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12月31日
ほっと一息
うま煮さえできれば、こっちのもんだ。慌しい大晦日、午前中にさっさとうま煮を作って、ようやくほっとした。大きななべにいっぱいいっぱい、根菜やたけのこ、しいたけ、それから薫風舎のうま煮にはなくてはならない八つ頭も入って、コトコトと煮込み火を止めた。
昨日は、黒豆も煮たし、なますも作った。あとは、きんぴら、高野豆腐を煮れば、何とか年を越せる。いつもの仕事の合間の作業は、毎年のことながら、かなり大変だ。それでも、ようやく見通しがたって、ほっと一息。うれしい気分になってきた。いい匂いがラウンジにたちこめている。


12月29日
年末の気分
年の瀬だということを実感するには、街へ出るか、テレビを観るかしなければいけない。うちにいて仕事をしていると、淡々といつものように時間が過ぎてしまう。昨日は、どうしても美瑛では食材が揃わなくて、大急ぎで3人で旭川まで足を伸ばした。スーパーの駐車場の混雑振りが、今年も押し迫っていることを知らせてくれる。店内には、お正月用品、おせち用の野菜などがうずたかく積まれていて、なんだか背中をせかされている気分になった。
うちに帰ると、またいつも薫風舎のゆったりと流れる時間に、慌しい気分がかき消されそうになる。のんきにしていると、刻一刻と来年が迫ってくるから、そろそろあせらなければと思うが、なかなかそうも行かない。いつものように、12月30日に作る黒豆の匂いとともに、年末の気分になるだろうか。


12月27日
ダイアモンドダスト
朝起きると、夕べ降ったふわふわの雪にみな覆われていた。久しぶりに出た青空。朝陽がまぶしい。窓の外を見たら、ダイアモンドダストが、光を映してきらきらと空気中を舞っている。シャリシャリと音がしてきそうな、冷えて凍った氷の塵に、みな目を見張ったのだった。ようやく、冬らしい景色がやってきた。


12月24日
4人で過ごした3日間。
徹底的に寝込んでしまった。風邪を引いて、熱を出したのだ。あれは確か4日前だ。夕食後、アップルパイを食べながら、大テーブルでお客様を交えておしゃべりをしていた。数日前から風邪を引いて、喋る声もおかしかった。それでも楽しく過ごしていたのだが、急にいたたまれず、一人その場を立ち去ったまま、ベッドに転がり込んでしまった。熱が出たのだった。
「熱は体のリンパ球が戦っているのだから、薬で下げずに出し切った方が良い。」を今回は実践することに決めて、症状を抑える薬は一切のまず、ひたすら寝てすごした。仕事は、夫とチャコちゃんにすべて任せた。頭はがんがんするし、鼻水、せき、のどの痛みと、風邪の症状オンパレードである。ベッドに寝ると、ムックが必ず傍らに横たわる。クリが足元に来る。夫の布団の上にはティンクだ。ちょっと起きて居間のほうへ行くと、何となくみなついてくる。ああまた熱が上がったとため息をついてベッドに戻れば、ムックはまた黙って傍らへと横たわる。3日間、なにかと4人(私と3匹)で過ごしていた。みな黙々と、私を取り囲んでくれたのだった。
風邪の方はというと、薬を飲んでいないから、熱が急に下がることもないし、症状も急に治まったりしないのだが、3日目になると、急に頭がすきっとしだした。熱も、ときおりふわっと上がっては下がりを繰り返しながら、平熱へと戻った。どうやら、この作戦は、つらいようでひょっとして一番体に良いのではないかと思えてきた。元気になってきたら、寝て過ごしていたひと時に、ちょっぴり懐かしささえ覚える。考えようによっては、なんと贅沢な時間だったことか。おかげで、そろそろ復活の時も見えてきた。


12月20日
アップルパイ
薫風舎のケーキ担当あっこちゃんが郷里に出稼ぎに行っているので、今日は3人でアップルパイを作った。もちろん、砂糖、乳製品、卵を使わないお菓子だ。東北旅行のときに買ってきた紅玉を使いきろうと思ったら、大きいのが2つもできた。全粒粉で作ったパイ生地をパイ皿に伸ばし、りんごを並べたら、山盛りになった。その上に、もう一枚のパイ生地を載せてオーブンで1時間以上じっくり焼いた。パイからはみ出さんばかりの沢山のりんごがうれしい。味の方はどうであろうか。今晩、みんなでの試食会が楽しみだ。


12月19日
大名釜飯
昨日は、3人で大きなひと仕事を終えて、夕方旭川へ買い物に出た。雪が少なく気温が低いので、ぬるぬるといやな路面だ。それでも、ここ2、3日うちにこもっていただけで、街の明かりに何となくうれしさを感じだ。
夕食をどこで食べようか。行こうと思っていたところが定休日で当てが外れ、しばし困った。駅前まで出る気分でもないし、体が喜びそうな食事と考えると、なかなか浮かばない。どうしようと思いながら車を走らせていたら、ピーンと思いついた。そうだ、久しぶりに「ぶんご」(HP食べある記バックナンバー参照)へ行こう。いつも、お昼に行くので、なかなかメインメニューの釜飯を食べる機会がない。この前そういえば、別なお客さんが大名釜飯というのを食べていて、おいしそうだったなあ、と気分はもう釜飯だ。
店に入ると、なんと暖かい雰囲気。うれしくなって、メニューを見入ったのだった。ところが、それから時間がかかった。「けんちんうどん」にも強烈に魅かれたからだ。三人とも、どっちも食べたいが、3人で両方頼むのは無謀である。夫と、チャコちゃんは、うどんメインで釜飯も食べたい派。私は、釜飯メインで、うどんも食べたいのだ。注文を待つ男の子(ぶんごのおばあちゃんのお孫さん)にあきれられながら、真剣に悩んだ。結局大名釜飯とけんちんうどんを二つずつ頼んで、みんなで分け合うことにした。それから15分後、炊き上がった釜飯とうどんが、良いタイミングで運ばれてきた。根菜の沢山入ったしょうゆ仕立てのけんちんうどんと、蟹やホタテがふんわりぎっしりとのった、ほかほかの大名釜飯を仲良く分け合い、幸せな気持ちで、夕食をいただいたのだった。釜飯にちょこっと付けてくれるカボチャやきんぴらのおそうざいもうれしかった。最良の選択に、みな大満足であった。


12月16日
演奏会を終えて
12月12、13日に行われた札幌コダーイ合唱団・合奏団の演奏会に出演して、夕べ美瑛に帰ってきた。いまでも、ハイドンのテレジア・ミサの様々なフレーズが、頭の中に鳴り響いていて、心地が良い。
今回の演奏会は、クリスマスにちなんだ小品を集めたコダーイ合唱団によるアカペラのステージ、合奏団に、薫風舎でもすっかりおなじみのヴァイオリンの川原千真さん、チェロの田崎瑞博さんを招いての弦楽コンチェルト、そして一昨年、昨年に引き続いて一般公募のテレジアコール、札幌東高、小樽潮稜高校合唱団が加わって、全員によるハイドンの「テレジア・ミサ」と、変化に富んだ楽しいプログラムだった。
どのステージも、中村先生とコダーイ合奏団・合唱団の目指しているものが、いつにも増して色濃く表れ、それを客席にいる人々へまっすぐに伝えることができたのではないかとおもう。それは、指揮者の指示を待つのではなく、ひとりひとりが自分の音楽を表現するということ。表面的に造り上げられた美しさではなく、その時にしかあり得ない音楽。個々の主体的な表現と指揮者の求める音楽が、結果すばらしいアンサンブルを編み出し、生きた音楽となる。そのことを、今回の演奏会では、理屈ではなく心から演奏者が楽しみ、客席へと素直に伝えることができたのではないか、と思った。
演奏会を終え、15年前の「テレジア・ミサ」の演奏会の録音をあらためて聴いてみた。この15年の歳月が、中村先生と川原、田崎夫妻、そして私たち合唱団、合奏団との信頼関係をいかに深めているかということを、つくづく感じた。来年、再来年、もっともっと良い音楽ができることを目指していきたいと思ったのだった。
薫風舎から会場へ足を運んでくださった皆さん、ありがとうございました。今回、ご都合がつかず連絡を下さった方々も、心に留めてくださりありがとうございました。次回はぜひおいでください。


12月16日
ニセコは雪です。寒いです。


12月16日
ニセコは雪です。寒いです。


12月16日
演奏会を終えて
12月12、13日に行われた札幌コダーイ合唱団・合奏団の演奏会に出演して、夕べ美瑛に帰ってきた。いまでも、ハイドンのテレジア・ミサの様々なフレーズが、頭の中に鳴り響いていて、心地が良い。
今回の演奏会は、クリスマスにちなんだ小品を集めたコダーイ合唱団によるアカペラのステージ、合奏団に、薫風舎でもすっかりおなじみのヴァイオリンの川原千真さん、チェロの田崎瑞博さんを招いての弦楽コンチェルト、そして一昨年、昨年に引き続いて一般公募のテレジアコール、札幌東高、小樽潮稜高校合唱団が加わって、全員によるハイドンの「テレジア・ミサ」と、変化に富んだ楽しいプログラムだった。
どのステージも、中村先生とコダーイ合奏団・合唱団の目指しているものが、いつにも増して色濃く表れ、それを客席にいる人々へまっすぐに伝えることができたのではないかとおもう。それは、指揮者の指示を待つのではなく、ひとりひとりが自分の音楽を表現するということ。表面的に造り上げられた美しさではなく、その時にしかあり得ない音楽。個々の主体的な表現と指揮者の求める音楽が、結果すばらしいアンサンブルを編み出し、生きた音楽となる。そのことを、今回の演奏会では、理屈ではなく心から演奏者が楽しみ、客席へと素直に伝えることができたのではないか、と思った。
演奏会を終え、15年前の「テレジア・ミサ」の演奏会の録音をあらためて聴いてみた。この15年の歳月が、中村先生と川原、田崎夫妻、そして私たち合唱団、合奏団との信頼関係をいかに深めているかということを、つくづく感じた。来年、再来年、もっともっと良い音楽ができることを目指していきたいと思ったのだった。
薫風舎から会場へ足を運んでくださった皆さん、ありがとうございました。今回、ご都合がつかず連絡を下さった方々も、心に留めてくださりありがとうございました。次回はぜひおいでください。


12月13日

きょうは、小樽
昨日、ますみの所属する札幌コダーイ合唱団の演奏会が札幌で行われた。そして、きょうは小樽マリンホールでの2日続けての演奏会の当日だ。昨晩11時に、演奏会での高揚した気分を持ち帰ったままの妻と妹の美佳は、今朝7時には起きて、9時過ぎには会場の小樽へといつものように賑やかに出かけて行った。私は、昨日3週間ぶりに滋賀の実家から戻ってきたチャコちゃんと一緒に、小樽マリンホールの客席で開演の時を待つことにする。きれいに青空が広がる、冬の日本海を見られるのも楽しみだ。


12月11日
リハーサル
今日は、明日から行われるコダーイ合唱団の演奏会ハイドンの「テレジア・ミサ」のオケ合わせだ。リハーサルは夜なのだが、美瑛から行くとすると、4日分の旅行と衣装の用意をして三匹を連れての大移動となるので、一日がかりである。
クリの車酔いは、春から比べると少しは改善されたような気もする(と思いたい。)が、依然ひどく、その用意に一番時間がかかるかもしれない。荷物を積み込み札幌に行くだけで、いつも疲れ果ててしまうので、今日は夜までエネルギーを温存するよう道中がんばる、いや頑張り過ぎないようにしようと思う。


12月10日
広島風お好み焼き「もみじ」
シーズン中疲れがたまってくると、「今日のお昼はもみじのお好み焼きにしようか。」と、誰かが言い出す。そうすると、お皿を持って、よく美瑛の街まで買いに走ったものだった。この夏は、そういうチャンスを逃したまま、急に「もみじ」が旭川へ移転することを聞いた。「もみじ」は、広島出身の中川さんが営む、良心的でおいしいお店だ。うちのお客様にもファンは多く、美瑛に来ると必ず立ち寄る人も少なくなかった。
中川さんは、観光客よりも口コミで地元の人に愛される店を目指していたから、ガイドブックにも載せないし、広告も出さない。美瑛を愛し、ただひたすら、たずねてくるお客さんのためにおいしいお好み焼きを焼いてくれる。そんな「もみじ」が、美瑛からなくなってしまうことを知り、とてもさびしい気持ちになった。
8月、旭川医大の近くのお店がオープンしたことを知ったのだが、美瑛からはなかなか行くことができなかった。昨日、ようやく夫と二人、旭川への用事の帰りに、お昼を食べに立ち寄ることができた。お店は、前よりもすこし広くなっていたが、変わらぬ中川さん手作りの、素朴な店内と大きな鉄板に、美瑛の店と変わらぬ雰囲気を感じた。二人でいつものようにスペシャルの肉なしダブルねぎのせを頼んだ。たっぷりのキャベツともやし、そばで、山のようになったお好み焼きに、特製の鉄の重しをのせる。この焼きあがるまでの時間が、なんとも待ち遠しい。
ここに移って、美瑛の時よりもずいぶんお客さんが増えたこと、旭川の常連客が喜んでいるとの事を聞き、うれしかった。夏、買いに走ることができなくなったのは、本当に残念だが、この冬は、旭川への用事を見つけて、焼きたてのお好み焼きを店内で食べようと心に決めたのだった。広島風お好み焼き「もみじ」お近くの方はぜひごひいきに。旭川緑ヶ丘東4条2丁目1−6(0166−66−3071)11:30〜15:00、17:00〜20:00定休日(月)


12月09日
雪明り
いつのまにか雪がやんで、ときおり青空がのぞいた。夕方、真っ暗になってから、車へ忘れ物を取りに行くのに外に出たら、玄関の正面のカラマツ林の真上に、大きな満月が雪原を照らして輝いていた。月に照らされた雪の明かりで、辺りはぼわんと明るい。


12月08日
積雪
それにしてもよく降る。今までの分を取り返すかのように、ずんずんと積もって、裏のコニファーやようやく小鳥が来てくれるようになったバードテーブルの屋根も、庭のベンチの上にも、こんもりと雪が積もっている。
この大雪の中、滞在しているじっちゃんこと長谷川さんが札幌に出かけていった。私たちには秘密の用事を足しに行くといって、7時54分のバスで旭川に向かい、特急に乗った。3時札幌発のスーパーホワイトアローに乗ったはずだから、もう旭川に着いて、じき白金温泉行きのバスに乗るはずだ。薫風舎に泊まって、札幌日帰りをするなんて、相変わらず元気だと感心する。
夫はこの大雪で、午前中、除雪や薪運びに大忙しだった。私は、遅れていたテレジア・ミサのチラシ送付の作業をした。おかげで、お昼ごはんを食べたら、二人とも睡魔に襲われ、暖炉の前で夕方まで寝入ってしまった。
そういえば、雪が積もったおかげで、旭山動物園のペンギン散歩も、ようやく6日から始まったと、新聞に出ていた。北海道の、少なくともこのあたりの人々は、この雪に、みんな独特の安堵感を覚えているはずである。


12月07日
真冬
昨日、雪のない札幌に1泊して帰ってきたら、すっかり真冬になっていた。3時のスーパーホワイトアローに乗って、本を読んだりうとうとしたりして気がつくと、あたりはもうずいぶん暗くなっていた。旭川の街に入ると、路面は真っ白だった。
夫とともに旭川駅に迎えに来てくれたじっちゃんこと長谷川さん、大和さんとともに、真冬の旭川の街を歩いて、「ちろる」という老舗の喫茶店でコーヒーを飲み、その隣のとてもおいしい料理屋で夕食を食べた。帰りに、もう半年以上行っていないだろうか、花神楽で温泉に入った。うちに帰るまで雪は降り続き、薫風舎の周りも、ずいぶん積もっていた。
今日は、今年初めて、夫がトラクターで除雪をした。し終わって帰ってきても、まだ雪は勢いを増し、猛吹雪となった。きっちりと季節はようやく冬に入った。


12月04日
積雪
ようやく雪が積もった。うっすらと。昨日の天気予報では、今夜から20センチくらい積もるとの予報だったが、朝起きたときにせいぜい2、3センチ積もって、それがそのまま残っているだけだ。
これから、旭川の北の山間の小さな町、朝日町サンライズホールに演劇を観に行く。チケットの予約をしたらひどい天気なので、早めにいらしてくださいと言われた。雪雲は、どうやら美瑛をかすめているらしいが、どんな天気なのか想像すると、ちょっと怖い。とにかく早めに出発しようと思う。


12月02日
テレジア・ミサ
コダーイ合唱団の本番が近づいてきた。練習になかなか出られないので、いつも、今年は無理かなと一度は思う。でも、結局指揮者の中村先生や、合唱団の仲間たち、オーケストラに客演する田崎、川原夫妻とともに、ステージに立つことを結局諦めきれず、みんなの暖かい心に感謝しながら、出演を決めてしまう。
今年のプログラム、ハイドンのテレジア・ミサは、私にとって、ひときわ思い出深い曲である。学生時代コダーイに入団してから数回のステージの後、厚田村聚富中学校への赴任が決まって、合唱団から遠ざかった。たまたま秋に何かの演奏会で団員のひとりとばったり会って、クリスマスの演奏会のことを聞き、「うらやましいですねえ。」と言ったら、「歌いに来たらいいじゃない。」と、誘ってくれた。恐る恐る、数年ぶりに練習に顔を出した。団長の中野さんはじめ、まるで今までずっと私がいたかのように、普通に接してくれて、拍子抜けしたほどだった。そのとき歌ったのが、この曲だった。その時のテープを引っ張りだしたら、1988年だったから、15年も前の話である。
美瑛に来てからは、本番を含めても数えるほどしか参加できないのに、いつも、みな、ずっといたかのように接してくれる。私もついついずっといたかのように歌ってしまい、心の中で時々反省する。
でも、この懐の広さが、コダーイの演奏を支えているに違いないと、実は思っている。個々がもたれあわずに、責任を持って音楽を作り上げる。去っていく人、新たに加わる人、メンバーが変わっても、いつもコダーイの音楽がそこにはある。その一員として今もいられることを、幸せに思う。


12月01日
ここ数日
28日から、毎日ひとことを書きそびれて、今日に至ってしまった。毎日楽しみにしてくださっている皆さん、スミマセン。何をしていたのかなあ。一日中、掃除や片付け、ピアノの練習に明け暮れた日、妹が来たので、二人で旭川陶芸の里のカフェ&ギャラリーMokeraMokeraに行って、遅くまでのんびりしてしまった日、妹を送りに旭川駅まで行って夜になってしまった日。毎日それはそれは充実しているのだが、ひとことを書く隙が捻出できなかった。今日も今日とて、一人で旭川に用を足しに行って、帰りに、Ries cafe に寄って、オーナーの川上さんご夫妻とおしゃべりをしていたら、あたりは真っ暗になってしまった。
相変わらず、外は暖かく雪もなく、季節感がない。題材は毎日事欠かないのだが、夏休みの宿題の絵日記を溜め込んだみたいに、書くこともまとまらないので、今日はこのへんで。


11月27日
雪のない冬景色
今日は、冷えて、晴れて、締まっていた。朝までにうっすらと降った雪は、土を濡らすことなくいつのまにかほとんど消えていた。外に出ると、きりきりと空気がシバレて、体が縮み上がった。地面は、シバレた空気に引き締まり、枯れた草や木の枝も凍っている。夕方になると、蒼い空に山が途方もなく美しく浮かび上がった。空には、三日月と一番星。雪のほとんどない、冷え込んだ冬景色の一日だった。


11月26日
時間マジック
シーズンの最中、チェックアウト後みんなで全館清掃を済ませて、車を旭川まで走らせ、昼食を取って買い物や用事を済ませ、3時までに帰ってくるということをよくやっている。今日は、お昼頃、夕方までには帰る予定で、夫とふたり旭川まで出かけた。
そこここで、そんなにゆっくりしたわけではないのに、あっという間に時間は過ぎ、7時にようやくうちに帰り着いた。どうして、シーズン中にはあんな芸当ができたのかと、オフになるといつも不思議でたまらない。買い物だけでなくて、一日の長さが、どう考えても違うように思えるのだ。
もう9回も、11月になるとこんな時間マジックを味わっている。シーズン中、11月になったらのんびりできると心待ちにしているのに、さにあらず。やらなければならないことは山積みなのに、何もしないうちに日が暮れていく。スイッチがオフに切り替わると、もう、オンの時間には戻れない。そして気ばっかりあせってくる。
だがしかし、あせっても仕方ない。この時間に慣れて、この時間の中で暮らせばいいのだ。時間の「長さ」ではなく、「タイプ」が変わるのだと、ようやく気がつき始めた。そうしたら、とても気が楽になった。このオフは、時間マジックをせいぜい楽しもうと思う。


11月25日
淋しげな景色
緩んだ空気と冷たい雨に、せっかく積もった雪がほとんど溶けてしまった。ドロンとしたねずみ色の雲と、久しぶりに姿を表した十勝岳の雪が交じりあって、静かで不気味な山の景色が広がっている。山の手前の枯れた木々と土の出てしまった畑が、また淋しげだ。
この季節のこんな暖かさは、あまり気持ちがよくない。早く冷え込んで、きっちりと冬になってくれればいいのにと思う。
こういう日は、何もせずじっとしていたくなる。私たちにとって、そういう時間も、この時季には大事なのかもしれないと思った。


11月23日
冬景色
11月17日、あっこちゃんに代わって、冬の間、薫風舎に居てくれることになったチャコちゃんが、一旦滋賀に帰った。旭川空港まで見送りに行って、そのあと、なんとなくさびしい気持ちで、3人で数日を過ごした。
そして、一昨日、あっこちゃんが、苫小牧から愛知へ向けてのフェリーに乗った。20日に、2台の車で札幌へ出発し、私の実家に1泊して旅立った。北海道大荒れの天気予報に、あっこちゃんの船と、私たちの帰り道が、非常に心配になった。
昨日21日、朝TVをつけると、旭川の猛吹雪の模様が映し出された。札幌は、どんよりとした雲から、ちらちらと、雪らしきものが落ちてくる程度だったが、この季節の国道12号線沿線は、想像もつかないほどひどい吹雪になることが多いので、気をもんだ。太平洋側も、最大風速数十メートルというから、あっこちゃんもさぞ揺られているのではないかと思った。
急いで帰ろうと思いつつ、午前中だらだらとしていたら、お昼過ぎ、急速に気温が下がり、風も出てきた。結局札幌を出るのが3時過ぎになり、とりあえず行ける所までと、高速に乗った。全くの夏道で、うっすらと夕焼けまで見えたが、前方は雪雲にすっぽりと覆われ、あやしいセピア色に光っていた。対向車線からは、雪だるまのような車もやってきて、恐怖心をそそられたのだった。案の定、奈井江あたりで突然雪道となり、あっという間に冬景色となった。
幸い、視界が閉ざされるほどのひどい吹雪には見舞われず、無事旭川のインターまでたどり着くことができたが、路面はズルズルで、美瑛まで気を抜けなかった。うちについて、荷物を降ろして、なんだか寒々しい家の中に、ふうっと体の力が抜けたのだった。
朝起きると、一面の雪景色。あっこちゃんは、いつもより遅い冬の訪れに、この景色を見れずに帰ってしまった。来年春に来るころには、このあたりはもう雪解けの時期を迎えているはずだ。あっこちゃんから、もうじき名古屋に到着との連絡を受けた。


11月20日
東北旅行その3〜「食」でひとまず最終回〜
一昨日「ひとこと」に「つづく」と書いてしまって、後悔した。東北旅行から帰って1週間、すっかり旅行気分もおさまって、気持ちはすっかり明日へと向かっている。きのう書きそびれて、さらに、間延びしてしまった。しかし、書かねばなるまい。うーむ。そうそう、薫風舎に忘れてはならない「食」についてである。あ、あの味が・・・あの料理が思いだされてきたぞ。おいしかったひとときが・・・。
今回の旅行で、一番おいしかったものといえば、4人皆一致している。期待していた「鶴の湯別館山の宿」の夕食だ。一番の楽しみは名物「山の芋なべ」は、数年来のあこがれだった。温泉に浸かりすぎてコンブになった私たちを、囲炉裏のいいあんばいにこんこんと燃える炭の火が迎えてくれた。すでに、山菜やキノコの和え物などの、沢山の小鉢が用意されていて、わくわくした。
丁寧な説明を受け、炉辺焼きの沢山の野菜やお魚、お肉の炭火焼きをはじめた。皆の前には、もうすでにちょうど良い具合に焼けたイワナが立てられている。その、ふっくらとジューシーな味ときたら、これまで食べた焼き魚は何だったのかと疑いたくなるほどのおいしさだった。今まで、棒に突き刺して焼かれた魚など、ちっともおいしそうに見えなかったのに、帰ってきてから、TV番組やCMで出てくるたびに、みんなで声を上げてしまう。
それから、次々に出てくる料理。そして、絶妙なタイミングで、山の芋なべの登場だ。囲炉裏にぶら下げられた南部鉄のなべから立ち込める湯気。ああ極楽。
おなかがはちきれんばかりに食べて、もうご飯など入らないと口々に言い、ふうふう言っているところへ、一口の冷たい蕎麦が出てきた。食べられてしまう。そして、銀シャリじゃ!
玄米をはじめてから、白いご飯をおいしいと食べたことはほとんどなかったのだが、秋田である。このご飯のおいしさには、言葉を失ってしまった。そして、みんな平らげてしまったのであった。
向こうのカップルがもうすでにデザートまで達していて、どうもアイスと果物らしいので、私はアイスは断ろうかといったら、夫が食べてくれるというので、そのまま出してもらった。「山の芋のアイスクリーム」だった!!一口だけ味見とおもったら、なんとおいしいこと!みな食べてしまったのだった。
「山の宿」の心づくしの夕食は、素朴で山菜や野菜がたっぷり食べられて、バランスがとてもよい。期待を裏切らない、本当においしい食事だった。
いざ書き始めると、ついつい長くなる。ほかのお店は、手短に。角館唯一にしてとてもおいしいイタリア料理店「風雅」は、一昨年行ってぜひまた行きたいと思った。ご夫婦でやっている小さな店で、手打ちパスタや一品料理など、気の利いたメニューがうれしい。
ひょっと入った古い喫茶店(名前を忘れてしまってすみません。)で教えてもらった「土間人」という、ちょっとお洒落な居酒屋は、野菜がたっぷり食べられて、大満足だった。突き出の根菜の煮物が、食べ放題といわれて、うれしさのあまり雄叫びを上げた。味付けも薄味でありがたかった。
そうそう、最後に忘れてはならない、2年越しでようやく行ってきました!!千歳のお寿司屋「北の華」。フェリーに乗る前に、両親と6人で、2年越しの想いをようやく実現できて、大満足だった。評判以上の良い店で、絶妙な握りずしを味わい、これで旅行が終わっても良いくらいといいながら、フェリーに乗り込んだ。斜向かいの「みやこ寿司」と迷いに迷った末、今回は「北の華」。この冬帰省するあっこちゃんを苫小牧に送った帰り、今度は「みやこ寿司」か?と、もくろんでいるところだ。
これでひとまず今回の旅行報告は、おしまいです。ああ、すっきりした。それにしても、今年は雪が降らなくて、まだ秋景色のままの美瑛です。


11月18日
東北旅行〜その2〜1日25風呂
今回旅の第二目的は、もちろん温泉である。一昨年あっこちゃんと3人で行った乳頭温泉郷が忘れられず、ライヴのあと2泊して、温泉三昧を決めこんだ。一番泊まりたかった鶴の湯別館「山の宿」は、8月に電話をした時すでに9日が満室で、10日だけようやく取れた。9日は、前に行った時改築工事中だった「田沢湖高原国民休暇村」に予約をした。
9日ペンションサウンズグッドをチェックアウトした後、30分ほどで、鶴の湯本陣に到着したが、日曜日で、たいへんな混雑ぶりであった。その日は、角館で過ごすことにして、「温泉三昧」は10日一日に賭けたのだった。
乳頭温泉郷は、一番人気の「鶴の湯」のほか、6つの宿がある。それぞれ趣の異なる複数の泉質の数個の内湯、外湯がある。そのうち「休暇村」で、すでに2個の内湯と露天計3個の湯船に浸かって、宿を出た。(もちろん前の夜にも入っている。)宿のうち、黒湯温泉だけが、すでに冬季休業に入っていたので、まず一番奥の蟹場温泉から攻めることにした。隣りあわせで別室の二つの内風呂、少し離れた露天に浸かった。そのあと、1Kmほど歩いたところにある孫六で3つ、戻ってきて大釜3つ、それから一昨年2泊したちょっとお洒落な雰囲気の妙の湯3つと立て続けに入った。すでに、15の湯船に浸かって、体は昆布のようにふやけている。お湯に入ると、おなかもたいへんに空いてくることを、身をもって体験した。妙の湯で、稲庭うどんの昼食を食べ、グロッキーな4人は、ヘロヘロしながら、宿のチェックイン3時までの間時間をつぶすために、いったん田沢湖半まで下りたのだった。
3時過ぎ、ようやく念願の「山の宿」に到着。するや否や、まず明るいうちに「本陣」に行っておかなければと、1.4Km奥へと車を走らせた。そこでまた、ひとつの内湯と女性用露天、そしてかの有名な大きな露天に浸かったのだった。そこには、まだあと3つの湯船が残っていたが、私とあっこちゃんはそこで限界に達し、チャコちゃんは、奥の大きな女性専用露天風呂に浸かった。
外の野趣あふれるテーブルとベンチに座って、みんなで飲んだ、朝沸かしてポットに入れておいたコーヒーの味は、格別であった。「山の宿」に戻って、部屋に入ると、私と夫は、畳へと崩れ落ちたのだったが、あっこちゃんとチャコちゃんは早速着替えて、温泉に入りに行った。ここで、20代と40代の差が歴然と現れた。しかし、休んではいられない。一時間して復活。「山の宿」の内風呂と露天に浸かって、待ちにまった夕食とあいなった。
たらふく食べて、布団に寝そべっている私たちに、休息時間はそうない。もう一度「本陣」へ出陣だ。そこで、さっき入った露天を含め、5個の湯船に浸かって、ようやく今日も長いなが〜い一日が、終わったのだった。数えてみると、25の湯船、そのほとんどが別な浴室や外にあるので、脱ぎ着もその数に近くしていることになる。改めて書いると、これはまるで苦行のようにも思えるのだが、へろへろ、いやベロベロになっても、また来年行きたくなるこの温泉の魔力とは何なのだろうか。つづく


