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12月31日
新しい年に
ことしは、なにか心に、どうにも重苦しく暗い気持を抱えながら暮らしていかなければならなくなってしまった。きっと、同じ気持を、世界中の人が抱いているに違いない。9月11日以来・・・。
クリスマスイヴの夜、NEWS23の特集で、アフガンやアメリカ、パレスチナ、イスラエルなどの、子供たちへのインタヴューが続いた。見れば見るほど、苦しさと空しさが募るばかりだった。
パキスタンに暮らすアフガンの難民の子供たちは、「大きくなったら自分もテロリストになる」と、皆こぶしをあげた。朝早くから夜遅くまでレンガを作り続けている6歳の子供は、「アメリカや日本の子供たちによろしく。みんな早くレンガ作りから開放されるといいね。」とあどけない笑顔で言っていた。アメリカの子供たちは、「テロは、世界で一番豊かなアメリカへのねたみだ。」と憎々しく、吐き捨てるように言っていた。
坂本龍一が監修をした「非戦」という本を読み始めた。涙が出てきた。
きっとほとんどの人たちが、「どうにも重苦しく暗い気持」をどこかに引きずりながら、普通の生活を、いつもと変わらずに淡々としているに違いないと思う。私もそうだ。たとえばこの「ひとこと」に何か書いたところで、それは安っぽい感傷に過ぎず、極めて傲慢な自己満足でしかないと思うと、とても「戦争」や「平和」について、軽々しく話題にはできないと思っていた。いや、今も思っている。しかし、そんな今年が終わろうとしている。ただひとこと、どうか、新しい年がみんなにとって良い年でありますように。と、祈らずにはおれない。


12月30日
夢のお正月
ここにいると、あまりにも静か過ぎて、ちっともあと一日で今年が終わり、なんていう気分になれない。ところが、昨日久しぶりに主人について、美瑛の街のスーパーとお花屋さんに買い物に行ったら、こんな小さな町でも、年の瀬の慌しさがちゃんとあって、皆お正月の買い物を山のようにかごに入れ、レジの前には行列ができていた。
ご近所の増山さんに会ったら、ビールや焼酎を箱でいくつも買って、ちょっと照れくさそうにしていらした。いいなあ、家族や親戚が集まって、お正月はのんびりと飲んで食べて、ゆっくりするんだろうなあ。
美瑛に来て、8年目の年越し。三が日を家族でゴロゴロ、だらだらと過ごすお正月なんて、夢のまた夢だ。ビールケースを車に積み込む、増山さんのうしろ姿を見て、ちょっぴりうらやましく思ったのだった。


12月29日
年の瀬
年の瀬、という感じもあまりしないのだが、ぼちぼちお節の仕込みも始めなくてはいけない。
今年は、デパートや有名料理店などで、おせち料理を買う人が急増しているとか。そんなに豪華なものでなくてもよいから、お節くらいは自分で作りたいものだと、なんだかさびしい感じがした。
薫風舎では、オープン以来元旦の朝は、ささやかながら、おせち料理とお雑煮を用意して、新年のお祝いをする。小さい時から母が作ってくれた守分家のおせち料理は、そんなに派手なものではないが、もう私の体に染み付いていて、それでなくてはどうにもお正月という感じがしない。とはいえ、普段の仕事の合い間なので、そんなに多くの種類は作れないのだが、うま煮ときんぴら、黒豆、なますだけは、必ず自分で作るようにしている。それに、鶏としいたけのだしの雑煮、おととしゆずを買い忘れて大変だったので、去年からは抜かりなく、早々とゆずを入手するようにしている。
今日は、とりあえず明日煮る黒豆を、寝る前に煮汁に浸しておこう。黒豆を火にかけると、その匂いに、とたんに年の瀬を感じるに違いない。


12月28日
素敵なカフェ
近くにCafeがオープンしたので、お昼を食べに行ってきました。東川のお気に入りのCafe 「Good Life 」の渋谷さんや、ご近所のペンションWeの岩崎さんから、噂を聞いていて、早く行きたいと思っていたところでした。
美沢15線の薫風舎から、山に向かって19線を右に曲がり、小高い森の中にひっそりと、そのお店はありました。基礎からご主人がスコップで掘って建てたという山小屋風の建物は、入口にセンスの良いリースが飾られていて、ヨーロッパの田舎風です。気さくな奥様が笑顔で迎えてくれ、二階へと案内してくださいました。すこぶる居心地の良い空間で、薫風舎とおそろいのパボーニのエスプレッソマシンで入れてくれたアツアツのカプチーノと、「今日はサンドウィッチくらいしかできないのよ。」と、おしゃべりをしながら作ってくれた生ハムと野菜のサンドウィッチ、それに、とびきりおいしいレモンのタルトをいただきました。
近くに、こんな素敵なカフェができたなんて、カフェ好きの私には、たまりません。これから来られる皆さん。お正月も営業するそうなので、散歩がてら、または歩くスキーで、お昼ご飯やケーキを食べに、森にくる小鳥やリスを見に、それから、楽しいおしゃべりを楽しみに、出かけていってはいかがでしょうか。「カフェ ラ・ぺ」というお店です。


12月27日
音もなく
少し寒さも緩んで、今日はかすかにねずみ色を帯びた空と、葉の落ちた木々の黒いシルエット、あたりの雪の白さが、モノトーンの世界をつくりだしている。上から、ゆっくりゆっくり、できたての雪が音もなく降りてくる。
ここにいると、年の瀬の慌しさを忘れてしまいそうだ。


12月26日
リップクリーム
昨年から作ろうと思っていた手製のリップクリームを、今日ようやく作った。とても簡単なのだが、材料が美瑛ではなかなか手に入らない。東京で、日曜のすさまじい雑踏の中、原宿や渋谷、銀座を歩きまわって、石鹸とリップクリームの材料を調達した。
主原料はカカオバター。それに、みつろう、ひまわり油を加えて、電子レンジで溶かすだけ。最後に、ペパーミントとレモングラスの精油をたらして固めると、ミントとレモンの香りが爽やかな、チョコレート味のリップクリームが出来上がった。(こんな簡単な材料なのに、美瑛はおろか旭川でもなかなか見つからない物が多いのです。)手作り石鹸の本に書いてあるレシピだ。
思いのほか簡単で、つけ心地も、本に書かれてあるとおり、すこぶるよい。そのうえ、何しろ菓子材料で作るものだから、安心してつけられるのも気持が良く、ちょっと興奮気味だ。さあ、年が明けたら、今度は石鹸作り。これはに、もう少し手間がかかるが、今日のですっかり味を占めてしまったので、今から取り掛かるのが待ち遠しい。


12月25日
山の表情
今日は、朝から雲ひとつない良いお天気だった。空の青さが時間を追って、少しずつ変わっていく。それにしたがって、十勝岳の山肌の色合いも影も、大きく変化して、気がつくと、山々はうす紫色に染まっていた。もう少しすると日が落ちて、あたりは瑠璃色の世界へと変わる。


12月24日
静かなクリスマス
朝ニュースで、世界のイヴの様子をやっていた。そうか、今日はクリスマスイヴだ。先週は、東京の街のどこを歩いていても、クリスマスのディスプレイとクリスマスソングであふれていた。ぽかぽか陽気の雪のない町並みの中では、なんだかさまにならない感じがした。
うちでは、あまりたくさんの飾りつけはしない。それでも、この前ひさしぶりに作りかえた玄関用のリースが気に入って、入る前にちょっと眺めたりしている。玄関を入ると、先日クラークホースガーデンから贈られたもみの木が、デッキの外に置かれているのが見える。主人が作ったアイスキャンドルに、灯がともる。ひっそりと静かなクリスマス。あとは、ダイアナ・クラ−ルのクリスマスソング集と、小樽の忍路の大好きな極上のパン屋さん「エグ・ヴィブ」から送ってもらったすごくおいしいシュトーレンで、ちょっとクリスマス気分を演出しようか。


12月23日
東京食べ歩きーその3(惜しまれつつ?!最終回)
東京から帰って、早くも1週間近くが過ぎてしまいました。まだ、食べ歩いたことを書いているのもどうかと思いますが、途中で終わるのはいただけないので、大急ぎで最終回を。
ちょうど一週間前の日曜日、「ル・シャレ」という天然酵母のパン屋さん併設のカフェで、遅い昼食をいただいた妹と私は、渋谷へと向かいました。目的は東急ハンズ。手作りの石鹸の材料を調達するためです。ずっしり重たいパンを5000円分近く買って、すでに大きな袋をぶら下げていた私たちは、そこで、パームオイルやココナッツオイルのビン、その上、そこで見つけた緑豆やらなんやかんやと買いこんで、重たい荷物を抱えながら代々木へ。なぜ代々木か?勘の良い薫風舎および薫風舎HPご常連の方々には、うすうす察しがついたかもしれません。が、そこには驚きの新事実がっ!!・・・つづく。
いや、そんなにもったいをつけるつもりはありません。Winter Piano Concert ですっかりお馴染みの小林功さんが代々木の駅から歩いて三分のところに住んでおられて、そのすぐ近くに、アンコールワットという、これまた「食べある記」ですでにご紹介している大好きなカンボジア料理店があることは、ご承知のとおりです。ところが、10月に薫風舎でミニコンサートをしてくださったソプラノ歌手本宮寛子さんの東京のお宅がそのあたりだということが、10月にわかって、驚きました。伺ってみると、小林さんのマンションから歩いて何歩という、本当に目と鼻の先だったのです!本宮さんは、また、小林さんの奥様でやはりソプラノ歌手の、蒲原史子さんと、ダブルキャストでオペラの主役をやられたこともあり、縁は異なものと、みな関心しきりです。
この日は、本宮さんご夫妻、小林さんと私たち姉妹という、まったくめずらしい組み合わせでの、カンボジア料理晩餐会となりました。(史子さんは、残念ながら第九の本番。)お店については、「食べある記」のページで詳しく御紹介していますが、やはりここはいつ行っても感心するお店です。おいしい料理に会話も弾み、私にとっての東京の最後の晩は、思い出深いものになりました。
長くなりましたが、最後に急いでもう一軒。東京レストランガイド(リンク集参照)の、銀座中華料理第一位の三井アーバンホテル2F四川料理「桃花源」お勧めです!ビジネスランチ1200円で話題の麻婆豆腐がいただけるなんて!!最後の食事は、辛くて汗だくでした。(東京食べ歩きー完)


12月22日
野菜騒動
今日は、食べ歩きをのんきに書くような気分ではない。昨日は、久しぶりに良いお天気で、十勝岳がよく見えていた。おかげで気温はぐんぐん下がり、夜旭川へ買い物に行ったら、街中でー13℃だった。今年春、冬用の野菜を貯蔵するべく購入した、納屋の冷蔵庫の庫内温度が気になる。先週まではキープしていた+5℃が、じわりじわりと下がり始め、夕方出発する頃には3℃になっていたのだ。
夜10時過ぎに帰り着いて、玄関の寒暖計が−16℃。庫内温度計が2℃だった。中に入っている大量のジャガイモやカボチャ、長いもに人参、昨日届いたばかりの牛乳やたまごまで、運び出すとなると大変なことだ。冷蔵庫を開けると、ぐっと冷気が入り込むので、へたに中を確かめるわけには行かない。
これ以上下がったら庫内のものは凍ってしまう。仕方がないので、冷蔵庫に向けて、小さい温風式石油ストーブを点けてみた。この寒さの中で、どうにも頼りないが、何もしないよりはましだろうか、何とか一晩もってくれと、祈るような気持でうちの中へ入った。
ニュース23を見終わって、歯を磨いて、お風呂に入ろうとした頃、主人がちょっと納屋まで見に行ってくると言って、外に出た。なかなか帰ってこない。心配になってわたしも納屋まで行ってみると、冷蔵庫の気温が0℃のあたりを行ったりきたりしている。「冷蔵庫の中のものを、家の中へ運ぼう!」ついに、主人が苦渋の決断をした。車を持っていって、相当な数のダンボールや、野菜袋などを運び出し、二人で家の中へと運び込んだのだった。玄関の寒暖計は−20℃になっていた。冷え切った体を、お風呂で温めて布団に入ったのは、午前2時近くだった。
朝起きると、廊下は山積になった野菜で物置化している。これからお客様が見えるのに、このままにしておくわけには行かない。冷蔵庫に、湯を沸かした鍋を入れておくことを思いついてためしてみたら、効果が期待できそうだった。さっきまでかかって、夜中に出した野菜たちを、またまた冷蔵庫までもどした。今夜は、何とかプラスのままでいて欲しいと願うばかりだ。


12月21日
東京食べ歩きーその2
一日空いてしまってすみません。食べ歩き後半です。ええと、二日目の昼に餃子を食べて、南青山のホテルに帰って、友人田代裕美ファミリーと会いました。人ごみで疲れたので、しばらくホテルの部屋でみんなでぐだぐだしてから、夕食を食べに、歩いてホテルを出ました。246号線に出る少し手前に、そそられる店を発見。黒板に、細かくメニューが書いてあり、中は木の感じで、とても落ち着いた雰囲気。プリフィックス2800円というのも、良心的なので、ドアを開けて席を予約しました。「マルシェ・オ・ヴァン・ヤマダ」という、カウンターとボックス席が3つほどの小さいフレンチのお店です。
とても素朴で丁寧な、野菜もふんだんに使った田舎風フランス料理。デザートのクレームブリュレの焼き加減が絶妙で、とても気に入りました。追加料金と、追加料理を含めて、一人7000円弱は、このあたりではかなり良心的ではないかと思います。
次の日は妹と二人で、朝すぐそばの祖母のお墓参りをして、表参道の交差点近くのアンデルセンというベーカリー&デリで朝食。札幌にも旭川にも、さすがにこういう店はないなあと関心しながら、サンドイッチやスープなど買ったら、一人2000円という値段にさらに関心。
その後、青山から裏道をぶらぶらと歩きながら神宮まで行って、目的のパン屋さんに行くために、千代田線で代々木上原へ。前から行きたかった天然酵母のパン屋「ル・ヴァン」と、その隣りに併設されたカフェ「ル・シャレ」は、予想以上に良いお店でした。「ル・シャレ」では、野菜とキノコのスープ、本日のパン4種、玄米のキッシュをいただきました。コーヒーをふたつ頼んだら、2種類の違う豆で入れてくれました。キリマンとモカ。モカは苦手な私なのに、焙煎具合と落とし方が上手なのか、すごくおいしかったです。ああ、また長くなってしまった。あと1回、食べ歩きにお付き合いください。明日へ続く。


12月19日
東京食べ歩きーその1
今回東京で食べたものを、ざっとご紹介。まず、銀座ソニービル3Fのカフェ・ラキ。アジアン風の店内はすっきりとしていて、ランチやスウィートのメニューもセンスよし。時間が遅かったので、あっさりとラキ風雑煮というのをいただきました。夜は、竹橋の自然食レストラン「クシ・ガーデン」。野菜や豆、雑穀が中心の良質の素材が、フランス料理風にアレンジされており、一皿ずつ、ゆっくりと楽しむことができました。どのお皿も洗練されていて、本当においしかったです。デザートの豆腐のティラミスと雑穀コーヒーもよかったです。
次の日、妹と三鷹でおちあって、駅から少し行ったところの「ハルピン」という餃子店へ。10人も座れるかどうかの狭い店内でいただいた、セロリとしいたけの2種類の水餃子、そして小龍包。つるっとこしのある皮と、野菜とお肉のうまみが溶け合ったジューシーな餡がやさしい味わいの餃子もさることながら、大きなセイロで蒸しあがった小龍包を、あふあふと口の中に入れた時の感動は忘れられません。ああ、もう一度食べたい。
おいしい記憶を辿っていたら、お腹がすいてきました。手に持って帰ってきた、「ル・ヴァン」のバケットと昨日の残りの野菜スープで、そろそろお昼を食べることにして、この続きはまたあした。


12月18日
東京モード
昨日夜、ぽかぽか陽気の東京から、無事美瑛へと帰ってきました。今回は、宿が南青山で、しかもクリスマス前の週末。雑踏をかき分けて歩くことにすっかり慣れてしまったため、薫風舎の廊下を歩くスピードにも、まだ若干東京モードが残っているような気がします。
用事をパパっと済ませて、妹と分刻みのスケジュールを、かなりパワフルにこなしました。いやあ、よく食べ、よく笑い、楽しい数日間だったなあ。たくさんの方たちともお会いすることができました。どこで何を食べたか知りたいでしょ?ところが、残念ながら今日は、空白の数日間を埋めるべく、バタバタと仕事をしております。そこら辺のことについては、明日に繰り越させていただいて、今日はこの辺で。


