。きょうは、久しぶりに、十勝岳の稜線が見えるかもしれない。


12月28日
6ヶ月・・・。
今年の5月、ヘレベッヘ指揮コレギウム・ヴォーカーレの、バッハ「マタイ受難曲」を買った。演奏は予想以上にすばらしく、私の中では、今まで聴いた「マタイ」のCDのなかで一番だ、と思った。偶然、旭川の平松さんが、その頃来日していたヘレベッヘの「ロ短調ミサ」と「ヨハネ受難曲」を東京まで聞きに行ったそうで、ものすごく良かったと、あとから教えてくれた。9月に薫風舎のコンサートでオルガンを演奏してくださった今井奈緒子さんも、やはりヘレベッヘの「マタイ」を聞きに行かれ、すごかったと感激したそうである。
作品や、演奏のことは、これ以上書くとものすごく長くなるので、次の機会に、ということにして、私が今日書きたいのは、全く別のことだ。
CDがすばらしく良かったので、ヘレベッヘのバッハをもっと聞きたいと思い、旭川で行きつけのCD屋に、「ロ短調ミサ」を注文した。「国内版はないので、少し時間がかかります。」と言われたのが6月中旬。シーズンにも突入していたし、気長に待つことにした。
1ヶ月ほどして、「手違いで注文が入っていなかったので、もう少し待ってください。」という電話があった。どうせ、取りに行けないので、まあ仕方がないと諦めた。9月になってようやく旭川まで出たので、CD屋に立ち寄り、どうなったのか聞くと、まだ入ってこないと言う。いいかげん、嫌味の一つも言いたくなった。その後も、何度か店に行く機会があり、そのたびに聞いてみても、やはり同じ答え。半分あきれて、もうどうでもよくなってしまった。
すると、昨日突然電話があり、「CD、入りました。」。半年である。もう、注文したことすら忘れてしまったくらいだ。
手違いは、仕方がない。いつも無理な注文を快く引き受けてくれる、店員さんを攻めるつもりも全くない。しかし、今やインターネットで、世界中から物がすぐ届く時代なのに、この流通のひずみは何だ。どうも納得がいかない。


12月27日
ろうそく尋ねて
先シーズンから、主人がせっせとアイスキャンドルを作って、お客様がいらっしゃると、玄関や、デッキの前の雪山の中にポコポコと置いては、ろうそくを燈しています。ぼんやりとしたあかりが、夜の雪の中から幻想的に浮かび上がり、お客様も私も大喜び。主人も大満足です。
今年も、2、3日前に家中のバケツを集めていたかと思ったら、アイスキャンドル作りを始めていました。バケツに水を張って外に置いておくと、当然のことながら氷になります。全部凍る前に、真ん中に残った水を捨てると、中が空洞になって、バケツの形のアイスキャンドルが出来上がります。
一昨日、ろうそくを買うと言って、二人で旭川まで出かけて、「MEGA」という本屋さんに吸収されてしまいました。帰りに、「あ、そういえばろうそくを買うんだった。」と思い出したときには、すでに時遅し。昨日、美瑛の街でろうそくを捜す羽目になったのでした。
思い当たる金物屋、スーパー、百貨店(という名の本、文房具、化粧品の店。)など、吹雪の中をまわりましたが、あるのはせいぜい仏壇用のろうそく。仏壇用だと、短いものは19分しか持たず、長いのはキャンドルから飛び出してしまうので、ダメなのです。できれば下にお皿のついた、キューブ状のものが最適で、旭川あたりだとわりとすぐ手に入るのですが、昨日あちこちと捜しながらも、絶対美瑛にはないだろうと、二人とも予測が立ちました。早々に引き上げ、かろうじて家に残っていた、液体のろうそくを使って、玄関だけ燈すことにしました。
しかし、昨日は午後から夜にかけて猛吹雪となり、燈したろうそくは、一瞬にして吹き消されてしまったのでした。