11月17日
東北旅行〜その1〜秋吉敏子ソロライヴ
今回、東北旅行を決めたのは、たまたま見つけた田沢湖のペンション「サウンズグッド」のホームページで、秋吉敏子のライヴの予告を見つけたからだ。秋吉敏子といえば、言わずと知れた世界的ジャズピアニストである。1956年に、単身アメリカに渡り、ピアニストとして、作曲家として、そしてビッグバンドの指揮者として、長年にわたり活躍をし続けている。その秋吉敏子が、来日の際、田沢湖をたびたび訪れ、毎年ライヴを行っていることを偶然知り、夫と二人、驚きと興奮を隠せなかった。しかも、そのコンサートが11月8日にあると知って、シーズン最中の8月、即旅行を決定したのだった。
7日夜のフェリーに乗り、明け方4時に八戸に到着。逆方向にある青森の酸ヶ湯温泉に直行して、朝風呂を浴び、雑穀の里二戸経由でようやく田沢湖に到着したのが、5時過ぎだっただろうか。軽い夕食を食べて、湖畔のペンションにチェックインし、ひと休みしてから、すぐ近くの会場レストランORAEへと急いだ。
開演前のざわざわした雰囲気や調律を終えたグランドピアノに当たるスポットライトに、気分は高揚する。やがて、拍手とともに、にこやかにそしてきびきびと秋吉敏子が現れ、音楽は始まった。秋吉敏子のさばさばした音楽の語り口に、のっけから皆、引き込まれていったのだった。74歳とはとても思えない、みずみずしくほとばしるような音楽。タイトで飾らない凛としたピアノの音色。CDでは到底味わうことのできない臨場感に酔いしれたひと時だった。そのすばらしい演奏の合間、彼女の口から語られるトークにも息をのんだ。バド・パウエル、オスカー・ピーターソン、セロニアス・モンク、アート・ブレーキー・・・CDでしか知らない歴史的ともいえる有名なジャズミュージシャンたちの名前が、当たり前のように出てきて、そういった人たちとの交友のなかから彼女の半生が垣間見られたようで、どきどきしながら聞き入った。
ライヴが終わり宿に帰ると、ラウンジで秋吉敏子さんを囲んでの打ち上げが始まった。私たちも誘っていただいて、夜遅くまで、にぎやかな宴が続いた。宴もたけなわ、このライヴのスタッフでもあるペンションのご主人はじめ、音楽仲間たちが、思い思いの楽器を持ち寄り、セッションが始まった。その楽しい雰囲気も、この夜の締めくくりとして、うれしかった。しかし、4人の体は、もうそろそろ限界に達していた。盛り上がる人々を後に、ベッドへともぐりこんだのだった。こうして、長い長い旅の1日は終わった。


11月15日
帰宅報告
6日、冬眠宣言をしてから9日ぶりに「ひとこと」を書いている。皆様お久しぶりでございます。
「冬眠」とは真っ赤なウソで、題して「超ハード!4泊6日晩秋みちのく珍道中。ジャズライヴと究極の湯めぐり4人ヘロヘロの旅」。6日に薫風舎を出発して、札幌の実家に1泊。東北から帰って、実家に2泊を含むと、7泊の旅であった。一昨日夜、4人と3匹、皆元気に帰ってきて、無事仕事復帰を果たしております。
今回の旅行実現の最大の功労者は妹夫婦でありまして、やんちゃ盛りのデビルクリを含む3匹を、快く預かってくれることになったため、私たちは心置きなく東北に繰り出すことができた。おかげで、妹宅は、ヌンチャクを含め4匹の面倒を見る羽目になり、それはそれは大変な4日間を味わったと、帰ってからずいぶんこぼされた。野生児3匹は、妹夫婦の涙なくしては聞けない苦労をよそに、わがもの顔でブイブイ言わせていたらしい。すんまへん。本当に心から感謝しているよ。
さて、音楽と温泉と食の旅、詳しくはまた明日。ひとまず、帰宅報告まで。


11月06日
冬眠宣言
シーズンが終わって3日間、畑の大根や人参、ビーツを抜いてロータリーをかけたり、デッキや庭の椅子やテーブルを片付けたり、外に積み上げられた山のような一冬分の薪を、納屋の中に積み替えたり、みんな馬車馬のように働いた。私は、夏冬の衣類の整理や、夏の間散らかり放題の山になっていたプライベートのテーブルを、魔法のごとくきれいさっぱり片付たり、頭を抱えながら残務整理に追われた。おかげで、一昨日から、4人プライベートで、てるてる家族を見ながら朝ごはんを食べるという、夢のようなひとときを過ごすことができている。きたなくなっていた畑も、おこされた土ですこしはすっきりしたし、防寒の心配もなくなった。そして昨日夕方、4人揃って不在者投票に出かけたのだった。
これで心置きなく、のんびりした一週間を過ごせるはずだ。と、ようやく今朝から気分が高まった。「今日のひとことも」少しの間お休みをいただいて、冬眠いたしますので、どうぞよろしく。また来週。


11月04日
冬時間
今年のシーズンの終わりは、なんだか当たり前のようにやってきた。今朝までお客様がいらしたなんて、不思議な気さえする。この3日間で、薪運びや冬囲い、畑のこともやってしまわなくてはいけない。のんびりしている暇はないのだが、時間の流れ方が、スイッチが切り替わるごとく、冬眠モードになってしまっているのはまずいことだ。と思いつつ、半年ぶりの「冬時間」を、4人とも(チャコちゃんは初めてだった。)体の奥底で、実感している。


11月02日
小春日和
11月の太陽は、やわらかくて心地よい。薄雲をすかして降り注ぐ暖かな日の光と、野焼きの残り火が混じったような、香ばしい空気の匂いが、冬に向かって構えている心と身体を、やんわりとほぐしてくれている。こんな日は、みんな口数も少なくなって、静かに思い思いの時を過ごしたくなる。


11月01日
カラマツ
どこを見ても、黄金色のカラマツが目に飛び込んでくる。うねるように折り重なるカラマツの森は、緑の時とは全く違う立体的な景色をかもし出す。秋の終わりをつげるカラマツの黄葉の向こうには、真っ白に浮かび上がる大雪の山々がそびえ立って、やがて来る冬を予感させている。


10月30日
さっぱり
昨日、夫と二人で、およそ5ヶ月ぶりに、髪を切りに行った。もう、いい加減ぼうぼうに伸びているのだが、10年来の付き合いの大野さんのカットだと、伸びてもそれなりに形になるので、いつも本当にありがたい。あっこちゃんに掃除と留守番を頼んで、土砂降りの中、旭川へと向かった。
二人ともさっぱりとして、大野さんに教えてもらった、新しくできたおいしいうどん屋で、野菜天うどんといなり寿司を食べて、うちへ帰った。
今日は、あっこちゃんの番だ。なんだかものすごく久しぶりに、ラウンジで夫と二人、さびしくお昼ご飯を食べた。「今日のひとこと」を半行書きかけたところで睡魔に襲われ、夕方まで爆睡してしまった。あっこちゃんが、さっぱりした頭で帰ってきて、ようやく目覚めたのだった。明日は、チャコちゃんが道内旅行から帰ってきて、6日ぶりに4人が揃う。にぎやかになりそうだ。


10月29日
摩訶不思議なインド料理屋
一昨日、道内旅行中のチャコちゃんを除いた3人と3匹は、札幌で朝を迎えた。午前中、妹と4人で、石山にある酵素風呂に出かけた。シーズンの疲れを癒すべく、たっぷりと汗をかいて、見も心もリフレッシュした。個展の作品作りに気持ちが追われている妹はそのままうちへ帰ったのだが、さて、われわれはというと、もう10年位前から気になっていた豊平峡のインド料理屋へ行ってみることにした。豊平峡は、札幌の奥座敷定山渓温泉の少し先にあるダムである。ずいぶん前に、夫と一度行ったことがある。国道からダムへ向かってちょっと入ったところに、温泉宿が一軒あった。温泉好きの私たちでさえ、あまり入る気にならないぱっとしない施設だったのだが、そこにインド料理の店があるとの情報をどこからか入手して、ずっと気になっていたのだった。ちらほらと入ってくる評判によると、インド人が本格的に作っていておいしいらしい。温泉も、実はとてもよいらしい。
石山から30分もかからなかったろうか、本当に久しぶりに定山渓温泉を通り抜け、豊平峡温泉に到着した。外観はいかにも古めかしいのだが、月曜日だというのに、駐車場には車があふれていた。建物の裏口付近に、真っ赤な唐辛子がたくさん干してあった。インド料理の看板もあって、確かにここは、インド料理屋に違いなかった。中に入ると、ガラス越しに、ナンを焼くかまどが見えた。メニューは、本格的インド料理のほか、自慢の十割そばやラーメンなどもあった。奥を見ると、いかにも昔のドライブインとかレストハウスだ。そして、驚くことに午後2時を回っているにもかかわらず、ほとんど満席に近かった。フロントで食券を買って、カウンターのインド人料理人に渡す。厨房には、3、4人のインド人シェフと日本人の板前さんが忙しく働いていて、料理が出来上がると、マイクで番号を呼ばれる。
私たちは「豊平峡スペシャル」というデラックスなメニューを頼んだので、時間がかかるといわれた。店内の雑然と、そして妙ににぎやかな空間。いかにも食堂といった感じの長テーブルにパイプ椅子。ほとんどの人は、ナンをちぎって、インドカレーを食べている。そのなかに、プラスチックの(ような)どんぶりで、平然とラーメンをすする人、ざるそばを食べる人が混ざっている。厨房の中は、インド料理のコーナーと和食のコーナーになんとなく別れてはいるが、互いに協力し合い、てきぱきと仕事をこなしている。摩訶不思議な空間に、私たちはあっけにとられ、まるで異次元空間へトリップしたかのような錯覚に陥ったのだった。焼きたてのナンが、次々とお客さんに手渡され、ついに我が83番が呼ばれたのだった。
ステンレスの大きなお皿に並べられた、沢山の種類のカレーや料理。かごに盛られた大きなナン。まさしくこれはインド料理である。みんな、おなかがはちきれんばかりにご馳走をたいらげた。「う〜ん、なんだかすごいなあ。」「うん、すごいすごい。」3人で、よく分からない感想を言い合って、車に乗り込み、もう少し先の中山峠を目指した。酵素風呂を出たら、みんなハイな気分になって、インド料理を食べたら中山峠から洞爺湖まで行ってみるか、と盛り上がっていたのだ。
ところが、おなかがいっぱいになって、急に体がだるくなってきた。中山峠に差し掛かると、みんな体が限界に達した。あっこちゃんは、景色も見られないほどの爆睡ぶりだ。とにかく、急いで月寒の実家へ帰って寝よう。意見が一致して、それから夜までの記憶は、どうも定かではない。
何はともあれ、きのう3匹と3人は、無事薫風舎へ帰り着き、何とか仕事を再開しているのだった。


10月26日
それぞれの秋
先週、あっこちゃんが、無事「十勝、帯広秋めぐり、北海道ホテル2泊3日の旅」から帰還し、今度は、チャコちゃんが「5泊6日十勝、道央の旅」に出発した。心配していた雪も、どうやら何とか大丈夫そうだ。お母さんを旭川空港に迎えに行って、その足で北海道ホテル2泊、そのあとニセコ、岩内、小樽とまわる。
さて、私はというと、これから札幌で中村先生のピアノのレッスンを受け、妹と合流して、三人で夕食をいただくことになっている。札幌の私の父は、来春公演予定の演劇の演出のため、一人東京へ行っている。一緒に札幌へ行く夫とあっこちゃんは、母と妹の夫だっちゃんと4人で、晩ご飯を食べる約束だ。今日の我が家は、それぞれの秋である。


10月25日
林道
今日は、朝から良いお天気を予感させた。秋の景色を楽しみにいらしたリピーターの、朝枝さんや瀧田さん、中川さんに、カラマツの黄葉と大雪山系の風景を堪能できる、例のとっておきの林道を紹介した。掃除が終わり、お昼ご飯を食べる頃には、青空が広がり、山が稜線まですっかり見えた。自分たちも、あの景色をどうしても見たくなった。片付けもあとまわしにして、4人で車に乗り込んだ。
カラマツの森は、すっかりその色を変え、林道は落ちたカラマツの葉で黄色い絨毯を敷き詰めたようになっていた。透けた木々の合間から、新雪の十勝岳と白い太陽が輝かしい。カラマツの森に足を踏み入れて、見上げると、青い空に金色のとんがった木々のてっぺんがまあるく頭を寄せ合うように見えた。
丘と山々を見渡す、あの牧草地の入り口に差し掛かると、朝枝さんが乗って行った自転車が2台あった。あぜ道をのぼって、森をくぐると、草原の向こうには果てしなく折り重なる黄金色のカラマツの丘。その向こうに悠然と真っ白な旭岳、トムラウシ、十勝岳連峰が、まるで空に浮かび上がっているかのようにそびえていた。草原の向こうには、朝枝さんご夫妻が、その景色を気持ちよさそうに眺めていた。手を振って、静かなひとときを邪魔しないように、ひとしきり風景を楽しんだ私たちはその場を立ち去ったのだった。
昼下がりの、ほんのわずかの幸せなひとときに満足して、私たちはまた、仕事に戻ったのだった。


10月23日
コントラスト
昨日札幌から帰って駅を降り立ったら、美瑛の方がずっと黄葉が終わりに近いのに、秋の景色のひときわ迫りくる美しさを感じた。札幌と何が違うのかなと考えながら、うちに向かって車を出して、丘に差し掛かってはっと思った。秋蒔き小麦の眩いばかりの緑が、晩秋色の木々を、よりいっそう美しく引き立たせているに違いない。鮮やかな緑の畑を縁取る朽ちかけた木々の彩りは、言いようのない美しいコントラストを見せてくれる。裏の小原さんの雑木林は、すっかり葉を落とし、黄色かった白樺の葉が、橙黄色になった。カラマツも、すっかりその色を変えた。雨に煙った深まりゆく景色に、ため息が出たのだった。


10月21日
飴色の夕暮れ
10月も終わりに近づくと、日の光が変わる。昨日、久しぶりに顔を出した太陽は、白い光を放っていた。その光を受けて、すっぽりと雪をかぶった十勝岳も、白く輝いた。夕暮れに近づくと、今度は、すっかり黄葉した白樺や雑木林の葉、収穫の時を迎えた緑のビート畑の景色が、夕日を浴びて飴色に輝きだした。この季節ならではの、一瞬の美しさに、私はピアノの手を休めて、夫とチャコちゃんも厨房から飛び出して、三人で息をのんだのだった。


10月20日
あっこちゃん小旅
ずっと休みなしで頑張ってくれたあっこちゃんにも、ようやく一人旅のチャンスがやってきた。迷いに迷ったすえ、題して「十勝、帯広秋めぐり、北海道ホテル2泊3日の旅」。朝ごはんの後片付けを終え、一足早くお風呂掃除を片付けて、10時前、ちょうど泊まりに来ていたおなじみじっちゃんと我々3人に見送られ、真っ赤なセーターを着て水色のデュエットに乗りこみ、颯爽と出発していった。
夕べまでの土砂降りがやみ、雲の切れ間から日も射し始めた頃だった。十勝、帯広地域の天気予報は快晴。きっと車で季節を逆行し、このあたりより少し遅い紅葉を満喫できるに違いない。
毎年GWには必ず行っていた帯広北海道ホテルを、今年は断念せざるを得なかった。新入りデビル(最近のやんちゃ振りからそうあだ名がついている。)ことクリの車酔いのせいだ。その雪辱を果たすべく、シーズンの疲れを癒すべく、薫風舎お気に入りの北海道ホテルで、のんびりするという寸法だ。いいなあ。
一週間後、今度はチャコ姫がお母さんと同ホテル2泊、そのあと道央めぐりの題して「どうか雪よ降らないでちょうだい、晩秋の北海道めぐり5泊6日の旅」に出発する。いいなあ。


10月19日
静かな昼下がり
昨夜の激しい風で、ずいぶん葉が落ちて、まわりの景色も風通しがよくなった。紅葉の風景の中で、緑を誇っていたカラマツ林も、だんだん黄色くなって、秋の最後に黄金色に輝く時を待っているようだ。厚い雲が、大きく速度を上げて流れている。その切れ間から、ときおりうす水色の空がのぞいて、そこから遠い太陽のかすかな光が降りてくる。晩秋の、静かな昼下がりだ。


10月16日
丘の風景
晩秋の丘の景色を見たくなって、玄米おにぎりを食べてから、みんなでゴーシュにパンを買いにいった。それから、久しぶりに木工のギャラリー「貴妃花」へ、貴妃子さんの顔を見に立ち寄った。
行く道の丘の風景はすっかり晩秋の装いで、雨がちの天気さえ、その美しさを高めているように感じさせてくれた。木々の紅葉は、落ち着いた朽葉色や赤茶色、金茶色に変わり、アスファルトには、枯れ葉がじゅうたんのように重なっている。薫風舎から美馬牛へ抜ける道、美馬牛からクリスマスツリーの木を通って新栄の道へと、広がる丘の風景を楽しんだ。「貴妃花」の窓から見下ろす大きな秋の風景が、ひときわ印象に残った。久しぶりに貴妃子さんとのんびりとおしゃべりを楽しんでいたら、なんだかシーズンもすっかり終わってしまったように思えてしまった。はっと時計を見ると、2時半をまわっている。4人で急いで車に乗り込み、三愛の丘を通ってうちに帰りついた。あと半月、もうひとふん張りと、うちに着いて、気持ちを新たにしたのだった。


10月15日
野菜スープ
今日は、畑から大根と人参を採ってきて、野菜スープを作った。野菜スープといっても、凝った味付けやブイヨンを使ったものではない。食養に基づいた、体にとびきりおいしいスープだ。野菜はできる限り無農薬有機農法のものを使う。大根と人参は、自分のうちで作ったものだからもちろん安心して条件を満たしていて、しかも使い放題だ。なべに、皮ごとごんごんと切った大根と人参、それに葉の部分はそのまま入れる。それから、ななめにぶつぶつと切ったごぼうと干ししいたけを入れる。しいたけは、国産できれば無農薬、できれば天日干しだが、そこまではなかなか難しい。小ぶりだが無農薬道内産というのをぱらぱらと入れた。寒くなってきたから、しょうがも少し入れた。これに、水をたっぷり入れて、コトコトと1時間。緑黄色に輝くばかりの美しいスープが出来上がった。
これは、悪いものを包み込んで体の外に出してくれて本当に体に良いんだよと、札幌のビワ灸をやってくれる富塚のおばちゃんが、いつも勧めてくれていた。先日、札幌に行った際に、あっこちゃんとお灸をやってもらいに行ったら、さっそくご馳走してくれて、美瑛に帰ったら作ろうと、心に決めてなかなか実行できなかったのだった。なべにたくさん作って、塩は入れず、野菜だけの味を楽しんで、お茶代わりにがぶがぶのむと、とてもいいそうだ。
スープを作っている間に、昼食の用意をした。この野菜スープは、立派な野菜のブイヨンだから、そうだ、これを利用してリゾットを作ろう。EXヴァージンで、にんにく、まねぎ、キノコ、玄米をいためて、なべにかかっているスープを注ぎ込んだ。それから、ほうれん草をひと束加えて、煮込む。水気が少なくなったら、豆乳を注ぎ、もう少し煮込んでから、味を調え、興部アドナイのモツァレラチーズを加えて出来上がり。今日のランチは、キノコとほうれん草の玄米リゾットと野菜スープだ。野菜スープは、一口飲むたびに、体の細胞のひとつひとつがにっこりと微笑むような、やさしいおいしさに出来上がっっていた。みんな、おいしいランチに心も体もすっかり満足したのだった。


10月13日
温かい雨
10月にしては温かい雨に、黄金色の葉が、はらはらと落ちている。山も丘もすっぽりと雲に覆われて、美沢小学校の校庭の桜の木々の赤さが、浮かび上がって見える。これから気温がぐんと下がるという。温かい雨は、やがてみぞれ交じりになるのだろうか。


10月12日
深まる秋
まわりの木々が、すっかり赤や黄色になって、深まりゆく秋を心から感じている。この季節になると、やっぱり秋の景色が一番美しいと、いつもあらためて思う。秋蒔き小麦の新緑と、十勝岳の新雪、そして少しずつ色づいていく木々の色が織り成す、成熟した風景には、他のどの季節にもかえがたい美しさがある。


10月11日
満月と火星
夕食のメインディッシュを出し終わると、私は裏の小屋に、その夜弾く曲の指慣らしをしに行く。この春、小屋のアップライトピアノは、私の心強い友人となった。わずか15分かそこらの、音を出せる時間がどれほどありがたいかを、いつもひしひしと感じている。厨房の慌しく高揚した空気が、ピアノの音が響くと、指先からすうっと抜け出て、音楽に気持ちが向かう。そうこうしていると夫が私の出番を知らせに来る。小屋を出て、外の冷たい空気を吸い込む。この夏、お天気のいいときは、ビカビカと大きく輝く火星を見て、気持ちを新たにした。火星は、ずいぶん南に位置を変え、今も赤く輝いている。昨日は、火星よりも、ひときわ大きく光を放つ満月が、まず目に飛び込んだ。その右側に、月明かりでいつもよりずっと控えめに光る火星を見た。十勝岳の稜線も、新雪も、闇夜にくっきりと浮かび上がっていた。私は、ちょっと立ち止まり、深呼吸して、ピアノを弾きに戻ったのだった。


10月10日
コダーイの演奏会
二日間お休みをいただいて、10月7日の札幌コダーイ合唱団の演奏会に出演した。札幌北一条教会での「教会音楽の夕べ」は、パレストリーナの「ミサ・ブレヴィス」と、イギリス現代作曲家のブリテン、タルマのパイプオルガン付き合唱曲、というプログラムだった。
まだシーズンの最中、無理を承知で出演を決めた。いつも快く受け入れてくれる合唱団と、送り出してくれる家族に心から感謝しつつ、本番前に、3度練習に参加した。本番だけではなく、練習に加われることが、なによりもうれしかった。
天井に近いオルガンの横のステージから客席を見下ろすと、夫とあっこちゃん、チャコちゃんが、母と並んで座っていた。譜読みが、行き帰りのスーパーホワイトアローの中くらいしかゆっくりできなくて、中村先生の指揮をちゃんと見て歌えなかったことに、悔いが残った。次回、12月のハイドンの「テレジア・ミサ」に向けて、それから、今度いつかまたステージに立つチャンスを得たときにむけて、様々な反省を抱えながら本番を終えたのだった。私の音楽のふるさとともいえるコダーイ合唱団の演奏会を通して、本番を楽しむだけでなく、もっとこうしたい、こうしなければという気持ちをもてたことが、自分にとってはとてもよかったと思う。遠く、美瑛にいながら、合唱団の一員として音楽とかかわれるのは、本当に幸せなことだと思うのだ。


10月06日
秘密の場所
昨日は、朝、雲ひとつないお天気だった。10月の青空は、気持ちがいい。山々の雪が、朝陽をあびて輝いていた。4人で、山に向かう大好きな林道を通り、例の広大な牧草畑から大雪山系、トムラウシ、十勝岳連峰をすべて見渡せる秘密の場所へと車を走らせた。
この間、私がひとりで行った時よりも、かなり黄葉が進んでいた。出かける頃にはずいぶん雲が広がっていたが、それでも明るい日差しが木々に当たって、きらきらと光っていた。あぜ道をのぼって森をくぐって、突然ひろがる広大な景色は、いつ見ても、息をのむ。そうして、おもわず大きく深呼吸したくなる。
帰るとき、森に落葉きのこを見つけた。今年は、札幌の妹がたくさん採っては、煮て送ってくれたり、実物も見せてくれたので、これはたしかにらくようだ!と、いぶかしがる皆に自信を持って言った。ほんの小さいかわいいのを3個。黄土色のキノコの裏は、鮮やかな黄色だ。間違いない。夜のおつゆに入れることにした。
車を出すと、だんだん雲行きが怪しくなった。お昼には、白かった雲が鉛色の雨雲へと変わった。午後からは土砂降りとなってしまった。
夜から朝まで晴れて、日中雨という天気が、ここ数日続いている。今朝も、かろうじて山が見えたからよかった。またこれから雨の予報。雨の中、私は皆より一足先に、明日のコンサートの本番に備えて札幌へ向かう。明日は、快晴の予報だから、きっと三人と3匹が出発する時は、気持ちが良いだろうなあと、ちょっとうらやましくなった。


10月05日
長い一日
昨日は、札幌での過密スケジュールをこなして、11時半頃、美瑛へ帰ってきた。8時半に薫風舎を出発して、駅に車を置き、11時20分札幌へ到着。妹に迎えに来てもらって、そのまま、札幌へ行くと必ず寄る「酵素風呂」(これは説明が長くなるので、いずれ。)まで直行。酵素風呂に入って、3時からの北一条教会のリハーサルに駆けつけた。6時に練習終了後、大急ぎで実家へ向かった。6時40分頃に到着し、母が作っておいてくれた玄米菜食のおいしい夕食を両親、妹夫婦と食し、7時半出発予定が50分近くになった。そんなに急がなくてもという家族に、どうしても駅についてから、30分のカフェタイムを作るのだとわがままをいう私。皆にあきれられ、笑われる。
実際、今年は月に2度、9月には練習もあり3度札幌に行った。一泊して、2時のスーパーホワイトアローに乗ることに決めているのだが、いつも1時間は余裕を持って、JRタワーステラプレイス6階のタリーズか1階スターバックスで、一息入れるのが、憩いのひとときなのだ。そのために、どんなに慌しくなろうとも、その時間を確保しようとするのは、「ゆとり」を捻出するためにギアを最速にして働く薫風舎のモットーなのだと、理屈をこねる。ほんとうに、それはゆとりなのかなあと、さすがに機能はあやしい気持ちになった。
とにかくわずか1時間で、実家をあとにして、妹と札幌駅に到着。スタバでいつものようにソイ・ラ・テを飲みながら、ガラス越しに夜の街を行き交う人々を眺めながら、妹とおしゃべりを(だいたい、11時20分からずっとおしゃべりは続いてるのだが。)したひとときは、やっぱり今日の一日の中では、車中とともに、私の憩いの時だった。
9時の特急に飛び乗って、真っ黒の窓と、出張帰りのサラリーマンの皆ちょっと疲れたような姿に、なんだか夜汽車に揺られる旅人気分を味わった。富良野線のホームに立つと、真正面に火星が輝いていた。美瑛駅に帰り着き、車を出して、うちにようやくたどり着いた。車を降りると夜空には満天の星が輝いていた。長い一日だった。
朝起きると、澄みわたる青空に、3日に降った十勝岳連峰の新雪が輝くばかりの白さを誇っていた。紅葉は、ますます美しく、風は透きとっていた。


10月04日
10月の寒い朝
朝起きて外に出ると、空気がキンと冷たかった。雲を携えた十勝岳は、たしかにもう中腹まで白くなっている。雲に、朝陽が当たって金色に輝いている。
私は今日、7日の札幌でのコダーイ合唱団のコンサートのリハーサルのため、札幌に出かけるので、起きてすぐ、出かける服を選んだ。着替えて、ラウンジからデッキに出てみて、中にもう一枚着なければと思ったのだった。
ラウンジには、今朝も薪ストーブの火が燃えている。窓の外の光り輝くばかりの風景と、オレンジ色に燃える炎、フランクのヴァイオリンソナタが、10月の寒い朝を、素敵な一日の始まりにしてくれているようだ。


10月03日
ホントにひとこと
十勝岳に初冠雪。裏の小原さんの雑木林は、赤、オレンジ、山吹色、茶色、黄色、緑、と鮮やかな色とりどり。その向こうに夕日が出て、こちら側は雨。相変わらずの不思議な天気に、また虹が出た。今日は忙しいのでホントにひとこと。


10月02日
不安定な大気
変な天気が続いている。これぞ秋である。大気が不安定で、青空なのに土砂降りになったり、急に真っ暗になったり、そうかと思うと虹が出たりするのだ。
大気が不安定になるのは、通常暖かいものは上、冷たいものは下なのに、暖かい空気の上空に、冷たい寒気が入り込むために起こるのだそうだ。と、夫が今朝のラジオで仕入れてきた。暖かい空気は上に行こうとして、冷たい空気に当たり、そこで急に雲が発生するのだそうで、どおりで、今朝の青空はあっという間に暑い雨雲に覆われたわけだ。
ここら辺は、一昨日出没した平松さんの専門分野で、そういえば、ペットボトルで雪の結晶を作るほか、雲を作る実験、ダイアモンドダストを作る実験も、簡単にできると言っていたのを思い出した。
それはそうと、もう少し晴れてくれないかなあ。ムックたちが、部屋で欲求不満に陥っている。