12月17日
うたた寝
朝食時に、眩しく太陽が顔を出していたのも、ほんの束の間。昼前からふたたび降りだした雪は、時がたつにつれ、勢いを増してきた。
ストーブの前で横になり、今朝宅配便で届いたCDを聴いていたら、うっかりうたた寝をしてしまった。してしまったなんていうのはウソで、うたた寝するべく横になっていたのである。あー気持よかった。


12月16日
除雪の朝
昨日まる一日降っていた雪が、今朝もまだ止まずに降り続いている。
朝食後、除雪をするので外に出る。白金街道や裏の三号線を除雪車が行き来するのが見え、そのあとに雪煙が舞う。隣りや少し離れた農家のトラクターも、ブルブルとエンジンを響かせて、ひざ下まで降り積もった雪を除けている。
静かに時が流れる冬の日、大雪の後の朝は、あちらこちらで湯気が立つ、少し賑やかなひと時になる。


12月15日
東京からの電話
昨日、旭川空港は風と雪で少しフライトスケジュールが乱れていたようだが、その中、妻がいくつかの用事を足しに東京へと出発した。
到着時間からしばらくして電話が入った、「暑くて暑くて、半袖にでもしたい位」だって。入れ替わりで東京からいらしたお客さんに聞くと、「少し、暖かだったけど、さすがに半袖で歩いてる人はいないよ」という。まぁ、昨日の美瑛と東京の温度差は20度以上あったであろうから、暑いぐらいに感じてあたり前かと思うが・・・。久しぶりの大都会に出て、興奮しているんじゃないかなどと、受話器の向こうの上ずった声を聞いて、少し心配をしている。
今日の美瑛は、朝からけっこうな吹雪模様である。


12月13日
緩んだ陽気
どんよりとした曇った天気に、空と山とが同化している。妙に湿った空気が、周りの景色を、季節感の無いものにしているように感じる。
外で鳴いているカラスの声も、なんだか緊張感が無い。まさか、冬がこのまま終わってしまうはずはないとは思うが、このところの緩んだ陽気には、どうも物足りなさを感じてしまう。昨日の雪のことといい、これも、暖かい地域の方々には、とても理解できない感覚かもしれない。


12月12日
大雪
札幌は、雪ですごいことになっているらしい。一昨日から、父や妹から嘆きの電話が続いた。ニュースでも、交通機関が麻痺している模様が流れている。札幌がそうなら、美瑛はさぞかしすごいだろうと思われる方が多いかもしれないが、こちらは昨日も今日もおだやかに晴れている。雪の量も、いつもより少ないように感じる。
12月の札幌の大雪は、私も住んでいたときに、何年かに一度経験したが、本当に閉口する。今回は、史上最高というから、それはそれは大変なことになっているのだろうと、想像がつく。雪の捨て場は無いし、除雪が行き届かない道路は、ソロバン状になって、おかげでとんでもない渋滞に見舞われたりする。
いつだったか、札幌から厚田村の職場に着いたのが、午後4時近くになってしまったこともあった。私が学校にたどり着いた時には、生徒はもう下校の時間であった。信じられないことに、学校のあたりは雪が全然降っていなくて、非常にばつが悪かった。そして、コーヒーを一杯飲んで、すぐ退勤。ところが、当時学生だった妹を札幌北部のあいの里というところでひろって自宅に帰るのに、またまた地獄が待っていた。道は、雪の突起物がびっしり出来て、とても走れる状態ではない。そこここに、動けなくなった車がいて、まるで狂気の世界であった。ハンドルを握っていて、泣きたくなった。家に帰り着いたのは、8時過ぎだった。それから、山のように積もった雪をどかして、車を納めるのに、一時間以上かかったように思う。
つい変なことを思い出してしまった。こんなことを書いていても、きっと、雪のない地域の方々には、ぴんとこないだろうなあ。


12月11日
演奏会
7日札幌、8日小樽での演奏会を終えて、9日夜中、無事美瑛に帰ってきました。6日のリハーサルから8日小樽での打ち上げまでの、慌しくも楽しい3日間の余韻をまだ少し残して、薫風舎のまわりの静かな雪景色を眺めています。
今回の「メサイア」は、札幌東校(実は私の母校です。)と、小樽潮凌高校の合唱部、一般公募による「メサイアコール」の方々の参加により、いつものコダーイの「メサイア」とは、また一味違った演奏会となりました。本番に向けての練習で、少しずつ一つの響きに向かっていた皆の声が、本番で見事に音楽を作り出し、素晴らしい演奏会になったと思います。最後の「アーメンコーラス」では、聴きに来てくださった方々と合奏団、合唱団、ソリスト、そして指揮者中村先生。会場にいる人々の気持が、音楽を通して一体となっているような感動を覚えました。
遠くからわざわざ、会場へと足を運んでくださった皆さん、本当にありがとうございました。


12月06日
演奏会前日
久しぶりに、十勝岳連峰が姿を現しました。このところ雪続きで、あそこに山があるなんて、知らない人には信じられないくらい、すっぽりと雲に覆われていたのです。
明日から札幌、小樽で本番なので、ちょっとの間、この風景も見られません。その代わり、本番前の緊張感や、スポットライトがあたった時の、晴れやかな気持を、存分に楽しみたいと思っています。
ステージに乗ると、まず最初の楽しみは、知った人の顔を見つけることです。薫風舎からも、遠くからずいぶんたくさんの方々が聴きに来てくださることになっています。その方たちの顔を、そ知らぬ振りをして探すのが、今から楽しみです。
さて、あっこちゃんも初舞台。愛知から、わざわざ駆けつけてくれて、二晩にわたって演奏会を聞いてくれるじっちゃんを、ステージから見つけることが出来るでしょうか。


12月04日
十余年ぶり
一昨日、コダーイのオケ合わせで朝早くから札幌に出かけた。しかしこの日の真の目的は、大きな声では言えないが、合唱の練習ではなく、そのあとの友人との食事であった。
大学からの親友で、志賀高原でのアルバイトも合唱団も一緒、教員時代も、同じ村内で毎日のように行き来のあった友人、近藤あさこが、8年ぶりに合唱団に復帰した。13年あまり前にお互いに結婚し、8年前に私が札幌を離れ、彼女も子供を二人生んでからは、年に1、2度、家族同士での再会が出来るかどうか、という状況だった。二人で外で食事をするなんていうことは、夢のまた夢であった。
一昨日は、お互いに示し合わせてスケジュールを調整し、練習のあと、妹とあっこちゃんとお茶を飲んでから、うまいこと二人を追い払い(ウソです。)、十余年ぶりの水入らずの食事会を実現する運びになったのだった。
かねてから心に決めていた、お気に入りのベトナム料理店に行って(なんと貸切であった。いつもは混んでいるのに…。)、注文する段になってから、しまった、二人だと品数が頼めない、妹たちを誘えばよかったなどという食い意地の張り様、まるで進歩のない二人である。
それでも、食べたいものはすべて注文して、満腹のお腹を抱えて、デザートのメニューを広げるあたり、ますます進歩がない。
ココナッツミルクの緑豆入り白玉ぜんざいは、すっかり二人の心を捉え、楽しくおいしいひとときに花、いや、団子を添えたのだった。次に入った喫茶店は、昔よく行ったSARAというお店のあったところにある、Cafe RANBAN。気がつくと、閉店の時間になってしまった。
むかし、学校でいいだけおしゃべりをして、帰ってから夜、また何時間も長電話をして、そんなに何喋ることがあるのかと、双方の親たちをあきれさせた。十余年ぶりに、そんな会話を楽しんで、お酒も飲んでいないのにほろ酔い気分で地下鉄に乗ったら、逆の方向へ乗ってしまったことに、二駅先で気づいた。ますます進歩のない二人であった。


12月02日
アカゲラ
今朝、除雪をするために裏のガレージへ行った。ガレージは、うちの周りの農家の人たちの物だが、冬のあいだ、薫風舎のトラクター置き場として使わせてもらっているのである。
少し錆びて重くなったシャッターを上げると、勢い良く、一羽の鳥が一緒に中に入ってきた。物置の中に入った鳥を出すのに、大変苦労した覚えがあるので、困ったな、と思ったとたん外へと飛んでいった。すぐ脇の枝に止まったのは、たまに薫風舎の壁を、トントントンとくちばしでつついてはひやひやさせる「アカゲラ」だった。
エンジンもすんなりと掛からず、ガレージの中に一人になった私は、なんとなく、取り残されたような気持になってしまった。ついさっきまでいたアカゲラの姿も、もう何処にもなくなっていた。


12月01日
演奏会間近
私の所属する札幌コダーイ合唱団の「メサイア」の公演が近づいてきた。今年は、スタッフのあっこちゃんが合唱に初挑戦、初舞台を踏むことになったため、練習には、できるだけあっこちゃんに行ってもらった。ようやく一昨日から、二人揃って練習に参加できることとなった。列車に乗って2時間あまり。明日のオケ合わせ、6日のリハーサルと、札幌と美瑛を行ったりきたりすることになる。
久しぶりに、本番前の慌しさを味わっているところだ。


11月28日
持ち寄りランチ雪
一気に本格的な冬になってしまった。ここ3日ほど、雪が降り続き、今も窓の外は、吹雪である。今日は、お昼に、知り合いとご近所のお宅にお邪魔することになった。せっかくなので、持ち寄りでランチパーティーをすることにした。もうすぐ、野菜のたっぷり入ったスープを持って東川から友人が到着する。私たちは、山伏だけとまいたけのキッシュをこしらえた。たったいま、焼き上がりのタイマーがなったので、出かける準備をすることにしよう。


11月27日
デッキの雪
昨日から降りだした雪が、だんだんと勢いを増してきたようだ。
デッキの上に積もった雪を落とす。柔らかいほうきの先でも払えるくらい、軽く、サラサラしたものだった。きっちりと、季節は冬へ移ったと実感した。


11月26日
とびきりの日曜日
昨日は、午前中に掃除を終えてお昼ご飯を食べてから、休日を決め込んで、雨の中出発した。
まずは雪が降る前にと、旭岳温泉へ。助手席でうとうとして、はっと目覚めると、あたりは真っ白だった。湿った雪が、道端にもたくさん積もっていて、これでは、真冬の方が運転も楽ではないか、と話しながら、それでも牡丹雪の中を、目的地へと向かった。旭岳温泉は予想に反して、どこも大変混んでいた。クロスカントリースキーの合宿が、あちこちで行われているらしく、大雪の中、訓練をしているようだった。なんだか突然別世界へと入り込み、戸惑いながら、大雪白樺荘というところで、お風呂をいただいた。
温泉に浸かって、山を下ると、東川にある大好きなカフェ、グッドライフに、久しぶりに寄って、おいしいケーキと紅茶をいただいた。いつもそこらで寝そべっている真っ黒なラブラドール、ジャスパーが、10日前に亡くなったことを知り、本当に悲しくショックだった。
それから、旭川の本屋、CD屋をゆっくり見てまわるという贅沢な時間をすごして、前から行きたかったお寿司屋に向かったのだった。
評判どおりのおいしいお寿司をいただき、またまた帰りに別な本屋に寄って、10時に薫風舎へと帰ってきた。帰ってきてから、買ってきたCDや本を眺めるのが、また楽しい。ちょっとテレビを観て、早めにベッドに入り、本を読んでいるうちに、いつのまにか寝てしまった。こうして、とびきりの日曜日は、終わったのだった。
朝起きると、天気予報どおり、あたりに雪が積もっていた。


11月25日
雨の音
朝、風が強くて、デッキの大きなツリーが倒れてしまった。もうすぐ、雨が降るのがわかった。10時頃、予想通り降りだした。11月の雨。賑やかだった連休が終わり、雨音がいっそう静けさを感じさせる。その雨音も、いつまで続くか。夜にはおそらく雪に変わるだろう。
そうすると、ようやく美瑛にも本当の冬がやってきて、春までは雨の音を聞くこともなくなるのだと思うと、なんだか寂しいような、不思議な気持ちになった。


11月24日
気味悪いほどお天気
このところの暖かさは、異常だ。特に昨日は、気味が悪いくらいに良いお天気で、雪景色を覚悟してこられたお客様は、皆ちょっと拍子抜けされたようだった。それでも、季節外れの陽気にさそわれ、今日は、サイクリングや乗馬へと、うれしそうに出掛けられた。
ムックとティンクは、デッキに寝そべって、日向ぼっこをしている。夫とあっこちゃんも、連休で久しぶりに忙しかったので、お昼ご飯を食べて、暖炉の前で伸びている。わたしも、瞼がだんだんくっついてきたので、チェックインの時間の前に、ひと寝入りしようと思う。


11月22日
餃子パーティー
ようやく餃子の季節がやってきた。毎年、冬のシーズンになると、皮から餃子を作る。4月末以来7ヶ月ぶりに、ようやく餃子作りを出来る余裕が出てきた。せっかくなので、夕べは、ご近所で一人暮らしをするお友達を招いて、餃子パーティーをすることにした。
昨日は、焼き餃子用と水餃子用に2種類の餡を作った。豚肉にキャベツとねぎのシンプルなものと、白菜、セロリ、干しえび、干ししいたけを入れた、ちょっとこくのあるものにした。中国人や、中国で生活したことのある方にうかがうと、餃子の餡は、本当に自由で無限なのだ。これでなければ、とおっしゃる方もいるが、薫風舎は中国流で。
昨日は、それに大好きなベトナムサラダ、それから冷蔵庫に小松菜があったので、それと帆立を、黒豆みそトウチジャンとオイスターソースで炒めた。
飲めない面々ではあったが、お土産の白ワインを開けて、好きな音楽を聴き、おしゃべりをしながらゆっくりと食事を楽しんだ。これを至福の時といわずして、なんという、と思いたくなるような幸せなひと時であった。
お客様が帰ったあと、なんともいい気分で、主人はPhotoClip東北旅行の最終回を書き上げ、あっこちゃんと私は、夜中の星を眺めながら、ムックとティンクと散歩に出かけたのだった。


11月21日
よい天気
今日は、11月下旬とは思えぬ陽気だ。燦々と降り注ぐ太陽に、周りの雪は全部溶けてしまった。純白の十勝岳連峰が、誇らしげにそびえたっている。気持のよい陽気に仕事もはかどって、ビーツの下ごしらえも今日でようやく終わった。遅れていた扇風機の片付けも終了した。明日は窓拭きをしようかと、三人やる気満々である。
それでも、お昼を過ぎると早々と日が傾きだして、やはり季節が確実に冬に向かっていることを思い起こさせる。


11月20日
流星ボケ
19日午前2時、ご常連Yさんとともに4人で出発した、十勝しし座流星群ツアー(昨日のひとこと参照)から、ようやく薫風舎へ帰りついたのが、朝8時前。夜が白々と明けてくるにつれ、4人の頭はもうろうとしてきた。運転している主人に悪いと思いながら、私は助手席で、何度も気を失った。徹夜明け独特の気持の悪い感じを味わったのは、何年ぶりだろう。美瑛のセブンイレブンで朝食を買って、さっさと食べて、皆すぐにベッドにもぐりこんだのだった。
お昼過ぎに、なんとなく皆起きだして、紅茶を飲んだり、お昼ご飯を食べたりしたが、どよーんとした空気は、いつになっても抜けなかった。暖炉の前で、みかんを食べながら、だらだらと過ごしていると、だんだんに日が暮れてきた。なんと言う澱んだ一日だろう。
こうなったら、温泉でも行くか。という話になった。用意をして家を出る頃には、もうあたりは真っ暗であった。なんだか、暗くなると活動をはじめる、あやしい4人組である。東神楽町の花神楽でゆっくりと温泉に浸かって、旭川で夕食を食べた。おいしいソフトクリームも忘れてはいない。
帰ってきたら、Yさんも私たちも、明日からの日常生活に備えて、いつもより早く布団に入ったのだった。おかげで今日は、薫風舎にいつもの朝がもどってきた。