12月26日
MEGAの誘惑
数年前、旭川駅前のマルカツデパートに、「冨貴堂MEGA店」という大型書店ができ、知的砂漠である旭川(なんて書いたら、旭川市民から石を投げられそうですが。)のオアシスとなっています。ワンフロアずらりと本が並び、専門書なども、今までの旭川の本屋に比べるとかなり充実しています。一角にオープンなカフェが併設されているところも、気に入っています。
特に主人は本屋好きで、旭川だけでなく、東京でも札幌でも、本屋とCD屋にさえ行ければ満足しています。本棚はすべてまわりたいようで、解散するとなかなか見つけることができません。
昨日も、午後旭川郊外のホームセンターに買い物があって、ちょっと出掛けたのに、渋滞に巻き込まれながら「MEGA」まで足を伸ばしてしまいました。
ゆっくりと本を読む時間がなかなか作れないにもかかわらず、欲しい本を見つけるとつい買ってしまうので、おそろしく狭いプライベートルームが、読もうと思っている本の山で、ものすごいことになっています。「それを読むまでは買うまい。」、と肝に銘じてまわるのですが、うっかり手にとると、「今買わなければもう出会えないかもしれない。」という悪魔のささやきが聞こえてしまうのです。
結局昨日も、主人とレジの前で集合した時には、お互い数冊の本を抱えていたのでした。


12月25日
ゆず
私が生まれた時から、お雑煮といえば、鶏としいたけのだしに、たけのこ、三つ葉、そして最後に必ずゆずをちらすというものでした。母は、東京生まれなので、おそらくこれは関東風のお雑煮なのだと思います。
お雑煮には、ゆず。これは、絶対にゆずれない(!)ところですが、不覚にも、去年うっかりゆずを買い忘れていたことに、大晦日になって気づきました。慌てて、主人と美瑛のスーパーに買いに走ったのですが、信じられないことに、どこにも売っていないのです。しまいに、ラルズスーパーの野菜担当の高橋さんに、「お雑煮に、ゆずを入れないんですか?!」と、掴みかからんばかりに尋ねたところ、「ゆずぅ?聞いたことないなあ。」と平然と言われて、愕然としたのでした。
これでは、薫風舎にお正月は来ないと、時間のない中、旭川まで車を走らせ、とんでもない大晦日になってしまいました。
今年は、同じ過ちはするまいと、早々とゆずを購入。その後、札幌に帰ったときにも、念のためにと2個買い、ようやく安心していると、なぜか今年は、美瑛の農協にも、ゆずがうず高く積まれているのです。しかも、2個198円なんていう文字を見るとついつい手が伸びて、うちの冷蔵庫は、今ゆずであふれかえっています。火曜日には、生協で注文したゆずも2個来るはずで、自分のあほさ加減に、我ながらあきれ返る今日この頃であります。
先日「はなまるマーケット」で、ゆず胡椒というのをやっていたので、まずそれを作って、まあ、皮は、うどんや味噌汁に入れてもおいしいし、冷凍もきくというので、困らないのですが、身の方はどうしたものか、と非常に悩んでいます。どなたか、いいアイディアをお持ちでしたら、お知らせいただけると大変助かります。


12月24日
暖かい雪
今朝、ムックとティンクと外へ出たら、屋根の雪の長く伸びたつららから、 ぽたぽたと水が滴っていました。夕べから積もった雪の踏み心地も、いつもとは違い、もこもこしています。外の寒暖計は、ちょうど0℃。どおりで暖かいはずです。
どんよりと曇った空に、表面が少し溶けた、まるで温くさえ感じる雪景色。日曜の昼下がりには、悪くない風景です。


12月23日
クリスマス 
街を歩くと、どこもかしこも浮かれたクリスマスソングが流れ、どこも同じような流行のリースやツリーの飾り付け。札幌も旭川も、美瑛まで同じ様な雰囲気に包まれ、あまのじゃくの私たちは、居心地が悪くていけません。先日札幌の街を歩いていたら、ピザの配達人まで、サンタの格好をしていて、「おめーいいがげんにしろ!」と言いたくなりました。
うちだってクリスマスの飾り付けをしないわけではありませんが、もともと、ごてごてと飾るのが嫌いなので、できるだけシンプルに、いらしてくださったお客様が、ああ、そういえばクリスマスだったなあ、と思えるくらいの雰囲気にとどめるようにしています。
学生時代からクリスマスといえば、コダーイ合唱団で、ヘンデルの「メサイア」をはじめとした宗教曲やオラトリオなどを歌っていました。私はキリスト教徒ではありませんが、クリスマスを迎えるときには、キリスト教徒がイエス・キリストの誕生にいかに喜びを感じ、またそれは、イエスの受難に対する悲しみや苦しみにもつながっているのだ、ということを考えざるをえません。
アメリカやヨーロッパの華やかなクリスマス風景の根底には、そういうキリスト教徒の深い宗教心が、きちんと根付いているように思います。それに対して、日本のクリスマスには、非常に日本的な、脳天気さを感じるのです。