10月01日
虹と豪雨
最近の天気予報は、当てにならない。雨、曇りの予報だったのに、昨日は朝から青空が出て、日が射した。うれしくなって、せっせと野菜を切っては干した。畑から人参、インゲン、かろうじてまだできているズッキーニ、それに舞茸も。
夕暮れ時は、不思議な空気だった。雲が多くなった。シューベルトを弾いていたら、虹が出た。厨房にいるみんなに声をかけた。デッキに出ると、立ち上がりとおしまいのところが、ものすごく太くて、はっきりしていた。もうチェックインしていたお客様に教えに走った。部屋の窓から、もうすでに見ているとのこと。そうか、3号室は、虹を見るのにちょうどよい窓だ。
ピアノの練習に戻ると、虹は、そのあとどんどん濃くなり、大きな半円を描いた。その後ろにも薄い輪が見えた。薄くなってはまた濃くなりを、ずいぶん長いこと続けていた。そうしたら、平松さんが不意に現れた。東京で私の一押しマクロビオティックレストラン「チャヤ」に行って、お土産を持ってきてくれたのだ。ちょうどコーヒーを落とし始めたところだったから、よかった。そうカウンター越しに話していると、ザァーっとものすごい音がして、豪雨になった。夫が「アーッ!!」と叫んだ。そうだ、野菜を干していたんだ!!慌てて、ざるやバットを取り込んだのだった。
平松さんとひとしきり、音楽の話をした。それから厨房に入った。雨は夜まで続いていた。


9月29日
落ち葉のトンネル
空港へ抜けるとっておきの道を通って、旭川に用足しに行った。途中の森をくぐる早道は、私のお気に入りだ。木の葉が赤や黄色に色づいた森のトンネル。両脇の木々は、枝が車に覆いかぶさるように伸びていて、別世界への入り口のようだった。砂利道には枯葉がたくさん落ちていた。トンネルの向こうもこちらも、はらはらはらはらと黄色い落ち葉が舞い降りて、進む道を楽しませてくれた。
雨交じりの湿った空気と色づく木々が、いかにも9月から、10月へと季節が深まっていくことを教えてくれた。


9月28日
秋の装い
ぐっと秋が深まってきた。先週山にあった紅葉は、ずんずん下りてきて、もうこのあたりを色づかせている。アスパラでおなじみの小原さんのアスパラ畑の隣の畑は、今ひまわりが満開だ。くっきりとした黄色い鮮やかな花が、まわりの秋の装いに映えている。秋蒔き小麦の畑は、ぽやぽやと産毛のような新芽が広がっている。これからの季節、美瑛の景色は急に表情豊かになる。


9月27日
地震
一昨日、本番前の合唱団の練習で、私一人札幌に行った。夜の練習のあと、先生や仲間と遅くまで語らい、くたくたになって床に就いた。突然、ぐらっぐらっという大きな揺れを感じて目が覚めた。布団の中で、目だけ見開いて、じっとおさまるのを待った。激しい横揺れがかなり長い時間あったように思う。不気味な感覚に体が硬直した。
ようやくおさまり、居間に行くと両親もちょうどおりて来て、TVをつけるところだった。TVは、早々と地震の様子を伝えていた。はっと思い、うちに電話をすると、夫もTVを見ているところだった。幸い、実家でも薫風舎でも、何一つ棚から落ちることもなく、ただ、十勝や釧路方面、多くの地域で多数の被害が出ている模様を報じるニュースに心が痛んだ。ひとまず私はもうひと寝入りをきめて布団に戻った。うとうとし始めた時、また揺れが起こった。
地震の直後、携帯電話に、お見舞いメールが多数届いた。北海道地震の報道に、すぐさま私たちを思い出して、早朝メールを書いてくださるなんて、本当にうれしく、ありがたく、心から感謝したのだった。
午前中は、交通機関のことを心配していたのだが、帰り支度をしてうちを出る頃には、地震のことと自分のことが直接は結びついていなかった。1時間ほど前に駅に着き、両親とのんきに昼食を食べ、ぎりぎりに改札のところへ行って、掲示板に帰りの便の案内が出ていないのを見て、初めてはっとした。TVカメラも回っていて、いつもと違うものものしい駅の雰囲気に、気持ちがざわついた。まあ、仕方がない。改札をくぐって、腰掛けるところを見つけて、案内が出るまで気長に待つか、とかばんを膝に抱いてぼおっとした。幸い、私の乗る便あたりから、列車は正常に動き出し、9分遅れただけで、無事美瑛に到着することができた。美瑛駅から置いてあった車でうちに戻ってくると、裏の小原さんの雑木林が、すっかり秋の色になっていた。
夜になって、日高、十勝、釧路地方の被害の状況をTVで見て、改めて地震の恐ろしさを感じた。この間の台風に引き続いての災害で、地域のかたがたは、本当に大変な思いをされているに違いない。この夏の世界的な異常気象、たて続く大きな地震、地球が悲鳴を上げてるように思う。夜のニュースでは、戦争や紛争のことと同時にそういう報道がされている。なんだか、やりきれない。
多くの方々から心配していただき、たくさんのメールやお電話、本当にありがとうございました。あらためて、ここでお礼を言いたいと思います。


9月24日
4人そろって
この3日ほど、そそられる晴天続きだ。今朝、朝食を食べながら、「こうお天気だと、どこかへ出かけたくなるよね。」と口が滑ったから大変だ。まず、あっこちゃんがジャーを開けて玄米の残り具合をチェック。おにぎり4個分あると言う。望岳台でお昼を食べて、吹き上げ温泉か、いや、今は凌雲閣の方が・・。と話がだんだん大きくなった。そして、いっそのこと旭岳までおにぎりを食べに行くかと、夫が言い出した。「そんな無謀な。」と言いながら、4人の頭の中では、出発までの段取りが広がっている。結局、朝食を食べ終わるまでに、11時までに清掃を済ませ、パンを焼き、夕飯の下ごしらえ、デザートまで終わらせて、旭岳ロープーウェイで上まで行って、お昼ご飯を食べ、旭岳温泉に入って、3時までに帰宅する計画が出来上がっていた。
それからの、4人の働きぶりはすごい。われながら、こんな神業、私たちじゃなきゃできっこないと、思ってしまった。予定の仕事に加えて、おにぎりを作って、梨をむき、お茶とコーヒーをポットに入れ、身支度を整えて、11時ちょっきりに、薫風舎を飛び出した。
ロープーウェイは思いのほか混んでいて、ずいぶん待たされた。それでも、姿見の池を降り、先週私が札幌に行っていたときに3人で見つけた穴場の展望台まで、400mほどずんずん登った。ベンチに4人並んで腰掛けて、本当に雲一つない真っ青な青空と、輝くばかりの太陽の下、用意していったお昼ご飯を食べた。眼下に見下ろすすばらしい景色は、言葉にするよりもぜひ一目写真でご覧ください。(夫が明日中にはPhotoClipでご紹介する予定。)
美味しいご飯を食べ終えて、ロープーウェイを下って1時45分。それでも、温泉に浸かろうとする貪欲なまでの4人の根性が、薫風舎を支えているのだなあと、つくづく感じながら、車で少し下って、湧駒荘に駆け込んだ。脱ぎ着を合わせても15分という短い時間でも、のんびりすることも忘れない。極楽気分を味わって、午後2時56分、薫風舎の玄関へと到着したのだった。


9月23日
なすファイナル
なすが、もうずいぶん大きくなって、寒いから食べられるかどうか、というのがたくさんできていた。今日のお昼に食べてしまおうと、夫が畑まで採りに行った。皮が硬くて真っ黒のでかいやつが12、3個もあった。洗って包丁を入れると、茶色い種が出来ていて、皮ばかりでなく実も硬そうだ。いつもより長めに煮込んで、トマトソースのスパゲティを作った。
残りは、とにかく干してしまおうと、切ってざるにあげ、秋晴れの太陽の下に置いた。今年もずいぶん美味しい思いをさせてもらったナスも、これでどうやらおしまいだ。ちょっと皮の硬いトマトソースのナスを、それでも美味しく味わって、夕食は赤味噌でいため煮でもしようか。


9月22日
極上のひととき
午前中、皆にお暇をもらって、ひとりで温泉に行くことにした。まっすぐ行くと日帰り入浴時間に少し早いので、遠まわりをして、気に入った場所があったらちょっと歩いてみようかと思った。
今日は、朝から露草色の澄んだ青空が広がり、空気がどこまでも透明だった。少しずつ紅葉が降りてきた十勝岳連峰は、くっきりとその姿を見せていた。美沢小学校の少し先から左に折れると、やがて舗装道路が山道になる。私の大好きな道だ。木漏れ日のトンネルをくぐって進むと、木々の向こうに山が透けて見える。さらに上ると、牧草畑が現れる。ここだ。私は、出来るだけ車を寄せて止めた。車から降りて、牧草畑の間のあぜ道を森に向かって登った。たくさんのバッタが飛びかっていた。畑が途切れて森の中に入ると、湿った土のあちらこちらに水溜りがあった。踏まないように気をつけながら少し進むと、突然広大な牧草地帯が目の前に広がる。その向こうには荘厳なまでに雄大な旭岳、トムラウシ、そしてオプタテシケから十勝岳までを見下ろすことが出来る。
昨日粉砂糖をまぶしたように雪をかぶっていた旭岳は、今日は白いところがひとつも見えなかった。遠いトムラウシの頂上は、かすかに新雪を帯びているようにも見えた。見上げると、朝よりもずっと色濃くなった青空に、きれいな雲がたくさん浮かんでいる。
私は、思わず草原に寝そべり、目を閉じた。草の匂い。風の音。身体の右半分に、秋のまぶしい太陽の少し痛いようなくすぐったいような日差しを感じた。どのくらいそうしていただろう。凝り固まっていた頭や体から、すうっと力が抜けていく瞬間に、幸福感を感じたのだった。
時間を確認しようとバッグに手を突っ込んだ。読めないだろうと思いつつ出掛けに入れた本を、携帯の代わりに取り出し、買ってから2週間、初めてページをめくった。森まゆみのエッセイ「にんげんは夢を盛るうつわ」。黄色いきれいな装丁の本だ。森まゆみの丹精でしっかりとした文章、小気味よい視点と語り口が面白くて、2章まで夢中で読んでしまった。
本を閉まって携帯を取り出すと、もういい時間だった。夫に電話をすると、もうお昼ご飯の用意を始めるという。温泉よりももっといい気分を味わって、なんだかこのまま帰りたくなっていたので、ちょうどよかった。ゆっくりと立ち上がり、車まで歩いて、模範牧場をまわってうちへ帰った。快く送り出してくれた皆に、心から感謝したのだった。


9月20日
憂鬱な天気
10月7日のコンサートに出演すべく、9ヶ月ぶりに合唱団の練習に参加して、昨日帰ってきた。美瑛に着くと、札幌よりも2段階は空気が冷たかった。雨脚が強く、まだ4時だというのに薄暗く、秋の深まりを感じた。
夕食後、土砂降りの雨に、心配そうに窓の外を眺めるお客様を見て、インターネットで天気を調べると、気持ちよく晴れマークが出ていた。念のため、別なサイトでも調べたが、降水確率は0〜10%だ。「明日は、晴れますよ。」とにっこりと言ってから「天気予報が外れなければ。」と、念のために付け加えた。
朝は、昨晩までの雨雲にすっぽりとあたりが覆われていた。朝食が終わる頃には山が見え始め、青空が広がってきた。予報どおりだと、皆も私も喜んで、気持ちのよい一日の始まりに勢いづいた頃、雲行きが怪しくなった。久しぶりの太陽にうれしくなって外に干した野菜は、気がつくとずぶぬれだった。昼になっても、ちっとも暖かくならず、結局降ったりやんだりの変な天気で、いささか憂鬱な気分になってしまった。
今日チェックインされたお客様に明日のお天気を聞かれて、なんと答えていいやら、困ってしまった。天気はあまり期待しないでいるほうが、精神衛生上良いのかもしれないと思ってしまった。


9月19日
旭岳紅葉
昨日は9月唯一の休館日でした。いつも「今日のひとこと」を担当している妻のますみが、札幌へ所用で出かけたので、あっこちゃん、チャコちゃんと3人で旭岳の紅葉を見に行ってきました。
今年は、ここ数年で最も美しいと言われている大雪山系の紅葉です。曇り空とはいえ、すっきりと見渡せる旭岳とその周辺の山々。100人乗りのロープウェーから見る錦秋の山肌には、そこここから歓声が上がります。姿見駅からは遊歩道を歩き、途中の第2展望台で持ってきたおにぎりととうきびで昼食をとりました。ここで、札幌から携帯へ電話が入りました。「今どこ?」「旭岳でおにぎり食べてまーす。」目の前に広がるパノラマは、つい優越感を覚えてしまう返事になります。遊歩道を歩き終え、往復で買ったロープウェーのチケットを握りながら、「どうする?」と聞くと、あっこちゃんは「歩きたい。」と二つ返事。チャコちゃんは「みんなが歩くなら。」と言い、私はその声を聞くか聞かぬかのうちに、「旭岳温泉へ3.4キロ」という案内板の方へと進みました。その最良の選択は、歩き始めて5分も経たないうちに私たちを十二分に満足させるものでした。ごつごつとした岩を踏みしめて下る山道は、紅色や黄色に染まる木々の間を抜け、よく整備された湿地帯の木道へと続き、ムックたち3匹の待つ駐車場へと向かいます。
遊歩道を含めると約3時間の山歩きは、仕事疲れの身体には少々こたえましたが、温泉で汗を流した3人の顔は、山の色のように赤く輝いていたに違いありません。
今回のPHOTOCLIPは「旭岳紅葉」です。合わせてご覧ください。


9月17日
気持ちのよい一日
昨日は、朝からこの上ないほどの良いお天気だった。キーンと冷たい空気はどこまでも透明で、十勝の山々を鮮明に浮かび上がらせていた。山が呼んでいる。チャコちゃんはお母さんを迎えに空港に行くことになっているので、あっこちゃんと夫と三人で、望岳台に行くことにした。
小豆玄米が少し残っていたので、私は自分用のおにぎりを2個作った。そうしたら、夫が沢尻農園から湯でとうきびをもらってきた。冷蔵ををあけると朝食むいて食べ忘れた梨があった。お茶を入れて、それらをバッグに押し込み、もちろん温泉の用意もして、大急ぎで出発した。
十勝岳に近づくにつれ、深緑の山のあちらこちらが鮮やかに赤く紅葉しているのがはっきり分かった。雄々しくそびえる秋の色の十勝岳連峰は、どこを見渡しても、息を呑む美しさであった。
夫とあっこちゃんは例のレストハウスの味噌ラーメンと決めていたので、注文して外で食べようと思った。店内に入ると、いつになく混んでいる。店長の谷口さんに売り切れを伝えられ、呆然となった。でも、この気持ちよい日だ。持ってきたものを外で食べようと、今回ばかりは食い気より景色と空気を取ったのだった。
三人で2個の玄米おにぎりを分け合って、とうきびと梨を食べて、熱いお茶を飲んだ。さわやかな風が通り過ぎていく。本当に気持ちがよかった。ずっとここで過ごしたい気持ちを抑えて、吹き上げ温泉白銀荘へと向かった。いつもよりかない熱い露天風呂でゆっくりと腰浴をして、体中が温まった。キャンプ場の芝生の上で、残っていたお茶をすすった。
夏の疲れが、スーッと抜けていくような、全身の隅々まで幸せがしみこんでいくようなひと時を堪能したのだった。


9月16日
18年
昨日、夕食前の忙しいさなか、母から電話があった。ピアノの手を休めて電話に出ると、「ゆ、優勝が秒読みなの!!」と声が上ずっている。そうか、今日は祝日だからデーゲームだったんだ。そう思いつつも、気を取り直して練習を続けた。
思い起こせば18年前、私は厚田村聚富の畑に囲まれた教員住宅で、夕食を食べ終えて、ひとりTVにかじりついていた。確か9回間際で札幌の妹に電話をした。試合終了とともに、妹と号泣したものだった。高校のときから観はじめたプロ野球。一度だけ妹と札幌円山球場まで試合を観に行った。対戦相手はヤクルトで、その時現役だった北海道出身の若松にちなんで「今日は若松デーです。」と、試合前から東京音頭が盛り上がっていた。3塁席は少数派ながら、くっきりと黄色と黒の旗まで購入して、望遠カメラまで用意してプレーボールを待った。先発は確か江本だった。滅多打ちをくらった。その日はたくさんのピッチャーがマウンドに出ては打ち込まれて、妹とふたり、肩を落として、それでも旗を振りながら帰路に着いたのだった。勝つ喜びをあまり味わわないまま7年近くが過ぎた頃、歓喜のリーグ優勝だ。その時、広島ファンの父が、阪神が前に優勝したのは17年前だから、この次は17年後かねと、嫌味を言った。そんなこたあないだろうと、思いつつ、心の底ではいやなムードが漂った。
薫風舎が始まって、ナイター観戦など夢のまた夢となった。それは、幸いだったかもしれない。いつしか、スポーツニュースから目をそむけるようになり、選手も分からなくなった。
今年、4月にはまだ見ないようにしていた。5月、横目で新聞をちらりと見はじめた。6月には、期待しないように肝に銘じた。7月、生唾をのんだ。8月、「これじゃあ、リーグは面白くないよねえと。」大きな声で言うようになり、それでも「死のロード」中は、気が気ではなかった。
昨日、夕食後のピアノを弾き終えて、すぐにインターネットにかじりついた。関西のお客様をつかまえて、「優勝でっせ。」いや、「優勝しましたよ。」と知らせた時の快感は、忘れられない。後片付け中に、サボってプライベートに戻り、淡々と進む「巨人戦」の合間に「胴上げ」を見たとたん、ひとりで大きく拍手をして、じんわりと涙がこぼれたのだった。
今日は朝から、雲ひとつない青空とくっきりとよどみない十勝岳連峰が、私を迎えてくれた。なんという気持ちのよい一日だろう。


9月15日
枝豆天国
畑に、黒豆の枝豆が食べごろになっていた。そう知りながら、なかなか仕込みの間に豆を落とす作業が出来ずにいた。昨日夕方、ピアノの練習をしていたら、あっこちゃんとチャコちゃんが、デッキの前に座って、枝豆落としの作業を始めた。ショパンを弾きながら、気持ちが枝豆に傾いた。みると、畑から束にして採ってきては、一つ一つ手でさやをもぐ作業を繰り返していたので、ずいぶんたくさん採るなあと思っていた。厨房に入って、はっとみると、大きなボールに山盛りの枝豆が飛び込んできた。
いつも、夕食後にお客様に食べていただくためにとる量のざっと7、8倍はある。あんぐりと口が開き、目が丸くなった。みんなに食べていただいて、私たちがおなかいっぱい一生懸命食べても、とても追いつかない量だ。二人は、ついついやってしまったらしい。目を丸くしながら、私の心は少しほくそえんでいた。
私たちの夕食の前に、大きなおなべ二つにお湯を沸かし、枝豆を茹でた。ちょっとプライベート室に帰って戻ってきてみると、バットに山盛りの茹でたて枝豆が、湯気を上げている。ひとつつまんだら止まらない。失神しそうなおいしさだ。その甘さ、口に広がるなんともいえない美味。まだみんな後片付けをしているのに、手と口は、卑しくも猛スピードで動いていた。そう、私はいつか枝豆を、こうやっておなかがはちきれるほど食べてみたかったに違いないと、その時初めて気づいた。
夕食が始まる頃には、私一人満腹中枢が満たされていたにもかかわらず、夕食を急いで食べ終えて、また山盛りの枝豆だ。みんなで黙々と食べて、お客様にもずいぶん助けていただいても、まだ途方もない数の枝豆がある。みんなで枝豆天国を味わって、もう一粒も口の中に入らない悔しさ。息をするのも苦しい。それでも出てしまいそうになる手を、エプロンの中にしまいこんで、ようやく食卓を離れたのだった。
残った枝豆は一山残して、むいて冷凍。朝、茹で上げのとうきびとともに残りの一山で、また枝豆天国だ。おかげで、お昼前になっても、皆はちきれそうなおなかを抱えている。


9月14日
不思議な天気
台風が北へと抜けて、強い風が残っている。朝起きると、まわりの木々がゆっさゆっさと大きく揺れ、なんだか物々しい空気だった。雲がちぎれて、青空が顔を出した。お昼頃には、時折日が射すようになった。それでも、木々は相変わらず大きく揺れている。と思ったら、ぴたりと風がやんだ。不思議な天気の日曜日だ。


9月13日
「山麓茶屋」と秋の景色
昨日、一人で旭川まで出かけた。帰りに、美瑛の隣町東川町で評判の「山麓茶屋」というお蕎麦屋さんにはいった。ジャズが心地よく流れる落ち着いた店内で、蕎麦御膳をいただいた。私好みの色の濃い細い麺のざる蕎麦に麦トロ、手作りの豆腐と豆乳、甘すぎず薄味の煮物などがついたお膳は、玄米菜食の私も安心しておいしく食べられる心づくしの食事だった。庭を挟んで向かい側は、カフェとギャラリーになっている。帰りの時間を気にしながら、それでもゆっくり食後のコーヒーを飲んだ。洗練された店内ときれいに整えられた庭、ゆったりとくつろげる空間は、とても気持ちがよかった。
帰り道、美瑛に通り抜ける景色のきれいな近道を通った。細い農道をぐっと上ると、鮮やかに赤く色づいた山葡萄の葉が、唐松林の木々の枝にもたれかかるように広がっている。もう少し行くと、菜の花のように色濃い小豆畑の黄色が、目に飛び込んできた。丘を越えて太い道にでると、今度は黄金色の水田がまぶしく輝いている。風景は、気がつくと夏とはもう確実に違うものになっている。華やかな夏の景色よりも、豊かな表情を見せる味わい深い秋の景色のほうが私はずっと好きだと、秋になると毎年思う。


9月11日
朝の空気
今朝起きると、本当に久しぶりに、空気がぬるんでいた。うす雲の隙間から射す秋の陽の光が、この間おこしたばかりのデッキの前の畑に降り注ぎ、黒々と輝いた。マグカップに落としたてのコーヒーを入れて、デッキチェアに座った。シャツ一枚でも寒さを感じない。大きく深呼吸をすると、朝の空気とコーヒーの匂いが混じって、幸せな気持ちになった。
日が高くなると、暑さを感じた。山が見えてきた。しまいかけた半袖が、もう少し活躍しそうだ。


9月09日
うれしい来客続き
今日は、美馬牛の炎創窯のアメリカ人作家コーミエー・クレイトンポールさんの奥様優ちゃんこと優子さんが遊びに来てくれた。ポールさんと優ちゃんとは、薫風舎オープン当初からの友達で、昔は本当によくみんなで遊んだ。ご夫妻で長年の夢であった炎創窯を開き、ゆうちゃんはその後3度の出産(今は4人の子供のお母さん)、私たちもだんだん忙しくなって、なかなか顔を見ることすらが出来なくなってしまった。昨日、久しぶり優ちゃんから電話があり、うちでお昼を食べることになった。
ラタトィユがちょうど残っていたので、トマトソースを足してペンネとあえた。畑にひしめいているラディッシュをたくさん採ってきて、マリネサラダにした。
久しぶりの再会に話すことがたくさんあって、喋るのと食べるのに、口がいそがしかった。去年から、一年のうち半分以上をアメリカで過ごすようになったコーミエー一家は、もう少しでアメリカに旅立ってしまう。なかなか会えないうちに、もう帰ってしまうかと思うと、とてもさびしい。美瑛ではなかなか会えないから、今度は、私たちがバーモントまで会いに行こうかと、夢がふくらんだ。
日曜日の平松さんといい、うれしい来客が続いて、思いがけず楽しいひと時を過ごすことができたのだった。


9月08日
うれしい来客
昨日、旭川西高の平松さんがふらりと現れた。国立大雪青年の家で開かれた「天体観望会 in 大雪」に教え子とともに参加した帰りに、校長先生ご夫妻と寄ってくださったのだ。ペットボトルで雪の結晶を作ることを考案し、今や世界中をまたにかけて講演を続ける平松さんは、地学の先生である。「観望会」には、日本中の錚々たる研究者が集まったそうで、参加した教え子たちは、貴重な一晩の体験に大喜びしていたと、いかにも先生らしく、うれしそうに目を細めた。校長先生は、あの宇宙飛行士、毛利守さんのお兄様だそうで、なんだか話を聞いているだけで、美瑛の空が宇宙につながっていような、妙な実感がわいてきて、不思議な気持ちになった。
ちょうど、あっこちゃんが作った砂糖や乳製品、たまごを使わないケーキ「ブルーベリーの豆腐チーズタルト」があったので、コーヒーを入れて、みんなでいただきながら、楽しい話に花が咲いた。帰りに、畑からズッキーニやインゲン、ラディッシュ、人参、それに黒豆の枝豆などを採ってきて、お土産に持っていってもらった。収穫の季節、畑からのお土産をもらっていただくのは、本当にうれしい瞬間だ。お昼過ぎのほんの短い時間だったが、久しぶりの再会と貴重な出会いに、幸せなひと時を過ごしたのだった。


9月06日
食卓
夕べからの雨は、朝には上がっていたが、今日は一日中重ったるい雲が垂れ込めている。昼間なのに薄暗く寒いので、なんとなく気分までどんよりしてしまう。暖かいものが食べたくなって、お昼は具沢山の味噌汁と小豆玄米の焼きおにぎりにした。ついでにナスも焼いた。土からのものを毎日食べていると、食卓が季節の変化にとても敏感になる。そうして、自然と体が季節のものを要求するようになる。
熱いお味噌汁をすすりながら、そんなことを考えていたら、秋の野菜を食べられる今の季節にうれしくなって、気分がすっかり晴れてきたのだった。


9月05日
土の色
今年の夏、真っ白なそばの花を楽しませてくれた薫風舎のデッキ前の畑に、さっき、土を起こすトラクターが入った。秋蒔き小麦の種を蒔く準備が、いよいよ始まったのだ。
朝方、天気予報とは裏腹に、空にはどんよりした雲が広がっていた。掃除を始めた頃には、まわりの畑に、秋の太陽が降り注いだ。ビートやアスパラの苗などの、緑のストライプのコントラストに、真っ黒な土の色がまぶしく映える。少しずつ起こされていく土を見ると、その色の美しさに、いつも新鮮な感動を覚える。
これから種が蒔かれ、10月には、ビロードのようにうっすらと新緑の絨毯が、デッキの前に広がると思うと、どきどきしてくる。来年7月中旬まで、雪の季節をはさんで、小麦の畑を楽しめる幸せを感じている。


9月04日
秋の空気
秋の気持ちよい風が吹いている。青い空ともくもくとした白い雲、なびく木々の緑が、季節がはっきりとかわったことを知らせてくれる。気温は8月よりも高いのに、この空気は、まぎれもなく秋だ。


9月03日
憩いのひととき
昨日2時札幌発スーパーホワイトアローに乗って、4時過ぎ、美瑛に帰ってきた。たいてい、用事は前日に済ませるので、帰る日の午前中は実家でゆっくり過ごそうと思うのだが、出発の時間を気にしながらあれこれとやっているうちに、いつも慌しくタイムオーバーとなってしまう。昨日は、妹と10月のコンサートの曲を練習する約束になっていたから、なおさら忙しい。
10月7日の札幌コダーイ合唱団の演奏会のプログラムを聞き、強行出演を決めてしまった私は、またひとつ、自分で「忙しさ」を作ってしまった。でも、こんなに楽しみな「忙しさ」は、いいのだ、と思う。そう思って、貴重なひととき、時間ぎりぎりまで譜読みをした。
曲目は、パレストリーナの「Missa Brevis」と、ブリテンなど20世紀イギリスの作曲家の合唱とオルガンのための宗教曲。2年前秋のコダーイの「Missa Brevis」の時と同じ、札幌北一条教会での演奏会だ。この魅力的な演奏会、何とかステージに立ちたいと思った。
練習を始めると、時間はあっという間に過ぎる。音叉と楽譜を荷物に詰め込み、11時半過ぎ、妹の運転で母と三人うちを出た。駅に着くと、たいていまっすぐ、JRタワーのステラプレイスGAPの中を通ってエスカレーターで6階まで上がる。「タリーズ」で、ソイ・ラ・テと、ラップサンドを注文して、こっそり、持参の玄米おにぎりを食べる。昨日は、母と妹と三人、あっこちゃん特製マクロのマフィンも食べてしまった。札幌駅を行き交う人々を階下に見下ろしながらのんびり昼食をとって、ホワイトアローで1時間20分ぼおっとするのが、私の贅沢な憩いのひとときだ。街の賑わいを少しだけ楽しんで、改札をくぐる。列車に揺られて、美瑛駅の駐車場に置いていった車で薫風舎へ向かうと、いつものように十勝岳の山々や田園の風景が、おおらかに私を迎えてくれる。