11月19日
流星を追って
夕べ、ちょうど泊まりにいらしていたご常連Yさんと、しし座流星群をどうするか、と相談した。一番のピークが午前3時前後ということだ。もちろん、起きて見るつもりではあるが、どうも薫風舎上空の空模様は微妙だ。十勝の方まで行けば、間違いなく晴れているだろう。もしこのあたりがダメなら、狩勝峠を目指そうか、という話になった。とりあえず、1時半にラウンジに集合することにして、少しばかりベッドに横になった。うとうとすると、すぐに目覚ましが鳴った。
やはり、美瑛では見れそうにない。急いで防寒用具をそろえ、熱いコーヒーをポットに入れて、4人で星空を求めて出発したのだった。
白金街道を山に向かい、インフォメーションセンターから富良野方面へと向かった。厚い雲に覆われていた空から、ひとつふたつ星が見えはじめ、皆窓の外に向かって目をこらした。すると程なく、ピュンっと、何かが空を走った。あっと叫ぶ間もなく、またひとつ、ピュンっと光が流れた。うす曇でも、はっきりとわかった。
道は、テカテカのアイスバーン。はやる気持とは裏腹に、車はそろそろと先を急いだ。麓郷の山の中まで行くと、だんだん雲が切れてきたので、一旦車を止めて外に出てみた。ライトを消すと、うっすらとかかった雲の合い間から、のべつ幕なしに流れるたくさんの星を見ることができた。「あっ!」「おおっ!」「すげぇ!!」4人は、もう言葉にならない言葉を発して、あんぐりと口をあけて空を眺めているだけだった。
とにかく先を急ごう。雲のない空を求めて、また出発した。国道38号線にでると、また厚い雲が出て来た。時間は刻々と過ぎていく。幾寅、落合と進んでようやく狩勝峠に差し掛かると、今度は、あまりにも明るすぎるライトに苛立った。時計は、3時半を回っている。どこか良い場所はないか。探している間にも、ピュンピュンと、たくさんの星たちが降ってくる。峠を越えると、雲はすっかり姿を消していた。4時を過ぎて、ようやくサホロの田園のなかに、暗くて見晴らしのいい場所を探し当て、皆外に出た。
満天の星空。そのそこかしこから、線香花火のように、数え切れないほどの流星が降ってくる。花火は、時に静かに、時には華やかに、上から、下からと、降り注いできた。「あっ!」「おお!」「すっげー!!」4人は、相変わらず叫びながら、いつまでも続く夜空のショーに、ただただあんぐりと口をあけていたのだった。
冷え切った体に、ローソンで買った肉まんをほおばりながら、ふたたび狩勝峠に上っていくと、十勝平野の向こうがかすかに焼けて、濃い煉瓦色に見えてきた。一番上でふたたび車を止めて眺めていると、煉瓦色のすぐ上に、見たこともないような大きな金星が、赤や黄色に色を変え輝いていた。少し明るくなってきた空に、また、ひとつ。ふたつ。流星が流れた。


11月18日
ミヤマカケス
昨日うちの畑で取れたビーツの下ごしらえをして、ボルシチを作った。さっきお昼に、夕べお客様にお出しした残りを主人と二人で食べながら、今日のひとことは「ボルシチ」にしようと思っていたら、ミヤマカケスが私の背中越し、裏庭に5羽6羽とやってきた。
冬は、裏の庭にやってくる野鳥を見るのが楽しみで、ミヤマカケスもめずらしくはないのだが、今年はどこへ行ってもやたらと見かけて、気になっていた。数も多いし、なんだか丸々と太っている。
ミヤマカケスはお洒落だ。グレイの体に赤茶色の帽子をかぶり、羽の先には黒と白、そして鮮やかな青のラインがちょいと入っている。鳩よりひと回り小さい大きさなので、野鳥の中でも、ひときわ存在感がある。すっかり葉が落ちてスカスカになった雑木林や、コニファー、こっそりと置いてある木の鹿のあたりを、皆でチョコチョコと遊びあるいて、またどこかへ飛んでいってしまった。


11月16日
仕込み
今日は久しぶりに日が差している。昨日までにずいぶん積もった雪が、少しずつ溶けて、表面が柔らかくなってきた。芝生も顔を出したし、屋根からは水滴がぽたぽたと流れ落ちている。
お天気が良いと、体も軽くなるように思う。今日は、秋に沢尻農園から分けてもらって、納屋の冷蔵庫に貯蔵してある大量のハネ人参の仕込みにようやく手をつけた。スープ用にピュレにして冷凍しておくのだ。今日は、3、5Kg。あと2、3回はやらなければいけない。それから家の畑で採れた、ビーツの仕込みや黒大豆の豆落し、ああ、考えれば考えるほどやることがいっぱいある。冬はけっこう忙しいのだ。なんだか思い出しているうちに、軽くなった体がまた重たくなってきた。いけない、いけない。がんばって早く片付けよう。


11月15日
憂鬱な雪
朝から雪が降り続いている。もう、デッキの上にも10センチ近く積もってしまった。今日の雪は、なんだかうっとうしくて、ちょっと憂鬱な雪だ。旅から帰って、部屋の中に閉じこもっていたムックとティンクも、憂鬱な気持ちになったらしく、さっき玄関の外に出たら、そのまま畑を突っ切って、500m先のムックの娘(らしい)ねねちゃんのところまで行ってしまった。ねねちゃんは、先日赤ちゃんを4匹産んだそうだ。そのうち2匹がまだいて、ムックとティンクを迎えに主人が行くと、ねねちゃんのまわりをうろうろしていたそうだ。まだ、一匹の行き先が決まっていないと聞いたが、その後どうなったか。とても気になるところだ。あとで、私も顔を見に行ってこようと思う。


11月14日

昨日から降り始めた雪は、だんだんと本格的になって、もうすっかりあたりは冬の景色です。窓の外には細かい雪が音もなく舞い降りて、時間の流れを徐々に変えていっているようです。夏とは違う、のんびりとした薫風舎の冬のシーズンの幕開けです。


11月13日
大きなツリー
昨日薫風舎に、大きなクリスマスツリーが届きました。この夏、薫風舎のお客様もたくさんお世話になった、「クラークホースガーデン」のクラークさんが、もって来てくれたのです。
山から木を切って、飾りをつけて、きれいなイルミネーションまでつけて、はるばる車で運んで来てくださいました。下の箱には「kunpoosha」と書かれてあります。ちょっとつづりの違うのが、また手作りっぽくて、ご愛嬌。昨日夕方、クラークさんとアンさんが、薫風舎のお風呂の前のデッキに取り付けてくれました。最後に、古ぼけた皮の長靴を無造作に枝に乗っけて、電気をつけると、もう気分はクリスマスです。
思いがけない嬉しいプレゼントに、雪の降る前の冷え切った空気も、急に暖かくなったようでした。今朝起きると、そのツリーに、ふんわりと白い雪がかぶっていました。


11月12日
ふくちゃん
きのうふくちゃんこと譜久島さんが、ふらりと泊まりに来て下さいました。譜久島さんは、昨年9月に薫風舎で行われたヴィオラ・ダ・ガンバとポジティフオルガンのコンサートの時に、演奏家の福沢さん、今井さんに同行していらした、リコーダー製作者でありガンバ奏者で、いまや日本の古楽界では、知らない人はいないというくらいの超有名人です。
ふらりといらしたというのは、本当はちょっと違っていて、ちゃんと2日前に電話で予約をして下さいました。そのとき、ちょうど私たちは、八戸から苫小牧に向かうフェリーのなかで、船の騒音と受信状態の悪さであまり会話ができず、かろうじて予約をお受けしたのでした。「ふくしま」という名字からすぐに「福島」という字を連想してしまったので、きのうチェックインのときにお顔を拝見してびっくりしました。
夕べは、遅くまでワインを傾けながら、楽しい話しに花が咲きました。譜久島さんは、沖縄で生まれ育って、現在は東京で音楽活動をされていますが、20年近く前から、美瑛をはじめ全道を自転車などで旅して歩いていた元祖「旅人」で、古き良き時代の美瑛のことも良く知っています。なんとも不思議な経歴の持ち主で、昨年同様、私たちはすっかり譜久島ワールドに引きずり込まれてしまったのでした。


11月11日
旅行を終えて
三陸海岸に差し掛かるところの太平洋から、ゆっくりと昇る日の出に始まり、苫小牧の海に沈むおおきな夕日に終わった、6泊7日の東北旅行から、昨日無事に帰ってきました。三人と二匹で車に乗って、季節を行きつ戻りつ、東北の山間に広がる美しい紅葉と、温泉三昧。そしてもちろん、おいしい三昧。
土産話もたくさんありますが、それはぼちぼち機会を見つけてご紹介することにいたしましょう。
一週間ぶりにもどってきた美瑛は、山の雪は若干多くなっているものの、穏やかな天気が続いたらしく、出発前とさして変わることのない風景です。さすがにぼちぼち雪になるのではないかと思われるので、夫とあっこちゃんは、旅の後片付けを大急ぎで終えて、すぐさま冬囲をしに外へ出ました。私も今すぐ行かなくては。


11月04日
雪とともに・・・。
朝起きると、静かに雪が降っていました。畑やデッキの上にうっすらと積もって、白くなっています。GWから続いた夏のシーズンも、今日で終わりです。
今シーズンも、たくさんの方たちとの楽しい出会いや再会がありました。今年は、沖縄からも何組か来て下さり、ゴーヤーマンや沖縄料理の話で盛り上がったなあ。
毎年この時期になるとあらためて思うのですが、体力的にはかなりきつい、夏のシーズンを無事乗り切ることができたのは、薫風舎へと足を運んでくださり、喜んでくださった大勢のお客様や、HPを楽しみにしてくださる方たちの支えがあったからにほかなりません。今年ほど、そのことを痛感したことはないように思います。皆さん、本当にありがとうございました。
さて、薫風舎は一週間ほどお休みをいただいて、冬のシーズンに備えたいと思います。そのあいだ、「今日のひとこと」もしばらくお休みです。一週間後、リフレッシュして帰ってきますので、どうかお楽しみに。


11月03日
旅行前日症候群
明日から東北旅行だ。どういうわけか私は、旅行の前日になるとなんだか急に、行きたくなくなる。楽しみに色々と計画を練って、わくわくしながら準備を整え、いざ出発の前日になると、テンションがぐっと下がってしまうのだ。ああ、こんなことなら家でゆっくりしていることにすればよかった、などと、ふっと頭をかすめて、面倒な気持ちになるのだ。当日になると、そんなことはすっかり忘れて、嬉しくてニコニコしながら浮かれて玄関を出るのだが、前日はダメだ。
今日も、朝起きるとなんとなくそんな気持ちになって、ため息をついた。それでも、ムックとティンクをお風呂に入れて、着る物をあれこれ考え、お昼を食べながら明日からの楽しい計画を3人で語り合って、少しずつ気持を高めている。しかし外は急に暗くなり、雨がざあざあと降り出した。
いかんなあ。こんなことでは。こんなことをグチグチと書いていると、ますます滅入ってくるので、今日はこの辺で止めておこう。とにもかくにも、楽しい旅行まで、もうひと仕事だ。


11月02日
冬訪れず
天気予報では、今日から3日間雪マークだった。昨日は大荒れで、生暖かい空気が入り込んできたので、いよいよ冬がやってくると構えていたら、今朝は青空が広がっていた。ちょっと拍子抜けしてしまった。
10月は暖かな陽気が続き、秋をいつになくゆっくりと堪能できた。贅沢なもので、そうするとなんとなく、心のどこかで雪が降るのを待っているようなところがある。朝起きて妙に明るくなった窓の外を見て、真っ白な世界にわくわくする気持は、いくつになっても変わらないものだ。


11月01日
夜のひまわり、朝のひまわり
おととい夕方旭川駅に、もう薫風舎ではすっかりお馴染みの、じっちゃんこと長谷川さんが到着しました。ちょうど滞在していた両親と一緒に、旭川で食事をして、東神楽町のこれまたお馴染みになった温泉「花神楽」で一風呂浴びて、帰りに裏道の農道を通ったら、月夜に照らされた広い広いひまわり畑に差し掛かりました。星空と、ぼんやり浮かび上がる旭岳、そして夜のひまわりを、風呂上りの火照った体を夜風に当てながら、みんなでしばらく眺めました。
そうしたら、どうしても明るくなった時の景色を見たくなって、次の朝、皆で早起きをして、また同じ場所に出かけました。身の引き締まるような寒さの中、6時前に薫風舎を出発すると、耕された土も、道端の草も、みんな霜で白くなっていました。日の出る前の十勝岳連峰は、見ているうちにだんだんと、かすかに桃色を帯びて、あたりも少しずつ明るくなってきました。夜明けの静寂に包まれた美しい景色を眺めながら夕べのところに着くと、旭岳、トムラウシ、十勝岳と続く大雪の山並が、遠くそびえていました。
車から降りるとやがて、トムラウシの少し左の方から、宝石のような光がほとばしりました。あまりの眩しさに目を細めながら見ていると、大きなまあるい太陽が、だんだんとその姿を現したのでした。
太陽は、上に昇るにしたがって昨日暗がりで見たひまわりや、カラマツ林、見下ろす風景に光を降り注ぎ、張り詰めた空気を和らげていきました。冬の手前の、あまりに美しい光景でした。


10月30日
小春日和
昨日とはうって変わって、おだやかな小春日和となった。昨日、両親と一緒に札幌からやってきた黒四ツ目犬「ボル」は、広々とした景色と降り注ぐ太陽にすっかり気をよくして、母と一緒に薫風舎の周りを、いかにもうれしそうに何周も何周も走ってまわっていた。
父は、朝食を終えると、スケッチブックと地図を持って、雪の十勝岳と黄金色のカラマツの景色を描きに出かけた。
母は、掃除機と雑巾を持って、館内清掃をしてくれている。主人とあっこちゃんは、外の畑と庭の後片付け。私は、ようやく衣類の秋物と冬物の入れ替えに手をつけた。
バタバタしているようで、なんだかのんびりした今日の薫風舎である。


10月29日
遅い朝ごはん
今朝は、8時過ぎにゆっくり起きた。寒くて曇った朝だ。
これから三人で、プライベートルームにて、はなまるマーケットを見ながら、遅い朝ごはんだ。ああ、なんという贅沢な時間。数ヶ月ぶりの休日の朝に、ささやかな喜びを感じていたら、落したてのコーヒーの、よい匂いがしてきた。


10月28日
木枯らし
今日は、昨日とはうって変わって木枯らしが吹き荒れている。掃除を終えて、何年ぶりかで寄ってくださった教員時代の大先輩中村先生ご夫妻と、お昼を食べながら楽しい歓談をした。幸先のよい日曜日のスタートとなるはずだった。そうしたら、薪屋さんがきて、この冬用の束薪をとりあえず半分の200束置いていってくれた。主人とあっこちゃんは、食休みも早々に外に出て、薪積みと植木鉢の整理をはじめた。私は、biei.comサーバー佐竹さんに電話で手伝ってもらいながら、最近調子の悪いパソコンと格闘していたら、4時半近くになってしまった。
5月の末以来の何も予定のない休日は、こうして暮れていったのだった。


10月27日
黄金のカラマツ
一昨日、富良野から桂沢湖、三笠を通って、札幌に行きました。富良野から桂沢湖へ抜ける峠を下ると、季節が逆行していくように、あざやかな赤や、黄色が少しずつ現れはじめました。桂沢湖の市街地に立つ一本の大きな銀杏の木が、眩いばかりに燃えていました。
昨日、爽やかな秋空の下、また同じ道を帰っていくと、今度は、前日通った時よりも確かに進んだ黄金のカラマツの山々に、目をみはりました。どうも私たちがいない間に降ったらしい、真っ白な新雪を裾野までかぶせた十勝岳連峰に映えて、冬が訪れる前の最後の輝きを放っている様でした。


10月25日
秋の終わり
今年の秋は、早く訪れてゆっくりと居座っている。ずいぶん長いこと、毎日少しずつ変化する風景を楽しむことができた。しかし、それももう、いつのまにか終局にさしかかっているようだ。
色あざやかだった裏の雑木林も、すっかり葉を落として、下に積もった落ち葉も枯れ色になってしまった。新緑の頃から緑を誇っていたカラマツも、今はもうすっかり黄色くなって、陽があたると金色に輝いている。
10月の終わりだというのに、一度も白いものが降らないから、なんだかこのまま季節が止まってしまうのではないかという錯覚さえ覚える、おだやかな晩秋である。


10月24日
「格子」で打ち上げ
昨日は、本宮さんが泊まられる最後の夜でした。ほかにお客様がいらっしゃらなかったので、4人で旭川に行って、先日のコンサートと薫風舎の夏のシーズンの打ち上げをしました。
「格子」は、旭川の4条通沿いにある、本当に小さなお店です。居酒屋というにはあまりにお料理がちゃんとしているし、小料理屋という感じでもないし、しいて表現するならば和風のビストロとでもいいましょうか、とても品のある、そして上質のおいしさを味わえるお店です。6月13日、シーズン前最後の休みも、ここでした。今年は、シーズンの初めと終わりを「格子」で過ごしたことになります。
昨晩は、次々と出てくるとびきりおいしい料理と、いつまでもつづく愉快で楽しい話に、いつしか4人ともすっかり幸せな気分に浸りきっていました。
本宮さんは、3日間、昼間は森を歩いたり、野鳥を探したり、丘の景色を眺めたりして過ごされ、夜はムックとティンクをずいぶん遠くまで散歩に連れて行ってくださって、今朝早く、次の演奏会場である青森へと発たれました。今日は、薫風舎がなんだか寂しく感じられます。