12月22日
嵐を呼ぶ男 
先週より、八戸から北上する極寒の旅をしている、biei.com サーバーの佐竹さんが、東川の花神楽に泊まるというので、火曜日から滞在している長谷川さんと私たち3人も、送りがてら一緒に食事をして温泉に浸かってこよう、という楽しい企画が持ちあがりました。
五時過ぎ、5人でウキウキと薫風舎を出発すると、今まで普通に降っていた雪が、急に激しい横殴りとなって、車を襲いました。私と主人の脳裏に、いやな予感が走りました。
佐竹さんといえば、雪の少ない函館で、しかも3月に空港が大荒れになったり、この間も、一緒に金山湖に行こうとしたら、10月だというのに、急に猛吹雪になったりと、まるで背中に台風をしょって歩いているのではないか、と疑いたくなるほど、異常気象が付きまとうのです。今回の旅行でも、飛行機が雪のため三沢空港に降りられず、上空を旋回。ようやく降りたら、雪で機体が動けなくなるという、大災難があったばかりです。
日本海に面した厚田村で、5年間に渡って猛吹雪を体験している私は、美瑛に来てからどんなに吹雪こうとも、厚田ではこれは吹雪とは言わない、と豪語し続けていましたが、昨日の大嵐には、言葉も出ませんでした。美瑛で、前の車のテールランプが見えなくなるほどの吹雪に見舞われるなんて、これは何かの間違いだ・・・。しかし、空港のほうに上がっていく道は、もはや地獄と化していたのでした。吹き溜まりに突っ込み、前の車につられて反対車線に入りと、そのたびに5人は悲鳴を上げながら、今置かれている現実を、否応なく認識させられたのでした。30分もあれば着くはずの花神楽に、1時間以上もかかって、命からがらたどり着いたとき、みんな生きている実感をこの上なくかみしめました。
当然のことながら、佐竹さんが宿に残ったため、帰るときには、うそのように風と雪は止んでいました。あとは、明日、千歳空港が大荒れにならないことを祈るばかりです。


12月21日
いわしのつみれ鍋 
去年あたりから、生のいわしが、手に入りづらくなったような気がしています。昨年は不漁だったそうですが、将来、いわしが高級魚になるといううわさも、ちらほら聞こえ、そうならなければ良いが、と心から願っています。
先日、主人とそんなことを話しながら、農協の魚売り場を歩いていたら、いわしが並んでいるではありませんか。その日は、もう夕食のメニューが決まっていたので、近いうちに必ずや、いわしのつみれ鍋を作ろうと誓い合い、昨日、それが実現したのでした。
よく、本などでは、フードプロセッサーを使うように書いてありますが、私はお薦めしません。手開きして、背骨やヒレを取ったら、小骨や皮などをそのまま残し、包丁でたたいていきます。だいぶ細かくなったら、すり鉢でもう少し細かくしますが、わりと荒めにしたほうが、歯ざわりと味がよく、私は好きです。ショウガのすりおろしをちょっと多いかな、と思うくらい入れ、たまねぎのみじん切り、塩、隠し味にみりんとみそを入れて、片栗粉を入れすぎないように気をつけて、練ります。あとは、お好みの野菜とともに、鍋で煮込みますが、私は、鍋は昆布だしの水炊きにして、ポン酢で食べるのが好きです。昨日は、ごぼう、にんじん、大根、白菜、春菊、シメジ、豆腐と、おっと忘れちゃいけないのが、くずきり。煮てもくたくたにならないやつを選びます。常連の長谷川さんといつもの3人で、ふうふう言いながら食べました。ああ、おいしかった!