9月01日
半袖
この夏は、用があって2週間に一度、私一人札幌に出かけている。今年は、天気や気温の予想がぜんぜんつかないので、何を着ていっていいやら、前の晩に天気予報を見ても、決まらない。半そででいいのか、長袖か、ジャケットがいるかいらないかなど、いつも迷う。たいてい8時54分のJR美瑛発に乗るので、早朝、日中の札幌の気温を予想して、それより一枚多く、何か羽織れるものを持つ。
昨日も、女子マラソンを横目で見ながら、どうしようかと迷っていた。前日に考えても、結局裏切られたりするので、朝起きて考えることにした。夕べは男子400mリレーまで観てしまって、朝、ようやくベッドから這い起きた。ぼんやりとTVの天気予報を見たら、おお、今日は久々に、半袖で大丈夫そうだとうれしくなった。
着替えてラウンジに出てみると、青い空を背景に十勝岳連峰が初秋のくっきりしたシルエットを見せている。きりっと引き締まった早朝の空気は、まだ半そでではちょっと肌寒いが、お昼に札幌に降り立ったときには、きっと汗ばむ気温になっているに違いない。


8月30日
贅沢な食卓
今日は、久しぶりに晴れたので、お昼ごはんの調達に長靴を履いて畑に出てみた。秋大根の葉がひしめき合っている。間引きをしながら一生懸命食べなければいけない。その隣のラディッシュも、もう赤い大きな株がたくさん出来ていた。
まず、大根葉を何とかしなければ。みじん切りをごま油でいためて佃煮にしよう。今日作れる分だけ出来るだけたくさん間引いた。涼しかったので、まだ虫もついていないし、葉が柔らかい。ラディッシュも、丸くなっているのをざっと3〜40個、間引きながら抜いていった。せっかくだから葉も食べたい。洗って、掃除をして、食べられる状態にするのも一苦労だ。それでも、こんな幸せな苦労はない。下ごしらえをしながら、これからたくさん取れるラディッシュや、秋大根、カブで、どんな料理を作ってお客様にお出ししようか、私たちはどうやって食べようかと、あれこれ考えるのが、楽しかった。
今日のお昼は、きつねうどん(畑に出る前に揚げを煮て置いた。)と玄米おにぎりと決まっていたので、まずラディッシュの赤カブの部分に葉を少しだけ混ぜて、塩もみした。残りのたくさんの葉も、みじん切りにして塩もみしておいた。大根葉は、さっと日に干して夕方佃煮にすることにした。ラディッシュの塩もみは、水気を切って、酢をして、ちょっとだけごま油をたらして、即席漬け。葉のほうは、きっちり絞って、シラス干し、しろすりゴマを混ぜて、塩としょうゆを入れて、おにぎりにした。
その土地の土から取れたものを食べているのが、一番健康に良いという、マクロビオティックの考え方。自分たちが種から育てた、うちの前の畑で採れた野菜を毎日食べられるこの時季は、薫風舎の食卓が、一番贅沢になる季節である。


8月29日
ナキウサギ
昨日は、予定通り11時15分に4人でうちを飛び出した。真っ白い雲を背景に、浮かび上がるようにそびえ立つ十勝岳を目指した。「望岳台」のレストハウスで、味噌ラーメンとおにぎりを食べた。レストハウスの味噌ラーメンは、店長自慢の一品。おにぎりは、パートのおばさんのこだわりで、注文されてから握られる、作りたてだ。玄米菜食の私は(みんなは、私のいない間に食べているらしい。)、本当に久しぶりのラーメン。どさくさにまぎれて、チャーシューも食べてしまった。
満腹になった私たちは、桟橋を渡って、約1Kmの、原生林の遊歩道を歩いた。岩場の昇降の結構厳しいところもあるが、まわりの木々やシラタマノキをはじめとする高山植物、目下に広がる遠い景色がすばらしく、とても気持ちが良い。歩き始めてまもなく、クククッと、足元で鳴き声が聞こえた。右手を見ると、岩の穴場に慌てて逃げ込む、土色のまるいお尻が見えた。ナキウサギだ。来る道々、今まで一度もナキウサギを見たことがないこと、見れるといいけど、あまり期待できないなどと話していた。あっという間の出来事は、先頭を歩いていた私の目にだけ、ちらりと映っただけだった。思っていたよりずっと大きい。色も、チャコールグレーを想像していたのに、黄土色に近かった。
お尻だけだが、初めて見た私は気分をよくして、ほかの三人はがっかりして、またずんずんと歩き始めた。遠くに見える黄緑色の絨毯が模範牧場だ。その左側、もっと遠くには、美瑛の丘や街が、煙って見えた。
ハイマツの低い森をくぐり、また岩場に出た。夫があっと声を潜めて叫んだ。ナキウサギだ。今度は、岩のてっぺんにちょこんと座っている。みんな足をとめて、静かにその姿を見つめた。夫がカメラを構えたとたん。すばしこく、岩を超えて、向こう側に飛び去ったのだった。
写真に収めることは出来なかったが、ナキウサギを間近に見れて、およそ20分のハイキングは、よりいっそう気持ちの良いものとなった。そのあと行った、吹き上げ温泉白銀荘の露天風呂が、これまた気持ちよかった。
3時間足らずの小旅行だったが、4人には、まるで1泊2日の休暇のような、良いひと時であった。


8月28日
秋風に誘われて
夏が来なくても、ちゃんと秋は来るのだ。今日は、久しぶりの澄んだ空気に「今朝の秋」を感じだ。十勝岳のくっきりとした稜線は、確かに秋のものだ。うれしくなって、思わず「望岳台」行きを提案した。そうこうしているうちに、雲行きは怪しくなり、山も雲に半分隠れてしまった。でも、決まったものは決行するのだ。誰も止めようとは言わない。そうなったら行動が早い。夫はいつもよりずっと早くパンをこね始め、みんなで一致団結して全館清掃そして、今日のひとことも早めに書いている。11時15分出発、望岳台でみんなは味噌ラーメン、私は自重しておにぎり(玄米は夕べ食べきってしまったので、レストハウスで普通のおにぎりを買う予定。でも、おなかが空いてきたので、自分に自信がなくなった。ああ、ラーメン食べちゃうかも。)。ちょっと散策して、もちろんそのあとは温泉だ。
おお、また山がきれいに出てきた。大急ぎで出発の準備をしよう。


8月26日
英雄〜HERO
「HERO」は、中国の鬼才チャン・イーモウが、初めてワーナーで撮った「娯楽活劇」だということで、はじめは、劇場に足を運ぶ気持ちにはなっていなかった。チャン・イーモウ作品は、あの有名な「初恋の来た道」をはじめとして、去年4月に渋谷文化村「ル・シネマ」で観た「活きる」、今年の冬札幌まで足を運んだ「至福のとき」など、撮るたびにがらりと作風を変えながら、なおかつ監督のゆるぎない視点に基づくきっちりとした職人的な構築と、息を呑むような映像美を兼ね備えた高い芸術性をもつ作品の数々に、心を奪われ続けている。
かつてはミニシアターで、ひっそりと上映されていたものが、今回はこの夏の話題作として、堂々とTVでCMも流され、旭川に先ごろ出来た2件のシネコンで、一日中上映されている。これはもはや中国映画ではなくれっきとしたハリウッド映画である。イーモウの実力がハリウッドで高く評価され、監督自身の中国を舞台とした武侠映画の娯楽大作を撮るという願い、加えて興行的な狙いがもちろん十分理解できるにしても、今まで作品を見続けてきたファンとして、今回の「HERO」を観ることに、ちょっとした抵抗がないわけではなかった。
2ヶ月ぶりのたった半日の休日に、4人で出かけたシアターは、そんなことはともかくとして、入り口に立っただけで、十分に心躍るものだった。
映画が始まった瞬間、予想していたとはいえ、その映像と色彩の美しさ、途方もない緊張感に息を呑んだ。映画の冒頭のせりふの中に、この映画のすべてを語る言葉があった。「静と動の融合」。これは、ハリウッド映画のスケールを持ったまさしく中国映画であると思った。そして、物語が後半に進むにつれて、イーモウの意図するところが、だんだんにひも解かれてくる。これは、監督が、どうしても、この時期、ハリウッドで撮り、そして全米、いや全世界に公開しなければならない作品ではなかったのか。2000年前の中国を舞台とした「武侠映画」、「娯楽活劇」という形で撮られた、イーモウ監督が見据えた「人間のあるべき姿」を描く、静かな人間ドラマではないかと思った。それはまさに「静と動の融合」というひとつの言葉に回帰する。
人類最古の時代から現代に続く、いや、今まさに深まり続ける復讐の連鎖。イーモウ監督がこの作品にこめたメッセージを、少しでも多くの人々が心に受け止め、共感することを願わざるを得なかった。


8月25日
休日の過ごし方
どうやら、秋雨前線は北海道あたりに停滞しているようだ。一晩で南下するはずだったのに、よほどここらの居心地がいいのだろうか。寒くて天気の悪い日が続いている。
今日は、丸2ヶ月ぶりの休日だ。休日といっても、チェックアウト後の掃除を終えてからだから、半日休みなのだが、それでも、一昨日あたりから4人の顔がにんまりしてきた。
1週間ほど前から、お昼ご飯を食べながら休日の過ごし方を相談し始めたが、今回はちっとも盛り上がらなかった。先週避妊手術を終えたクリが、まだ抜糸をしていないからだ。車酔いはぜんぜん治らないし、車に乗せるのが無理だとすると、私たちは、クリのオシッコが我慢できる時間内の行動しか許されない。そう考えると、話がいつも煮詰まってしまう。
でも、そんなことでへこたれる私たちではないのだ。一昨日ついに思いついてしまった。チャン・イーモウ監督の初の娯楽活劇「HERO」をどうしても観たくなったのだ。2時からのを観て大急ぎで帰ってきて、クリたちの散歩をして、カフェ「トムテ」の中矢さんご推薦の東川の居酒屋で食事、トロン温泉。完璧なスケジュールだ。おまけに天気が悪いときている。何の躊躇もなく映画館の暗がりにこもることが出来る。なんというおあつらえ向きの天気だ。
今日、クリの手術のあとを獣医さんに診ていただいたら、傷口が順調なので旭川までなら行っても大丈夫という、更にうれしいお墨付きもいただいた。わざわざ戻らなくても良いので、さらにみんなの掃除のペースも上がる。そろそろ出発の時刻だ。


8月24日
ぐずついた天気
今日は、さわやかな青空が広がるはずだった。天気予報は、当てにならない。昨日と同じようなぐずついた天気となってしまった。空一面のねずみ色の雲と、湿った冷たい空気が、まわりの木々の心なしか黄みがかりはじめた緑の葉を、重たい色に感じさせる。こんな日は、ふぅーっと力を抜いて、お客様が到着される前のひと時を、のんびりと静かに過ごそうと思う。


8月23日
揺れ動く前線
本州に横たわり冷たい夏をもたらした秋雨前線が、昨日からぐっと上にあがって、昨日の夜から土砂降りとなった。天気予報は流動的で、早めに回復するような、夕方まで雨が続くような、はっきりしないものだった。それをそのままあらわしたような、今日の美瑛の天気だ。雨が弱まり明るくなったかと思うと、次の瞬間にはバケツをひっくり返したようなひどい降りがやってくる。きっと前線が、この上を行ったりきたりしているのだろう。
仕事の合間にテレビをつけたら、前線が上に行ったおかげで、この週末は、やっと本州に暑さがやってきたと言っていた。今年、決して北海道も良い夏とはいえなかったが、涼しいながらも、青空やまぶしい太陽を感じることが出来た。窓の外の雨とテレビを見ながら、少しはこちらでも前線を引き受けてあげなくちゃ、と思ったのだった。前線は、明日にはまた南へ下がって、さわやかな空気が戻ってくるはずなのだから。


8月21日
大人の散歩
昨日夕方、札幌から帰ってきた。その日、私が札幌に行っている間に、クリが避妊手術のため病院に1泊していたので、夜、夫と二人で、ムックとティンクの散歩に出かけた。クリがいないだけで、こんなにさびしいものかと思った。いつもとはうって変わった、大人だけの静かな散歩だ。
夜空には、満天の星。秋に向かう澄んだ空気で、星が、まるで洗われたかのようにきらきらとしている。その中でひときわ大きく、オレンジ色に光り輝いている火星が、今月のはじめに見たよりも、更に大きくなっている。これはもう、星ではない。小さな月と呼んでも良いくらいだ。と、裏の三号線をのんびり歩きながら、私が目を丸くしながら言うと、夫に「それはいくらなんでも大げさだよ。」と、戒められた。
札幌から帰ってくると、夜の空気が、よりいっそうおいしく感じられる。大きな火星と天の川を眺めながら、家に入る前に、もう一度大きく深呼吸したのだった。


8月18日
少しだけボラーレの似合う日
朝から山がきれいに見えて、夏らしい日差しが戻ってきた。木々の深い緑や畑のつややかな緑が、太陽の光を浴びて、生き生きと輝いている。人間も、こういうお天気だと、うきうきしてくる。早速、キッシュに入れるズッキーニを日に干して、ついでに人参も干した。なんだか山が呼んでいるように感じて、温泉まで行くことにした。この夏ようやく、ジプシーキングのボラーレが似合う(いつもに比べるとすこし物足りないのは仕方ないとしても。)天気になった。


8月16日
アイスコーヒー
夕方、久しぶりにアイスコーヒーが飲みたくなって、冷凍庫に眠っていた豆「いわい珈琲ふかいりアイス」を取り出した。2倍の濃さに落としてすぐさま氷で冷やし、みんな(コーヒーの苦手なあっこちゃんは熱い日本茶。)で、ほっと一息。カランコロンと氷が鳴って、渇いたのどに染みわたった。
私の中では、アイスコーヒーが飲みたくなる気温は25℃以上と、昔から決まっている。そうめんとアイスコーヒーのボーダーラインだ。今日は、予想最高気温26℃だから、アイスコーヒー日和なのだ。という話をしたら、チャコちゃんにびっくりされた。「25℃っていったら、涼しい気温でしょう?!」と目を丸くした。あっこちゃんも4年も北海道にいるくせに、うなづいた。北海道の人間は、本州の人たちと毛穴が違う。と豪語したのは、私の大学時代からの親友だ。
大学時代、夏休みに志賀高原にアルバイトに行く途中、東京の祖母のところに滞在するため、列車と連絡船を乗り継いで上野に着いた。電車のドアが開いたとたん、息が出来ず、あまりの熱気と空気の重たさに気を失いそうになった。平気で行き交う街の人たちを見て、やはり親友の言葉が正しかったのだと実感した。
買い物から帰った夫に、25℃とはどういう気温か問い正したら、「う〜ん。ちょっと暑い。」と、微妙な答え。いかにも、東京生まれ、東京育ち、北海道に移り住んで17年目らしい答えだ。そこへ、埼玉からのご常連本橋夫妻が登場した。チェックインのときに、コーヒーは、熱いのと冷たいの、どちらがいいですか?と伺ったら、「熱いの。」と、当然のことながら答えた。やはり、親友の毛穴説は、正しいと、改めて思った。


8月15日
さびしい夏
世界中が異常気象だということで、今年はもう「夏」をあきらめている。過ごしやすいといえば過ごしやすい陽気だが、全然季節感がない。涼しいといっても、5月や6月の日差しとはまったく違うし、秋の空気でもない。アブラゼミの声も、なんだか元気がない。トンボも、さびしそうだ。と感じるのは、私の思い込みだろうか。どうも力の出ない8月の折り返しだ。さあ、ぶつぶつ言っていないで、気合いを入れなくっちゃ。こんな天気でもけなげに育っている野菜たちを見ながら、そう自分に言い聞かせている。


8月14日
インゲン
採れたてのインゲンは、アスパラに匹敵するおいしさだと、私はひそかに思っている。ところが、インゲンの種は、とにかく種類が多くて、そのつやや大きさ、味など、あたりはずれが多い。マメ科だから、強いはずなのだが、どうもその年によって、出来もずいぶん違って、ここ数年、おいしいインゲンを思う存分食べられていなかった。
今年は、毎年お願いしている旭川のタネ屋さんによくよく相談して、私の思い描いている、つやがあって小ぶりで、甘みの強い種類を分けてもらった。注意深く種を蒔き、ツルが出て、花が咲いているのを見て、どきどきと収穫のときを待っていた。
ようやく2、3日前から晴れて、気温もいくらか上がってきたので、恐る恐るインゲンの畑に近づいていくと、私の理想とする青々として細身のおいしそうなインゲンが、もう沢山出来ていた。これから大きくなりそうな、赤ちゃんインゲンもいっぱい成っていて、うれしかった。
その日は、数えるほどを採って、茹でてサラダに入れたら、驚くほど甘い。昨日は、もう少し沢山取れたので、人参や、なす、ズッキーニなどと一緒に干して、きんぴらを作った。あと、2、3日もすると、薫風舎の夜の食卓へも、お出しできるかもしれない。これから秋にかけて、久しぶりにインゲンの料理をいろいろと創造する楽しみを得て、とてもうれしい。


8月12日
太陽に感謝
久しぶりにお日様が出てきた。やっと、やっと、干し野菜ができる。まぶしい太陽にせかされるように、せっせと野菜を切った。プチトマトや大根、ズッキーニ、なす、パプリカ・・。畑から厨房へ、厨房からデッキへと、みな続々と運ばれた。今日の夜、お客様にお出しする分と、私たちのお昼の分、ぴかぴかの野菜が大きなざるに並べられて、陽の光にぐんぐんとおいしさを増して、出番を待ちわびる。さて、これで何ができるかはお楽しみ。私は、もう次の料理のために何を干そうかと、幸せな悩みを抱えている。


8月11日
間隙を縫って
昨日は、急に思い立って4人で旭川に出かけた。夫が、「無印良品の封筒を買いに行かなければ。」と言い出したのだ。無印良品が通販で事足りることは、みんな分かりきっているのだが、そういう時は、誰も反論しない。口をそろえて「そうだ、そうだ、行かなきゃだめだ。」と言い合って、行動を開始する。行動とは、掃除である。こういうときの行動開始は、まさに薫風舎の真骨頂である。一致団結、全館清掃をしながら、もうお昼はどこで何を食べるか決まっている。そして、11時には、ニコニコしながら車で飛び出したのだった。
旭川の買い物公園に久しぶりに行った。日曜日で、いつもよりは人が多く歩いていた。今日のお昼は、薫風舎御用達和食処「かぶと」の「かき揚げ天丼」ともう決まっていたので、砂糖の駄目な私は「鎌田の出し醤油」まで持参して、店に入った。ところが、今日はてんぷら関係が混んでいて時間がかかるという。あきらめきれない気持ちを抑えて「すしランチ」に変更。「アナゴの香り巻」だけは予定どうり注文できてよかった。久しぶりのお寿司を食べながら「今日は、かえってこれでよかったかも。」とどこまでもみんな楽天的だ。時間がないので食後のコーヒーをキャンセルして、無印良品、CD屋、本屋と駆け巡り、最後には書店併設のカフェで買った本を読みながらコーヒーを飲み(これは私だけ。残念ながらみんな時間なし。)、駐車場から車を出した。買い物公園界隈滞在時間1時間半で、前記すべてを満喫できるなんて、われながらすごい。帰り道、夫が買った「バリー・マニロウ」の懐かしすぎる70年代サウンドに、まるで長い休暇を味わったような気分になれたことが、この短いひと時を更に幸せな時間へと変えてくれた。


8月09日
雨音とセヴラック
久しぶりにセヴラック(1872〜1921)を聴いた。「ひまわりの海〜セヴラックピアノ曲集」ピアノ舘野泉。アルバムの一曲目、7部からなる農事詩「大地の歌」は、私の大好きな曲のひとつだ。
・・・「(セヴラックは)'フランスの音楽家'というよりは'地方の音楽家'といったほうが正確で、更には、彼自身が好んでいたように、'田舎の音楽家'といったほうがもっとふさわしい」。ピアニストのアルフレッド・コルトーが語ったこの言葉が、デオダ・ド・セヴラックをフランスの伝統的な作曲家像から引き離してくれる。〜中略〜セヴラックは生涯の大半を故郷の南フランスで過ごし、南仏の香りと気分、光と色彩を作品の中にも色濃く滲ませた。・・・という、ライナーノーツの冒頭の文章は、その音楽とともに何度読んでも心に染みる。1955年に初めてその楽譜を手にしてから、2000年、ようやく積年の思いを叶えピアノ曲集のCDを発表した舘野泉さんがアルバムの中に綴った、「セヴラックへの想い」というエッセイも、読んでいて胸が熱くなる。
久しぶりにアルバムを手に取り、ニーチェアに腰掛けて、「大地の歌」を聴いた。開け放したデッキへのドアから流れ込む雨の匂いと、枯れたソバ畑。静寂の中に響く雨音。しっとりとした冷たい空気と「大地の歌」の冒頭、序曲「大地の魂」の調べは、まさにセヴラックが感じた南仏の田舎の風景と、ぴったりと重なり合う。音楽の中にちりばめられた雨音が、外からの雨の音と共鳴しているように思えて、もう一度、雨と草の匂いを、大きく吸い込んだ。


8月08日
チャイの命日
昨日8月7日は、チャイの命日だった。薫風舎のオープンの年、工事中の廃材の中に産み捨てられていたチャイ。5年間薫風舎とともに育ったチャイは、4年前、交通事故で逝った。
昨日夕方、ピアノの練習をしながら、今日が8月7日であることをはっと思い出した。毎日忙しさに追われて、すっかり忘れていた。慌てて練習を止めて、うちのまわりに咲く野の花を集めた。お水を持って、庭の奥にある、レンガで作ったチャイのお墓に行くと、ガラスの花瓶に赤ツメ草が挿してあった。先日いらした大和さんが供えてくれたに違いないと思った。帰ってからいただいたメールに、チャイのお墓がずいぶん苔むして、年月を感じたこと、まわりに植えたミヤコワスレが、ひとつだけまだ咲いていたことが書かれてあった。
お墓を掃除して、お花を供えて、チャイのことを思い出した。チャイが帰っているように思えた。庭の木々の間をふわふわとしっぽをなびかせながら走り回っているチャイの姿が思い描かれた。ムックやティンク、そして新しい家族のクリの散歩に、トコトコついて来ているかも知れない。やんちゃなクリを見て、しょうがないなあと笑っているに違いないと思った。


8月07日
そうめん
今日のお昼はそうめんだ。と思ったら、夫がちゃんと買ってきてくれていた。この夏は、本当にそうめんを食べたくなる日がなかった。ようやく半そで、短パン、素足にそうめんと、4拍子そろった。畑からまだがんばって食べている大根を一本、ピカピカに光った大きなナスを沢山、薬味の大葉を採ってきた。人参と大根、なすのきんぴらを作った。氷を浮かべたお皿に、しゃきっと冷やしたそうめんを入れて、みんなでばくばく食べた。だし汁をすってとろとろのナスが、口の中でジュワッと溶ける。畑に走ると、今日のおかずがそろってしまう、幸せな季節だ。


8月06日
夏来る
昨日夕方、札幌から帰ってきたら、美瑛も本格的な夏になっていた。一昨日朝、家を出るとき、夏を予感させる空気を感じて、半そでで出かけた。札幌に着くと、もわっとした空気に、9年ぶりに札幌の8月を思い出した。。美瑛は、どうだろう?夏を迎えているだろうか。一晩実家で過ごして、2時のスーパーホワイトアローに乗り、4時に美瑛駅に着いて、照りつける太陽を感じた。駅の駐車場においてあった車に乗り込むと、すさまじい灼熱に参ってしまった。熱くてなかなか触れないハンドルをどうにか握って、家に向かった。空には夏雲、刈り取られた麦のあとの牧草ロール、久しぶりの太陽に木々の緑が生き生きと輝いていた。
薫風舎に到着して、車を降りると、デッキの前のそば畑がついに土に鋤きこまれ、雨で雑草畑と化していたうちの畑は、いつもお世話になっている高齢者事業団の方たちの手ですっかりきれいになって、昨日とはまるで様相が変わっていた。
夜になって、夫とムックたちの散歩に出かけたら、外は満天の星。ひときわ大きなオレンジ色の火星、そして天の川、低い大きな半月まで、静寂の中で夜空をにぎやかに飾っていた。


8月03日
ズッキーニ地獄
このところの低温で、すっかり油断していた。今日、ラタトィユを仕込むため夫が畑に行ったら、ちょっと前まで大きくならないかと待ちわびていたナスとズッキーニが、私たちを攻め立てるように巨大化しているらしい。ズッキーニは、私のふくらはぎくらいのものがざっと10本、ナスもたくさん大きくなっているそうだ。
昨日、美馬牛のゴーシュにフランスパンを買いに行く途中、トラクターのバケットにかぼちゃがたくさん積まれて運ばれていた。車で後からそれを見ながら、やっとかぼちゃの季節到来だとうれしくなった。そういえばかぼちゃは低温だと出来がよく甘くなると、秋にいつもおいしいミヤコカボチャを分けてくれる北村さんが言ってたっけ。そうしたら今年は期待できるかも、と思ったのだった。ズッキーニはカボチャの兄弟だ。・・・ということそのときはちっとも思い出さなかった。だいたい、ズッキーニは、どんなときにも元気で育つ。そして、毎年、ズッキーニ地獄に陥るのだ。ラタトィユをたくさん作って、今日はお昼もズッキーニのトマトソースのパスタにした。それでも、あと8本。どうやって食べようか。この雨では、凝っている干し野菜もできない。
明日は、私は一人札幌に行くので、実家にもっていこうか。でも重たいしなあ。次の一群が大きくならないうちに、何とか片付けたいと、ちょっと焦っている。


8月02日
マズルカ
お昼どき、夫が久しぶりにショパンのマズルカをかけた。大好きなフリエールの演奏だ。マズルカは夏のイメージではない。冬の、凍てついた空気や、モノトーンの景色に良く合う。きっと、ショパンの故郷ポーランドの風土が、思い描かれるからではないかと思う。
例年になく寒い夏。ついに3日ほど前から、青空も遠のいてしまった。雨がちで、重ったるい雲の垂れ込める、およそ夏らしくない窓の外の景色に、きっと夫は、無意識にマズルカを聴きたくなったのだろうと思った。真昼なのに、夕暮れ時のように暗く淋しい風景も、マズルカの調べに、美しい息吹を与えられたように感じた。


8月01日
オレンジ色の星
夕べ、暖炉の前でご常連の八木さんや、初めて美瑛を訪れた萩原さんとともに、楽しい夜を過ごした。夜も更けて、おひらきとなって、八木さんがもう一度星を見たいと言ったので、みんなでデッキに出てみた。火星だ。デッキに出ると、ちょうど十勝岳の少し上くらいの位置だろうか、オレンジ色にひときわ輝く大きな星が見えた。
夫とムック、ティンク、クリの散歩に出かけようと、今度は玄関から外に出た。上空には、天の川が大きくゆったりと流れている。さっき見た火星だけは、はっきりとオレンジ色に、どの星よりも大きくきらきらと瞬いている。みんなを連れて歩き始めると、火星も一緒についてくる。木々の合間から、ちらちらとこちらを見ているように思えて、夜の夜中に、なんだかうきうきした。裏の三号線まで出ると、今度は真正面にいる。そういえば、biei.com サーバー佐竹さんが、この前からしきりと火星大接近の話をしていた。私は、このところ新聞もテレビのニュースもろくにみていないから、八木さんに言われるまですっかり忘れていた。佐竹さんに見せてあげたいなあと思いながら、オレンジ色の星をひとしきり眺めて、うちへと帰ってきたのだった。


7月31日
恵みの雨
一昨日夜半から、ついに恵みの雨が降った。畑には、待望の雨だ。隣の小原さんも、前の畑の笹本さんも、農家の方々は皆、ほっと胸をなでおろしているに違いないと思うと、私たちもとてもうれしい。宿泊中のお客様だって、旅行先の雨はさぞ残念なことと思うが、これまでの干ばつの話をすると、みな、窓の外のうっとうしい雨模様を眺めても、わがことのようにうれしそうな顔をしてくださるのが、またうれしい。夕暮れ時、雨が上がり、あたりが不思議な光線に包まれた。異次元の世界のような光景だった。雨が降ると、そんな独特な景色に出会える。今日は、雨も上がり、またアブラゼミが鳴き始めた。8月は、もう少し気温が高くなってくれれば、もっとよいのにと思う。


7月29日
今年の夏
秋蒔き小麦が刈り取られ、とうきびの穂が出てくると、8月の声を聞くようになる。気がついてあたりを見渡すと、緑はすっかり濃くなり、十勝岳連峰の残雪もわずかに数えるほどしか残っていない。今年は、例年になく涼しい7月だった。それでも、畑の野菜はちゃんと大きく育ってくるし、短い夏を謳歌するように、アブラゼミの声が響いている。雨不足や低温で、農家への被害を毎日心配しながらも、「今年の夏」を、少しでも楽しみ味わいたいと思いながら、毎日を暮らしている。


7月28日
そばの花
たぶん今週、デッキの前の緑肥ようのそば畑が、土にすきこまれることになった。7月に入って、ちらほらと咲き始めた白い花が、満開になって、一面の白いそばの花を、ずいぶん長く楽しんでいた。日が当たると真っ白に輝き、夕暮れ時、だんだん辺りが青くなってきてもなお、白く浮かび上がって幻想的な景色を楽しませてくれた。あと数日、今度は土に返っていくそばたち。秋に蒔く小麦が、来年の今頃、元気に育って黄金色に輝くことを楽しみに、少しでも長く眺めたいと思う。


7月27日
干ばつ
この夏は、寒いばかりではなく、ぜんぜん雨が降ってくれない。昨日も、いつもおいしいカリフラワーを分けてくださる北さんが、ほとほと困っているとぼやいていた。週間天気予報を見ても、雲は多いのに雨のマークはない。どんよりとした雲なのに、なぜ雨が降らないかと不思議になる。畑を見ながら、ため息をつきたくなる。