10月23日
秋の夜長のコンサート
10月20日、深まる秋の夜。その日お泊りのお客様や、ご近所で親しくしている友人を招いて、本宮寛子さんのミニコンサートが行われました。
プログラムは、「宵待ち草」、「赤とんぼ」、「ペチカ」という日本を代表する歌曲と、「O Sole Mio」、プッチーニの歌劇 Gianni Sshicci より、有名なアリア「O mio babbino caro」。誰もがよく知っている美しい曲ばかりです。
本宮さんの、繊細でやさしさあふれる歌声がラウンジいっぱいに響きわたり、この珠玉の名曲の数々が、素晴らしい表現力によって、聞いている人たちの心をしっかりととらえたのでした。
アンコールのグノーのアヴェマリアを演奏し終わると、それぞれの顔に幸せがあふれていました。そのあとワインを傾け合いながら、皆、いつまでもいつまでも、コンサートの余韻に浸っていました。


10月20日
本宮寛子さんのこと
今日から、本宮寛子さんが滞在されます。本宮さんは、ニューヨークカーネギーホールをはじめ、ヨーロッパ各国での演奏会、オペラ公演で活躍されているソプラノ歌手です。また国内では、藤原歌劇団のプリマドンナとして、日本を代表する活躍をされておられます。
2年前に、偶然薫風舎へお泊りいただき、その素敵なお人柄に、すっかり引き込まれてしまいました。夜、私の持っている数少ない声楽の楽譜のなかから、素晴らしい歌声を披露してくださいました。
今回は、昨晩行われた札幌でのリサイタルのあと、薫風舎で数日のんびりされるそうです。演奏会のあとのお疲れのところ、今晩は、お泊りのお客様のためにミニコンサートを開いてくださることになりました。恐れながら、私が伴奏を勤めさせていただきます。ピアノの調律が入る前に、もう少し練習をしたいと思います。


10月19日
あめ色の景色
晩秋の夕暮れは独特だ。色がかわりはじめたカラマツや、葉のわずかに残った広葉樹、芽の出たばかりの秋蒔き小麦や、耕された土。目の前に広がっているすべてのものが、傾きかけた陽の光を浴びて、急にあめ色に輝きだすのだ。
あまりの美しさに呆然としてみていると、やがて雲の少しかかった十勝岳に夕日があたり、ランの花のような色に染まった。しばらくしてまた窓の外を見ると、もうその輝きは消えて、色のない風景へとかわっていた。


10月18日
あっこちゃん札幌へ行く
今日これから、あっこちゃんは札幌へ行きます。私の所属する札幌コダーイ合唱団の12月の演奏会、ヘンデルの「メサイア」に出演するため、今月4日に続いて練習に参加するためです。お客様がいらっしゃるので、私は留守番です。
薫風舎へ来るまでは、Jポップくらいしか聞いたことのなかったあっこちゃん。この一年半で、すっかり私たちに洗脳されて、クラシックやジャズに興味が移ってしまいました。音楽経験はゼロに等しいあっこちゃんですが、せっかく2年にわたってここで生活しているのだから、一生に残る体験をと、合唱に挑戦することとなりました。
前回は、団員の人たちに温かく支えられ、無事コダーイデビューをはたしたようです。さあ、本番まであと一ヵ月半。初舞台に向けて、全力を尽くして欲しいと思います。


10月17日
晩秋の時
気がつくと、裏の雑木林も、川べりの木々も、ほとんど葉が落ちてしまいました。外に出ると、雨が降る前の冷えた空気に、また少し季節が動いたことを感じました。晩秋の、何か物憂げなこの雰囲気を、私は嫌いではありません。
時間の流れが少しずつゆるやかになって、こころもからだも、夏の間の緊張が、ようやく解きほぐされていくような、そんな感じがします。


10月16日
まーぼのこと
昨日、厚田村聚富中学校時代の教え子、まーぼこと北村雅典が何年かぶりに泊まりに来ました。13年前、わたしが聚富最後の年に担任した生徒で、当時中一でした。小中併置校で、彼が小3だった頃から音楽を教えていたので、中一にあがってきた時には、すでによく知っていました。
薫風舎ができてからも、2度ほど泊まりに来てくれましたが、久しぶりの再会は、奥さんと子供、奥さんのおばあちゃんも一緒。今年26歳。こちらも年をとるはずです。
前に来た時は、美容師になり立てで、まだシャンプーしかさせてもらえないと嘆いていました。「まだ続けてるの?」と聞くと、「やってるよ。」と自慢げに答えました。「前に来た時、辞めたい辞めたいって言ってたしょ!」と、教え子としゃべるとこっちも北海道弁丸出しです。「えー?そうだっけ?まあ、一年目はどうしてもねぇ。」小3の時から変わらぬ笑顔で、答えたのでした。
一歳半になる息子優太を抱っこしながら、その重みに教え子の成長を感じて、この上なくうれしくなりました。


10月15日
陽の光
ほぼ一週間ぶりに、朝からきれいに晴れわたっている。まわりの木々もずいぶん葉が落ちて、見通しがよくなってきた。雪の降る前のこんなにいい陽気も、きっと数えるほどだと思うと、無性にどこかへ出かけていきたい気持に駆られるが、今日は仕込みもたくさんあるし、どうも無理そうだ。せめて、デッキへ出て、久しぶりの陽の光を浴びようと思う。


10月14日
思いがけなく
昨日、急に食材が切れた。注文しても、届くのには数日かかるから、どうしようかと、困ってしまった。土曜日で、食材屋も休み。旭川のデパートなら、何とか代用品があるのではないか、と話ながら、掃除をしていた。
やはり買いに行かなければダメか。今から掃除を終わらせると、12時近くになってしまうが、それでも行かねばならぬ。・・・てことは?・・・「お寿司か?!」何でそういう発想になるのかね。困ったと言いながら、皆で顔を合わせて、思わず口元が緩んでしまった。
それからの三人の働きぶりといったらない。疲れた体のどこからともなく、変なホルモンが分泌したらしい。大急ぎで掃除を済ませて、雨の中旭川へと向かった。
真っ先に向かったのは、デパートではなくて、久しぶりの回転寿司。旭川では自慢のすし六だ。小気味よく注文をして、小気味よく口に放り込み、さっさと買い物を片付けて、三人満腹のお腹を抱えて、チェックインの時刻には、薫風舎へ滑り込んだのだった。


10月13日

今朝は朝から雨。このところ、天気予報は見るたびに悪くなっていく。デッキの向うの白樺の木の葉が、黄土色になっている。まわりのカラマツ林は、かすかに黄色みを帯びてきている。裏の道は、落ち葉の絨毯。お天気が悪いと、紅葉の景色は、なんとなく寂しくみえてしまう。
バッハの無伴奏チェロソナタが聞こえているからだろうか、今日は朝から、時間が止まったような、重厚な風景だ。


10月12日
マッサージディズ
昨日までの3日間にわたり、主人、あっこちゃん、私の順で一日ずつ、マッサージに行ってきました。とにかく休みなしで、3人とも身体はへろへろ。あと3週間あまりがんばりぬかなくてはいけないので、こうなったらマッサージに頼るしかないという寸法です。
マッサージ初体験のあっこちゃんは、一時間半の極楽に大満足して帰ってきて、夕方まで爆睡。夜の仕事を終えたら、またまた早々と床に入り、朝まで熟睡したそうです。
私は、バリバリの背中と肩をこれでもかというほどほぐしてもらって、スッキリしたのですが、朝起きると、湯あたりでもしたような、どうしようもないだるさにみまわれ、全身もみ返し状態です。明日には復活できるに違いないと、きたいしつつ、ちょっと昼寝をしようと思っているところです。


10月11日
深まる秋
秋はだんだん落ち着いた色合いになってきました。昨日旭川からの帰り、両脇に植えられた銀杏の木が、金色に輝いていました。まわりの山々は、だんだん渋みを帯びた赤や黄色にかわり、深まる季節を感じさせてくれます。
おとといあたり、雪虫がたくさん飛んでいました。雪虫が飛ぶと、一週間くらいで雪が降るといわれます。このあたりも、一度白くなるのでしょうか。


10月10日
誕生日
昨日10月9日は、薫風舎7周年のオープン記念日でした。そして、それはまた、ムック9歳の誕生日でもあります。といっても、ムックは6年前の昨日、今は亡きチャイが連れてきた迷い犬なので、本当の年も誕生日もわかりません。それで、ムックが我が家にやってきたその日を、誕生日と決めたのです。
オープン一周年記念日前夜の土砂降りの日、チャイと私は散歩に出かけ、そのままチャイは姿をくらましました。心配しながら朝を迎え、朝食の後片付けを終えて、迎えに道まで出てみると、チャイが、へらへらと笑いながら帰ってくる途中でした。そして、その後ろから、ぼろ雑巾のようなドロドロの犬がついて来たのです。首輪をつけていたので、帰るだろうと思ってみていましたが、その後数日たっても一向にうちから離れることなく、朝お客さんに愛想を振りまいたり、夜はデッキからじっとこちらを見ていたりしていました。あちこちに聞いてみても、飼い主は見つからず、役場に頼んで、防災無線で流してもらうように電話をしました。
すると、間もなく、鎖を持ったおじさんがやってきて、その犬を捕まえようとしたのです。その犬は、驚愕して主人の足にしがみつきました。驚いて聞くと、防災無線で流して夜までに連絡がなければ、医大に連れて行くというのです。私はびっくりして「この子はうちで引き取りますから、帰ってください!」と叫びました。その日から、その犬は私たちの大切な家族となったのでした。
あれから6年、ムックにもたいへんなドラマがたくさんありました。そのことは、冬にでもムック物語として薫風舎日記に連載せねばならないと思っています。
そのムックも昨日で9歳。とても老犬とは思えない食欲と健脚ぶりで、毎日ティンクと芝生で格闘しています。


10月09日
丘を散歩
昨日、秋らしい青空に誘われて、丘のほうへ出かけた。あっこちゃんは、名古屋から泊まりに見えているお母さんとおばあちゃんと一緒にお昼を食べに行ったので、めずらしく私たち夫婦ふたりとムックとティンクで出かけた。
久しぶりに、駅の近くの広島風お好み焼き「もみじ」でたらふく食べて、セブンイレブンでおやつと飲み物を買ってから、マイルドセブンの丘に行った。
私はマイルドセブンの丘をちゃんと見たのは、実をいうと初めてかもしれない。落葉樹の生い茂る沢やまわりの山がいい具合に紅葉していて、十勝岳や旭岳、遠くトムラウシまで見渡せる丘の景色は、本当に気持がよかった。景色を見ながら、私たちは買ってきたプリンを食べ、ムックとティンクはベビーチーズをほおばり、それからてくてくと丘を散歩した。気持のよい空気をいっぱい吸い込んで、ちらほらと車でやってくる観光客に混じって、しばし幸せなひと時を味わったのだった。


10月08日
デッキ
今日は、昨日にもましてよいお天気だ。きりっと引き締まった空気が、太陽が昇るにしたがって、少しずつ緩まっていくのが心地よい。そんな気持のよい朝に、お客様がデッキの椅子に座って、のんびりと山やまわりの木々を眺めているのを見るのは、とてもうれしい。
季節が大きく移り変わる前に、少しでも長く、そんなデッキの風景を楽しみたいと思う。


10月07日
太陽
朝、まぶしい太陽に誘われて、コーヒーを持ってデッキに出てみた。草や土や、そんなものが入り混じったいい匂いがした。山をすっぽりと覆ったガスと澄んだ青空のちょうど境目くらいに昇った太陽は、夏よりもずいぶん南に位置を変えている。その光に暖められて、デッキの前のきれいに耕された黒い土から、かすかに水蒸気が立ち上っていた。


10月06日
とうきびの楽しみ
北海道では、とうもろこしのことを「とうきび」と言う、ということを、とうきびの話題のたびに書かなければいけない。主人もあっこちゃんも、「とうきび」ではぴんとこないらしいので、北海道以外では知られていない呼び方なのだろうが、私にしてみると、「とうもろこし」では、どうもすましていて、おまけにおいしくなさそうに聞こえるのである。
まあ、そんなことはどうでもよいが、8月からくりじゃがとともに朝の顔となっていたとうきびも、もうぼちぼち終わりに近づいている。いつもいつも朝早く、もぎたてを届けてくださる沢尻さんからは、霜が下りたら終わりだよ、と言われているので、もういつ終わってもおかしくないのだ。
アスパラととうきびは、採れたてにはかなわない。朝、茹でたてにかぶりつくと、口いっぱいにどうしようもないほどのとうきびの香りと甘さが広がる。それは、お客様だけではなく私たちにとってもたまらない楽しみであった。自分たちではとても真似できないが、沢尻さんは、本当に上手に時期をずらし、2ヶ月近く極上の旬の味を届けてくださった。このとうきびの楽しみ、あと何日続いてくれるだろう。


10月05日
忘れた・・・。
夕食の仕込みの時間を過ぎてから、急ぎのメールの返事を送信していて、はっと思った。「今日のひとこと」の更新を忘れていた・・・。時計を見たら、午後4時40分。どうしようかなあ、と思いながら、毎日楽しみにしてくださっている方もいるのだからと思い直し、結局こんなつまらないことを書いている。
忘れたことで、シーズンの疲れをあらためて感じ、頭も身体もよりいっそうどんよりしてきた。ううっ。こんなことではいかん。がんばろう!!


10月04日
大根のまぼろし
デッキの前の大根畑は、9月の末から永さんが、家族総出で少しずつ収穫を進めていました。抜いていいよ、というお言葉に甘えて、うちでも2回ほど畑からいただきました。
収穫を終えた畑には、ハネといわれるちょっと曲がったり割れたりした大根が放置されます。出荷できる大根と同じくらいあるのではないか、というくらいたくさんの大根が、抜いたまま畑に置かれるのです。味はまったく変わらないのに、もったいない!と思うのですが、もし取れた大根を全部出荷するとすると、値崩れを起こしてしまうという、むずかしいところもあり、簡単には、はたから言えない問題です。
それはさておき、あのハネ大根を、収穫の終わったところからせめてうちで食べる分だけでも頂戴しておこう、といつもいつも思いつつ、先送りにしていました。そろそろ収穫も終わりに近づき、昨日は、強い風の中、朝早くからずいぶん長いこと収穫していたので、作業が終わったら畑に行こうと思っていました。ところが、午後ラウンジの方に出てきて、唖然。目の前にはきれいに耕された畑が広がっていました。うかつだった。と悔やんでもあとの祭り。まぶたには大根のまぼろし。あの沢山の大根は、ひとつ残らず畑の肥やしとなってしまったのでした。


10月03日
黄色い畑
最近出掛けるたびに、そこここに、満開のキカラシや小さいひまわりの広い畑を見つけます。収穫の終わった畑に、緑肥として植えられた花は、夏とはまた違ったやさしい色で、私たちの目を楽しませてくれます。


10月02日
紅葉と温泉
一昨日、昨日と、二日連続で山の方まで行ってきました。おとといは、白金温泉に浸かって、模範牧場をまわって帰ってきました。きのうは、お客様の情報につられてもう少し足をのばし、十勝岳の上の凌雲閣まで行って、カミホロ荘で温泉に入りました。
どちらも雲の多い天気でしたが、山の紅葉は見事でした。車を走らせると、場所によって、高度や生えている木の種類がちがうため、ダイナミックな色の変化を楽しむことができます。あざやかな燃えるような赤が、黒に近い深い緑色の松や白みがかった熊笹のうす緑にひときわ映えて、目をみはりました。
私がどんなに一生懸命書いても、一枚の写真にはとてもかなわないので、この先は、どうぞPhoto Clipをご覧ください。
二日連続で温泉に浸かって、体の方からは、どばっと夏の疲れが出てきたようで、いまだにだるさが残る3人であります。


10月01日
秋の丘
毎年この季節になると、私は秋の丘が一番好きだ、と思う。今朝、お客様を送りに駅まで行く途中でみた丘の風景に、あらためてそう感じた。
華やいだ夏の景色も、それはそれなりにきれいだが、美瑛の丘が一番表情豊かになるのは、やはり秋ではないだろうかと思う。
収穫を終えた耕された土の色と、これから収穫を待つ畑の成熟した緑、ようやく芽を出した新しい緑、それに、ニオと呼ばれる豆を集めてビニールシートをかけた小さいポコポコが土の上に点々と広がる畑が、いく重にも折り重なる。沢の雑木林のさまざまに色づいた木々が、落ち着いた表情を添える。秋の足の長い日の光と澄んだ空気が、独特な光かげんで、その風景をよりいっそうドラマティックに演出してくれるのだ。