12月20日
雪紋 
昨日は、一日中雪が降り続き、夜、玄関を開けるとブリザードのような風が吹き荒れていました。ラウンジの窓に、クリスマスのディスプレーのように、雪が吹き付けられ、暖炉の前でコーヒーを飲みながら、主人は、「明日はまた除雪かぁ・・・。」と頭を抱えていました。
その雪も、夜中にはやみ、月がきれいに見えていたと、常連の長谷川さんが言っていました。
朝起きると、静かなうす曇の空に、十勝岳連峰が、久しぶりにその姿をくっきりと見せていました。夕べの風で、まわりの畑の雪がきれいな紋様を作っています。まるで風が、通り過ぎた足跡を残していったようです。


12月18日
綾戸、行ってきました!
16日札幌キタラ大ホールで、綾戸智絵のコンサートがありました。
綾戸智絵は、最近ではすっかりメジャーになった、今、日本で最も注目される、ジャズシンガーのひとりです。昨年春にCDを買ってから、二人ともすっかりファンになってしまい、アルバムは全部持っています。ここで初めて綾戸と出会い、ハマってしまうお客様もたいへん多く、薫風舎から綾戸ファンの輪が、少しずつ広がっていっているようです。
キタラは、数年前にできたクラシック専用ホールで、正面に大きなパイプオルガンを備えた、とても美しい円形ホールです。大きなステージの真ん中に、フルコンサートピアノが置かれ、ステージをぐるりと取り囲んだほとんど満席の客席が、いまや遅しと、彼女の登場を待ちます。そして程なく、細くて小さい彼女が、ニコニコしながら唐突に現れると、大きな拍手が沸き起こりました。
関西芸人のようなあけすけな挨拶のあと、歌声が会場に響きわたると、一瞬にして、客席にいる全員が、綾戸智絵の世界へと引き込まれていったのでした。スポットライトに浮かび上がる、ピアノとそのジャズシンガーの姿は、まるで夢の中の出来事のように、不思議な映像として、私の目に映っていました。
音楽をこんなに体中で楽しめるなんて、いったいどうしたらできるのだろうか、といつも綾戸智絵の演奏を聞くと、思います。弾き歌う喜びが、あの小さい体から広い会場全体にあふれて、そこにいる1人ひとりの心にしみこんでいくような、幸せなひととき。そこには、普段とは全く別の時間が流れていました。


12月16日
コダーイ合唱団の演奏会
夕べは、私の所属する、札幌コダーイ合唱団の演奏会でした。コダーイ合唱団は、バッハの「マタイ受難曲」や、ヘンデルの「メサイア」をはじめ多くの宗教曲や、ハンガリー、イギリス、フィンランドを中心とした、近・現代の合唱曲など取り上げ、公演を行っている合唱団です。私は、学生時代から、このコダーイ合唱団で歌っていました。
美瑛へ移ってから、夏や秋の演奏会に出演することは、不可能となってしまったので、なるべく、年末のコンサートには出るようにしていましたが、今年は、どうしても練習に通えなかったので、何年ぶりかで、客席で演奏会を楽しむことにしたのでした。
今年のプログラムは、バッハの「マニフィカート」と、スカルラッティやコダーイなどの、クリスマスにちなんだ小品でした。昨晩は、札幌の教育文化会館大ホールで、行われました。
いつもは自分も乗っているステージを、客席から観るのは、なんだか不思議な感じでした。ついつい、身内のコンサートだと、演奏を楽しむより先に、細かいことなどが気になって、はらはらしてしまうもので、我ながら、いやな性格だなあ、と思ったりしました。それから、いろいろなことがよみがえってきて、この演奏会を聞きに来ることができた幸せを、しみじみと感じたのでした。
演奏会が終わって楽屋へ行くと、いつもの通り、みんな後片付けに追われていました。忙しいのに、私の顔を見て、とても喜んでくれました。ほとんど練習に通えない、本番もなかなか出れない、不良団員ですが、たとえ本番に出ていなくても、みんな快く歓迎してくれて、いつでもちゃんと私の居場所を作ってくれていることを、本当にありがたいと思いました。
演奏会のあと、指揮者の中村先生や数名の仲間たち、やはり団員である妹と、夕食を食べながら、懐かしく楽しいひと時を過ごしました。