7月25日
麦の刈り取り
昨日夕方、美馬牛のゴーシュという天然酵母のパン屋さんにフランスパンを買いに行こうと、裏の三号線に出ると、花が終わったジャガイモ畑の先の、秋蒔き小麦の畑の麦が、もう刈り取られて、代わりに黄金色の牧草ロールが点々と置かれていた。秋蒔き小麦は、どの畑も黄金色に輝き、収穫の日を待ちわびている。大きな麦刈り機が忙しく動き回って、順番に畑を刈り入れていく。秋蒔き小麦が刈り取りを終わった頃、今度は春蒔き小麦が、青磁色から黄金色へと少しずつ色を変えていく。いつもより涼しい夏でも、ちゃんと季節は動いている。


7月24日
ラタトィユ
朝、お客様のお見送りをしながら、畑のズッキーニの生り具合を見た。ちょうどよい。今日は、ラタトィユの仕込みだ。直径4、5センチ、25〜30センチの長さのズッキーニをみんなで6、7本くらい、手でもいで、厨房に持って帰った。ナスのほうは、まだ赤ちゃんなので、夢民村や津幡さんから分けていただいたものを、これはズッキーニよりも絶対多めでなければいけないので、たくさん用意して、にんにくやたまねぎ、赤と黄色のパプリカとともに、トマトで煮込みながら、今日のひとことを書いている。毎年、薫風舎の昼下がりにラタトィユの香りが漂うと、夏のシーズンたけなわだとつくづく感じる。


7月23日
散水機
玄関の向こうのビート畑に、昨日から夜通しスプリンクラーが水を撒いている。7月に入ってから、ほとんど雨がない。6月だって、数えるほどしか雨が降らなかった。畑は、からからに干上がっている。
夕べは満天の星を見た。冷え込んだ空気に、天の川。流れ星がひとつ。朝は、きれいに晴れ渡り、大雪の山々や十勝岳連峰が、久しぶりに全部きれいに見えた。さわやかな風と、透き通った空気に、気持ちよさを感じながら、夜中もずっと回り続けていた散水機に、畑のことがとても心配になったのだった。


7月21日
そば畑
デッキの前の満開のそば畑。収穫のためではなく、土に返す緑肥としての役割を果たすため、種がつく前に土にすきこまなくてはならない。もう、いつすきこまれてもおかしくない。そう思うと、クリーム色にちらほらとかすかにピンクの花が見える一面の畑を、少しでも楽しもうと、名残惜しく眺めている。
せめて、もう一度くらい、からっと晴れた青空の下で見てみたい。少しずつ夏らしくなっていく陽気に望みを託して、天気予報を見る。今日も、晴れの予報だったのになあ。明日こそと、思っている。


7月20日
今日のお昼は。
オホーツク海高気圧の仕業による、寒いどんよりとした曇り一応時々晴れという、いやな天気が続いた。今日は、久しぶりに山が全部きれいに見えた。それでも、気温は低く足が無性に冷たかったので、掃除の前に足浴をした。先月札幌で買ったペライアとルプーによるシューベルトのf-mollの幻想曲をかけて、マグカップに熱いコーヒーを入れて、こういうときの私は用意周到だ。演奏時間およそ19分の優雅な時間に、体がすっかり温まり、やる気が沸いてきたのだった。
鼻歌を歌いながら、上機嫌で掃除機をかけていたら、だんだん日差しを感じるようになった。カーディガンを脱ぎ、半そでになってもまだ汗ばむ暑さとなった。気温が上がって、明るい太陽が照りつけたら、野菜を干したくなった。お昼ごはんを、昨日残っていた玄米ご飯のおにぎりとそうめんに決めた。そうめんと色々な野菜のきんぴらを一緒にいただくのが、薫風舎流だ。今年初めてのそうめんは、干し野菜のきんぴらで行こう。さっそく大根、人参、インゲン、ナスを千切りにして、大きなざるに並べ、お風呂の前のデッキに干した。千切りなので、掃除が終わってパンが焼きあがる頃には、半干し野菜が出来上がるだろう。そうそう、干している間に、今日のひとこともこうして書ける。
10時に足浴をして、以上のことを2時間ですべて終えて(もちろん4人で)、しかもなんとなくのどかな気分でいられる今日の私は、われながら、いい線行っているように思う。
さて、そろそろきんぴらを作ってそうめんを茹でよう。おにぎりは、梅干とちりめんじゃこと黒すりゴマの混ぜおにぎりだ。久しぶりの太陽を浴びた一面の真っ白いそば畑を眺めながら、ゆっくりとお昼ごはんを食べることにしよう。





7月18日
厚田村
私が、厚田村の聚富(しっぷ)小中学校に赴任したのは、かれこれ20年も前になる。札幌から車で一時間、石狩街道を通って石狩大橋を渡って、しばらく走ると、古ぼけた「ようこそ厚田村へ」という看板が見える。その看板に、なんともいえないのどかさを感じ、やがて、夏は太陽を受けてきらきらと青く輝き、冬は鉛のように重苦しく荒れ狂う日本海を左に見ながら丘を上っていく。丘を上りきって右に少し入ると、今度は丘陵の美しい田園風景が広がる。その景色の中に私が5年間勤めた小さな学校と古い教員住宅があった。日本海の海岸線に細長くある厚田村の入り口、聚富。ここで教え子たちや先輩の先生方とともに過ごした5年間が、忘れることのできない宝物のようなひとときであったことを、いまでも懐かしく思い出して、この「ひとこと」にも、折に触れて何度も書いた。
今日、朝刊に、厚田村、浜益村が、石狩市と統合されるという記事を見つけた。もう、厚田村がなくなってしまうのかと思うと、なんとも言えずさびしい気持ちになった。考えてみれば、時代とともに風景は変わり続け、小さいころ遊んだ公園や住んでいた家、子供の頃見た景色など、もうどこにもない。数年前久しぶりに訪れた聚富の景色だって、もうずいぶん変わってしまっていた。そんな変化を感じるたびに、思い出は心の中でのみ生き続けるものだと、思い直す。厚田村や浜益村がなくなることだって、きっとそういった変化のひとつにしか過ぎないのかもしれない。
このニュースは、すでに聚富を離れて15年が過ぎてしまった私にとって、それが美瑛にも起こりうる人事ではない問題だということを除けば、ただの感傷的なものでしかない。教え子たちは、このことをどのように受け止めているだろうか。便利になると喜んでいるだろうか。生活にどんな変化があるのだろうか。そこで生活している人々にとって、心豊かになれるようなことであればよいと、遠くから願わずにはおれない。


7月15日
アルペジオーネソナタ
シューベルトのアルペジオーネソナタを、1ヶ月くらい前からどうしても聴きたくなった。うちにも、2枚ほどCDがあるはずなのだが、いくら探しても出てこない。だんだん膨れ上がるCD置き場は、いざ聴きたいものを探そうとすると、見つけ出すのが至難の業だ。毎年冬になったら整理しようと思いつつ、前の年よりもぐっと増えてシーズンに突入するので、だんだん手におえなくなってきた。
あきらめきれなかったのでついに、Amazon.comで検索をかけた。アンドラーシュ・シフと塩川悠子、ペレーニのピアノトリオ1&2番とアルペジオーネソナタ、もう1曲ヴァイオリンの小品の入ったアルバムを見つけた。これは買いだ。聞きたい曲を探すときは、たいてい複数の演奏家のものを購入することにしているので、もう一枚、あまり聞いたことのないチェロ奏者の小品集を選んだ。夫もジャズのCDを一枚購入した。
思ったよりもずっと早く届いたのだが、今度は聴く時が見つからない。2日も3日も、CDは封もあけられずにCD置き場の脇に積まれていた。
昨日、夕食前に少し時間ができたので、ひとりでペレーニとシフの演奏をかけた。アルペジオーネソタの、悲しくそれでいて甘美な冒頭の旋律がラウンジに響いた。そうそう、このメロディーだ。しばらく仕事の手を休めて、外を望むニーチェアに腰掛けて、美しい音楽に身を沈めたのだった。夕暮れ時、風が吹いて、一面白くなったそばの花畑が、しゃらしゃらと鳴っている。アルペジオーネソナタは、冒頭の悲しいメロディーと、やがて機知に満ちたのどかで楽しい雰囲気の対比が、いかにもシューベルトらしい。シューベルトの音楽には、そんな風の音や鳥のさえずりがとても合う。そんなことをぼんやり考えていたら、時間が差し迫って、また現実の世界へと引き戻された。幸福なひと時だった。


7月14日
オホーツク海高気圧
どうやらオホーツク海高気圧が、幅をきかせているらしい。久しぶりの晴れ間も、厚いどんよりした雲に肩身の狭い思いをしているようにみえる。時折日が差しても、先週までのようなまぶしさはなく、気温も低い。
北海道の夏は、オホーツク海高気圧と太平洋高気圧の戦いだ。オホーツク海高気圧が優位に立つと、晴れても山は半分雲に隠れて、すっきりしないお天気が続く。太平洋高気圧があがってくると、今度はじりじりと照りつける真夏の太陽と、真っ青な青空だ。同じ高気圧でも、気温の差は10度以上にもなる。
オホーツク海高気圧特有の、気弱な青空とドロンとした雲を眺めながら、しばらくこの天気が続くような、いやな予感がしたのだった。


7月13日
ズッキーニを待つ。
夏野菜のおいしい季節が始まっている。うちの畑は、まだ今はせいぜい大根やきゅうり、ルッコラくらいしか出来ていないのだが、ご近所から採れたてのトマトやナス、蕪やインゲン、ブロッコリーを分けてもらえるようになった。それに大好きなカリフラワーも始まった。そろそろ薫風舎オープン以来の夏の定番メニューラタトィユも作りたい。のだが、肝心のズッキーニが、ほしいときになかなか手に入らない。
うちのズッキーニは、たくさん花をつけているのだが、まだおちびちゃんで、採るにはあまりにかわいそうだ。いつもおいしい平飼い卵を分けてくださる津幡さんに聞いたら「うちは今年、種を買うのが遅れてねえ。まだ花も咲いてないんだよ。」とのこと。あらら、うちより遅いのね。無農薬、減農薬有機栽培の「やっぱ237」でも、時々見かけると買い占めているのだが、まだあまり採れていないそうで、電話をすると申し訳なさそうに断られる。
ナスもパプリカもいっぱい用意してあるし、とにかく作るぞと捜し求め、ようやく黄色ズッキーニを2本確保して、今朝、今年初めてのラタトィユを作った。緑のズッキーニの色がないとなんとなくさびしい感じはするけれど、おいしい野菜の甘みが溶け合ったラタトィユは最高だ。
でも、やっぱり緑のズッキーニを思い切り使いたいなあ。もう1週間か10日もすると今度は採れ過ぎて悩みの種のズッキーニが大きくなるのを、今は、ほかの夏野菜とともにひたすら待っている。


7月12日
夏大根
毎年、大根が出来すぎて、しかもそう沢山食べられないので、半分以上はもてあまして畑の肥やしになっていた。今年は、知り合いの方に、簡単で抜群においしいマリネの作り方を教わり、せっせと作っては、ぼりぼり食べている。
干し野菜にも凝っているので、拍子切りにして、ほかの夏野菜と一緒に半日干して、夏野菜のペンネとして薫風舎の食卓へもお出ししている。これが、大好評だ。大根のパスタなんて、ちょっと奇抜なアイディアを思いついて、われながら感心した。干すと、夏大根特有の辛みが抜けて、とても甘くなる。独特な歯ざわりがペンネと良くあって、ほかの野菜との相性もいいので、お互いに引き立てあって、夏らしいさわやかな一品となった。
葉のほうは、さっとゆでてキッシュに入れたり、細かく切ってちりめんじゃこと佃煮にして私たちが玄米と一緒に食べたりと、これまた大活躍。大根は捨てるところがない。
5月に種を蒔いて約2ヶ月。元気にすくすくと育った大根を、今年は余すところなくすべて食べつくそうと、せっせと畑から抜いては、干したり、マリネ作りにいそしんでいる。


7月11日
そばの花
薫風舎のデッキの前に植えた緑肥用のそば畑が、満開のときを迎えた。7月に入って、毎日少しずつ少しずつ、白というよりは淡いクリーム色の小さな花が、緑一面の畑の中に増えていった。昨日の雨で、またずいぶん花開いた。予報よりも早く上がった雨を喜ぶように、そばの花と同じ色をしたモンシロチョウがいっぱい、花の周りを遊びまわっている。 そばを近くで見るのは初めてだ。ずいぶんと背が高いこと、小さい花のつぼみが淡いピンク色をしていること、花は本当に小さくて可憐で、それが一本のそばに本当にたくさんついていることなどを知った。これからお天気が良くなると、もっと花が咲いて、デッキの前はいっそう白くなるだろうか。このひと時を、お客様だけではなく、毎日窓の外を眺めている私たちも、とてもうれしく思っている。


7月10日
ファーム富田
今年はラベンダーが、例年になくきれいだと聞いた。6月から、さわやかな良いお天気がずっと続いているので、きっと、雨にいたむことなく、すくすくと育ったのだろうと思う。知らせを聞いて、昨日は4人で大急ぎで掃除を済ませ、中富良野町のファーム富田へ急いだ。お昼前くらいから、観光バスが続々と入ってくることを知っていたので、なるべく早く到着しようと思った。
トップシーズンなので、駐車場に車を入れるのが大変なことも聞いているが、お土産やさんの並ぶ裏通りの駐車場は、比較的空いている。到着したときには11時45分を回っていたが、裏道から入って、裏の駐車場へ行くと、案の定、難なく車を入れることができた。
一面に濃い紫色が広がるラベンダー畑は、やはり美しい。歩くと花の香りが漂い、穏やかな気持ちになる。かわるがわる写真を撮ったり、立ち止まったりする人々のうれしそうな顔を見ていると、混雑するのもそう悪くはないものだと思った。種類や咲く時季の違いによって現れる、紫のグラディエーションの美しさ。それを引き立てるように咲き誇る、鮮やかな黄色やまばゆい白、色とりどりの花が、また目に眩しい。青空と夏雲。気持ちの良いひと時をすごしたのだった。


7月08日
そよ風
今日は、緩やかな風が吹いている。窓からそよいでくる涼しい風が、夏のまぶしい太陽をうけて元気に育っている草や木々の葉の匂いを運んでくる。お昼ごはんが終わったあとの、つかの間の静かなひととき。タオルケットをおなかの上にかけて、そよ風を感じながら昼寝でもしようか。


7月07日
初夏から盛夏へ
2、3日前までは初夏だと思っていたのに、今朝、急に、もう初夏ではないと感じた。なぜそう思ったのだろうと、ラウンジの掃除機をかけながらぼんやりと考えていた。もちろん気温がぐっと高くなったこともあるだろう。でも、それだけではない「盛夏」を感じさせることが、たくさん思い浮かぶ。 まず、麦の色だ。玄関の向こうの笹本さんの畑や、裏の道沿いのいたるところに植えられた秋まき小麦が、青磁色から濃い緑がかった黄色へと、その色を変えた。うちの菜園のまだまだ小さいと思っていたズッキーニに、今朝、ただひとつかっと大きく開いた花を見つけた。まわりの農家のかたがたから、ナスやトマト、きゅうり、キャベツなど、畑から採れたてをにわかに分けていただけるようになった。うちの畑の野菜たちに急に虫がつきはじめたことや、雑草がどんどん伸びてくることにだって、季節の移り変わりを感じずにはおれない。 そうして私は、短パンになっている。麦茶が飲みたくなる。今朝からもう、真夏になったのだ。掃除機をかけながら、窓の外のまぶしい太陽の照り返しに目を細めて、そんなことを考えたのだった。


7月04日
澄んだ音色
今日は、久しぶりに十勝岳連峰がきれいに見えた。こちらから見ると藍色に見える壮大な山々に、残雪の真っ白い筋がくっきりと、まだ数え切れないほどある。
札幌から来てくださった蛯名さんが、私の小屋のアップライトとラウンジのグランドピアノを、きれいに調律してくださっている。調えられ、澄んでいくピアノの音色が、窓からそよいでくる青い風と一緒に体内に入り込んで、心を浄化してくれるようだ。


7月03日
夏の入り口
久しぶりに日が差してきた。1週間前までは、半そで一枚でも汗をかくような陽気だったのに、7月に差し掛かったあたりから、急に季節が逆戻りして、雨がちの寒い天気が続いていた。あわてて、長袖のシャツやトレーナーを引っ張り出して、夜はついにストーブをつけてしまった。一度夏に向かった体には、こたえる冷え込みだ。
それでも、今日は雲の合間から降り注ぐ太陽が、デッキの前のそろそろつぼみをつけ始めた一面のそば畑を、輝かせてくれている。小鳥のさえずりが、忘れかけていた季節感を思い出させてくれた。


6月29日

寒い雨の日曜日。山々は、すっぽりと雲に覆われて、さまざまな緑を誇っている畑や森の木々も、今日はいつになく静かにたたずんでいる。いつもはそこかしこで楽しげに歌っている小鳥たちのさえずりも、今日は影を潜め、雨音だけが耳にやさしく響いている。
昼寝を終えてラウンジに出てきたら、あっこちゃんが、外からカモミールの花を摘んできて、お茶を入れてくれていた。カモミールは、ずいぶん前に植えたものが、花をつけ種を飛ばして、毎年どこかで花を咲かせている。カモミールの甘い香りと煙った雨の景色が、夏に向かって活動的になっていた心を、ぐっと落ち着かせてくれた。


6月28日
ハーブの季節
夏野菜には、ハーブの香りが似合う。数年前からどんどん増えているチャイブやセージ、タイム、オレガノ、それに毎年いつの間にか大きくなっているイタリアンパセリ、大事に育てているバジルも、パオパオという不織布のトンネルの中で、収穫を待っている。ディルも、なんとかがんばっている。鉢植えのローズマリーだって、早く使ってあげないといけない。恐ろしく強いアップルミントや名前を忘れたミントもある。今年5月のスタッフ妙ちゃんのうちから分けてもらった、新顔カラミントもどうやら根をつけた。
それぞれ、独特の香りと爽やかさが、料理の味を引き立て、夜のお茶としても大活躍している。一つ一つの個性を生かす料理やお茶、それから組み合わせの妙も楽しい。
今日は、干し野菜のマリネを作った。夏野菜と一緒にオレガノもちょっと干して(オレガノは乾燥させて香りが出てくる。)、フレッシュなミントも加えたら、とてもおいしいマリネが出来上がった。雑草に負けずにどんどん伸びるハーブたちに助けられて、薫風舎の夏の食卓が、いっそうにぎやかになる季節だ。


6月26日
「北京ヴァイオリン」
夏前の最後の休みは、映画を観ることに決めていた。美瑛の友人から観たいと思っていたチェン・カイコー監督「北京ヴァイオリン」が、旭川で上映されるという情報を得たからだ。今までこういった作品は、東京か札幌まで出向いていくしか仕方がなかった。最近旭川にシネコンが2件できたことで、流行の映画だけではなく、ミニシアター系のものやリバイバル作品を観ることができるようになって、本当に喜ばしい。
チェン・カイコーの作品は「黄色い大地」をずいぶん前にビデオで借りて観たことがある。そのカメラマンを勤めたチャン・イーモウの作品は大好きで、もう何本も映画を観ている。中国映画は、今まで観たどの映画にも共通して、そのオープニングの空気感に、引き込まれる不思議な感覚をいつも味わう。そうして、ああ、私はアジアの人間なんだなあとつくづく思う。映画の冒頭、そんなことをあらためて思った。
「北京ヴァイオリン」は自分の才能に向かって、まっすぐに伸びようとする主人公の少年チュンと、男手一つでその少年を育て、少年の成功を夢見て働き続ける父親の愛情に満ち溢れた、心優しい物語だ。ベテランカイコー監督のやや大げさすぎる表現や、時々ちりばめられるちょっと説明的なカットが、かえって心地よく感じられ、全編を通して奏でられる美しい音楽とともに、素直に心に響いてくる。ヴァイオリンを愛し、音楽を愛し、父親の期待に素直にこたえようとするチュン、チュンの才能を信じて支え続ける父親と、チアン先生、そしてなぞの美女リリの無償の愛、そして、この映画の登場人物を大きく包み込むカイコー監督の作品に対する豊かな愛情が、私たちをこの上なく幸せな気持ちにさせてくれたのだった。
ここでもまた音楽が、登場人物の心を揺さぶり、私たちの心をも揺さぶる。いまも、チュンの奏でるヴァイオリンの音色が耳に残っている。


6月25日
薄明かりの景色
昨日は、朝早くから美容院に行って、免許の更新もしたので、今日のひところを書けなかった。夕食後ドビュッシーの「月の光」を弾き終わって、みんなが後片付けをしているときに、ムックとティンク、クリ3匹をつれて、散歩に出かけた。月は出ていなかったが、うっすらとかすかな残り火のような夕焼けと一番星が見えた。
裏の3号線に差し掛かると、薄明かりの下、両脇に北村さんと沢尻さんの畑のジャガイモの花が、前の日よりもずっとたくさん咲いているのが見えた。ああ、今日はジャガイモの花のことを書くはずだったのにと悔やんだ。山のほうへ歩いていくと、私の大好きな青磁色になっている麦畑が見えた。もう暗くて、色は昼間のようにはよくわからないのだが、そのところだけ白々とした鮮やかさが広がっていることが、夜明かりでもちゃんとわかる。3匹に引っ張られて、薄暗くなった景色を見ながら、景色がすっかり夏のものになっていることを感じだのだった。


6月23日
誕生会
そういえば、今日は私の誕生日だった。誕生日といっても、毎年シーズンのさなかだから、さして特別なことはできない。だから、今朝おきても何も期待はしていなかった。いつものように掃除を始めた。そうしたら、はたきをかけながら夫が、「そうだ、急いで掃除をしてランチパーティーでもするか!」と言った。「ランチキパーティー?」などと冗談を返しながらすっかりその気になった。
マクロビオティック(玄米菜食)では、乳製品もご法度だから、大好きなチーズは極力がまんしている。今日は誕生日だ。ピザを食べよう!と思いついた。
大急ぎで掃除を済まして、美瑛でお気に入りのピザハウス「遊楽部」に向かった。そこには、もう一つの期待があった。デザートのメニューに揚げカルツォーネというのがある。ピザの生地にフルーツやカスタードクリーム、ナッツなどを包んであげたもので、以前は大好物だった。さすがに、チーズを食べて砂糖菓子もというと、羽目をはずしすぎだし、もう白い砂糖は全然食べたいと思わなくなってしまった。「遊楽部」の奥さんなら、フルーツとナッツだけのカルツォーネという私の我儘も、快く聞いてくれるのではないかと思い、わくわくした。
4人でテーブルを囲み、丁寧に作られたおいしいピザをほおばった。そして、新メニュー豆腐のココットのやさしい味わい。最後に、誕生会を飾るデザート揚げカルツォーネだ。幸せなひと時にすっかり満足して、ニコニコと店を後にしたのだった。
帰りに、木工のギャラリー「貴妃花」に寄ることにしたので、夫だけは車で町に買い物に行き、チャコちゃん、あっこちゃん、私の3人は、真夏のように暑い青空の下、真黄色に咲き誇るキカラシの眩しさに目を細めながら、うきうきと歩いた。上機嫌になると歌いたくなる「この夏のよき日に」という大好きな合唱曲。あっこちゃんとチャコちゃんに、まずソプラノパートを覚えさせて、角を曲がる頃には私はアルトパートに移って、「貴妃花」に着くまでの道のり、何度も何度も繰り返して、ずっと大きな声で歌って行ったのだった。


6月22日
葉っぱの力
昨日、デッキ前のそばの葉のことを書いた。うちの畑に植えた大根菜や、鮮やかな紫のレッドマスタード、ルッコラなども、先日の雨と爽やかな日差しで、ぐんぐん伸びて、薫風舎の食卓を飾っている。5月中頃に、たたみ半分くらいのスペースに一種類ずつ、種をばら撒いておいた。真っ先に大根菜、それからレッドマスタードやルッコラも芽を出した。ほうれん草、ミックスレタスがあとに続いた。みんなびっしりと芽を出すので、間引きをしがてら食べていく。そうすると、またどんどん伸びるのだ。
大根菜は、お客様にはキッシュに入れてお出しするが、私たちは炒めて、煮て、毎日一生懸命食べる。レッドマスタードやルッコラは、サラダに入れるととてもおいしい。口の中に入れると、みんなちょっぴり苦味があって、香りが強くて、たくましい味だ。うちの土で育った元気な葉っぱの力が、体にみなぎってくるようだ。


6月21日
そばの葉
雨が上がって、雲の切れ間から薄水色の青空が広がった。デッキの前の畑の、10センチほどに伸びた一面のそばの葉。雨に洗われた白みがかった緑の本葉が、日の光を浴びてキラキラと光り輝きながら、風にシャラシャラとなびいている。


6月20日
この数日
今週は、15日にレッスンの帰り実家に泊まって16日夕方に帰り、一日あけて、また18日から1泊2日で札幌往復と、慌しい一週間だった。
18日は、夕方用事を終えて、母と街中のタワーレコードに走った。先日レッスンのときに中村先生から伺ったCDや、シューベルトのピアノ曲、声楽曲などを山のように買いあさった。次の日は、2時発の列車に間に合うように、妹にYAMAHA札幌店に送ってもらって、シューベルトのソナタ全集、さすらい人幻想曲の楽譜、シューベルトに関する本を2冊、そしてまた、たくさんのCDを発見して手早く購入した。店の入り口付近にあった木製のメトロノームに目が留まり、心動かされた。中村先生のお宅のピアノの上に置いてあるWittner社の木製メトロノームに密かにあこがれて、数年前に旭川で同社のプラスチック製のものを購入した。昨日見かけたのはYAMAHA製だったので、せっかくなら取り寄せてもらおうかと、とても迷ったのだが、お店の人が音を聞かせてくれて、その柔らかな木の響きに、どうしても欲しくなってしまった。
重たい楽譜やCD、本にメトロノームを両手に抱えて地下鉄に飛び乗り、1時間ほど時間があったので、構内のスターバックスで一休みしながら、今買った本の一冊「シューベルト生涯と作品」(藤田晴子著)のページをめくった。著者のシューベルトに対する愛情あふれる言葉の一つ一つが心に響いて、人々の行き交う雑踏の真っ只中のカフェで、図らずもひとり泣いてしまったのだった。
2時発のスーパーホワイトアローに乗って、本の続きを読んだり、ぼんやりと外を眺めながら、昨日実家で3時間近く聴いてしまったCDのこと、シューベルトの音楽を思い起こしたりした。うちに帰ってから、また音楽を聴き、買ったばかりの楽譜を開いて、わくわくしながら音を出した。この数日間、私はなかば夢遊病者のように、シューベルトの音楽とともに過ごした。今までとても遠い存在に感じていたシューベルトの音楽が、雲の合間からのぞく柔らかな青空のように、やさしく微笑んでくれたように思ったのだった。


6月17日
レッスンへの道
一昨日、雨上がりの青空が爽やかな日曜日、私はひとり、ピアノのレッスンを受けに、小樽の中村先生のお宅に向かった。いつもはみんなよりも遅くまで寝ているのに、その日だけは、一番に起きて、6時から指の練習を始めた。朝食を食べて、出発前にしておかなければならないメールの返事や道案内など、ばたばたと済ませて、着替えをして、ぎりぎりまでピアノにしがみついていた。おかげで、美瑛駅では、改札を出てから高架橋を荷物を抱えて走って、富良野から来る電車に飛び乗ったのだった。
毎年この時期、シーズンに突入して忙しくなる最中、なんとか時間を作って、レッスンを受けに行く。先生のお宅に到着するまでの3時間半あまりの緊張感を伴う独特な時間は、レッスンを受けているときとはまた少し違う、一年のうちでも貴重な数時間だ。
今年は、曲を仕上げるのに一番重要な5月の後半に、色々なことが重なって、ほとんど練習ができなかった。5月の末には、もう半ばレッスンに行くことを諦め、そう思うと、急に気持ちが緩んで、少しの間音楽から気持ちが遠のいた。仕上げられず宙に浮いた曲に、しばらく背を向けようとしたとたん、中村先生からメールをいただいた。5月28日。目の覚める思いだった。台帳を見ながらスケジュールを調整し、15日、先生のご都合もよいとの返事をいただいた。しかし、曲が仕上がるだろうか。予定していた3曲のうち、2曲はこれから暗譜をし、仕上げなければいけない。とにかく、仕事の合間を縫って、全力を尽くしてみようと、気持ちを引き締めなおしたのだった。
札幌から小樽に向かう電車に乗ると、線路脇に、きれいに耕され丁寧に育てられた家庭菜園が続く。やがて、美瑛よりも深い緑に覆われた山、海からの風にそよぐ木々、そして、突然青い海が現れる。その海を見て、私は背筋を正し、深呼吸をして、レッスンに来ることができた喜びをかみしめるのだ。
朝里駅を降りて、潮の匂いをかぎながら長い坂道を上って、先生のお宅の玄関の前に立ったときの幸せな緊張感は、何にも代えがたい瞬間である。帰るときに、練習通りに弾けなかったところへの悔しさ、これまでの練習の甘さやこれからのたくさんの課題を山のように抱えるであろうことがわかっていても。