9月30日
東北ふたたび
いや、ふたたびというのはおかしい。去年の今ごろ、この「ひとこと」に書いた11月の東北旅行は、宿もフェリーも予約して、食べるところも全部決めたのに、急に都合が悪くなって、結局中止になってしまったのだ。
中止になったそのときから来年必ずこの計画を実現しようと、3人は一年間じっと待っていた。そしてようやく、シーズンの長いトンネルも出口がちらちらと見え始め、先日からふたたび取り寄せた資料やガイドブックを開きはじめたのだった。
昨年は、遠野花巻をメインに、秋田の乳頭温泉と八戸のこだわりの宿でのおいしい三昧という予定であったが、今年は乳頭温泉鶴の湯が取れなかった。慌ててどこか代わりの温泉を探した。色々考えているうちに、前からやはり気になっていた、玉川温泉が浮かんだ。電話をするとそこも満室。すぐ近くに同じ泉質の新玉川温泉があったので、そこに決めた。色々調べると、玉川温泉の泉質は、強酸性で驚くべき効能があり、ガンまでも治す奇跡の温泉だそうだ。今シーズンは、思いのほか忙しい日が続き、3人へろへろになっているので、1泊ではもったいない気がして、遠野花巻は1泊に削り、2泊3日じっくり温泉に浸かって、たまった疲れを癒すことにした。
とにもかくにも、11月の東北旅行が決まって、3人ともあと一ヶ月をなんとかがんばりぬく気力がわいてきたのだった。


9月29日
桜の葉
毎日深まる秋をながめていたら、気がつくと9月ももう終わりにきています。畑の向うの美沢小学校の校庭に植えられた桜の木の葉も、みるたびに深い赤のところがふえて、アスパラ畑のふわふわゆれる黄緑、えん麦の濃い緑、耕された土の色が層になって見える景色のその奥に、季節の彩りを添えてくれています。


9月28日
カレーに走る!
昨日、東京下町は千住で小さい宿を開こうと計画している、とても魅力的なお客様、川崎さんが泊まられた。新聞の記事で見つけた、ものすごく良さそうな札幌のカレー屋に、これから行かれるとのこと。1日遅れで入って来たうちの新聞にも、その記事が出ていて、いかにもおいしそうな大きな写真に、わたしたちも、一刻も早く食べに行かなければと、使命感にも似た気持になってしまった。
チェックアウト前にカレーの話でひとしきり盛り上がったおかげで、三人すっかりカレーに取り憑かれ、全館清掃をはじめても、カレーが食べたいとうわごとのように繰り返したのだった。「カレーが食べたい。」「どこのカレーが?」そう、あの写真に少しでも近いカレーといえば、旭川医大の近くの「インド」のジャジャハニカリーしかないということになり、しかしこの時間から清掃を終えて食べに行くのは不可能というため息のあと、結局私がタッパーを持って、旭川まで買いに走ることになってしまったのだった。
我ながら信じられない展開に戸惑いつつも、お財布とタッパーを持って、気がつくと車は出発していた。お昼過ぎにようやく帰りつくと、主人とあっこちゃんが、バナナラッシーを作って、首を長ーくして待ちわびていたのだった。


9月27日
旭岳
昨日は、沖縄からのお客様、鈴木さんを誘って、4人で旭岳に行った。旭岳の上まで行くのは、6年ぶりだ。紅葉の便りを聞いても、なかなかその時期に出かけることができなかったのだが、昨日は恐ろしいほどの青空に誘われて、急いで掃除を済ませて、いそいそと出発した。
お昼前に到着したので、先に食事を済ませ、ロープ−ウェイに乗った。鮮やかな赤や黄色の紅葉は、きっと長く雲に覆われている間に、終わってしまったのだろう。眼下に広がる山の景色は、エゾ松の深緑と、熊笹の薄青緑、そしてくすんだ赤や黄色が入り混じり、落ち着いた美しさを見せてくれた。その深まる秋の色と、目にまぶしい青空、そしてわずかに残った白い雪の対比に、4人は息を飲んだのだった。
姿見駅から、岩の階段を昇ったり降りたり、一時間ほどのトレッキングは、あまりの美しさに時を忘れるほどだった。が、帰ってみると、運動不足で弱った筋肉にはけっこうこたえたらしく、いまだ残る疲れに情けなさを感じた。


9月26日
うたた寝のあと
昨日は、朝から厚い雲に覆われていた。お昼過ぎに、主人とあっこちゃんが買いだしに出かけた。めずらしく一人で留守番となったわたしは、お客様に人気のオットマンという足のっけ付きニーチェアに足を投げ出して、下まですっぽりと雲に覆われた山の方をぼんやりとみながら、先日東京で買ってきた、ヘレベヘのバッハアルトカンタータ集を聞いていた。
あまりの気持ちよさに、いつのまにかうつらうつらしていたらしい。三時過ぎに主人たちが帰ってきた音ではっと目が覚めると、目の前には青空が広がっていた。びっくりしているうちに、山のあたりに残っていた雲も、どんどん後方へと去って、やがて落ちかけた日が当たって、山肌まではっきりと見える秋の山が姿を現した。そこには、一昨日あった雪はほとんど消えて、緑にかすかに紅葉の色が見える山だった。もう少しすると、山のあたりにふわふわと浮かんだ雲に、夕日が当たって、ピンク色に染まった。


9月25日

9月の始めに東京に行ったとき、中央線に乗って三鷹へ向かう途中、窓の外を見ていてはっとしたことがある。その日は、朝から曇りだった。高層ビルの間を抜けて、背の低い住宅街へと電車が進んでいくにしたがい、空を遠くまで見渡せるようになった。その空が、色紙でも貼り付けたかのように、どこまでも同じ色なのだ。
ここに住んでいると、どんなに厚く雲に覆われた時でも、雲には表情がある。ふわふわとした質感がある。まるで水彩絵の具をにじませたような、モノトーンのコントラストは、見ている間に刻々と移り変わっていく。
ところが、あの日の東京の曇り空は、どこを切ってもまったく同じ色だった。昔観たアメリカのTV映画「プリズナーNo6」や、ジム・キャリー主演「トゥルーマンショー」にでてくる、近未来の擬似世界を思い出した。なんだか、ドームの中に閉じ込められているような薄気味悪さを感じた。


9月24日
収穫の風景
先日から少しずつすすめられていた、前の畑の大根の収穫が、今ちょうどデッキのところまできています。永さんご夫婦と息子さんの三人で、手作業の収穫。おかあさんが、片手に一本ずつ大根を持って引き抜き、それを畑にきれいに並べていきます。おとうさんが、きれいに並べられた大根の葉の部分を、専用の刃のついた棒を上から押し付けて切っていきます。それを、皆でトラクターのバケットに、きちんと並べていきます。朝早くから、黙々と、静かな収穫が続けられていました。
朝食を終えて、今朝は火のついていない暖炉の前に集っていたお客様は、目前で繰り広げられる、めずらしい大根の収穫の光景に、みなじっと目を凝らしていたのでした。


9月23日
新雪
こんなに晴れたのは、何日ぶりだろう。記憶では、確か東京に行った日以来だから、もう、2週間以上はたっていると思う。
薄水色の空には、雲ひとつなく、暑さの届かない白く輝く太陽が、季節が大きく移り変わっていることを知らせてくれている。昨日降ったばかりの、十勝岳の新雪が、目にまぶしく飛び込んでくる。


9月22日
冷え込み
今朝外を見ると、厚い雲のかかった十勝岳連峰の、雲の下から少し見える裾野が、ずいぶん下まで白くなっていました。空は、灰色の雲と青空が大きく入り混じり、きりっと引き締まった空気とともに、まわりの景色に不思議な緊張感をもたせています。
今日、薪ストーブにはじめて火がともりました。


9月21日
冷たい空気
今朝は、天気予報に反して、青空とやわらかな日差しがまだ残っている。外に出ると、身が引き締まるような冷たい空気。毎日少しずつ、季節が移り変わっているのがわかる。


9月20日
赤メンチ白メンチ
昨日朝刊に「洋食屋純平」の折り込み広告が入っていた。フライ料理や釜ご飯のおいしい「純平」は、美瑛のお気に入りのレストランである。去年は、この「ひとこと」に、新メニューカレー天丼のことを書いた。おいしかったなあ。・・・が、去年の暮れから粗食を心がけている私たちは、揚げ物をなるべく頭に思い描かないようにしているので、このところすっかり「純平」から遠ざかっていたのだった。
昨日も気が付かないふりをしようとしたが、「新メニュー!!」の大きな文字に、ついつい目が止まってしまった。「赤メンチ、白メンチ」。むむっ??そそられる言葉だ。いけないと思いつつ、チラシを手にとる。牛肉と豚肉の赤身を使った赤メンチと、鶏の胸肉ともも肉を使った白メンチ、二種類のメンチカツが登場。はっと我に帰ると、もう心はその二つのメンチカツに釘点けになってしまっていた。そして、三人大急ぎで掃除を済ませ、「洋食屋純平」へと、車を走らせていた。
以前なら迷わず「松」を注文した私たちだったが、さすがに良心がとがめて「竹」にしておいた。私とあっこちゃんが白メンチ定食、主人は赤メンチとエビフライのセットだ。ほどなく、アツアツのメンチカツが運ばれてきた。まあるい大きいのが三個。お箸で割ると、肉汁がジュワッと出てきた。鳥肉のさっぱりした淡白な肉にたまねぎの甘さがちょうどよい。「純平」には参るなあ。久しぶりに、おいしい揚げ物を食べて、ほくほくしながらうちに帰った、というのはウソで、すっかり気を良くした私たちは、こともあろうか、ソフトクリーム屋さんにまで寄ってしまったのだった。


9月19日
やまぶどう
今朝、久しぶりにぷらぷらと歩いてみました。大きな木の枝にもたれかかるように、鮮やかな赤い葉が垂れ下がっています。やまぶどうの葉です。遠くの山の、深い緑のところどころにも、ちらほらと同じ赤が見え始めていました。
去年、おととしと、秋を彩るこのやまぶどうの葉が、全然赤くならなかったのを、思い出しました。少しずつ深まっていく山の風景の中に、いつまで待ってもやまぶどうの赤があらわれず、やがて紅葉が終わってしまいました。
今年は、真っ先にやまぶどうの赤を見つけて、にわかに秋が楽しみになりました。


9月18日
収穫期
北村さんも、笹本さんも、まわりの農家の人たちはみな、このところずいぶん遅くまで仕事をしています。9月は思いのほか天候がよくなかったので、天気予報をにらみながら、夜中までの収穫作業が続いています。先日小原さんは、土砂降りの中12時を過ぎても、とうもろこしの収穫をしていました。
デッキの前の永さんの大根畑も、今収穫真っ盛り。時期をずらして種を蒔いたので、端から少しずつ収穫し、ちょうど三分の一くらいのところまできたでしょうか。
お昼にうちでも、大根を一本畑からいただいて、大根おろし入りの温ぶっかけうどんと、大根菜とシラス干しの炒めご飯を作りました。主人が疲れて、今朝からダウンしてしまったので、あっこちゃんとふたりでいただきました。


9月17日
秋めく
今年は、ずいぶん早くから、まわりの木々が色づきはじめました。見るたびに、少しずつ黄色くなっていく葉の色が、まわりの景色をぐっと秋めいたものにしています。


9月16日
演奏会
札幌での演奏会を終えて、昨日お昼過ぎに美瑛に帰ってきました。
一昨日、久しぶりに札幌に降り立ち、美瑛よりも少し暖かい空気を吸いました。ゲネプロが4時からだったので、15分くらい前に北一条教会へ到着し、ドアを開けると、音作りをしている今井さんのオルガンの音が響いていました。
楽屋に荷物を置いて、中村先生や合唱団の仲間たちのなかに入ると、久しぶりの再会を喜び合うというよりは、なんだか昨日までずっと一緒にいたような、あたり前のような居心地のよさを感じました。その空気感が、本当に温かくて、ありがたくて、私はそんな中で、本番を迎えたのでした。
演奏会のことを知って、遠くから応援のメールや、お花を贈ってくださった方もいらっしゃいました。ステージに乗ると、薫風舎からも、たくさんの方が演奏会を聴きに来てくださいました。応援してくださった方々、温かく迎えてくれた合唱団、そして、こんな忙しい時期に演奏会に出ることに協力してくれた家族。本当に大勢の人々に支えられて、私はしあわせな時を過ごすことができました。アンコールの「この夏のよき日に」を歌いながら、今ここにいられることを、心から感謝したのでした。みなさん、本当にありがとうございました。


9月14日
当日の朝
いつも本番当日はバタバタしてしまう。黒ロング(黒のロングスカート)やブラウス、靴など、その日になって用意するからだ。毎回、ああ昨日までにちゃんとしておけばよかったとぶつぶつ言いながら、鞄に詰めるのだ。
お昼の電車で札幌に向かい、夕方からゲネプロ(本番前のリハーサル)。わたしは、そこではじめてみんなと声を合わせることになるので、さすがにちょっと緊張感がある。事情をわかって、こんな身勝手でふとどきなことを受け入れてくれた仲間に迷惑がかからないように、またそれより何より自分自身、悔いのないステージを踏むために、今日は身を引き締めて、本番に臨みたいと思っている。


9月13日
演奏会直前
20世紀のハンガリーの作曲家、コダーイ・ゾルターンの「Missa Brevis」は、第2次世界大戦の最中に書かれました。重々しいオルガンのアルペジオに始まり、全曲にわたってほぐれることのない張り詰めた緊張感は、第一次大戦にひきつづき目の当たりにした、忌まわしい戦争に対する、コダーイの悲痛な叫びのようにも聞こえます。このようなことを、実際に戦争の恐ろしさを知らない私のようなものが、楽曲に対する知識も乏しい中で、軽々しく書くべきではないという思いがあり、私はあえて触れないでいました。同時に、「美しく崇高な音楽」などというまったく安直で貧困な表現しか出来ない自分自身にも、歯がゆさを感じていました。
最終曲「ITE,MISSA EST」のなかで、合唱によって何度となく繰り返される「Da pacem!(われらに平和を)」ということばに、作曲家がどれほど強い願いを込めたであろうということを、私は想像でしか感じ取ることはできません。しかしまさか、演奏会を目前にして、これほどその言葉に、リアリティを感じなくてはいけなくなるとは、夢にも思いませんでした。
この曲が作曲されてから60年以上経って、いまだ、同じことが繰り返されていることへの言いようのない苛立ち。あらためて、この曲に込められたコダーイの「祈り」と、自分たちが向き合わなければいけなくなったことを思い知らされ、今、どうしようもない重苦しさを感じています。


9月12日
変わらぬ朝
海の向うの恐ろしい事件を知って、夕べは凍りついた。それでも、美瑛にはいつもと変わらぬ静かな朝がやってきた。3日間雨が降り続いている。


9月11日
魅惑のCDセレクション
昨日、東京から送った荷物が届きました。渋谷のHMVに2時間近くも居てしまい、気が付くといつものごとく山のように買ってしまった、たくさんのCDも入っています。お店に行くと、たいてい主人はJAZZ、私はCLASSICのコーナーへと別れるのですが、今回はお互い両方とも見たかったので、ふたりで両方をまわりました。
久しぶりにJAZZのコーナーへ行った私は、よくわからないのに、推薦文に惹かれ、めずらしく自分で2枚のCDを選びました。さっそくかけてみると、ムムム。三人で無口になってしまったのでした。
しかし、その他はかなりいいセレクションだったと思います。主人がCLASSICコーナーで選んだ、リュートとギターのバッハは、どちらもとてもよく、私が目を輝かせて購入した、大好きな指揮者ヘレベヘのバッハ、アルトのためのカンタータ集は、鳥肌の立つ美しさ。ヘレベヘはそのほか、フォーレのレクイエム、ピリオド楽器によるベートーヴェンの第九など、そそられるものがたくさんあって、ついつい手が出てしまいました。新しいバッハの無伴奏チェロも気に入りました。旭川では、到底見つけることの出来ないCDの数々をながめて、ふたりで昨日からにんまりしています。


9月10日
雨の前
今日は、大雨の予報に反して、朝から山が見えて、日まで射してきた。おおきな雲が十勝岳の頂上をなめるように東の方へ流れている。危うい天気に、トンボや蝶が、ジャガイモ畑の上を、いつもよりもあわただしく動き回っている。