12月15日
ペトリ断念
ペトリ(Michala・Petri)は、たいへん美しい、世界的な名リコーダー奏者です。薫風舎のCDライブラリーには、キースジャレットとのデュオで、ヘンデルのソナタ集があります。ペトリがかもし出す、のびやかで清楚なリコーダーの音色と、みずみずしくあふれ出るような音楽は、何度聞いても、心の奥底までしみこんでくるようです。
そのペトリの演奏会が、昨晩、朝日町で行われました。朝日町の演奏会のことは、昔、アルバン・ベルク四重奏団の時に、薫風舎日記に一度書いたことがありますが、山間にある小さな町の、小さなホールに、今度はペトリが来る、ということで、だいぶ前から、行きたい!と言っていたのは、私よりもむしろ夫のほうでした。
昨日は、ぎりぎりまで私のピアノのレッスンがあるし、昨日中に仕上げなければならない仕事が山積だったので、行けるかどうかの瀬戸際でした。それでも、なんとかがんばって、5時半過ぎに、ようやく朝日町めざして出発したのでした。
会場までは、がんばっても2時間近くかかります。後半だけでも聞けたら、という気持で車を走らせました。しかし、国道に出ると、道は、テカテカのブラックアイスバーン。前の車も、時折ふらついているし、こんな道では、いつスピンしてもおかしくない、という恐ろしい状態に、私は、助手席に座っているだけで、膝から下が、ざわざわしてきました。すると、突然夫が、「やめよう!」と言い出しました。誰も、反対する人はいませんでした。「命をかけて行くほどのことはないだろう。」という結論でした。
このままUターンするのもなんなので、ビターココアを飲んで帰ろうと、前日に引き続き「ライフ」に行ったら、あろうことか定休日。おさまりがつかないので、「ラプサン」に行って紅茶を飲んで、9時過ぎ、我が家へと帰ってきたのでした。


12月14日
ビターココア
昨日夕方、いつもの3人と2匹で旭川まで買い物に行った帰り、「ライフ」という珈琲専門店に寄りました。「ライフ」は、先日案内板にも書いた、紅茶専門店「ライフ・ラプサン」の姉妹店で、旭川では有名な喫茶店です。
珈琲を飲むつもりでメニューを開くと、3人とも、「ココア」の文字に惹かれてしまいました。珈琲専門店なのに、ハイファット、ローファット、ミントココアなど、たくさんの種類のココアがあるのに驚きました。
特に寒い日に喫茶店に入ると、「ココア、飲みたいなあ」と思うのですが、ミルクや生クリーム、そしてお砂糖もたっぷり入ったココアのカロリーを考えると、たいがい、ぐっとこらえてしまいます。ところが、「ライフ」のメニューの中に、砂糖、ミルクを使わない「ビターココア」というのを発見したのです。ミルクを使わないココアなんて、ちょっと想像できない、と思いつつ、「カカオそのものの味わいをお楽しみください。」という言葉にも興味を引かれて、主人と私は、勇気を出して注文してみました。
ビターチョコレートのような色のその飲み物は、カカオの濃厚な香りとこくが豊かで、苦味の中に、ほんのりと自然な甘味が心地いい、相当においしいものでした。苦いのが苦手なあっこちゃんは、私のを一口飲んで、「ああ。」といったきりでしたが、私たちはすっかり「ビターココア」に魅せられてしまったのでした。しばらく旭川に行くたびに、「ライフ」に通いそうです。


12月13日
粗食宣言!
・・・と言っても、お客様にお出しする食事を、粗食にするということではありません。薫風舎の食事は、野菜が中心で、化学調味料などを使用せず、すべて手作りにこだわった、「身体に良いご馳走。」を心がけてきました。それでも、ご馳走である以上は、クリームやバターも使うし、メインディッシュはお肉でボリュームもたっぷり。バランスは良いが、どうしてもカロリーは高くなります。楽しむための食事なのです。
これを、自分たちの常食とすると、やっぱり四十の声を聞く私たちにとっては重たすぎる、ということに、頭より先に身体が、だんだん気付いて来たようです。二人とも、とにかく食べるのが大好きで、うちでも外でも、とにかくおいしいものをたくさん食べたいと、つい思ってしまうのですが、これは、身体に相当負担をかけます。
最近は、楽しみの「ご馳走」は、友人や家族が集まった時などに、たまに食べることにして(食べないとは言わないのが意志の弱さ。)、毎日の食事は、できるだけ雑穀ごはんと野菜を中心とした和食を、おなかいっぱいにならないように、ゆっくりおいしくいただくようにしています。
発芽玄米と白米を混ぜて炊いたごはんに、根菜のたくさん入った具沢山のお味噌汁、野菜の煮物や和え物と、お魚を少し、といった感じです。これが、とても良い。体も軽くなるし、頭もさえ、そして何より、実においしいのです。
これから少しずつ、薫風舎の裏メニュー、ご紹介しましょう。