6月17日
レッスンへの道
一昨日、雨上がりの青空が爽やかな日曜日、私はひとり、ピアノのレッスンを受けに、小樽の中村先生のお宅に向かった。いつもはみんなよりも遅くまで寝ているのに、その日だけは、一番に起きて、6時から指の練習を始めた。朝食を食べて、出発前にしておかなければならないメールの返事や道案内など、ばたばたと済ませて、着替えをして、ぎりぎりまでピアノにしがみついていた。おかげで、美瑛駅では、改札を出てから高架橋を荷物を抱えて走って、富良野から来る電車に飛び乗ったのだった。
毎年この時期、シーズンに突入して忙しくなる最中、なんとか時間を作って、レッスンを受けに行く。先生のお宅に到着するまでの3時間半あまりの緊張感を伴う独特な時間は、レッスンを受けているときとはまた少し違う、一年のうちでも貴重な数時間だ。
今年は、曲を仕上げるのに一番重要な5月の後半に、色々なことが重なって、ほとんど練習ができなかった。5月の末には、もう半ばレッスンに行くことを諦め、そう思うと、急に気持ちが緩んで、少しの間音楽から気持ちが遠のいた。仕上げられず宙に浮いた曲に、しばらく背を向けようとしたとたん、中村先生からメールをいただいた。5月28日。目の覚める思いだった。台帳を見ながらスケジュールを調整し、15日、先生のご都合もよいとの返事をいただいた。しかし、曲が仕上がるだろうか。予定していた3曲のうち、2曲はこれから暗譜をし、仕上げなければいけない。とにかく、仕事の合間を縫って、全力を尽くしてみようと、気持ちを引き締めなおしたのだった。
札幌から小樽に向かう電車に乗ると、線路脇に、きれいに耕され丁寧に育てられた家庭菜園が続く。やがて、美瑛よりも深い緑に覆われた山、海からの風にそよぐ木々、そして、突然青い海が現れる。その海を見て、私は背筋を正し、深呼吸をして、レッスンに来ることができた喜びをかみしめるのだ。
朝里駅を降りて、潮の匂いをかぎながら長い坂道を上って、先生のお宅の玄関の前に立ったときの幸せな緊張感は、何にも代えがたい瞬間である。帰るときに、練習通りに弾けなかったところへの悔しさ、これまでの練習の甘さやこれからのたくさんの課題を山のように抱えるであろうことがわかっていても。


6月14日
濡れた景色
昨日から雨がよく降っている。しっとりと冷たい空気が、干あがっていた畑や木々、私たちにも、心地よく染みこんで、ほっと一息ついている。霧雨に煙って、まわりの緑が色鮮やかに浮き上がって見える。


6月12日
雨が欲しい
真夏の暑さが続いている。晴天というより、もう、日照りといった方がよいくらいだ。三クリ兄弟(薫風舎ファミリー参照)は、デッキに出ると暑さでへばっている。人間の方も、ちょっと干からびそうだ。一番こたえているのは、畑の野菜たちで、雨不足でほこりっぽい、煙った空気に覆われて、悲鳴を上げているように見える。明日は、降ってくれるだろうか。旅行中の皆さんには本当に申し訳ないのだが、今は、みんなが生き生きするくらい、たっぷりと雨が欲しい。


6月11日
チャイブの花
ことしは、うっかりチャイブの花をみんな咲かせてしまった。チャイブはハーブの一種で、西洋のアサツキである。日本のものよりも、細身でしっかりしていて、香りは柔らか。雪どけとともに芽を出してどんどん伸びるので、ソースやスープの薬味として、とても重宝する。オープンしたときに、どこかで株をいただいて植えておいたら、毎年増えて、結構なボリュームのチャイブ畑となった。
すぐトウがたって蕾をつけるので、気がついたら摘んでおかないと、花が咲いて葉のほうが食べられなくなってしまう。花は、薄紫色の小さいぼんぼりのようなかたちをしている。一面に咲くととても綺麗なので、葉を生かすか、花を生かすか、いつもちょっと悩む。ずいぶん増えたので、薬味に使う分なら、株のいくつかを生かしておけば足りるから、最近は気をつけて、一部分は花を咲かせないでいたのだが、今年は気がつくと、一面チャイブの花だらけとなってしまった。せっかく咲いたので、しばらく花を楽しんでから刈り取って、また芽が出てくるのを待つことにしようか。
デッキに出て朝の空気を吸い込みながら、そんな楽しい悩みに、初夏の訪れを感じたのだった。


6月09日
嵐山公園と北邦野草園
昨日は、お休みになったので、午前中大急ぎで仕事を片付け、お昼からみんなで出かけた。青い空に、さわやかな風が心地よい日曜日。なんていい日なんだろう。お目当ては、旭川の向こうっ側の鷹栖町にあるレストランだったのだが、そこは営業が木、金、土曜日のみ。着いたのが2時過ぎで、みんなお腹がペコペコだ。店主の方に、近所でランチができるところを伺ったら、嵐山のカフェを紹介してくださった。嵐山は、実はこの10日間で、もうすでに2度も訪れている、最近お気に入りのエリアだ。山と森に囲まれた静かな住宅街に、陶芸や木工のギャラリー、すばらしく素敵なカフェなどが点在していて、川を渡ると、そこはに、嵐山公園と北邦野草園がある。前回は、2度とも歩きたいと思っていた公園に行けずじまいだったので、また、休日を嵐山で過ごすことにしたのだった。
鷹栖町から車で10分ほど、旭川の鷹栖インターの程近く、嵐山陶芸の里に到着したのは、2時半過ぎだった。橋の前のカフェでトーストセットを食べて、4人で公園へと向かった。公園といっても、作られた公園のイメージとは全然違って、ただ、入り口に古びた散策コースの地図があるだけだ。とりあえず、600m上にある展望台まで、登ってみることにした。
6月にはいってから、急に濃くなってきた緑の、森のトンネルをくぐるように細い道を登っていると、降りそそぐなんともいえない湿った森の匂いが、血液の隅々にまで行き渡るような気がした。シャクの白い花や、小さな草花がそこここに咲き、シダが生い茂り、オサムシやコガネムシなどが、行き交っている山道をずんずんと登って、ほどなく展望台に到着した。旭川の街と、大雪を見渡す小さい展望台で、一呼吸。ちょっと回り道をしながら、また森を下った。
公園の入り口に、北邦野草園のはいり口がある。もうずいぶん運動をしたので、入り口のパンフレットをいただいて、ここはまた今度にしようかと話していると、係の方が飛んできて、時間がないなら、ここだけでも回るとよいと、案内をしてくださった。せっかくなので、少しまわってみようと歩き始めた、桜草の両脇に咲く小道を歩いていくと、まわりには、さまざまな種類の草花が、可憐な姿を見せてくれる。ところどころに、花の名前を書いたプレートがあり、ああ、これはこんな名前だったのかとか、こんな面白い名前の花があるのかとか、いちいち面白い。30分くらいだったろうか、道端の花や草にわくわくしながら、教えていただいたよりずいぶんたくさんまわってしまった。地図を見ると、1時間コース、2時間コースと、色々なまわり方ができる。季節ごとに、次々に色々な野草を楽しめるのだそうだ。帰りにギャラリーやカフェにも立ち寄り、すっかり満足して帰ってきたのだった。


6月07日
大会前日
美瑛の街を車で走ると、あちらこちらに、8日のマラソン大会のためのたて看板が見られるようになった。今日は、真夏のような暑さ。明日は、もう少し曇って涼しくなってくれると、ランナーにとっては走りやすいのではないかと思う。
選手の方たちが、ぼちぼち到着される頃だ。休日明けの薫風舎は、にぎやかな夜を前にまだ静かなひと時が流れている。


6月06日
そばの芽
今日も朝からよいお天気だ。朝7時過ぎ、クリが騒ぐので、一緒にラウンジに出てみたら、夫がデッキや柱のペンキ塗りをしていた。私は部屋に戻って、もうひと眠りしてしまった。みんなで遅めの朝食をとり、あっこちゃん、チャコちゃんと夫の3人は、バジルの苗を植え、畑の草取りをした。私は、またピアノの練習。練習の合間、気になって畑に出てみると、先日まわりの畑に植えた緑肥用のそばが、うっすらと芽を出していた。
種を蒔いたら、毎日たくさんの鳥たちが、ご馳走目当てに畑に集まっていた。種がみんな食べつくされてしまうのではと、少々心配していた。それでも蒔いたあと、ちょうど雨が降ってくれたおかげで、思ったよりもずっと早く芽を出してくれた。デッキの前の土色の畑がこれから毎日少しずつ緑になって、やがて一面に白いそばの花が咲くことを願って、私はまたピアノに向かったのだった。


6月05日
休日の過ごし方
今日と明日は、シーズン前最後の連休だ。気温20度。さわやかな心地よい風に、のんびりとしたひとときを感じる。掃除を終えて、あっこちゃんは用を足しに出かけた。夫とチャコちゃんは、お昼過ぎまでデッキチェアやテーブル、サッシのペンキ塗りをした。私は、今日は午前中はピアノを弾くからねとみんなに宣言して、ようやくまとまった時間を得られた。
遅いお昼ご飯を食べて、ちょっと眠くなってきた。夕方からみんなで出かけることになっているから、それまでちょっと昼寝でもしようか。


6月03日
澄んだ風
雨が上がり、空気中の塵や埃が、すっかり洗い流された。すがすがしい空気に、十勝岳連峰がくっきりとそのシルエットを現わした。久しぶりに見た山は、もう残雪がずいぶん少なくなっている。緑は、澄んだ風になびいて、ひときわ色鮮やかに輝いている。さわやかな季節の到来だ。


6月02日
チャコちゃん登場。
昨日夕方、新スタッフチャコちゃんこと名倉久子がきた。滋賀県からはるばる飛行機と電車、バスを乗り継ぎ到着。話しもままならないまま、仕込みの時間に突入したのだが、まるで、ずっと前からうちにいたかのような自然な存在感で、薫風舎ファミリーとなった。
去年夏、ひとりでフェリーに乗り北海道に来て、自転車で1ヵ月半かけて北海道を回ったという話を聞いて、3人おおーと声をあげ、感心してしまった。頼もしい助っ人を得て、今年の夏をがんばって乗り切ろうと、みんな心を引き締めたのだった。これから秋まで、どうぞよろしくお願いします。


5月31日
雨を待つ
畑の仕事は、きりがない。きりがないと言うほど、長時間外に出ているわけではないのだが、掃除を終わらせて張り切って始めても、作業はちっとも前に進まず、体は疲れて、だんだん虚無感にさいなまれてくる。2週間前にみんなで蒔いた人参は、蒔き方が悪かったのか、ずっと日照りが続いていたせいか、ほとんど芽がでていなかった。もう一度やり直さなければいけない。いつもそんなことの繰り返しだ。
それでも、同じ日に蒔いた大根は、本葉が出てきたし、ためしに植えてみたホウレン草も、どうやら今のところ大丈夫そうだ。アスパラの苗からも、細いアスパラが伸びてきていた。苗から作ったズッキーニも何とか育ちそうだ。昨日買ってきたディルを畑に植えて、蒔きそびれていた黒大豆(これは遅すぎるかもしれない。)、インゲンも蒔いた。あとは、台風崩れの雨が、予定通り降ってくれるのを待つだけだ。


5月30日
ひとりでおつかい
そういえば宿をはじめてから、私は、めったにひとりで出歩くことがくなった。たいてい、みんなで一緒に出かけるか、少なくとも夫とふたりだ。シーズンに入ると、午後はピアノの練習があるので、買いだしは夫の仕事で、私はほとんど家から出ない。なんだか、いつのまにかそれが当たり前になってしまっっていた。
今日は、午前中、色々とやることがたまっていたので、美瑛の山奥の方にある農園に、私がひとりで、ハーブの苗を取りに行くことになった。同じ町内なのだが、車で30分ほどかかる。ハンドルを握ると、なんとなくうきうきしてきた。30度を越す真夏日。窓を閉めてエアコンを効かせても、日差しが眩しく照りこんでくる。美瑛の街から、一山越えて丘を下っていくと、このところの暑さで一気に噴出してきた緑が、風になびいて本当に気持ちがいい。
沢の村の農園で、バジルやディルなどの苗をたくさん分けていただいて、来た道とは違う丘を通って、さらに気分がよくなった。ご無沙汰していた知人のお宅へ、ハーブの苗のおすそ分けに立ち寄った。お茶をご馳走になって、1時間ほど楽しいおしゃべりをしてしまった。夫とあっこちゃんが畑仕事をしているのに、私ひとり楽しんでいいものだろうか。帰り道で我に返り、ちょっぴり後ろめたい気持ちになったのだった。家に着くと、畑にはトマトとナスの苗がちゃんと植えられ、豆の種まきも終わっていた。


5月29日
休日の朝
今朝は、休みなのに朝早く目が覚めた。昨日、とびきりの休日を過ごしたおかげで、体は重いが心がすがすがしい。私は、朝ごはんを食べると、すぐにピアノに向かった。夫とあっこちゃんは、畑仕事だ。練習の手を休めて時々振り向くと、窓の外に、二人のしゃがみこんでいる姿が見える。
そこに、デッキの前の畑の長さんが、トラクターでやってきた。いよいよ前の畑を起こすのだ。今年は秋蒔き小麦になるので夏過ぎまで畑は休耕すると聞いて、お願いして、緑肥用のそばを蒔いてもらうことにした。明日、種まきをしてくれることになった。
夏、デッキの前に、一面の白いそばの花が咲くことを想像するだけで、胸がわくわくする。トラクターの音と、小鳥のさえずり。耕されていく前の畑。気持ちのよい初夏のひとときに、思わずのんびりとした気分に浸ってしまった。いけないいけない。ピアノに集中しなくては。


5月28日
アスパラの苗
昨日は、久しぶりに畑仕事ができた。このところ、埃っぽい変な晴れの日が続いていて、畑も干あがっている。天気予報は曇りだったが、通りかかった小原さんが、蒸すから一雨来るかもしれないと言ったので、大急ぎでアスパラの苗を植えた。アスパラの苗は、まるで頭のないタコのようだ。苗というより、蛸足のように伸びた根っこだ。それを、30センチ以上も深く掘ったところに、根がなるべく広がるように土をかけて、埋めていくのだが、なかなか要領を得ない。ひと畝で3、40株はあっただろうか。それを二畝。夫が掘った穴に、あっこちゃんの二人でしゃがみこんで、最後まで首をかしげながら埋めていった。
アスパラは、植えてから3年は食べられない。今植えたアスパラが、ちゃんと芽を出して、3年後、薫風舎の畑に、アスパラがにょきにょきと生えるだろうか。楽しみと同時にちょっと不安を抱えながら作業を終えると、小原さんの予言通り、畑には恵みの雨が降ってきた。


5月26日
妙ちゃんの送別会
薫風舎が、急にさびしくなった。4月21日からスタッフとしてお手伝いをしてくれていた妙ちゃんが、昨日チバンバンババンバン(「千葉」をそう呼ぶのが、最近の薫風舎の流行なのだ。)に帰ってしまったからだ。慣れない仕事に、最初は戸惑っていた妙ちゃんだったが、すぐに薫風舎の輪に溶け込んで、大雑把な3人が目の届かなかったところにまで気を配ってくれて、本当にありがたかった。
口数は少ないが、とてもやさしくて、いつもにこにこと細やかな心配りをしてくれる妙ちゃんに、お客様ばかりではなく私たち3人も心癒された。
一昨日24日は、妙ちゃんの送別会と称して、となり町東川に出かけた。お気に入りのカフェ「トムテ」でランチを食べて、これまたお気に入りの「北の住まい設計社」まで足を伸ばした。温泉に浸かり、夕ご飯を食べたあとは、今年のスタッフ送別会お決まりのカラオケである。歌うのが大の苦手という妙ちゃんに、歌うことの楽しさを味わってもらいたいという願い(とか何とか言って、他の三人がこの忙しかった一週間のストレスを発散させたいという願い。)から、いやがる妙ちゃんを引っ張って、夜10時を回っているのに、4人で美瑛のカラオケボックスへとなだれ込んだのだった。
最初緊張していた妙ちゃんが最後にうれしそうに歌った、彼女の大好きな森山直太郎の「桜」。残雪から桜が咲き、そして新緑の季節へと移り変わっていったこの一ヶ月が目に浮かんだ。
妙ちゃん、本当にお疲れ様でした。薫風舎で過ごしたこの一ヶ月が、妙ちゃんの人生の小さな一歩になることを心から願っています。そして、また笑顔で4人が顔をそろえることを楽しみに、私たちもがんばるからね。


5月24日
至福の時
5月22日、ヴァイオリニスト川原千真さん、チェリストの田崎瑞博さんが、前夜札幌で行われた「古典四重奏団」の演奏会を終えて、泊まりに来て下さった。薫風舎のコンサートでもお馴染みの「古典四重奏団」が、日本内外できわめて高い評価を得ていることは、既にご存知の方が多いと思う。そのほか、千真さんは、ソリストとして活躍される一方、「音楽三昧」、「BWV2001」のメンバーとして、田崎さんは、「タブラトゥーラ」ではフィーデル、「アンサンブルエクレシア」ではヴィオラ・ダ・ガンバ、「音楽三昧」ではヴィオラと編曲、「BWV2001」の企画・製作、バロック・チェロを担当するなど、多彩かつ多忙な演奏活動を行なわれている。
そんなお二人が、ハードスケジュールの間隙を縫うように、薫風舎へ足を運んでくださった。本当にうれしかった。しかも、夕食後、一曲ずつ弾いてくださるというお話を聞き、胸が高鳴った。いつの日か、薫風舎でお二人のコンサートを開くことが、私の数年来の夢だったのだが、とにかくお忙しいお二人。なかなか実現は難しかった。そんな話しを、昨年暮れ、コダーイ合唱団の「メサイア」公演の打ち上げのときにも、したばかりだった。今回は演奏会の直後、しかもプライベートの旅行である。こんな贅沢が許されていいのだろうかと思った。
泊まっているお客様や近くの友人に声をかけ、大急ぎで夕食の後片付けを終えて、9時からのミニコンサートとなった。曲目は千真さんが、バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番、田崎さんが同じくバッハの無伴奏チェロ組曲第3番。どちらも20分を越える大曲であり、私の最も愛する作曲家の、もっとも好きの曲のひとつだ。
千真さんの伸びやかで力強いヴァイオリンの音色が、薫風舎のラウンジに響きわたったとたん、目から涙が零れ落ちた。どんなときにでも、まっすぐに音楽に向き合うお二人の姿を、10数年来のコダーイの演奏会のステージで、薫風舎のコンサートで、私はいつも目に焼き付けていた。そんな千真さんと田崎さんの音楽が、薫風舎の小さなステージから、頭ではなく心へとダイレクトに飛び込んでくる幸福感は、とても言葉では言い表せない。千真さんが、田崎さんが、私たちのために弾いてくださったバッハ。音楽のもつ「不思議なちから」が、心から体の隅々にまで行き渡って行くのを感じた。そして、お二人に、そこに集まってくださった多くの方々に、この「至福の時」に、私は、感謝の気持ちで一杯になったのだった。


5月21日
月の光
ここに住んでいると、月の光の美しさに、いつも心を奪われる。時に昼のようにあたりを照らし、時に雲の隙間からひそやかに淡い光を放つ。厚い雲に覆われた暗闇。風が雲をなびかせて、縞模様がゆれるように、やさしい光が畑に降りてくる。急に雲が晴れて、煌々と輝く月もある。満月のまわりにできる大きな虹。きりっと引き締まった三日月。月は、太陽とはまったく違う繊細さで、さまざまな光を、私たちに見せてくれる。
昨日、久しぶりにドビュッシーの「月の光」を弾いた。ドビュッシーの描く、多彩な色調の月の光が、ピアノの響きにのって現れる。雲や風によって刻々と変化していく月の光が、まぶたに浮かんでくる。ドビュッシーは、いつ、どこで、どんな気持ちで、月を眺めたのだろうか。この曲の美しさは、月の光の美しさそのものだと、あらためて思ったのだった。


5月20日
夢うつつ
急に、半袖一枚で過ごせるようになった。昨日、寄せ植え用の苗をたくさん買ってきたので、今日はお昼まで大忙しでだった。うす曇でも、日差しは夏のように強い。十勝岳連峰の残雪も、ずいぶん少なくなったように思う。
お昼ご飯を食べて、窓を開けたままベッドにもぐりこみ、1時間ほど昼寝をした。すぐ後ろの雑木林から、小鳥のさえずりが心地よく聞こえてくる。そよそよと緩やかな風が、草のにおいを運んでくる。こんなに気持ちのよい昼寝があるだろうかと、夢うつつに思いながら、はっと時計を見ると、もう起きなければならない時間だった。
ぼんやりしたまま、ラウンジに来て、コーヒーを落とした。さあ、一杯飲んで目を覚まして、ピアノの練習を始めよう。


5月18日
アスパラ天国
昨日、ついに待ちに待った小原さんの路地アスパラが解禁となった。数日前の予告どおりだ。昨日、種まきの作業をしているとき、アスパラの集荷のトラックが通ったので、胸が高鳴った。夕方、アスパラが届いた。
ハウスのアスパラでも、十分おいしく感じているので、今年は、路地アスパラの感激を味わえるかどうか、ちょっと不安だった。我ながらなんとも贅沢な不安である。茹で上げたアスパラを口に運ぶ。口からダイレクトに脳に伝わるアスパラの味と甘み。違う。ハウスのアスパラとはまったく違うものだと、やはりいつものことながら、目が潤んだ。
このアスパラ(だけ)を目当てに、わざわざ遠方から足を運んでくださる、多くのご常連の皆々様。胸を張って言います。これから6月一杯のアスパラ天国を、今年もどうかお楽しみに!


5月17日
種まき日和
今日は、朝からおだやかによく晴れて、外仕事にはもってこいの天気となった。一昨日、土の状態が悪くてできなかった種まきを、ようやくすることができた。大根と人参、それにレタスやホーレンソウ、ルッコラ、大根菜などの葉物を、みんなで植えた。
3日ほどお天気が続いたので、土の温度も上がり、絶好の種まき日和だ。きっとみんな元気に育ってくれると信じながら、できるだけ丁寧に種を蒔いた。そのあと、人参にはパオパオという不織布をかけ、葉物にはビニールのトンネルをかけた。
先日苗床に蒔いたバジルも、今朝見たら小さな芽がでていた。日当たりのよい小さい温室に移した。まだまだ朝晩の冷え込みに、油断はできない。気を抜かないように、注意深く育てていかなければいけない。


5月15日
やり直し
久しぶりに暖かいお天気になった。このスキにと、掃除もそこそこに、みんなで畑に出た。先日ロータリーをかけたところの、まずは石拾いだ。腰をかがめて、土に混ざったたくさんの石を拾う。これだけでも一苦労で、午前中いっぱいかかってしまった。石はいくら拾ってもきりがないので、適当なところで切り上げなければいけない。お昼のサイレンを聞いて、次の作業に移った。酸性化した土を中和するため、冬の間ためておいた薪ストーブの灰を蒔く。そしてまたロータリーだ。
そのあと、今日植える予定の人参と大根の場所に、堆肥をまいて、すじ切りをはじめた。ようやくそこで、種を蒔くことができるのだ。ところが、土を見ると、昨日までの雨で湿り気が多すぎて、だまになっている。これではせっかく蒔いても、おそらく芽がでないだろう。今日は、種まきができないことに気づき、がっくりしてしまった。もう少し土が乾いたら、もう一度ロータリーをかけ、石を拾い、すじ切りからやり直しだ。毎年、こんなことを繰り返しながら、薫風舎の小さな畑は収穫の時を迎えるのだ。


5月14日
久々の「ラ・ペ」
マクロビオティック玄米菜食を始めて、うちの近くのお気に入りのお店「カフェ・ド・ラペ」には、すっかりご無沙汰してしまった。何しろあそこには、いつでも焼きたての数種類のケーキ、おいしいご馳走が用意されているのだ。私にとっては、いけない誘惑の場所だ。
それでも一度、3月に、紅茶を飲もうと、地吹雪の中を2Kmも歩いた。「ラ・ペ」に曲がる直前、夫から携帯に来客との電話があり、とんぼ返りだったことがあった。
今日は、お客さんから結婚お祝いのケーキを頼まれて、それを取りに行くことを口実に、みんなでお昼に出かけた。お肉を抜いてご飯はいためないでと、色々と注文を聞いてもらい、7ヶ月ぶりに「ラ・ペ」のカレーにありついたのだった。新芽のでかかった森の中、リスが行ったり来たりする窓の外を眺めながら、久しぶりにゆっくりしたランチを楽しむことができた。


5月12日
畑仕事始動
今日は、久しぶりに暖かい。花曇の一日だ。ようやく、うちの畑をトラクターで耕した。雑草も、立ち枯れた野菜も、みんなすき込まれて、きれいに整えられた畑を見るのは気持ちがいい。種も買ってあるから、天気と気温を見ながら、仕事の合間を縫って種まきを始める。時期を少しずつずらしながら、6月の中旬くらいまで、種まきと苗作り、苗植えに追われる。


5月11日
ピアノ到着
うちのプライベートルームは、あまりにも狭くて、オープン以来ずっと生活するに苦労していた。寄る年波には勝てず、トップシーズンの3人体制も、ちょっと辛くなってきたので、今年からスタッフをもうひとり増やそうと思った。それで、急遽、裏にスタッフルームとプライベート、物置をかねた小屋を作ることにした。新しいプライベートルームは、私の長年の夢であったピアノ練習室としての役割も果たすべく、薫風舎の設計士アルクム計画工房の染谷さんにお願いして、3月末から1ヶ月間の工事で、かわいいミニチュア薫風舎が完成した。GW直前に、何とか引越しを終え、あとは、ピアノを待つのみとなった。
予想外の出費だから、ピアノにはあまりお金をかけられない。安くていい中古のアップライトはないだろうかと、小林功さんのコンサートでおなじみの札幌の調律師蛯名さんに伺ったところ、中古ピアノの金額は年式によって決まるので、待っていると、古くて手ごろな値段で、状態のよいものが結構あるとのうれしい返事をいただいた。
お願いしてから1ヶ月近く、なかなか連絡が来ないので、少し気長に待たなくてはと思っていた矢先、9日に蛯名さんから電話が入った。とてもよい状態のピアノが出てきたとのこと。いま、一生懸命磨いていますとの蛯名さんの声に、頼もしさと感謝の気持ちで一杯になった。あとは、運搬方法だ。ピアノ運搬は専門的な技術を要するため、業者に頼むと相当の値段が掛かる。トラックさえあれば、蛯名さんが積み込みをやってくださるとのこと。そうだ、妹のところには、画材を運ぶためのトラックがある。しかも、妹は11日に旭川で仕事があるために、10日にうちに来ることになっている。急転直下、昨日我が家にピアノがやってきたのだった。
妹にとっては、寝耳に水の大変な災難だ。朝8時半に、札幌の一番遠い方向にあるえびなさんのお宅まで、たった一人でピアノを取りに行ってもらうことになった。蛯名さんと娘さん、妹で、ピアノをトラックに載せ、高速を使わずに美瑛へと向かった。途中、かぶせてあるブルーシートに風が入って、ばたばたと膨らみ、何度も車から降りて直したそうだ。へろへろになって家に到着したときには、午後3時をおおきくまわっていた。
ところが、そこからがまた大変な作業だ。小屋にピアノを搬入しなければならない。男手は夫一人である。トラックを小屋の入り口にできるだけ近づけて、直接搬入することになった。が、どうにも力が足りない。車から玄関へと渡す途中に、もしピアノが落ちたら大変だ。それより、誰かの腰がどうかなったら一大事である。立ち往生しているうちに、時間だけが過ぎていく。しかし私たちにはちょっとした期待があった。もうそろそろ、ご常連長野さんご一家が到着される頃だ。そう思った矢先、もぬけの殻となった薫風舎のフロントで戸惑っている長野さんを発見。有無を言わさず長野さんを引っ張り込み、どうにかこうにか、ピアノを定位置へと納めることができたのだった。
蛯名さんに磨き上げられた小さなアップライトは、タッチも音も申し分なく、私の大事な宝物となった。


5月09日
景色
おだやかなGWが終わってから、寒い雨が2日間続いた。今日は、久しぶりに青空がのぞいているのに、空気は体が縮み上がるほど冷たい。久しぶりにデッキに出されたムック、ティンク、クリも、体を丸めて寝ている。
私はひとり、午後から美馬牛の「ゴーシュ」にパンを買いに出かけた。行く道々、色々な緑や、木々の間からひそやかに咲き始めた桜、桜よりずっと堂々と存在感を見せるこぶしの花などを楽しむことができた。おいしいコーヒーを飲みながら、ゴーシュのご主人にクリの話しをした。(会う人ごとに同じ話しをしてしまう・・・。)
ひとしきりおしゃべりをして、店を後にした。同じ道を逆方向に走ると、見える景色がまるで違う。さっきは気がつかなかった風景を楽しみながら、うちに帰ってきた。


5月08日
「CHICAGO」
GW明けは、毎年帯広に木を買いに行くことを名目に、小旅行をしていた。今年は、新入りクリの車酔いが治らないのと、天気が悪いこと、そしてみんなくたびれているから、旅行は諦めて、家でのんびりすることにした。のんびりといいながら、朝のうちに出かける算段が始まった。算段といっても、皆の気持ちは一致している。先月公開されてから、ずっと行く機会を狙ってた映画「シカゴ」を観に行こう。
ミュージカル全盛期のアステアやジーンケリーの作品を、ビデオが磨り減るまで繰り返し見ている私たちだ。今の時代にミュージカルとは、いったいどんなことになるのだと、心躍りながらスクリーンの次回予告編が終わるのを待った。
「CHICAGO」という文字が、スクリーンに登場し、次の瞬間、ごくりとつばを飲み込んだ。妖艶で幻想的で怪しげな世界へ、むんずと胸ぐらをつかまれて引きずり込まれてしまった。1920年代、退廃しきったシカゴを舞台に、どこまでもしたたかな3人の主人公と、お人よしの脇役が織りなす物語は、圧倒的なダンスシーンと息もつかせぬテンポで、観客を最後まで魅了した。最後には、からりとした爽快感。やられた。ハリウッドでしかとうてい作ることのできない、極上のエンターテイメントであった。