9月09日
遅い朝ごはん
今朝、遅く起きて厨房に来ると、そういえば朝ごはんのことをすっかり忘れていたので、パンもないし、ご飯もない。どうしようかと考えて、鍋に水と昆布、冷蔵庫にあった半端な根菜を入れて火にかけました。煮立つ間に、また冷蔵庫をあさり、カボチャやきのこ、絹さやを見つけて加え、みそを入れて、ゴマ入りのすいとんを作ったのでした。三人でピアノ前のテーブルに座り、昨日空港まで送りに来てくれた友人がお土産にくれた湯葉豆腐と、味噌煮込みのすいとんで、遅い朝ごはんを食べました。
食べ終わってふと窓の外を見ると、大根畑の端っこに、小ギツネが一匹、なにやらパクパクと食べていました。朝からの雨で匂いが消されるのか、ムックとティンクも全然気づく様子がなく、小ギツネはめずらしく悠々と、しばらくの間静かに過ごしていました。私たちが窓の近くに行くと、はっと我に帰ったのか、さっと身体をひるがえし、振り向き振り向き向うの方へ行ってしまいました。


9月08日
セミの声
昨日に引き続き、東京からの今日のひとこと。昨日は、思いのほか用事を足すのに時間が掛かってしまった。用のあった三鷹から、一旦荷物を置きに根津の宿にもどって、ふたたび出発したのは、午後3時近かった。
宿を出て、大黒屋というお煎餅屋さんで、炭火の手焼きしょうゆせんべいを買った。たくさん買ったら、ちょっと割れたのを二枚くれた。それをかじりながらぶらぶらと細い住宅街の道を歩いていたら、ツクツクボーシとミンミンゼミの声を聞いた。わたしはびっくりした。そういえば、北海道でセミの声といえば、暑苦しいアブラゼミの声なのだ。ツクツクボーシやミンミンゼミの声を聞いたのは、わたしははじめてだ。ツクツクボーシの声は、どう聞いてもツクツクボーシとは聞こえないと思いながら、お化けだんだん、根津神社を通って、千駄木までのんびりと歩いたのだった。
そこから、表参道、渋谷、ようやくありついた遅い夕食へと続く長い道のりは、またの機会に・・・。そろそろ荷造りをして、宿を出なくては。今日、飛行機に乗るまでのわずかな時間に、羽二重団子とおばあちゃんが焼く銀座のハンバーグ、このふたつをどうしてもこなさなければならないのだ。


9月07日
秋の東京、札幌の夏
東京は根津の旅館より、今日のひとこと。昨日5時過ぎに、羽田に降り立った。美瑛から行くと、それは涼しいという感じではなく、札幌の夏の夜を思い出したのだった。
根津は、本当におもしろい。昨日は、仕事帰りに寄ってくれた友人の田代裕美と一緒に、予定通り天然温泉の銭湯でひと風呂浴び、三人でぶらぶらと駅のほうへと歩いた。そそられるお店が、そこかしこにあり、いちいち足をとめて、店を覗き込んだり、メニューを見たり、写真を撮ったりして楽しんだ。小路に座る三毛猫すら、絵になる街だ。予定していた居酒屋は、雰囲気はあるものの、三人の中では失格となり、歩いた末に一番気になったお店に入ったら、大当たりであった。今朝、私は蒸し暑くて目が覚めた。さて、午前中に用事を済ませて、どこを歩こうか。


9月06日
東京小旅行
8月31日のひとことに、今日からの東京小旅行のことを書いたら、大勢の方々が、おいしいお煎餅屋さんや素敵な美術館など、根津あたりの情報を送ってくださいました。ますます根津界隈の散歩が楽しみになりました。本当にありがとうございました。
そして、皆さん異口同音の秋の便り。東京に、もう夏はありません、とのこと。予想最高気温も見るたびに下がって、ちょっぴりさびしい気持がしてきました。でも、朝がた8℃の美瑛から行けば、十分「夏」を味わえるような気もするし、まあ、予定変更で東京の秋を探しにいくでもいいし、とりあえず、夕方、羽田へ向かいます。
今日も美瑛は快晴。このぶんだと、空の上から大雪と十勝の山々を、ずいぶん遠くまで見渡せるのではないか、と期待しています。


9月05日
明け方の星
今朝4時に目が覚めた。トイレに行こうと部屋を出たら、まだ暗かった。ずいぶん日の出の時間が遅くなってきた。窓の外をのぞくと、前のカラ松林の真上に、星がひとつ。キラキラとやけに輝いていた。
今朝はまた、昨日にもましてよいお天気だ。ぴんと張り詰めた空気の中、雲ひとつない澄んだ青空が広がっている。十勝岳は逆光に霞んで、稜線と噴煙だけがかすかに見えている。


9月04日
秋晴れ
今日は朝から、本当に気持のよい一日だった。秋のそろそろ傾きかけた太陽の光が、畑にくっきりと木々の影をつけている。忙しくなる前に、心地よい風に吹かれながら、デッキで今落としたばかりのコーヒを飲みながら、しばしのんびりしたくなった。


9月03日
薔薇色
昨日お昼過ぎから、急に空気が澄んできた。厚い雲の合い間から青空が広がり、デッキの前の、ちょうど収穫が始まったばかりの大根畑に、秋の太陽の光が降り注いだ。しばらく姿を見ていなかった十勝岳連峰が、その姿を少しずつ現した。
夕暮れ時、山々に垂れ込めたおおきな雲に夕日が当たって、薔薇色に染まったのだった。


9月02日
秋はどんより
今年の秋は、なんだかどんよりやってきた。遅い夏が4日間、そのあと台風。台風一過の秋晴れは全然期待はずれで、毎日どんよりとパッとしないお天気が続いている。おまけに週間天気予報もパッとしない。
爽やかに広がる青い空と、秋の澄んだ空気は、いったいいつになったら味わえるのだろう。おっと、その前に、私たちには東京の夏が待っているのであった。


9月01日
イクラ天国
昨日主人が、生筋子を買ってきた。忙しいのにバラすのがめんどくさいなあ、などとぶつぶついっているところに、ご近所の黒川さんが、サロマのお土産にと、活きのいいメスのマスを2匹持ってきてくれた。お腹にはマス子がいっぱい詰まっている。思いがけず、たくさんの筋子をバラす作業をすることになった。
仕込みの合い間や、夕食後、2回に分けて三人がかりの作業で、オレンジ色に輝くばかりのイクラがきれいにバラバラにされ、タッパにいっぱいのイクラのしょうゆ漬けが出来上がったのだった。
今日はお昼に、昨日お土産にいただいた稲庭うどんとミニいくら丼セットをさっそくいただいた。小丼に、お玉でザバッとかけたイクラの美味しいこと。これからしばらくは、イクラ天国だ。


8月31日
夢の実現
9月の始めに、用があって東京へ行かなければならなくなった。この時期にお休みを取って旅行するなど、こんなことでもないと夢のまた夢なので、そろそろ口元が緩んできた。遅くに行って早い便で帰る2泊3日なので、用事はなるたけさっさと済ませて、東京の夏を少しでも楽しもうと、あれこれ計画している。
まえから泊まりたかった、根津の小さい日本旅館に宿をとった。今回の一番の楽しみは、そこの近くの天然温泉の銭湯に浸かり、浴衣で夕涼みをしながら、ぶらぶらと根津界隈を散歩して、ちょっと雰囲気のいい縄のれんかなんかでゆっくり食事をする、という、ささやかながらめったに味わえない、壮大な夢の実現である。
そのためには、「暑さ」は必要不可欠で、空港を降りたとたんにじっとりと汗ばむ本州の夏を密かに期待しているのだが、どうも最近の東京は涼しすぎる。この夏がんばった私たちのために、もう一度東京に夏が戻って来てくれないだろうか、と願っている。


8月30日
くもり
朝から晩まで「くもり」という天気も、考えてみるとめずらしい。昨日はそんな天気だった。今日もそうらしい。それでも昨日は、ときおり日が射して明るくなったが、今日は空一面が厚い雲に覆われている。


8月29日
ムック服従
7月にお友達といらしてくださったご常連の大和さんが、今度はご主人と泊まりにいらしています。大和さんは、ムックとティンクを、まるで孫のように(大和さんはそんな年ではないのですが!)かわいがってくださるので、ふたりとも大和さんがみえると大喜びです。
うちに来られた方はよくご存知ですが、ムックはあまり愛想がよいほうではなく、お客様がなでるのもひと苦労。それが、去年ふと見ると、大和さんにお腹を出して、すっかり服従のポーズをしているので驚きました。あとから送ってくださった写真を見て、なるほどと納得しました。朝早くに、ずいぶん遠くまで散歩に連れて行ってくださり、本当にふたりをかわいがってくださっているのが、写真からよく伝わってきたのです。
今回も、美味しいお土産と、雨にもかかわらずの朝に夕にの散歩に、すっかりふたりともへらへらと大和さんご夫妻についてまわっています。


8月28日
濡れた景色
霧雨に、周りの景色が煙っている。雨が降ると、緑がしっとりと美しくなる。デッキの前に広がる大根畑の葉が、気が付くとずいぶん大きくなっていることに気づいた。


8月27日

昨日夕方、芝生の上でいつものようにムックとティンクが遊んでいたら、ゴロゴロと雷が鳴りはじめた。とたんにふたりとも、そそくさとデッキにもどってきたのだった。雷の音が怖いのだ。
やがて強い雨が降りだした。朝起きたら、また雨。しとしとと、すこしうっとうしい雨である。
これからひと雨ごとに、季節は秋へと向かっていく。


8月26日
楽譜の製本
9月14日のコダーイ合唱団のコンサートが近づいてきた。楽譜をのりやセロテープを使って一枚ずつ製本するのは、音楽をやる人間にとっては、本番へ向けて、ひとつ気持の引き締まるところである。とはいえ、私はずぼらなので、本番の前の日になってから慌てて作ることがほとんどなので、そのたびにいつも反省する。しかも、不器用なので、曲がったりねじれたり、汚くなったりしてしまう。
5月にいらして、合唱と音楽の話ですっかり意気投合した城戸さんが、一昨日また泊りにきてくださった。新潟で行われた合唱セミナーのあと、北海道に来られたのだそうだ。その時の楽譜を見せていただいたら、驚くほどきちんと製本されている。なぜこんなに曲がらないでできるのか?見事すぎる出来ばえだ。伺うと、これにはコツがあるとのこと。「コロンブスの卵なんですよ。」といって、丁寧に作り方を教えてくださった。おお!これなら、ぶきっちょな私にも、きれいにできるかも。と目からうろこが落ちたようだった。
今回は、練習に一度も参加できないというふとどきな団員なので、せめて楽譜を早くにきちんと作ろうと、さっそく、昨日ためしてみたら、ウヒヒ。木戸さんの楽譜には遠く及ばないものの、今までとは雲泥の差であった。楽譜がきれいに仕上がると、練習も本番もこんなに楽しみになるものか、とちょっと浮かれている。


8月25日
インゲンはすごい
毎年この季節の楽しみは、インゲンだ。朝、お客様のお見送りに玄関の外に出ると、ものすごくたくさんのインゲンがぶら下がってるのが見える。三人で、手分けしてとる。食べごろのものはみんなとらないと、すぐに大きくなってしまうので、注意してできるだけ見落とさないように採る。次の朝玄関を出ると、また昨日と同じくらいのインゲンがなっている。今年は、例年に比べてできがあまりいいほうではない。が、それでちょうどよいくらだ。インゲンの力は、ものすごいのだ。
採れたてのインゲンの美味しさといったら、それはアスパラに匹敵するのではないかと思われるほどだ。炒めてもサラダにしても、煮てもおいしい。きゅっきゅっと言う歯ごたえがなんともいえない。昨日お昼に、かき揚げにして、冷たいそばと一緒に食べたら、これがまた大変美味しかった。


8月24日
冷たい空気
厚く大きな雲のところどころから、青い空が見えています。ゆるやかに風が吹いて、これからこのたくさんの雲をどこかへもっていってくれるのでしょうか。
ときおり窓から、ふんわりと冷たい空気が入ってきます。気がつくと、いつからか、アブラゼミにかわって秋の虫たちが鳴くようになりました。


8月23日
台風
昨日夜、天気予報を見ていたら、このところの非常事態の報道とうって変わったように、いつになくアナウンサーの声が明るく軽やかだった。またか、とすこしむっとした。毎回思うのだが、どうも、台風報道は、関東を通過すると、もう終わったかのような雰囲気が感じられる。北海道は、毎回影響が少ないとはいえ、今回は特に上陸の可能性が非常に高いというのに。
気のせいだろうかと少し思い直して、ニュース23を見ていたら、筑紫哲也が多事争論で、いみじくも同じようなことをを言っていた。やっぱりそうだったのか!だいたい全国の天気予報は、いつでも北海道をかやの外のように言うのだ。この地域差別、どうにかならないものかと、いつも思うのだ。
それはそうと、今朝は嵐の前の静けさと思いきや、ずいぶん風が強くなってきた。台風は、北海道に再上陸した。このあたりは、天気図を見ると非常に微妙な場所だ。台風の端っこが、かすりながら通っていくらしい。


8月22日
不思議な夕暮れ
昨日の夕がた、静かに空に広がるうろこ雲が、薄桃色と藤色に輝き、十勝岳も赤く染まっていました。不思議な夕暮れ時の風景に、お客様はデッキに腰かけて、しばらくの間、皆、見入っているようでした。
台風の影がやってくる前の、ほんのひととき。今朝はもう、強い雨が降っています。


8月21日
新くりじゃが
少し前から、薫風舎の朝の食卓に、新くりじゃがが登場しています。越冬した甘味のあるジャガイモの美味しさも、捨てがたい魅力ですが、新ジャガの、どこまでもほくほくした、フレッシュな味わいは、また格別です。
このあたりでくりじゃがと呼ばれるキタアカリという品種は、実が黄色くて、栗のようなほこほこ感と甘味があります。オーブンでじっくり焼いた、まるごとのくりじゃがは、薫風舎オープン以来の朝の顔です。


8月20日
秋の空気
澄みわたった青空の下、ひんやりした空気が心地よい。今朝は、あまり気持がよいので、少しお客さんになった気分でデッキに座り、コーヒーをすすった。すそのに朝靄が漂い、逆光に霞む十勝岳連峰の、稜線だけがくっきりと浮き上がって見えた。


8月19日
天の川
夕べ11時頃、外へ出ると星がたくさん出ていました。慌てて、中にいたあっこちゃんと、ちょうどいらしていたあっこちゃんのお母さんとお兄さんを呼びました。外の電気を消すと、薫風舎の真上に、天の川がきれいに流れていました。みんなで、しばらくぽかんと上を向いて、眺めていたのでした。


8月18日
秋への一歩
暑い暑いといっていたら、今朝はひんやりとしている。夏は、ほんとうにつかの間だったのか。空は白い雲で一面覆われて、そういえばせみの声もしない。季節は秋へと一歩すすんだようだ。


8月17日
杏奈ちゃん帰る
6月の末からスタッフとして手伝ってくれていた、姪の杏奈が、今日帰ります。慣れない日本での慣れない仕事で、大変だったと思いますが、お休みもない中によく頑張ってくれました。今年は、私が外出しなければならない日が多く、3人ではとても夏を乗り切るのがむずかしかったので、本当に助かりました。
東京のおばあちゃんのうちで3日間滞在した後、カリフォルニアの実家で1週間ほど過ごし、またボストンでの忙しい学生生活にもどります。
この夏来られた皆さんにも、大変お世話になりました。


8月16日
うれしい読者
今日はいよいよネタが尽きて、朝からパソコンの前で何を書こうかとぼんやりしていた。そこに、昨日から泊まられている香港からのお客様Hoさんが、通りかかった。上手な日本語で、「ホームページのことばを考えているのですか?」。おどろいてうかがうと、香港で、毎日この案内板を読んでくださっているとのこと。
昨日は、カナダに旅行中のお客様が、インターネットカフェでHPを見てくださり、そこからローマ字のメールをくださった。こんなつたない文章を、楽しみにしてくださっている方が大勢いらっしゃるなんて、本当ありがたく、うれしいかぎりだ。これからも、疲れた体、いや、いささか疲れた脳みそに鞭打って、頑張って書いていこうと、心を新たにしたのだった。


8月15日
夏を楽しむ
朝からアブラゼミが、けたたましく鳴いている。夕方になると、空にトンボがうじゃうじゃ出てくる。今日も、30℃前後まで気温が上がりそうだ。「暑いねえ」と言い合いながら、なんとなくわくわくしている。
アブラゼミも、トンボも、人間も、あまりにも短すぎる夏を、秋になる前に少しでも味わっておこうと、一生懸命楽しんでいるようだ。


8月14日
ようやく夏
北海道は、お盆が過ぎると秋になるといわれますが、今年は、お盆にようやく夏がやってきたようです。夏といえばスイカ。買ったまま、食べる気にならなかったスイカを、お昼に切ることにしました。