12月12日
除雪
今年は、ずいぶん雪が降り続いています。朝起きると、10センチから20センチは、新雪が積もっていて、毎日のように、我が家の除雪機が出動。これで、午前中がつぶれてしまいます。(朝のんびりしていて、出動時刻が遅いせい。)
夕べ、白金温泉に行ったら、脱衣所で地元の人たちが、「いやいや、よく降るねえ。」、「雪はねもゆるくないわ。」などと話していました。今年の冬の、挨拶代わりです。北海道、特に田舎のほうでは、「雪かき」なんて、生ぬるい言葉は使わないのです。「雪はね」とか、「雪よけ」もしくは、手動であっても「除雪」などといいます。「じょせつ」。なんて力強い言葉でしょう。ママさんダンプ(わかりますか?)に、積めるだけの雪を積んでは、雪捨て場に押していく、肝っ玉母さん(もちろん父さんも。)の、頼もしい姿が目に浮かびます。


12月11日
午後の紅茶
昨日お昼過ぎ、あっこちゃんを迎えに旭川駅に行きました。久しぶりに、外で昼食を食べ、自然食の店やイトーヨーカドーに寄って、お豆腐やキノコ、あっこちゃんのリクエストで、おいしそうなカジカなどを買って、駐車場から出ようとすると、携帯に電話が入りました。平松さんからでした。
平松さんは、たびたびこの案内板にも登場する、私たち夫婦と薫風舎にとって、大切な友人です。高校の先生をする傍ら、世界を股に掛け飛び回る(?)、超有名人でもあります。いつもいつも忙しいので、なかなか会う機会を見つけられないのですが、たまたま旭川空港まで、車を取りに行ったので(この説明は長くなるので、省略)、薫風舎まで足を伸ばしてくれるつもりで、電話をしたのだそうです。
あいにく、こちらのほうが旭川に来ていたので、街から少し外れたところにある、「ライフラプサン」という紅茶専門店で、落ち合うことにしました。
平松さんは、NHK日曜夜放送の、「クイズ日本人の質問」という番組の収録のため東京に行って、帰ってきたばかりだそうです。ペットボトルで、雪の結晶を作る実験が、1月28日に放送されるそうです。
日曜の午後のひとときの、おいしい紅茶と、親しい友人との楽しい会話。私たちにはめったに味わえない、至福のひとときでありました。


12月10日
あっこちゃん帰る。
11月25日から愛知の春日井にある実家に帰郷していた、スタッフのあっこちゃんが、今日、薫風舎に帰ってきます。さっき、無事千歳に到着したという元気な電話があり、1時過ぎには旭川に到着します。
「私がいない間、二人で散らかして!だめじゃない!」なんて、怒られそうだなあ。あっこちゃんが帰ってから、我が家は、一人娘を嫁に出した老夫婦のように、静かで寂しい毎日だったよ。
また今日から我が家に、3人と2匹のにぎやかな日々が戻ってきます。


12月08日
久しぶりに普通の日。
今日は、昨日よりずいぶん寒さが和らいで、軽そうな雪がゆっくりと降る、静かな一日です。
昼食に、ありあわせの根菜と小麦粉を練って作ったすいとんを、みそ味で煮込んで、食べました。
蒔きストーブを背中にしょって、お茶を飲んでいたら、とろとろと眠くなってしまいました。いけない、いけない、このままでは昼寝してしまう。さあ、そろそろ行動開始しなくては。


12月07日
霧氷の朝
今朝、起きるとやけに寒さを感じました。できるだけ着込んでラウンジまで行くにしたがって、その寒さが本物であることが、身にしみてわかりました。先に厨房へ入っていた主人に、「寒いねえ。」というと、主人は、「だって、マイナス18℃だもん。」と、自慢げに言ったのでした。
ようやく暖まったラウンジの、ピアノの前のテーブルで、今、案内板の原稿を書いています。外に目をやると、周りの木々の枝や枯れ草の一本一本に、霧氷がきれいについて、真っ白く輝いています。大根畑だった前の畑は、もうずいぶん前から雪で覆われていましたが、今朝の冷え込みで、表面がきらきらと輝いています。
薫風舎に、本当の冬景色がやってきました。