5月07日
桜前線
桜が、旭川までやってきている。一昨日、用事があったので、みんなに仕事を任せて私ひとり札幌に一泊した。旭川も札幌も、桜が満開で驚いた。桜だけではなく、こぶしをはじめさまざまな花が、家々の庭先に咲き誇っていた。昨日夕方、札幌からスーパーホワイトアローに乗って、花曇の新緑の景色を車窓からぼんやりと眺めた。
薫風舎に帰り着くと、裏の小原さんの桜は、まだきっちりとつぼんだままだった。あともう少し。このあたりにも桜の季節がやってくる。


5月05日
いよいよ
ゴールデンウィークが終わると、いよいよ畑作りと庭造りの季節だ。毎日厨房から、雑草の伸びていく薫風舎の畑を眺めながら、今年は何をどこに植えようかと、ぼんやりと考えていた。もう、ぼんやりではいけない。冬の間除雪車として活躍したトラクターのバケットを、一刻も早くロータリーに換えて、まずは土作りだ。まわりの農家の人たちに、この数週間で大きく水をあけられてしまったので、早々に作業を開始しなければならない。
まずは、人参や大根、ビーツ、ルッコラやエンダイブ、そろそろズッキーニの苗作りも始めなければ。これから1ヵ月半ほど、時期を少しずつずらしながら、野菜の種まきと苗作りがはじまる。


5月04日
こぶし
連休が始まってから、夕方ピアノの練習をするときの楽しみがあった。指慣らしをしながら窓の外を眺めると、畑の向こうの川辺、まだ緑の生えていない枝の先に、白いものが少しずつ増えていく。こぶしの花だ。曇りの日も晴れの日も、そこだけ、鮮やかな白がぱっと目に入る。一昨日からの暑さで、ぐっとその数が増え、今日見るとすっかり咲きそろっていた。まわりの木々は、大きく深呼吸するように淡い緑を少しずつ増し、春の空気を、いっそう気持ちのよいものにしてくれる。楽しい季節がやってきた。


5月03日
クリは車酔い
今日は、昨日にもまして暖かい、いや、暑い日だった。掃除を始めたらすぐに汗だくになったので、慌てて半袖に着替えた。よいお天気だと、仕事もはな唄まじりだ。そして、色々なアイディアが頭に浮かぶ。そうだ、おにぎりでも作って外でお昼を食べようと、思いついてしまった。
今、一番の悩みの種は、新入りクリのウルトラ車酔いだ。もう4回も車に乗せているのだが、症状は激しくなるばかり。これでは、GWが明けてもどこにもいけない。何とか、一刻も早く慣れさせなければいけない。そのためには、車に乗ると、楽しいことが待っているということを覚えさせるのが一番だと、母に聞いたので、みんなで、白金温泉の手前のインフォメーションセンターまで行って、お昼ごはんを食べることにしたのだった。
大急ぎで掃除を終えて、クリと、ムック、ティンク、あっこちゃんと5月のスタッフ妙ちゃん、それに私たち夫婦、総勢4人と3匹で車に乗り込んだ。クリ対策も、今回は万全だ。ダンボールの箱に新聞紙とおしっこシートを敷き詰め、座席に乗せて出発した。
クリは、いつものように車に乗ったとたんに目はうつろ、よだれだらだら状態となった。が、ムック、ティンクが一緒なのと、景色を見られるので、症状は心なしか軽いように思われた。走ること5分。新緑まばゆい道路っぷちのベンチに腰掛け、残雪の十勝岳を眺めながら、みんなでお昼を食べた。クリは、へろへろしながらも、ムック、ティンクと遊ぶのを楽しんだ。作戦成功だ。と、みんなで言い合いながら、またすし詰め状態の車でうちに帰ってきたのだった。


5月02日
半袖
一昨日雪がちらついたかと思ったら、今日は半袖だ。今朝天気予報で、札幌の予想最高気温が24℃というのを見て、きっとこのあたりも暑くなるだろうと、朝から半袖で仕事をしている。風が強いので、あまり暑さは感じないが、まわりのカラマツ林がぐっと緑を増したから、やはり気温が高いのだと思う。


5月01日

このところ、寒い雨が続いていた。昨日は、夜、10時半くらいだろうか、ムックとティンク、クリを外に出すとき、ちらちらと桜の花びらが舞い散るように、雪が降っていた。
今日は、久しぶりに日が射しているが、寒さは相変わらずだ。お昼過ぎから姿を現わした、十勝岳連峰の白さから、山の方はずいぶんと雪が降ったことがわかった。


4月29日
マクロビ的焼き餃子
日曜日、札幌の妹が来た。その夜は、お客様がご常連の石井さんおひとりだけだったので、薫風舎特製マクロビ的餃子を作って、みんなでいただいた。おそらく、11月まで、もう餃子を作ることはなかろうと、気合いを入れて作った。もちろん皮も手作りだ。マクロビ的すなわち、玄米菜食的餃子には、肉は入らない。餡は、キャベツと白菜、セロリ、長ネギ、生しいたけと干ししいたけ、それに、もち粟とキビを入れてみた。肉汁の代わりに、干ししいたけの戻し汁を使った。
本当は、出汁用に豚肉をほんの少し入れようかとも思ったのだが、ここは、マクロビオティックに徹底的にこだわろうと、あえて野菜と雑穀だけで作った。
夫が自慢の腕で、すばらしい焼き色をつけてくれた。熱々の焼き餃子を、みなでいただいた。野菜のおいしさと粟とキビの食感。自然の甘みが溶け合って、なんともおいしい餃子であった。肉が入らないと出汁が出なくて物足りないなんて、とんでもない思い違いだ。野菜の力はすごい。みんなで感心しながら、お皿一杯の餃子を平らげたのだった。石井さんが「普通の餃子は、冷めると肉の脂が固まっておいしくなくなるけど、この餃子は冷めても味が変わらない。」と感激してくださった。作っていても食べてみても、また色々とイメージが膨らんでくる。新たなアイディアが浮かんでくるのだが、忙しいシーズンはとても餃子を作る元気はない。ちゃんと覚えておいて、来冬の楽しみにとっておこう。


4月28日
食べていただきます。
土曜日、薫風舎の食卓に「初アスパラ」がのぼった。お馴染み小原さんの路地アスパラまでには、あと2週間ほど待たなくてはいけないが、ハウスのアスパラの収穫は、もうとうに始まっている。夕方収穫したばかりのピカピカのアスパラを届けていただいた。親指を優に越える太さだ。早速ゆでて、夕食にお出しした。
甘さは路地のアスパラにはかなわないが、約一年ぶりのあの歯ごたえ、ジューシーさはたまらない。お客様だけではなく、わたしたちもうっとりと味わわせていただいたのだった。これから約2ヶ月間、採れたてのあすぱらを、たっぷりと食べていただきます!


4月26日

今日は、お昼過ぎまで冷たい雨が降っていた。蒔きストーブに火を入れようかどうしようかと迷いつつ、いつもより一枚多く着込んでいる。山がねずみ色の雲に厚く覆われて、あたり一面どんよりとしている。手前の秋蒔き小麦と、日を追うごとに生き生きとしてくる庭のコニファーだけが、鮮やかな緑を楽しませてくれる。


4月25日
新しいスタート
今日から、新シーズンが始まった。暖かなよいお天気。一週間ほど前から帰ってきている今年4シーズン目のスタッフあっこちゃん、GWのお手伝いに来てくれているたえちゃん、みんなで気持ちを新たに、清々しく楽しく、仕事をしている。
みんな元気で新しいシーズンを迎えることができて、とてもうれしい。今年は、いつにもまして、そう思う。そして、どうか無事に、シーズンを終えることができますように。薫風舎に足を運んでくださるお客様の笑顔を心の支えに、今シーズンもがんばりますので、どうか皆様よろしくお願いいたします。


4月24日
林の中
裏の雑木林の中に、雪が一塊、硬く山になって残っている。その周りには、福寿草がたくさん。枯れ色の林に、くっきりと山吹色の花がうれしい。近づいてみると、草の新芽や、もう、エゾエンゴサクの青い花も出ていた。このところの寒さで、春が足踏みをしているように見えても、ちゃんと季節は少しずつ動いているのだと思った。


4月22日
散歩の後
今日は久しぶりに朝から青空が広がった。片付けはさっぱり進まないのだが、あまりにもよい天気だったので、夫とムック、ティンク、新入りクリ(えーっ?!と思われた方多いでしょう!聞くも涙のこの話は長くなるのでまた今度。)と5人で、夕方散歩に出かけた。真っ白い十勝岳と耕された畑の土、秋蒔き小麦の緑。気温が低い分、空気が澄んで、くっきりとした景色が気持ちよかった。裏からうちに戻ると、家の中に入るのがもったいなくて、あっこちゃんにコーヒーを入れてもらって、みんなでお風呂の前のデッキに腰掛けて飲んだ。ああ、気持ちがいい、と気分を良くして中に入ると、散歩に行く前と同じ家の中の惨状に、ため息が出てしまった。あと二日だ。がんばろう。


4月21日
雪・新緑
今年の4月は暖かくて、雪解けもずんずん進んだ。裏の小原さんの雑木林には、福寿草がたくさん咲いた。・・・と思っていたら、一昨日、朝起きると真っ白で、一日中寒かった。それでも、昨日はようやく雪も溶け、また日中暖かくなった。薫風舎のまわりの木々も、うっすらと緑色がかってきた。今日は、またもや雪の予報。朝方みぞれ混じりの冷たい雪が降って、寒い一日だ。
しかし、自分たちは、季節の移ろいに目をやるゆとりもなく、朝から晩まで、新しいシーズンへの準備に追われている。ああ、いそがしい。いそがしい。


4月15日
洗濯・掃除日和
日差しが暑いくらいだ。今日は、久しぶりに晴れわたった。休業中の薫風舎では、きっとのんびりと日向ぼっこでもしているに違いないと、きっとHPご常連の皆さんは、思っておられるに違いないが、とんでもない。この時期の休業は、いわば学校の春休み(教職員の!!)や各家庭の年の瀬同様、一年間の残務整理や新シーズンに向けての準備で、毎日おおわらわなのだ。GWのカウントダウンが始まり、山積みになった「やらなければならないこと」で、頭を抱えている。今日はさしずめ洗濯日和、掃除日和といったところだ。


4月13日
春の雨
昨日、今日と、雨が続いている。先ほど、沢尻農園の奥さんがみえた。コーヒーを飲みながら、一時間ほどおしゃべりをした。窓の外を眺めながら、いまどき雨が降ると畑が早く乾くからよいと言った。意味がわからず聞き返した。すると、今時期、畑の雪はほとんど融けているが、土の下はまだ凍っているところが結構あるのだそうだ。暖かい雨が降ると、それが早く溶けて、水がはけるので、畑の状態がよくなるのだそうだ。なるほどと思った。
この雨で、デッキの前の畑にひとすじ残った白いところも、きっと明日の朝にはなくなっているに違いない。


4月12日
おからで2品
昨日おいしいおからを買ってきたので、お昼ご飯を食べたあと、おからのサラダとおからサブレを作った。おからは大好きなのだが、煮物ばかりでは飽きる。しかも、一袋のおからから山のようにできてしまう。だから、私はよくサラダにするのだ。おからのサラダは、冷蔵庫で3、4日はもつし、サンドウィッチにしたり、色々な野菜と組み合わせて応用が利くので、たくさんできても、全部おいしく食べられてしまう。 おからをフライパンで乾煎りして、ワインビネガー、ちょっと甘みが欲しいのでりんごジュース、それだけでは水分が足りないので、野菜のスープストックがあればそれを使うが、なくても、水で十分においしくできる。(かえってあっさりしていてよいかもしれない。)それに塩、黒胡椒。それに粒マスタード。火を止めてから、みじん切りにしたたまねぎ、あればセロリを入れてもおいしい。それから、EXヴァージンオリーブオイル。これは、ひとまわしくらいでいい。最後に、パセリのみじん切りを、結構たくさん入れる。これだけなのだが、味のバランスが難しくて、レシピが定まるのに結構苦心した。甘みと塩、酸味、それに香辛料の加減がちょっとでも崩れると、おから臭くておいしくない。それから、しっとり感の具合も、手元の勘しだいだ。前は、ヨーグルトやマヨネーズに頼っていたが、マクロビオティック(玄米菜食)にしてから、それに代わるコクをだすのに、工夫を要した。決め手は、りんごジュースと粒マスタード。前よりもさっぱりして、おいしくなったように思う。これがあると、しばらくご飯が楽しみで、しかも一品楽をできるのでなおうれしい。
おやつ担当大臣あっこちゃんが帰省中なので、今日はついでに、おからサブレーも作ってみた。まだ記事をねかせている最中なので味はわからないが、これが超簡単。菜種油(今日はグレープシードオイルで代用)、豆乳、メープルシロップ、レモン汁、ショウガのすりおろし、これを乾煎りしたおからと小麦粉にあわせるだけだ。そんなことを書いていたら、ねかせ時間が終了のタイマーが鳴った。さて、成型して焼いてみよう。コーヒーでも落として・・・。おやつの時間が楽しみだ。


4月10日
またもや夕日
今朝は、−10℃近くまで下がったらしい。沢尻さんから分けていただいた春掘りのジャガイモを、昨日、納屋の業務用と家庭用の冷蔵庫に何十キロも収めたのだが、心配になって、家庭用の冷蔵庫の分を、夜中に夫が取りに行った。40キロ分のジャガイモが凍ってしまうところだった。
日が昇ると、気温がどんどん上がり、昨日降った雪とともに、残っていた雪のかたまりもずいぶん融けた。夕暮れ時、夫とティンク、ムックと散歩に出かけたら、かすんだ空に、夕日がまたもやくっきりとまるく、沈みかけていた。
うちに帰って、コーヒーを落とし、青山のア・コルトで買ってきたマクロビオティック用お菓子を薪ストーブの前で二人でかじった。かじりながら、窓の外を見ると、さっきはクリーム色だった太陽が、これ以上ないほど赤く、林の向こうに沈んでいくのが見えた。


4月09日
気温差
5日から三晩東京で過ごして、昨日昼過ぎ、旭川空港に着いた。満開の桜から残雪の美瑛へ。うちに帰ってみると、何事もなかったように、4日間だけ春に向かった景色が静けさとともに迎えてくれた。
5日の東京は土砂降りで、出発前の旭川よりずっと寒かった。いつも東京に降り立ったときに感じる、もわっと暖かい空気を感じないどころか、念のために持っていったセーターや合羽を荷物から出して、有楽町の駅前で慌てて着込んだ。次の日から、その寒さがうそのように快晴が続いた。昨日も雨が降りそうな天気だったが、わりと暖かだった。
旭川に帰ってくると、5日の寒さとあまり変わらない気温だった。なんだ、東京と同じくらいかと思っていたら、夕方から、気温は床下を突き抜けるようにさらに下がっていった。夜には雪になり、朝起きると、ようやく融けた畑の上に、一面雪が降り積もっていた。今日の旭川の予想最高気温は、−1℃。日中も、凍てついた景色が続いている。ラウンジには、赤々と薪ストーブの火が燃えている。


4月05日
縞模様
柔らかなよいお天気が続いている。もう何日連続だろう。赤く大きな夕日を、眺めることができた。あの赤は、この季節にしか見ることができない。靄のかかった空に、くっきりと存在感を示している。
今朝、二階の窓から見ると、黒い土の上に、雪が真っ白な縞模様を描いていた。うちのデッキの前の畑だけは、融雪剤をまいていないので、まだ雪原のままだ。今日の予想最高気温はプラス10℃。東京と1℃しか変わらない。あと4、5日もすると、うちの前の雪原に、黒い水玉模様が現れるのではないかと思う。


4月03日
二つの映画ーその2「小さな中国のお針子」
この映画がフランス映画だ、と気づいたのは、観終わったあとだった。監督も、出演者も、舞台も中国なのに、この映画には、どこか違う空気感が終始漂っていた。エンドロールを見ながら、夫が、これはフランス映画なのかとつぶやいたとき、ああそうかと、納得した。今まで観た中国映画とは、あまりにムードが違っていたからだ。
文化大革命の時代の中国、二人の知識階級の若者が、再教育のため山奥の村に送られる。そこで出会ったお針子と、禁止されている西欧の翻訳小説を読みふけるうちに、切ない三角関係が始まる。文革時代の国家への批判をふんわりとやさしいヴェールに包んだ、美しく静かな青春映画だった。
主人公の一人青年マーが奏でるモーツァルトが、山村の幻想的な風景の中に響きわたる。バルザックやフロベールが、若者たちの心を少しずつ変えていく。フランス在住の中国人監督ダイ・シージエは、本人も体験した、この暗く辛い時代の中国を、美しい抒情詩として描き上げた。ダムによって、村とともに3人の青春時代が水の中へと沈んでいく映画のラストシーンが、心に残った。


4月02日
二つの映画ーその1「ピノッキオ」
札幌で、二本の映画を観てきた。「ピノッキオ」と、「中国の小さなお針子」。非常に対照的な作品だった。
「ピノッキオ」は、「ライフ・イズ・ビューティフル」のロベルト・ベニーニが、監督、主演したイタリア映画だ。50歳のベニーニがピノッキオを演じ、世界で初めて原作に忠実なストーリーを描いた。十数年前、巨匠フェリーニがベニーニを主演とし構想し、実現できなかったものを、10年を経て、ベニーニ自らがその遺志をくみ、完成させた作品だそうだ。観に行く直前、この映画がアメリカでは酷評を得たことを知った。ますます観たくなった。
ベニーニの「ピノッキオ」は、彼でなければ演じることのできない、心ときめくものだった。生身の人間、しかもすべて大人が演じるおとぎ話の世界。CGを駆使するのではなく、言葉の面白さや人間の動き、ヨーロッパ独特の美しい美術感覚が、作品をこの上なく魅力的なものにしているように感じた。トスカーナの田園風景が、時々美瑛の丘の景色と重なりあう。イタリア語の、時にたたみ掛けるようにコミカルな、時に音楽のように美しい響きが、耳に心地よく流れ込んで、まるで、上質のイタリアオペラを観ているような気分だった。
これは、SFXで塗りつぶされリアルに創り上げられた世界や、物語の本質をすり替えても造り出される美談とハッピーエンドに慣れ親しんだハリウッド映画の国には、あまり馴染まないのかもしれないと、帰る道々思った。
この作品は、イタリア語の響きが、とにかく美しく楽しい。それなのに、旭川では吹替え版しかやっていない。札幌でも、字幕は、夜遅くの2本だけだった。選ぶ側、配給する側の、作品に対する考え方に、もどかしさと腹立たしさを感じた。
ハリウッド映画だけが「映画」。と思っていない、少しでも多くの人々に、この舞台芸術のようなファンタジーを、ぜひ原語で味わってもらいたいと思った。つづく


3月28日
春の雪
今朝起きると、夜中から降り出した雪で、雪どけの景色がうっすらと覆い隠されていた。この季節の雪は、牡丹雪。暖かく湿った雪だ。一日降ったりやんだりを繰り返していたが、季節にはとうていかなわず、みな溶けてしまった。
それでも、ピアノの練習をしながら、目に入る窓の外の景色を見ていると、ときおり降りしきる雪に、ショパンの物悲しい旋律が重なって、見たことのない、遠いポーランドの荒涼とした冬景色が、思い描かれる。季節の変わり目のはっきりとしない風景は、ときどき不思議な幻想を抱かせる。


3月27日
消えゆく雪
このところの暖かさで、うちの周りの白いところが、どんどん小さくなっている。一昨日は、半分くらいしか出ていなかった芝生が、昨日はもうすっかり姿を現した。玄関の向こうの笹本さんの畑も、どんどん雪の部分が減って、土の色に混じって秋に蒔いた小麦のかすかな緑色も、感じられるようになってきた。
今日は、どんよりとした一日だった。夕方、久しぶりに雪がちらついたが、地面に届く前に消えてしまうような、よわよわしいものだった。その雪も、気がついたらやんで、どんよりとした空気だけが残っている。


3月26日
活動開始
昨日は、夕方まで来客があった。大テーブルで話をしていたら、窓の外、裏のアカエゾ松の林の向こうに、大きな濃い朱色の夕日が沈んでいくのが見えた。この色は、決して夏や秋、冬には見えない色だ。急に気温が上がってくるこの季節、靄のかかった空気が、こんな鮮やかな色の夕日を見せてくれるのかもしれない。
お客さんが帰ったら、もうすっかりあたりは暗くなっていた。晩ご飯を作るのが面倒になって、二人で旭川まで夕食を食べに出かけることにした。
国道を走っていると、ぴょこぴょこと飛び跳ねるものが見えた。野うさぎだ。道の左側に広がる畑を横切って、向こうのほうに姿をくらました。ご飯を食べて、同じ道を帰ると、今度は、キタキツネが道を横切った。そう慌てるそぶりもなく、やはり畑のほうに消えていった。美瑛の、のんびりとした春の「活動開始」の光景に自分たちも重なって、二人で笑ってしまった。


3月24日
玄米のお好み焼き
昨日は、黒豆と炊いた玄米にワカメとしらすを加えた混ぜご飯にした。それがお茶碗に一杯くらい残っていたので、それを使ってお好み焼きを作った。ネギとキャベツを刻んで、桜海老も加え、それに地粉と水を入れて、そうそう、紅ショウガ(無添加だからあまり赤くないが)も忘れずに。それをフライパンでこんがり焼いて、ソースととうにゅうず(卵を使わず豆腐で作ったマヨネーズ風のもの)で食べた。見た目は地味なのだが、いろんなものが入っているので、リッチな味わいで、なんともおいしかった。
玄米がしっかりしていて香ばしいので、あとはありあわせの材料で、とてもおいしいお好み焼きができる。リゾットやチャーハンもいい。うどんやそばのとき、残っていたご飯で小さいおにぎりを作って、フライパンを使ってごま油で焼く焼きおにぎりも、楽しみのひとつ。玄米や雑穀米が少し残ると、お昼の楽しみがいろいろあって、うれしい。


3月23日
春の風物詩
このところ、ぐんぐん気温が上がっている。優しい空の色や山の少し煙った景色が、季節を感じさせる。しばらく札幌の実家にいて帰ってきてみたら、なんだか美瑛のほうが春らしかった。札幌は、国道や幹線道路は雪もほとんどないのだが、ひとたび裏道や住宅街の中に入ると、道の両脇にうずたかく積まれた雪の山と、冬の間ろくに除雪もされていないぐずぐずになった道路で、とんでもないことになっている。
毎年、この季節になると、そこらじゅうで車が埋まってしまう。外で、タイヤのからまわる音などが聞こえると、近所の人たちが飛び出してきて、スコップで埋まったところを掘っては、みんなで押して、何とか救助する。そんな光景を想像できる人は、きっと少ないだろうと思う。
お互い様なので、そんなときはみんなで助け合うのだが、助け合いながら、このあまりの除雪の悪さに、みな、腹立たしさを覚える。札幌の春のきわめてありがたくない風物詩である。
今度来るときまでには、もう少し道がよくなっていることを願いながら、道にほとんど雪のなくなった美瑛に帰ってきたのだった。


3月18日
雲の陰
今日は、朝からよいお天気で、山が、輝かしくそびえ立っている。きれいな青空にふんわりと浮かんだ雲の陰が、山にくっきりと映っている。見るたびに、その形と場所を変えながら、影は、日の当たった雪山の白さをよりいっそう際立たせる。
午前中来客があったので、お昼ごはんをたべてからピアノの練習を始めた。なかなか暗譜できないシューベルトに頭を悩ませているうちに、日が暮れてしまうのではと途中で心配になって、練習を中断して、夫とムックとティンク、みんなで散歩に出かけることにした。ざくざくと融け始めた雪を踏みしめて道に出ると、もう道路の真ん中はすっかり黒くなっている。いよいよ、ムックとティンクの、泥跳ねの心配をしなければならない季節になってしまった。なるべく、雪の残っているところ、アスファルトの上を選んで歩かせるのに苦労した。傾いた太陽が、ぽかぽかと暖かく、融雪剤をまいた畑の雪を解かしている。裏の三号線を、まっすぐ1キロ歩いて引き返した。三号線からうちまでは、舗装されていないので、途中、どろどろになっているところは、抱っこしてしのいだ。夫はムック、私はティンクを抱きかかえたのだが、私はティンクのあまりの重さにとうとうこらえきれず、途中でティンクがずり落ちてしまった。考えてみると、ムックよりティンクのほうが1キロ以上重いのだった。
うちに帰って、お茶を飲みながら、山を眺めると、今度は雲の陰ではなく、山肌の畝の影が、刻々とはっきりしてきた。夫は、カメラを持って出かける準備を始めた。私は、また、シューベルトの暗譜を始めることにした。


3月16日
気まぐれな天気
せっかく昨日は、小原さんや笹本さんが畑に融雪剤をまいたのに、今日はお昼前から、猛吹雪になってしまった。暖かい大粒の雪が、風にあおられてせせこましく舞い上がったと思ったら、しばらくすると、窓の外はもう何も見えないほどひどい天気となった。
今日は午後から久しぶりに「カフェ・ド・ラ・ペ」に、散歩がてら歩いて行ってみようかなどと、夫と話していたのに、とても外に出る気持ちにはならない。そう思ったら、暖炉の前で、一昨日買ったシューベルトのCDを聞きながら、ぐうぐう寝てしまった。
夕方、ようやく目が覚めてあたりを見ると、雲の合間から薄水色の青空がのぞいていた。風もすっかりやんで、夕日が差し込んできた。春の気まぐれな天気に誘われて、すっかり昼寝デーとなってしまったのだった。


3月15日
本物の春
一昨日、あっこちゃんを旭川空港に送ったその足で、札幌に向かった。妹の個展を観て、実家に一泊して、夕べ遅く美瑛に帰ってきた。今年は、私が怠けてしまって、薫風舎のホームページに、妹の個展の案内を出しそびれてしまった。それでも、薫風舎のお客様が、ずいぶん足を運んでくださったようで、うれしかった。ありがとうございました。
もう10年来、妹が毎年個展をやらせていただいている宮下ギャラリーは、札幌の住宅街の中にひっそりとたたずむ、古い民家を改造した、とても素敵なギャラリーだ。ギャラリーを営む宮下さんが、また、とびきり素敵な女性で、いつも、ギャラリーを訪れるとき、作品を観るのが半分、宮下さんとおしゃべりをするのが半分の目的になっている。そう広くはないがなんだか妙に居心地のよい事務所で、とりとめもなくいろいろな話をしていると、それだけで体の底から静かに元気がみなぎって、いつも、すがすがしい気持ちでギャラリーをあとにする。ここ数年たいていこの時季なので、柔らかな日差しにびしょびしょと、札幌の雪解けの匂いも一緒に感じて、季節の変わり目に気持ちを新たにする。
昨日は、母と夫と3人で、まあまあ何年ぶりだろう、大して目的もなく札幌の街を歩いた。おいしいランチ(久しぶりにベトナム料理を食べた!)を食べて、お気に入りの珈琲店で珈琲をすすり、タワーレコードでCDを買い込み(シューベルトのピアノ曲や室内楽、新しい波多野睦美とつのだたかしのアルバム、3枚1300円の超掘り出し物のジャズのCDなど多数)、ぶらぶらとウィンドーショッピングをして、ついでに、やじ馬根性を出して、JRタワーまでも足を伸ばしてしまった。夜8時頃、実家に帰り着き、大急ぎで美瑛に帰ってきたのだった。
朝起きると、周りの農家の人たちが、いっせいに融雪剤をまき始めていた。グレイになった雪原と、春霞の十勝岳。本物の春がやってきた。


3月13日
ふたたび送別会
今日から一ヶ月、あっこちゃんは愛知の実家に帰る。昨日は、夕方から3人で、何度かこのひとことにも書いたことのある、中富良野のお気に入りのカフェ「SINBA Cafe」に行った。もうすっかり人気が出てしまって、隠れ家というのははばかられるが、雰囲気はやはり隠れ家的で、いつでも居心地がよい。
店に入ると、カレーが食べたくなった。ちょっと早い晩ご飯を決めて、カレーができるまで、ゆっくりと本を読んだ。そういえば、2ヶ月ほど前、あっこちゃんが10日ほど里帰りをしたときも、前の日にここでカレーを食べた。そして、そのあと送別会だといいながら、何年ぶりにカラオケに行ったっけ。そんなことを思い出したら、このあとはカラオケに行かなければいけない気持ちになってしまった。なにせ、あっこちゃんの送別会だ。なんだかよくわからない理由だが、なにはともあれ、またまた久しぶりにマイクを握って、上機嫌で帰ってきたのであった。