8月13日
うちのとうきび
今年うちのとうきびは、どうもだめそうです。7月、8月の低温と悪天候に加えて、今年は除草がまったくできず、栄養分を雑草に取られてしまったのか、背も伸びず茎も細くて、色も薄いときたもんだ。よその畑のとうきびとは、まるで違う植物のようです。
うちのはダメだが、沢尻さんのとうきびは、いつもどおり甘くて美味しい。9月中旬まで、薫風舎の朝の食卓を飾ります。


8月12日
オホーツク海高気圧
オホーツク海から張り出した高気圧は、涼しい晴れをもたらします。このところのよいお天気は、オホーツク海の冷たい空気を運んでいるようです。
昨日、夜の仕込みの合い間に、久しぶりにお風呂の前のデッキの椅子に座ってみました。湿度のない涼しい風が心地よく吹いて、十勝の山々が、青く大きく見えていました。


8月11日

昨日から、少しだけ夏らしくなりました。週間天気予報も晴れマークが続き、気温も平年並みになるそうです。昨日お昼過ぎに、車で町に向かう途中、青い空にぽかぽかと浮かぶ雲に、ずいぶん存在感を感じました。
7年前の夏、オープン前に美瑛に来てくれた友人が、美瑛は雲のきれいなところだね、としみじみ言っていたのを思い出しました。


8月10日
「みやこかぼちゃ」もうじき
昨日、裏の三号線に出たところの、北村さんのハウスの中に、収穫したかぼちゃが山積みになっていました。主人が車から降りて、北村さんにうかがったところ、一昨日収穫したので、あと2、3日乾かした方がよいとのことでした。毎年、楽しみにしている「みやこかぼちゃ」の季節の到来です。
薫風舎では、今週の日曜日あたりから食卓にのぼる予定です。


8月09日
らぶ太君
昨日から、聴導犬らぶ太君が薫風舎に泊まっています。伊藤さんご夫妻と一緒に。耳の不自由な伊藤さんご夫婦に、ゴールデンレトリーバーのらぶ太君はぴったりと寄り添い、お互いに、静かにやさしく見守ります。
長旅で疲れて、暖炉の前でうたた寝をするらぶ太君を、デッキからムックが唖然として見ていました。みんなで仲良くして欲しいという私たちの願いは、どうもムックにはなかなか通じないようです。


8月08日
残雪
今日は、朝から気持のよい青空が広がっています。久しぶりに十勝岳連峰が姿をあらわすと、ここから見ると本当に小さい雪の塊が、ひとすじ、ふたすじ、残っています。近くに行ってみてみたいものだ、と思いました。


8月07日
チャイの命日
今日は、薫風舎とともに生まれ育ち、5才のとき交通事故でこの世を去った、チャイの3回忌だ。久しぶりに気持のよい朝、ムックとティンクと一緒に、チャイのお墓参りをした。
去年の今ごろ家族となった、ちょっと太目のチャイの妹ティンクは、のほほんとチャイのお墓に乗っかって笑った。ムックは、チャイのことを思い出したのか、そうでないのか、おすわりをしてお墓のほうをじっとみていた。そのあとふたりは、だいすきな芝生にもどって、いつまでもじゃれていた。今日は久しぶりに暑くなりそうだ。


8月06日
寒い
この頃は、涼しいをとおり越している。ここ2日ほど、青空も顔をのぞかせたが、それでも気温は上がらなかった。今日も、夏なんだからと自分に言い聞かせて、無理をして半袖を着た。ご常連の八木さんも、朝写真をとりに出かけたら、息が白かったとおっしゃっていた。
いったいどうなっているんだ。この夏は。週間天気予報を見て、今週はちょっとばかり期待していたのだが。眉間にしわが寄ってしまった。


8月05日
思いがけないうれしい便り
夕べ「私は聚富出身です。」というEメールが、突然届きました。聚富は、この案内板や薫風舎日記にも何度も書きましたが、札幌から車で1時間ほどのところにある、日本海の海岸線沿いの「厚田村」という小さい村にあります。私は、昭和59年、新卒時代から5年間「聚富小中学校」に勤務し、学校の前にある、畑の真ん中の教員住宅に住んでいました。
突然のメールに驚きながら読みすすむと、たまたまYafooで「聚富」を検索していたら、「薫風舎」のHPが出てきたそうです。「もしかして守分ますみ先生ではないですか?」と書かれてあり、なおさら驚きました。差出人の名前を見ると「米澤みゆき」。よく覚えている名前でした。
米澤みゆきさんは、私が赴任して2年目に、小学校に入学してきたと思います。私は小学校5、6年と中学校の音楽を教えていたので、最後まで直接授業を受け持つことはありませんでしたが、全校清掃や廊下ですれ違った時など、よく声をかけてくれました。全校集会や学校祭での発表も思い出します。また、姉のゆかりさんは、5年、6年と、一緒に音楽を勉強しました。楽器を演奏するのも、歌うのも大好きで、いつも表情豊かに一生懸命、音楽を楽しんでくれました。ふたりとも、もうすっかりいいお嬢さんになっているんだろうなあ。大人らしい、きちんとした文面に、その計り知れない成長を感じて、不思議な気持ちになりました。
聚富で過ごした5年間は、私にとっては宝物のようなものです。今でも時々、懐かしく思い出します。この思いがけないうれしい便りを読んで、私はしばらくのあいだ幸せな気持に浸っていたのでした。


8月04日
とうきび
今朝ムックとティンクと外に出ると、裏の小原さんのとうきび畑が、もう私の背丈よりずっと高くなっていました。とうきびとは、北海道でとうもろこしのことをいいます。今年は寒くて、ずいぶん遅れているようですが、それでもちゃんと大きくなって、とうきびの季節はやってくるのです。


8月03日
土砂降り
今朝起きると土砂降りだった。今日、クラークホースガーデンで乗馬をしようと楽しみにしていた清水さんファミリーも、諦めて札幌へ行かれるとのこと。本当に恨めしい天気だ。今朝は、モーツァルトの弦楽四重奏もやけに淋しげに聞こえる。


8月02日
うす曇
今日は、雲の合い間からやわらかな日差しがかすかに感じられます。季節感のない陽気の中、アブラゼミの鳴き声に、やっぱり夏なんだと思いました。


8月01日
ティンクの誕生日
ティンクが家族になって、今日でちょうど一年だ。役場に捕獲され、旭川医大の動物実験棟へと運ばれたティンクを、私たちが必死で保護したのが、昨年の8月1日。(詳しくは薫風舎日記のバックナンバーをぜひお読みください。)恨めしいほど晴天の、35℃を越す猛烈な暑さの日だった。
ティンクは、年齢不詳、もちろん誕生日もわかるすべがないので、獣医さんと相談して3歳(今日で4歳)と決め、今日を誕生日とした。
今日は、去年とはうって変わって、ひんやりとした静かな曇りだ。当のティンクはというと、一年前のことなどすっかり忘れてしまったかのように、いつものようにムックとじゃれ合いながら散歩に出かけ、のほほんとデッキに寝そべっている。


7月31日
再会
今日、札幌でピアノを教えていたときの教え子、村田さん親子が泊まりに来てくれる。数週間前に電話があったとき、すでに満室だったので、夕方ちょっとだけ寄ってくれるとのことだったが、一昨日キャンセルが出て、昨日、思いがけず急に宿泊できることとなった。
私がはじめてお宅を訪れた時、姉の陽子ちゃんが小学校4年生、弟の方告君が3年生だった。お母さんと3人で、ピアノを習うことになった。毎週、レッスンと、その後のおしゃべりが楽しみで、ついつい長居をしてしまった。朝里のペンションを借り切っての初めての発表会、3人の立派な演奏は今も心に残っている。
その後、お母さんが仕事の都合でできなくなり、まあ君がサッカーに専念。5年後、薫風舎オープンの年の最後の発表会のときには、陽子ちゃん1人ががんばった。ベートーヴェンピアノソナタ「悲愴」第一楽章を演奏した。
今日は、大学生になった陽子ちゃんとお母さんが来てくれる。久しぶりの再会が楽しみだ。


7月30日
夏来ず・・・。
今日も、半袖ではちょっと寒い。空は雲で厚く覆われ、天気予報は雨。と書いている間もなく、土砂降りになってしまった。さすがに、あちらこちらでため息が聞こえる今朝の薫風舎である。


7月29日
赤い実
うちの裏の雑木林のなかに、赤い実のなる木がありました。薫風舎を建てているときから、その赤い実の木が気に入っていました。夏、客室の掃除のときや、裏のデッキに出たときに、いつのまにか赤い実をたくさんつけたその木を見るのが、楽しみでした。
ところが、去年気が付くとその木は倒れていました。強い風や雨にやられたのでしょう。とても残念でなりません。そう思っていたら、前の畑のむこうの、へりのあたりに、その木と同じ赤い実を見つけました。まだ、1メートルにも満たないような、小さな木には、今たくさん赤い実が実っています。


7月28日
麦の刈り入れ
きのう、先日の小原さんの畑に続いて、うちの前の笹本さんの秋蒔き小麦の収穫が行われました。大きなコンバインは何軒もで共同で利用するため、今年のように雨続きの年などは、収穫できずに、雨で倒れてしまうこともあります。なかなか刈り取られない畑を見ていると、毎年私たちまで、やきもきしてしまいます。
きのう、からりとしたお天気のなか、あっという間に刈り取られていく麦を見ながら、ほっと胸をなでおろしたのでした。


7月27日
星空
昨日、久しぶりに妹夫婦が泊まりに来ました。夜10時半頃、ムックとティンクと妹夫婦、私たちの2匹と4人で、散歩に出かけました。裏の三号線まで出ると、空いっぱいに星がでていました。真上には、天の川が大きく流れていました。


7月26日
犬騒動
札幌の実家で、またまた犬騒動があったらしい。両親のところのボル、妹夫婦のヌンチャク、お隣りのナットとまりちゃん4匹と6人は毎日午後10時から、恒例夜の散歩をしている。一週間ほど前から、その怪しい?集団に迷い犬がついてくるようになった。どうしたものかと心配していたそうだ。ところが、先日近所の人が通報して、保健所の人が捕獲しに来た。妹が飛んでいき、危機一髪で保護した。外につないだら吠えて仕方がないので、妹夫婦が家の中に入れ、結局2人と2匹で寝ることになったのだった。
どう見ても飼われていた犬なので、母が、「ジョン」とか「ペス」とか、いろんな名前で呼んでみたそうだ。母は、迷い犬や知らない犬がいると、昔から必ず、いろいろな名前で呼んでみるのだ。そうしたら、「ゴン」と呼ばれたときにだけものすごく反応した。「ゴン」という名前に違いないと思っていたら、しばらくして飼い主が現れた。やはり名前は「ゴン」だった。
ここ1年だけを見ても、こういう犬騒動が我が家で3回はあった。幸い、3回ともなんとか飼い主は見つかったが、どれも一つ間違えば、不幸な結果となっていたに違いないと思うと、どうにも心が痛む。犬は、家族と一緒だ。飼い主は、どんな時でも、最後まで愛情と責任を持ってほしいと、強く思う。


7月25日
涼しい
雨がちの涼しい日が続いてます。太陽や青空も、たまには見たいものですが、全国の天気予報で、本州の猛暑の様子を見ると、涼しいだけましかと思ってしまいます。


7月24日
蜘蛛の仕事
ここは畑と森の真ん中なので、虫がたくさんいる。虫がたくさんいるのはかなわないが、虫の住みかに私たちがお邪魔しているのだから、仕方がない。
窓の外や、木々の間には、蜘蛛が巣を張る。建物が蜘蛛の巣だらけになるのも困るから、心を鬼にして時々ほうきではらうのだが、常々その職人的仕事ぶりには敬服している。敬服なんていうと、かえってえらそうだ。蜘蛛は、本当にすごいと思っている。一晩かけてもくもくと巣を作っている姿をみていると、とても気軽には巣をはらうことができなくなってしまう。
朝露にキラキラ光る、芸術品ともいえる美しいかたちの蜘蛛の巣には、思わず見惚れてしまう。


7月23日
土砂降り
昨日は、スーパー晴れ女大和さんの力及ばず、夕方から雨が降りだしました。今朝起きると土砂降り。梅雨前線の最後のしっぽでもかかっているのでしょうか。もうお昼近いというのに、夕方のように暗いです。


7月22日
スーパー晴れ女登場
今年の7月は、雨がちのパッとしないお天気が続いた。今朝も、どんよりと低く雲がたち込めている。でも、今日は大丈夫だ。スーパー晴れ女大和さんがいらっしゃるからだ。
去年の夏もそうだった。天気予報は雨だったのに、その予報をも覆し、大和さんは美瑛を晴れへと導いてくれたのだった。今日だって、きっと大和さんが美瑛に近づくにつれて、雲は消え去り、青空が広がるに違いない。とわたしは、固く信じている。
でも、青空より何より、大和さんのパッと明るい笑顔を見るのを、今日、私たちは心待ちにしている。


7月21日
混む日
今朝は、久しぶりに爽やかな青空が広がっています。暑すぎず寒くなく、ムックとティンクと気持の良い朝の散歩ができました。でも、天気予報は、お昼過ぎに雨の予報が出ています。これから雲が広がってくるのでしょうか。
今日は、このあたりが一年中で一番混む日です。国道や、ラベンダー園のあたりはすごいんだろうなあ、と想像します。でも、うちの周りでは、そういう混雑を実感として味わうことは、まずありません。いつもと同じ一日が、いつものように過ぎていくことだろうと思います。


7月20日
勘違い
先週7月12日に、9月13日に札幌で行われる札幌コダーイ合唱団のコンサートに出ることにしたことを案内板に書いた。ずっと9月13日、木曜日だと思っていた。木曜日なら、そう宿の方も忙しくないだろうと思い、安心していた。
昨日夜、ひょっこりお馴染みの平松さんが現れた。そして、9月のコンサートの話になり「あれ、金曜日じゃなかったかな。」と言った。慌てて妹に電話してみると、やはり私が日にちを勘違いしていたことがわかった。14日金曜日。しかも祝前日である。
それでも、どうしてもコダーイの「Missa Brevis」は歌いたい。しかも、今回の演奏会はパイプオルガンが、去年秋に薫風舎でもコンサートをしてくださった今井奈緒子さんである。妹から早々に楽譜を一式送ってもらい、暇を見て譜読みをはじめてしまっている。気持が引き返せない。
忙しい最中、家族に負担をかけるのは本当に気が引けるが、もう一度主人に頼み込んで、許しを得た。
というわけで、私一人9月14日にお休みをいただくことになりました。どうか皆さん、ご理解の上お許しください。そして、もし9月13日手帳に演奏会のマークを入れてくださった方がいらしたら、どうか14日(金)に直しておいて下さい。9月14日(金)札幌北一条教会です。詳しくは、HPにて近日ご案内いたします。


7月19日
朝焼け
今朝、4時にトイレに起きた。寝ぼけて部屋を出ると、窓の外が赤くなっていた。廊下の細長い窓に、おでこをつけてみてみると、畑の向うのカラマツ林の上のあたりが朱鷺色に染まっていた。うろこのような雲が、朝焼けの中にかすかに夜の青を残していた。


7月18日
毎度様
昨日久しぶりに「ふるき」に行った。「ふるき」は、この案内板でも何度となく登場している、旭川で私たちが一番気に入っているラーメン屋だ。ひとりだったので家族のものに気が引けたが、行ってしまった。
暖簾をくぐると「毎度様です。」と言われた。いままで、何度も訪れているが、いつも混んでいたし、特に話をすることもなかった。ただ席が空くのを待って、ひたすらラーメンをすすり、店を出るだけなので、顔を覚えていてくれているとは全然思っていなかった。なんだかとてもうれしくて、いつもよりもっとラーメンがおいしく感じられたのだった。


7月17日
白い朝
今朝は一面霧に覆われています。畑の向うの雑木林が見えないほどの、白い朝です。カッコウの鳴き声だけが響いています。


7月16日
ラタトィユの季節
昨日畑からズッキーニを採ってきた。大きなのを4本。ズッキーニが採れだすと、ラタトィユの季節だ。ラタトィユは、もう今ではすっかり日本でもお馴染みとなった野菜の煮込みで、薫風舎ではオープン以来の夏の人気メニューのひとつだ。
ズッキーニと相性の良いナスに、トマト、たまねぎ、ニンニク、そして鮮やかな赤と黄のパプリカが色を添える。少し多めのオリーヴオイルで、水が出ないように気を付けてよくいためて煮る。庭先でぼうぼうになっているタイムが、爽やかな香りを添える。暖かくても良いのだが、これは断然冷やした方がおいしいと、私は常々思っている。ガーリックトーストに冷えたラタトィユをたっぷりのせてほおばると、ちょうどいい具合に味のなじんだ、みずみずしい夏野菜の甘味が、口の中いっぱいに広がるのだ。