12月06日
大災難
日曜日、埼玉から妹のところへ遊びにきた友人家族に会いに、札幌へ行った。
翌日、買い物があったので、繁華街からちょっと離れたところの屋外の駐車場に車を入れた。
係員が小さな小屋の中でレジ前に座っていた。カギを預けて、買い物をして帰ってきたのがおよそ一時間後。チケットを渡して、カギを受け取ろうとしたところ、預けたカギが見あたらないと言うではないか。ムックとティンクが、心配そうに車の中からこちらを見ている中、どこか小屋の中に落ちているのではないかと、係員と3人で捜したが、見つからない。日は暮れて気温も当然氷点下。
預けたカギには、エンジンスターターや、自宅のカギもついていて、このままでは、美瑛にたどり着いても、うちの中にも入れない。刻々と時間は過ぎ、身体の芯まで冷え切って、いいかげんうんざりしてきた。新米のアルバイトは、おろおろと同じところを探しているだけ。管理人も電話で駆けつけたが、いっしょにおろおろするだけで、まったく埒があかない。挙句の果てにそのアルバイト、「カギを預かったかどうか記憶にない。」などと、3流の政治家のようなことまで言い出す始末。管理人がまたトウヘンボクで、カギを預かったという証拠もないし、このアルバイトは入ったばかりなものでと、変な理屈をこねて、だんだんと責任逃れをしだしたのだった。
やがて、父や妹夫婦も応援に駆けつけてくれたが、管理人は、開き直って、「警察に紛失届を出されたらどうですか。」と、ノウノウと言いだした。さすがにこちららも声を荒げて「誰が無くしたか、考えてみろ!」。守分家、総勢5人の目は、釣り上ったのだった。結局、警察を呼んでもらい、全員で、広い駐車場の中のカギを探す、大騒動となってしまった。しかしそれでも、カギは一向に見つかりそうもなく、そのうちむこうも、だんだん自分たちの非を認めざる得なくなってきたのか、急に態度が変わり、「なくしたものはすべて、弁償いたします。」と言い出した。ようやく緊急時の鍵屋に来てもらい、とりあえず車を動かせるようになったのが、駐車場に戻ってから4時間後。
大変申し訳ありませんでしたといまさら言われたって、寒空の中、まったく無駄な時間を過ごさせ、不愉快な気持にさせて、どうしてくれるんだい。
自宅のカギもないので、結局その日は、実家にもう一泊し、釈然としない気持で、夕べ、ようやく我が家へたどり着いたのであった。


12月03日
ジュースの氷
一昨日のことです。旭川のMEGAという大きな本屋さんの中に併設されている、行きつけのドトールスタイルのカフェに、久しぶりに行きました。大抵、若い女性が一人で切り盛りしていますが、その日は、中年のおじさんがひとり、カウンターの中にいました。
のどが渇いていたので、オレンジジュースを注文しました。私は、ジュースや牛乳に氷を入れるのが、薄まって、しかも冷えすぎるので、好きではありません。特にこの日は、冷たいのがいやだったので、ちょっと遠慮しながら、「済みませんが、氷抜きにしていただけますか?」ときいてみました。すると、そのおじさんは、ちょっと困った顔をしながら、「量が少なくなってしまいますが、よろしいですか?」と問い返しました。私が笑って、「もちろん、良いです。」と言うと、手早くコップにジュースをずいぶんたくさん、入れてくれました。そして、「普通の量にしておきました。」とにっこり笑って、手渡してくれたのでした。
冷たい飲み物が氷を含めた量であることは、よくわかっており、氷を抜いて通常の量を入れたときの貧弱さは、出すほうとしては、非常にばつが悪いというのも、知っています。もちろん、注文する私としては、量をふやしてほしいとは、これっぽっちも考えていなくて、ただ単に、せっかくの飲み物を、おいしくいただきたいと思っているだけなのですが、お願いすると、あからさまにいやな顔をされることも少なくないので、よっぽどでない限り、我慢するようにしていました。
カウンター越しのほんの少しのやり取りでしたが、おじさんの誠実で、親切な態度に、その日のオレンジジュースは、いつもより何倍もおいしく感じられたのでした。