3月11日
「戦場のピアニスト」
夕べ、「戦場のピアニスト」を観た。夜9時40分からの上映。2時間半、凍りついたようにスクリーンの前に座っていた。夜中、うちに帰り着いてからも、朝起きてからも、映画のことが頭から離れない。
映画は、ポーランドの国民的ピアニストシュピルマンの実話をもとに描かれている。ユダヤ人である彼が、家族からたった一人離れて、ナチスによるユダヤ人絶滅収容所への移送をかろうじて逃れ、隠れ家に潜み、戦火の中をさまよいながら、奇跡的に生還する物語である。それは、運命というような、ドラマティックなものではなくて、ただの偶然の積み重ねであったようにも思える。それほど、一人の人間が生き延びるには、残酷で困難な時代にあったのだと思う。
点々とする隠れ家の一室に、アップライトのピアノがあった。物音ひとつ立てられない状況で、彼は、ピアノのふたを開け、鍵盤に触らずに演奏をする。悲しい場面だった。彼の唯一の支えは、音楽であった。髪の毛一本にも満たないほどの細い偶然を、かろうじてつなぎとめていたものが、音楽だったのではないかと思った。
この映画は、ひとりの人間の奇跡的な生還を描きながら、そのひとりの目を通して、目の前で起こったあまりにも悲しい史実を、淡々と私たちに伝えている。


3月09日
午後の予定
日曜の昼下がり。ちょっとベッドでうとうとして、ラウンジに戻ってきたら、あっこちゃんが暖炉の前で昼寝をしている。夫は、たまった仕事を片付けていた。薄水色の空と柔らかな日差し。うっすらと雲のかかった十勝岳。夕べからの強い風で、デッキの前の雪原に、一面、不思議な文様ができている。
さて、私は何をしようかと考えていたら、サラ・ヴォーンの歌う気だるいスタンダードが、あまりに心地よい。おいしいコーヒーが飲みたくなった。落としたてのコーヒーを飲みおわったら、ちょっと寒いけど、散歩にでも行ってこようか。


3月08日
静かで楽しい夜
合唱団仲間で薫風舎オープン以来の超常連菅さんご夫妻が、まだ買ってから封を開けていないCDをたくさん持って、やってきてくれた。どれも、早く聴きたくてうずうずするようなCDだ。菅さんのCD解説を聞きながら紅茶を飲んでいたら、今度は、こちらも超ご常連加藤さんが、いつものようにおいしいお土産をもって、到着。
ひとしきり、にぎやかなおしゃべりを楽しんだあと、良い音楽を聴きながら、みんな思い思いに、暖炉の前でのんびりと過ごしていたら、あたりはだんだんと蒼く暮れてきた。これから、静かで楽しい夜がはじまる。ちょうど、夕ごはんのいい匂いが、ラウンジに漂ってきた。


3月06日
帰ってみれば
今日は、用があって久しぶりに旭川に出かけた。街はすっかり春で、雪解けの水が、暖かい日差しを浴びて、びしょびしょと道にあふれ、そこここに水溜りができていた。駅前の買い物公園を歩いて、ずいぶんご無沙汰していたモンラッシュカフェで、ランチセットのパスタとリゾットを注文し、夫と二人で取り分けて食べた。昔ならこれに、マルゲリータでも注文したのにと笑った。玄米菜食に切り替えて4ヶ月あまり、胃袋もだいぶ健康的な大きさになったものだ。
もちろん、デザートなどには目もくれない。昔の私たちを知る人たちは、驚き、さぞ苦しい思いをと可哀想に思うに違いないが、不思議なことに、砂糖の甘さはすっかり苦手になってしまって、ケーキを見ても、ほとんど心動かされることがなくなってしまった。あっこちゃんの作ってくれる、砂糖や卵、クリームを使わないお菓子や、マクロビオティックレストランクシガーデンのデザートなどの、自然な甘さを知ってしまうと、そちらのほうがよほどおいしく感じてしまうのだ。今では、外で食べるそばつゆの甘ささえ、気になってしまう。
久しぶりにイタリアンレストランのランチを食べて、また買い物公園を駅のほうへ向かって歩いた。途中ドトールに寄って、ソイロイヤルティーを飲んだ。美瑛の宿仲間のご夫婦にばったり会って、お互いに照れ笑いをしながら、近況を報告した。
それから、無印良品でちょっと買い物をして、夕方近くに美瑛へと帰ってきた。国道を走っていると、真っ青な青空の下、左手には旭岳、右手には十勝岳連峰が、悠々とそびえ立っていた。ちょうど真正面がトムラウシ岳だ。なんだか、不思議な方向感覚にとらわれながら、車窓からの春の山の景色を眺めた。もう、冬物は整理しなければなどと考えながら、うちに戻ると、そこは、まだ冬の景色だった。薫風舎の周りが、本当の春を迎えるのは、まだもう少し先のようだ。


3月04日

今朝起きると、お風呂の前のデッキのあたりに、ずいぶん雪が吹きだまっていた。風が強い。時折、畑のほうから雪が飛ばされ、窓の外が真っ白になる。お昼前には、隣の小原さんからうちまでの道が、地吹雪で埋まってしまい、うちに来た洗濯屋さんの車が立ち往生してしまった。それを助けに行った夫も、嵐の中で、立ち往生。お昼過ぎには、せいきょうの車が、裏の三号線から入って来られず、そこから300mあまり、荷物をソリで引いて玄関まで来てくれた。
このままだと、今日はどこへも行けない。道はすっかり閉ざされた。窓に吹き付ける雪を見ながら、なんだかいつもの違う状況に、ちょっぴりわくわくしてしまった。小さい頃、突然停電になった夜とか、吹雪で学校が休校になったときの感じを、久々に味わった。
そのわくわくも束の間、夕方には風もずいぶんやんで、青空も出てきた。立った今除雪も入った。夫は、トラクターを出して、うちのまわりの除雪を始めた。畑の上の風紋だけが、嵐の跡を物語っている。


3月03日
晩冬
細かい湿った雪がたくさん、静かに降っている。しばらくずっと見えていた十勝岳も、その手前の丘や森も、みんなすっぽりと雲に覆われて、みな真っ白く、空と雪の区別もつかない。
折を見て泊まりに来てくださる旭川の高品さんが一昨日持ってきてくれた、桃の花と菜の花。濃い桃色と鮮やかな黄色が、今日が3月3日であることを思い出させてくれた。早春から晩冬へ、季節は振り子のように揺れ動いている。


3月01日

このまま時間が止まって欲しいとの願いもむなしく、3月に入ると、あっけなく空気が緩んだ。急に気温が高くなって、まわりの雪も、山や森の景色も、みんな一気に緩んでしまった。今日は、どろんとした空気に包まれて、墨絵のように、何もかもが同化しながら、暮れていった。
こんなにきっちりと、季節が移り変わるのも珍しい。明日は、春らしい快晴の予報が出ている。潔く、春を楽しむことにしよう。


2月28日
春遠からじ
2月は駆け足だった。たった3,4日しか違わないのに、何でこんなに短く感じるのだろうと、毎年思う。例年になく寒い日が続いているのに、日差しは、確かにもう春のものだ。2月の後半は、驚くほどお天気が続いて、毎日眩しい山を眺めた。このままもう少し、時間が止まっていてくれればよいのにと、冬を名残惜しく思っている。


2月23日
日の出
今朝は、5時に目を覚ました。ムックとティンクをつれてラウンジまで出てみると、まだ蒼い冷え込んだ空気の中、大雪と十勝岳の山々が、くっきりと浮かび上がっていた。空には雲ひとつない。今日は、すばらしい日の出が見られるに違いないと思った。
6時過ぎ、着替えて再びラウンジに行くと、空は白々と明るくなって、東の山の上あたりが、サーモンピンクに焼けていた。薪ストーブをつけて、熱いコーヒーを落として、少しずつ明るくなってきた山の景色を眺めた。サーモンピンクの空は、やがてクリーム色、そして金色へと変わっていった。山のシルエットが、急にくっきりと浮かび上がってきた。
山の背後がだんだんと輝きを増し、その瞬間を待っているかのようだった。いよいよ明るくなってきたので、慌ててデッキに出た。ちょうど、トムラウシとオプタテシケの中間あたり。輝かしい光がほとばしった。そして、大きなまるい太陽が、ゆっくりとその姿を現した。よどみない景色。澄んだ空気。今出たばかりの日の光を浴びて、何もかもが輝いていた。


2月21日
霧氷
このところ、日差しは春めいているのに、とても冷え込んでいる。おかげで、思いもかけない美しい景色に出会えて、そのたびに心奪われる。
今朝は、朝からきれいに晴れわたっていた。窓の外を見ると、まわりの木々にびっしりと霧氷がついている。慌てて、たくさん着込んで外に出たら、眩しくて、目を開けていられないほどだった。畑の向こうには、裏の川から現れた霧が、地面から少しはなれたところに浮かび上がるように凍り付いていた。その背後には、十勝岳連峰が大きく輝いている。
山を左手に見ながら、ラウンジの向こう側に回ると、大きな白樺の木、エゾマツの林と雑木林、庭で寒さに耐えているコニファー、その枝先の一本一本までも、びっしりと霧氷の花が咲いていた。軒下のツララにも、よく見ると細かい氷の結晶ができていた。振り返ると、相原先生の描いたカラマツ林、その向こうの丘の木々も、みんな、白く凍えていた。


2月19日
サンピラー
朝、夫に呼ばれて、慌ててラウンジに行った。サンピラーだ。薄い雲から透けて見える、昇ったばかりの輝かしい太陽。そこから丘に向かって、光の柱がまっすぐ下りていた。朝日が目にまぶしく、その下の長細い帯は、それに比べて、いかにも儚げに見えた。よく見ると、その後ろに、オプタテシケ山の肩がうっすらと透けている。太陽は、見ている間にぐんぐん上へと昇って、その色を変えていった。
まだ薪ストーブのついていない冷えたラウンジで、しばらくぼおっとその光景を眺めていた。


2月18日
月と散歩
昨日夜、一人で散歩に出かけた。玄関を開けると、まるい大きな月が煌々と、雪原を照らしていた。歩き始めたら、手足がしびれるほど寒い。毛糸の帽子をかぶっているのに、頭も寒い。白々とした月明かりに、空気が凍りついているようだった。慌ててフードをかぶり、口も隠れるようにファスナーを一番上まで上げて、急ぎ足で歩いた。十勝岳の山々を、噴煙まではっきりと見ることができた。
いつもなら、1キロを過ぎたあたり、小学校のところあたりまで来ると、汗が出てきて、手袋や帽子を脱いでしまうのだが、夕べはそれどころではない。手足がいつまでたっても凍えていた。白金街道を歩いて、散歩の友、白黒犬ラッキーのところに来たら、ラッキーも凍っていた。寒いねえと少しの間世間話をして、足早にうちを急いだ。
玄関を入って、ガラスに映った自分の姿を見たら、私の帽子も凍っていた。
今朝の最低気温は、マイナス20℃を大きく下回っていたに違いない。


2月17日
不思議な天気
朝起きると、雪が降っていた。細かい雪だった。9時過ぎ、天窓から見える空は、真っ青だった。薄い雲に覆われた太陽が、降ったばかりの深雪を照らし、まばゆいばかりだった。気がつくと、また雪が降り出し、お昼過ぎには激しい吹雪となった。用があって夫と車で出かけたら、白金街道が、雪でまったく見えなくなっていた。
夕方近く、雪がやみ、また青空が広がった。暮れかけた太陽と、突然現れた十勝岳連峰。風はすっかりやみ、さっきの吹雪がうそのように、穏やかな夕暮れ時の景色を眺めた。十勝岳は、その次に見たときにはすっぽりと雲に覆われていた。久しぶりに、夕焼けの赤さを感じた。不思議な天気の一日だった。


2月16日
大会当日
午前中、大勢の選手の方たちが、薫風舎の前を通り過ぎ、今はすっかり静けさをとりもどしている。宮様国際スキーマラソンは、うす曇の穏やかな天気の下、盛大に行われた。じっちゃんこと長谷川さんは、応援のため、早々と小学校のところまで歩いて行った。私たちは、急いで掃除を終え、夕べ泊まられたお客さんに声援を送ろうと、3人でコースまで歩いていった。ゼッケンのメモを片手に、カメラを持ってかなり粘ったのだが、今年は残念ながらひとりも見つけることができず、とぼとぼとうちに引き返した。
暖かくて、帰るときにはかぶっていた帽子も手袋も、みんなはずしていた。スキー大会が終わると、駆け足で春がやってくる。


2月15日
スキー大会
玄関の向こうの畑の中、大会のために丹念に作られたコースを、クロスカントリーをする人たちが行き交っている。明日は、宮様スキーマラソンの大会だ。昨年、奇跡の完走を果たしたじっちゃんこと長谷川さんは、今年は私たちとともに応援組で、昨日薫風舎へ到着した。穏やかなうす曇。この天気が、明日まで続くことを願って、今日これから来られる選手の方々への準備をしている。


2月13日
休日
昨日は久しぶりに、旭川の書店富貴堂MEGA店に行った。特に欲しい本があったわけではないのだが、ひとしきりぶらぶらと見てまわり、レコード芸術を買って、併設のカフェで一時間ほど紅茶を飲みながら、のんびりとページをめくった。贅沢なひと時にすっかり満足して、3人で外で夕食をたべて、花神楽で温泉に浸かって帰ってきたのだった。


2月12日
粉雪
久しぶりによく降っている。窓の外は真っ白だ。粉雪は風に舞い、景色を煙らせている。
暖炉の前で背中をあぶりながら、そんな景色をぼんやり見ていると、なんだか時間がどこかへ行ってしまったような感じがする。


2月09日
寒さ
今日は、3月下旬の陽気だそうだ。朝からプラスの気温になって、雪の表面が温んで、どろんとした景色だ。それなのに、外に出ると妙に寒い。風のせいだろうか。骨身にしみる寒さは、先日東京に行ったとき足を伸ばした、川越の空気に似ていた。


2月07日
日向ぼっこ
今日は、朝から暖かな日だった。午前中から、屋根のツララが溶けて、ポタポタと水滴が落ちた。やさしい太陽に誘われて、ひとりで散歩をした。うちの周りをぐるっとひと回り、ちょうど2キロを歩いて帰ってきても、まだ家の中には入りたくない気分だった。ラウンジのデッキに足を投げ出して、熱いお茶を飲みながら、日向ぼっこをした。雪の白さがまぶしかった。


2月06日
冷え込み
昨日は、夕方までずいぶんと暖かかった。道路の雪も融け出していた。日が落ちて、あたりが青くなってきた頃、急に川霧がでて、目の前の景色が一変した。気温が下がってきたのがわかった。夜、廊下から外を見ると、木の枝に、宝石のような氷の塊がいくつもついて、輝いていた。きりきりと空気が引き締まっていく。空は澄み渡っている。テレビのニュースでは、旭川の最低気温が−20度を下回ると予報していた。
朝起きると、予想に反して、雲が空を覆っていた。それでも、かなりの冷え込みだったらしく、薪ストーブの前でコーヒーを飲んでいても、なかなか温まらなかった。


2月04日
春めく
2月になると、急に日差しが春めいてくる。外は相変わらず雪なのに、1月の冬景色とはまるで違う。柔らかな空の色や、陽が当たって溶け出すつららを見ていると、もうすぐそこまで、次の季節がやってきているのだと感じる。


1月31日
カラマツの森
窓の外をふと見ると、カラマツの森に左から風が吹いて、枝の雪が舞い立った。細かい雪は白い雲のような塊になって、そのままゆっくりと、右に流れていった。しばらく移動してから煙のように、その塊は消えていった。そのあとに、いつもの静かなカラマツの森が残った。


1月22日
ペンギンの園内散歩
旭山動物園には、昨年2度行った。帰るときには、今度いつ来れるかなぁと幸せと寂しさの入り混じった気持ちになる。昨年暮れから、運動不足解消のため、ペンギンの園内散歩が始まったと新聞に書いてあった。そのあと、薫風舎からお客様がずいぶん足を運んでいる。先日泊まられた鈴木さんも、HPを見て、動物園に行かれた。夕べ、ペンギンの園内散歩の写真をメールで送ってくださった。雪の上をよたよたと、列になって歩くペンギンの姿。話に聞いて夢を膨らませていた情景を、一枚の写真で目の当たりにして、これは、一刻も早く見に行かなくてはと、一瞬にして気持ちは動物園へと飛んだ。早く、本物を見てみたいと、わくわくしている。


1月21日
ほっとするとき
粉雪が降っている。昨日とはうって変わって、空も畑も、何もかも真っ白な、モノトーンの景色だ。晴れの日は気持ちが良くて、まぶしさがすごくうれしいのだが、曇った空や深々と降り積もる雪をみていると、なんだか心が落ち着いて、ほっとするときがある。コーヒーでも落として、好きな音楽を聴きながら、外の景色に気を取られることなく、ゆっくりと本でも読みたい気分になる。


1月20日
雪山の風景
今日は、朝からよく冷え込んで、美しい晴れの日だった。掃除を終えると、あっこちゃんはお昼も食べずに、去年買ったコンタックスを持って、そそくさと撮影に出かけた。夫と私は、きつねうどんを食べてから、いつものように、白金温泉へ向かった。
いつも通る道の正面に、ひときわ輝かしい十勝岳がそびえたって、それがだんだんと大きくなっていった。山肌が、太陽を浴びて、光と影をくっきりと映し出していた。
うちに帰って、今度は日が傾き始めると、さっきとはまた違う山の風景が、ラウンジの窓の外に広がっている。


1月18日
散歩
今日は、柔らかに晴れた。穏やかな日の光が暖かく、数日前の凍った太陽とは、まるで違う。あまり気持ちが良いので、久しぶりに散歩に出た。歩き始めると、新鮮な空気が体の隅々まで行き渡った。あまり時間がなかったので、ほんの短い時間だったが、だらけて眠っていた細胞が、蘇ったような感じがした。


1月17日
静寂
昨日、今日とよく降る。気温は冷え込んだ一昨日から比べると、ぐっと緩んだ。10日ぶりに帰ってきたあっこちゃんが、空港を降りて暖かいとびっくりしていた。
あっこちゃんを旭川空港へ迎えに行って、帰りに花神楽で温泉に浸かった。うちに帰り着くと、暮れかかった蒼い時間がやってきた。舞い落ちる真っ白な雪を眺めながら、コーヒーを落として、あっこちゃんが愛知から買ってきてくれた、お砂糖や卵、乳製品を使わないとびきりおいしいケーキを食べた。お腹がいっぱいになると、眠くなった。気が付くと、窓の外は暗闇に包まれ、暖炉の前は静寂に包まれている。贅沢な休日を味わっている。


1月15日
凍える日
冷え込んだ。今朝は、マイナス20度は優に越えていたに違いない。朝、ラウンジに行くと、いつになく明るい光が目にまぶしかった。デッキの向こうの白樺林のあたりに、川霧が立ち込めていた。まわりの木々は、霧氷で凍えるように白くなっていた。十勝岳連峰の壮大な山並みが、冷たく青い空を背景に、真っ白く輝いていた。
この寒さはしかし、美しい景色と一緒に、厄介をももたらしてしまう。厨房の水道が一箇所凍結していた。トラクターはバッテリーを1時間以上つなげてもエンジンがかからなかった。午後になって、ようやくトラクターが動いた。水道は、午後三時になって、ようやくゴボゴボっというおととともに、水しぶきを上げた。寒さで止まってしまった時間が、ようやくたった今動き出したようだ。


1月14日
ハーブの新芽
ここ2、3日で、ラウンジに置いてある鉢植えのセージやパセリ、チャイブの新芽が、急にぐっと伸びてきた。室温が上がったわけではない。日差しが、少しずつ春に向かっているからだと思う。去年、雪の降る直前、あっこちゃんがハーブを路地から鉢に、一株ずつ上げてくれた。うちの中は、あまり植物が育ちやすい環境ではないので、なんだかみな元気なく、それでもどうにか枯れずにいてくれた。
年末、一度だけ換気のため、うっかり寝しなにラウンジのドアを開けた。運悪く、その日は外の気温が−27℃まで下がったときだった。朝起きてはっとした。そのまま、ラウンジのドアの前に置いてあったローズマリーとタイムが、みな寒気にやられて真っ黒になってしまったのだ。ローズマリーは、株を分けながら去年春から大事に増やして、鉢植えのハーブの中でもとりわけ元気に増えていたので、涙が出そうになった。
その時何とか生き延びた、セージやチャイブ、パセリが、たくましく伸びて、緑を増している。いつも大事に手入れをしてくれていたあっこちゃんに、早くこのことを知らせたいと思う。


1月13日
ぬるい空気
あたりがどよんとした空気に包まれている。あたたかいのだ。屋根の淵から、夕方になっても水が滴り落ちている。まわりの雪も、温んで見える。真冬にプラスの気温になると、なんとなく憂鬱な気持ちになる。暖かさを、気持ち悪く感じる。はやく気温が下がって、空気がピンと張り詰めてくれないかと思う。


1月11日
美容院
昨日は、夫と二人で髪を切りに行った。私は、かれこれ2ヵ月半ぶり、夫にいたっては夏前に切って以来で、この年末にいらしたお客様はよーくご存知だと思うが、もう、とんでもないことになっていた。
美瑛に来てから、ずっと私たちの髪を担当してくれている旭川の大野さんが、昨年晴れて独立を果たし、しかも暮れに入籍という、うれしい連絡を受けたのは昨年暮れだった。入籍の記念に、素敵な奥様と二人で薫風舎に泊まりに来てくれた。そのとき、夫の悲惨な髪を見て、きっとあきれたに違いない。ようやく昨日、ぼうぼうの髪から開放されたのだった。
美容院に行って、自分の思い通りの髪形を伝えることほど、面倒なことはない。説明しても、なかなかわかってもらえず、結局イメージとぜんぜん違う風になってしまう歯がゆさときたらない。美瑛に来てから初めて行った美容院では、細々と聞かれた挙句、まるで高校の女子バレー部員のようにされてしまい、言葉を失った。次に知人に紹介してもらった店で、たまたま担当してくれたのが、大野さんだった。なぜか、あまりこちらからは注文を出さずに、切ってもらう気持ちになった。大野さんのほうも、あれこれと質問せずに、手際よく仕事をしてくれた。その丁寧さと、仕上がった髪を見て、すっかり気に入り、それ以来、私はずっと大野さんに髪を担当してもらっている。床屋派だった夫も、いつからか大野さんにお願いするようになり、歴代のスタッフも時間の許すときは、大野さんにと、すっかり薫風舎は、大野さんびいきだ。
仕上がりがすばらしいばかりでなく、シーズンに入って数ヶ月伸びっぱなしになっても、形がおかしくならないのには、いつも感心させられる。最初の店から、2度、店をかわって、いよいよ今回、自分の店を持つこととなったのは、私たちにとっても本当にうれしいことだ。お店が繁盛することを、心から願ってやまない。「ヘア・サロン アフェクト」旭川市4条通15丁目右1号フラワー菓子2F Tel 0166-27-3700 。旭川近郊の方、ぜひ一度足をお運びください。


1月09日
至福のとき
一昨日、あっこちゃんを旭川空港に送った後、夫とムック、ティンクと札幌に向かった。ずっと観たかった映画、チャン・イーモウ監督の「至福のとき」が、年末からようやく札幌で公開されたからだ。
チャン・イーモウは、'87年「紅いコーリャン」をはじめとして、数々の名作を生み出している、中国の世界的映画監督だ。最近では「あの子を探して」、「初恋のきた道」が、日本でも話題になった。「あの子を探して」の、ヒロインの朴訥とした演技、「初恋のきた道」の、貧しい農村地帯の美しい風景のなかで繰り広げられる童話のようなラブストーリー・・・。4月に上京した折BUNKAMURAル・シネマで観た、'94年作品「活きる」は、今も心に深く刻み込まれている。
昨年11月やはりル・シネマで、ようやく「至福のとき」が封切られた。ご常連の渡辺さんから、札幌でもそのあと上映するはずだという情報を得て、ずっと待っていたのだった。年末からわずか2週間足らずの上映に、慌てて札幌まで足を運んだ。夕方実家に到着し、父と妹夫婦と5人で出かけたのだった。
チャン・イーモウ監督の映画は、その作品ごとに見事にその作風が変わる。まったく違うスタイルで描かれていながら、その根底には、常に監督の一貫した人間像が貫かれているように思う。「至福のとき」は、前作「初恋のきた道」とは、まったくタッチの異なる都会の悲喜劇だった。イーモウ作品には欠かせない美しい音楽が、どの作品でも全編にわたって効果的に使われているのに対して、この「至福のとき」では、おそらく意識的に、極力抑えられていて、それが心優しい主人公たちを取り巻く、都会の埃くささに、妙なリアリティーを与えているようにも思えた。薄幸な盲目の少女を演じたドン・ジエの可憐な笑顔がいつまでも瞼に残った。


1月07日
あっこちゃんの送別会
昨日は、あっこちゃんの送別会をした。送別会といっても、今日から10日ほどの帰省だ。4月以来ずっと帰っていない愛知の実家へ、ようやく帰ることができる。送別会とは大げさだが、昨日は2週間ぶりの休日だったので、久しぶりに3人で外で食事をして、帰りに4年ぶりにカラオケに行ってしまった。
夕食は、前に書いたカフェで、野菜がたっぷり入ったカレーとポトフ、それに雑穀米のセットをいただいた。ちょうどよい暗さの、雰囲気の良い空間で、ゆっくりとおいしい食事をして、もうすっかり満足した私たちは、はじめ、まっすぐうちに帰るはずだったのだが、それはそう、あっこちゃんの送別会である。ここはぱあっと盛り上がらなければと、美瑛の駅裏のカラオケボックスへと吸い込まれたのだった。
もうここ数年、カラオケなどまったく興味がなかったのだが、年末にちらちらと目に入る懐メロの特番や、暮れに買った山下達郎のニューアルバムについてきたカラオケバージョンなんかを聴いているうちに、夫と私は、久々にマイクを握りたくなったのだった。送別会などとダシに使われたあっこちゃんは、最後まで気が進まなかったようだが、そんなことは許されるはずがない。歌い始めると、どっかから変なホルモンが出てくるらしく、もうとどまるところを知らない。
もう遅いから、一時間だけといって歌いはじめ、1時間で終わったためしがない。3人で切れ目なく2時間歌って、私は調子が上がってきたので、また1時間延長しようと持ちかけたが、明日が怖いので、ぐっとこらえて、10時半にはうちに帰ってきた。
最近の曲など、まったく知らないし、昔の曲もずいぶん忘れているので、歌える曲がないと思っていたが、それでも帰る道々あれもこれも歌えなかったと、くいが残ってしまった。今度は、あっこちゃんの歓迎会をぜひとも開催しなければならない。


1月06日
贅沢な時間
この冬は、できる限り毎日温泉に入ろうと、白金温泉に通っている。ちょっと前までは、時間があると、十勝岳や旭岳など、この界隈のあちらこちらの温泉を入り歩いたものだが、うちから15分足らずでいける白金温泉は、近いだけではなく、北海道でも数少ない源泉100%の、しかも循環させていない、豊かな温泉である。11月から12月の休み中には、本当に毎日入りに行った。入っていて、ここのお湯は相当良いと、改めて感心したのだった。そして、三人で、白金パークヒルズの年会員になってしまった。
仕事のあるときにはそう毎日というわけには行かず、入れても30分足らずであるが、それでも時間を見つけて温泉に浸かり、体を温めていると、手足の指の先の先まで血が行き渡って、体の疲れがじんわりと抜けていくだけでなく、頭の中のチカチカしたものがだんだん消えていくのがわかる。宿の仕事は職業柄、一日の中で心底休まる時間がなかなか作れない。忙しくなると、この頭の中のチカチカが、夜布団に入っても消えなくて、寝ても頭と体が休まらない状態になってしまう。いつも楽しく仕事をするためには、一日の中に、何とかこのチカチカを取ってリラックスする時間を作らなくては、と、このごろつくづく思うのだ。
ぬるめのお湯に浸かって、頭の中を空っぽにするひとときが、今の私にはかけがえのない贅沢な時間なのだ。


1月05日

日の出
日の出の光景ほど、言葉にできないものはない。あの神々しさ、美しさは、私にはとても表現できない。
今朝、なかなか布団から出られない私を、夫が呼びに来た。「あと10分で、日が昇るよ!」慌てて支度をして、ラウンジに飛んでいった。空は澄みわたっている。十勝岳の山々は、頂に雲をまとい、その背後に、これから現れるであろう太陽の光が、いくつものVの字を重ねたように、天高く広がっていた。雲は、後ろから光を浴びて刻々とその色合いを変えながら、輝きを増している。あれを、何色といったらよいのだろう。金色とは少し違う。光沢のある絹のような、といったほうがよいだろうか。
時折、太陽の丸い影が、うっすらと上に向かって動いている姿がわかった。しばらくして、ひときわ輝かしい光を放ちながら、ようやく太陽がその姿を現した。
ちょうど1ヶ月ほど前、美瑛富士から昇る太陽を見た。その時とは、まったく違う時間の流れ、まったく違う光景で、今日の朝日は昇ったのだった。三人でデッキに出て、体いっぱいに太陽の光を浴びた。


1月04日
深々と
朝から、雪が深々と降り続いている。まわりの唐松林が、真っ白いフィルターをかけたように、ぼんやりとしている。昨日はあんなに見えていた十勝岳連峰も、今はすっぽりと雪雲に覆われて、そこに山があることなど、とても信じられないほどだ。外の音は雪にすっかり吸収されて、薪ストーブの炎の音だけが、耳に優しく聞こえている。


1月02日
新年あけましておめでとうございます。
今年もどうかよろしくお願いいたします。


今年も、恒例の美瑛神社の初詣で花火を見ながら、新しい年を迎えた。おなじみの藤田さんご夫妻や城戸さんのご家族、それから広町さん、オープン以来初めて一緒に年越しをした私の両親。みんなで冬空に広がる花火を眺めた。
いつになく穏やかな、静かなお正月に、今年一年、どうかこのような平和な一日を重ねていけますようにと、心から願ったのだった。