7月15日
日曜日
この仕事をしていると、曜日感覚というものはほとんどない。特に7、8月は、一日一日が真剣勝負である。とはいえ体の方は、毎日同じように淡々と過ぎていくのを、2ヶ月間じっと待っているようなところがある。それでも、日曜というのは、何か特別な感じがあるので、時々不思議に思う。仕事に変化があるわけではないのに、なぜか日曜日にはちょっと肩の力の抜ける感覚をおぼえる。
今日は、暑さが少し緩んで、過ごしやすい曇り空だ。


7月14日
ラベンダー
そろそろラベンダーが見頃になってきたようです。ようです、というのは、ここに住んでいて、中富良野や上富良野のいわゆるラベンダー園に立ち寄るなんていうことは、めったなことではできないからです。夏のシーズンは、外出もままならないので、もっぱらお花の情報は、お客様から。
個人的には、色とりどりのお花畑よりは、毎日少しずつ表情を変えていく森や畑の緑の風景が好きなので、薫風舎のラウンジから、ぼおっと外を眺めることで満足しています。が、せっかく遠くから来られた方々には、ぜひとも見逃さずにおいて欲しい。これから一週間は、日中はものすごい混雑が予想されるので、薫風舎に泊まられたお客様には、ちょっと頑張って早起きして、朝食前に紫色に広がる静かなラベンダーを見に行っていただくようにしています。


7月13日
昨日から夏。
7月に入り、雨がちのパッとしないお天気が続いていた。今年は、冷夏なのでは、と内心少しだけ期待していたが、甘かった。昨日から、急に夏日となった。北海道らしい、じりじりした暑さではなく、湿気の多いもわっとした暑さには、閉口する。いや、どちらにしても暑いのはかなわないなあ、と当てが外れてなお、往生際の悪いことを言っている。


7月12日
コダーイの「Missa Brevis」
20世紀のハンガリーの作曲家、コダーイ・ゾルターンの「Missa Brevis」は、あまり知られていない。私が、20年程前に「札幌コダーイ合唱団」にはいり、初めてのステージがこの曲だった。作曲家コダーイの独特の和声が新鮮で、広がる音楽の豊かさに鳥肌の立つ思いだった。北一条協会の、まるで天井桟敷のようなステージで、パイプオルガンの重厚な響きをバックに、ドキドキしながら本番を歌った。もう一度どうしても歌いたいと、長年思っていた。
今年、コダーイ合唱団の秋の演奏会が、この「Missa Brevis」であることを聞いたのは、ずいぶん前だ。9月13日。どうしようもないと思った。聞きにすらいけない。すぐに諦めた。そして忘れるようにしていた。
一昨日車の中で、久しぶりにバッハのカンタータを聞いた。そのとたん、突然諦めていた気持が噴出してしまった。どうしても、もういちど歌いたい。私の人生にとってこれは大切なことではないか、と大げさなことを考えてしまった。帰って、主人に頼み込んだ。主人は、まだシーズンの終わっていないこの一日、私に休みをくれたのだった。


7月11日
キカラシよさらば
薫風舎の周りを鮮やかな黄色で彩ってくれていたキカラシが、昨日ついにすき込まれました。うちの前の畑は、これから大根の種を植えるべく、きれいに耕されていったのでした。
うちの土地を分けてくださった千葉さんから前の畑を借り受けた永さんが、去年にひきつづき、前の畑に大根を植えることを聞き、種を植える時期に何とか間に合うようにと、キカラシの種を蒔かせていただきました。ちょっと思いついたのが遅かったので、花が咲く前に種蒔きが始まるのではと、半分覚悟して蒔きました。キカラシは思いのほか早く成長し、ずいぶん私たちを楽しませてくれました。
一昨日、永さんが「もういいかい?」と言いに来ました。花が咲くのを待ってくださっていたようです。これから秋までは、きれいに植えられた大根が芽を出し、少しずつ眩い緑に成長していくのを、毎日楽しみにすることにしましょう。


7月10日
夜の散歩
ここにいると、なかなか歩く時間をとることができません。特に、忙しくなってくると、日中は、運動する時間があるなら、ちょっとでも横になりたいと思ってしまいます。そうすると、どうしても運動不足になって、肩凝りや頭痛が治らない。かえって疲れがたまるような気がします。
今年は、なるべく余裕のあるときは、主人と一緒にムックとティンクを連れて、うちのまわりを大きく一回りするようにしました。裏の道から山へ向かい、小学校を通って白銀街道からもどってくるのが、約2Km。夜11時頃の散歩です。これがとてもよい。静かな夜の空気が体にしみわたり、体にたまった悪いものを浄化してくれるような気がします。
夕べもふたりと2匹でうちを出ると、久しぶりに星空が出ていました。山の稜線も見えました。そしてその向うに、大きくて赤い三角の月が、ぼおっと姿をあらわしたのでした。


7月09日
朝靄
朝靄に、まわりの時間が止まったかのように見える静かな風景。雨が上がった。今朝の空気は、昨日までの冷え冷えしたものとは違い、何か柔らかい。


7月08日
梅雨空
昨日は、天気予報のとおり、久しぶりに青空を見た。夕方には、山も稜線まで見えた。しかし、夜になってまた雨は降り出し、また今日も一日中雨降り。いいかげんにしてくれと、ため息が出た。
週間予報も、芳しくない。そろそろ何か、気晴らしでもしたい気分だ。


7月07日
寒さ
今朝は10℃あるだろうか。寒くていいかげんいやになる。7月に入ってから、雨がちの変な天気が続いて、せっかく旅行を楽しみにして来られたお客さんの浮かない顔を見るのがつらい。今朝はまた一段と寒さがこたえる。
今日から天気は回復に向かう、という天気予報に淡い望みを託して、青空を待つことにしよう。


7月06日
贅沢な時間
昨日、用があって旭川に行った。そして、1時間ほど時間をつぶさなくてはならなくなってしまった。忙しいのに、と少し困惑しながら、喫茶店に入ってコーヒーを注文した。この繁忙期に、1時間もただぼおっとする時間を持つなど、考えてみたら夢のようである。せっかくだから、思い直してこの時間を楽しむことにした。
去年シンラが休刊になって落胆していた私のために、biei.com佐竹氏がお土産に持ってきてくれた「東京人」がすっかり気に入って、バックナンバーを買いあさり、定期購読もしてしまった。8月号が届いたばかりだったので、出掛けにバッグの中に放り込んだ。普段は、記事をじっくり読む時間があまりないままに、次号が届いてしまうのだが、おかげでゆっくりと「東京人」ワールドに浸ることができた。
今回の特集は「お風呂屋さんに行こう!」。東京の昔ながらの銭湯「宮型」と呼ばれるお寺のような佇まいのお風呂屋さんの写真など眺めながら、夏の夕暮れどき、短パンにTシャツ(浴衣じゃ出来すぎなので。)突っ掛けを履いて、洗面器を片手にてくてく歩く自分の姿など想像して、すっかり風呂上りの気分になって、喫茶店を出たのだった。


7月05日
縞模様
玄関を開けると、前の畑が何層にも折り重なっています。すぐ前のキカラシの黄色。その次に毎日少しずつ黄金色になっていく秋蒔き小麦、そして、薄桃色のジャガイモの花、苗用に植えられたアスパラガスの産毛のような緑、そして真っ白なジャガイモの花。華やかな縞模様です。


7月04日
キカラシ
うちのまわりに蒔いたキカラシが、きれいに咲いています。見るたびに黄色が濃くなっていくようで、夕方ピアノの練習をしながら外を眺めるのが楽しみです。どんよりとした空にも負けない鮮やかな色が、雨続きのうっとうしさを忘れさせてくれます。


7月03日
今日も雨
変わりやすいお天気が続いています。夕べからまた雨になりました。昨日から泊まっているあっこちゃんの友達は、乗馬を楽しみにしていたようです。クラークホースガーデンに問い合わせると、雨でも大丈夫とのこと。カッパを用意して、いざ出陣です。


7月02日
「たべある記」ジレンマ
「たべある記」に書かねばならぬお店、ぜひ書きたいお店がたまっている。
餃子がおいしい川崎の中華料理屋、札幌に帰ったら必ずよりたいベトナム料理屋、函館でお気に入りのすし屋、旭川のすべてにわたり極上の居酒屋・・・。これから3ヶ月ほぼ薫風舎に缶詰状態で、記憶が薄れてこないうちに、書いてしまいたいと思っているのだが、トップシーズンに突入して、書く時間を捻出することは、もはやぎりぎりの睡眠時間をさらに削ることになる。それは、さすがに避けたい。
ああ、こうやってお店を思い出しただけで、よだれが出てしまう。そのうち何とか時間を作って、頑張って更新したいと思うので、当てにしないで待っていてください。


7月01日
雨模様
昨日の良いお天気がうそのように、今日は朝からしとしとと雨が降っています。煙った雨の風景のやさしい美しさを、私はとても好きなのですが、昨日から滞在している広島からのご常連、藤井さんは、いつも歩いて美瑛をまわります。カナダの娘さんからの還暦お祝いで来られる中川さんや、お母様を連れていらっしゃるリピーターの家城さんも到着されるので、何とか昼までに雨が上がって欲しいと思います。


6月30日
稲妻
昨日、夕方から急に大粒の雨が降ってきました。やがて風が強まり、空が一瞬光ったと思ったら、大きな雷が鳴りました。雨脚はますます強まり、雷は遠く近く鳴り響き、空のあちらこちらがぴかぴかと光っていました。
きょう一日歩いて美瑛をまわるといって出発した、香港のラムさんが心配になり、車を出しました。三愛の丘に向かうと、正面の西の空から真下に向かって、一直線に稲妻が走りました。鉛色の雲から落ちる稲妻を何度も見ながら、木工の貴妃花にたどり着き、お昼過ぎにラムさんが元気に駅に向かったことを聞いてほっとしました。駅に行くと、旭川行きの電車を待っていたラムさんと娘さんに会うことができました。一日をなんとか無事予定通り過ごし、これから札幌に向かうとのこと。再会を喜び合い、別れの挨拶をして美瑛駅をあとにしたのでした。


6月29日
華やぐ
このところの暑さで、ジャガイモの花がいっせいに咲き出しました。車を走らせると、一面の白や、うす紫のジャガイモ畑が、景色を彩っています。うちの周りに蒔いたキカラシも黄色い花が咲き始めました。美瑛はこれから、一年中で一番華やかな季節を迎えます。


6月28日
花火で大騒ぎ
アメリカの小学校から美沢小学校に5日間の体験入学をしている、甥の健太。毎日が本当に楽しいようです。友達もたくさんできて、昨日はうちの前で、けいたくんという友達を呼んで、花火をしたいと言い出しました。
夕方けいたくんに電話をすると、他の3、4年のクラスの子も呼びたいと、8人全員の連絡をしてくれて、7時半過ぎには、5、6人の子供たちが薫風舎の前に集結しました。
ちょうど泊まっていた台湾のお客様や、やはりちょうど来ていたうちの両親も加わり、外は大騒ぎとなりました。私たちは、花火の音と歓声に聞き耳を立てながら、厨房で後片付けを急いで済ませて、その騒ぎに加わったのでした。
まもなくけいたくんのお母さんが、大量の花火を買って持ってきてくれて、楽しい騒ぎはますます大きくなりました。この花火を使い切るには、朝までかかるのではと、ちょっと心配になりました。
結局騒ぎは一晩では収まらず、けいたくんの家に場所を替えて、今晩続きをやることになったそうです。


6月27日
夏の気配
玄関の前の笹本さんの秋蒔き小麦が、見るたびに少しずつ黄色みを帯びてきています。気がつくと、その向うのジャガイモ畑にも、うす紫色の花が咲き始めました。
一昨日、昨日の暑さは、紛れもなく夏のものです。季節は知らないうちに、大きくすすんできています。


6月26日
平松さん現る
昨日夕食の後片付けをしている頃、ひょっこり平松さんが現れました。平松さんは、このホームページにも何度となく登場している、薫風舎のコンサートのコーディネーターであり、札幌コダーイ合唱団・合奏団として何度となく同じステージに乗った音楽仲間。ペットボトルで雪の結晶を作ることを考案して、今もなお全国、いえ全世界を飛び回っている、旭川の高校の先生です。
4月に東京のピアニスト小林功さん宅でばったり会って、それからいつだったかパートナーの岡村さんとふらりと立ち寄って以来、3ヶ月近く音信不通だったので、突然の来訪に私たちは大喜びでした。
先日札幌で行われた「音楽三昧」(古典四重奏団でお馴染み川原千真さん、田崎瑞博さんの所属する、変幻自在な表現で室内楽の新たな可能性を追求する5人のユニ ット。)コンサートのことや、相変わらず食べること、お互い年をとったので健康の話題。途中からアメリカから昨日来た義姉も加わり、賑やかで楽しい夜となりました。


6月25日
賑やかな一週間
アメリカ在住の主人の姉と、大学生の姪、小学生の甥の三人が、昨日夜到着しました。今日から一週間、甥の健太が美瑛の美沢小学校に体験入学するのです。22日に、アメリカの小学校の終業式を終え、すぐに飛行機で日本に向かいました。成田に到着すると、JRに飛び乗り東京へ。それから健太憧れのMAXに乗って仙台に23日夜遅くに着きそこで一泊。朝6時には、またJRに乗って、きのう24日、7時に美瑛にたどり着くという、たいへんな強行軍でした。
今朝、ムックとティンクと一緒に散歩をして、朝ごはんを食べ、元気に美沢小学校へと行きました。送っていった主人の話しによると、着いたとたん、みんなが寄ってきたそうです。今日は、歓迎集会があるそう。どんな学校生活を体験してくるでしょう。
姪の杏奈は、夏休みで一足早く日本に来ていました。せっかくだからと、急遽、薫風舎のスタッフとして8月中旬までいてもらうことになりました。
しばらく、賑やかな薫風舎です。皆さんどうぞよろしくお願いします。


6月24日
誕生会
きのうは私の誕生日だった。案内板にちょっぴり愚痴を書いて、午後にはもうそのこともすっかり忘れていた。そうしたら、思いがけず主人が、夕方の買出しのときに小さいケーキを買ってきてくれた。紅茶を入れて、三人でケーキを食べた。主人が、玄米の本を、あっこちゃんは、いつ作ったか、冬からの3人と2匹の生活をつづった小さなアルバムをプレゼントしてくれた。
冬、三人で出かけたスノーシューでの散歩や、お昼の餃子パーティー、帯広旅行、そしてさまざまな表情のムックとティンク。夜寝るまでに、何度も見てしまった。
三時半から10分間の、うれしい誕生会だった。


6月23日
蟹座のふたり
私たちは、夫婦揃って蟹座だ。ついでに妹夫婦も、蟹座。そういえばbiei.comサーバー佐竹さんも蟹座だ。いい年をして、星座占いに興味があるわけではないので、そんなことはどうでもよいのだが、問題は誕生日だ。
私が、今日6月23日、主人が7月16日。美瑛に来てから、誕生日のお祝いをできたためしがない。忙しい最中なのでそれも仕方がない。しかし、JASの誕生日割引が出たときには、さすがに空しい気持ちになった。「一生使えない・・・。」せめて、どちらか一方が11月か4月生まれだったら、と本当に思ってしまった。
でも、その代わり、というわけではないが、その誕生日割引を使って、泊まりに来てくださる方がたくさんいらっしゃる。しかも、たった一泊で、という方も何組か。きのう、今日のひとことでちょっと愚痴を書こうと思っていたら、やはり一泊旅行に来てくださるかたからのメールをいただいて、空しさが吹き飛んだ。(正直に言うと、ほんのちょっとだけ悔しい気持もあったが。)JASの心憎い企画に、捨てたものではないとあらためて関心した。そして、そういう貴重なお祝いの、少しでもお手伝いができることを、とても幸せに思ったのだった。


6月22日
ズッキーニの紋様
今朝見ると、ズッキーニの葉に斑点が出てきました。友達がズッキーニを植えて、葉に白い斑点が出てきたので、うどん粉病かと思ってみんな抜いてしまったことがあったそうです。斑点は、れっきとしたズッキーニの葉の紋様なのです。
ズッキーニは、芽を出したときにはかぼちゃと区別がつきません。双葉はとても大きく、しっかりしています。かぼちゃはそのあとどんどん横に伸びていきますが、ズッキーニは上に伸びて、大きな黄色い花を咲かせたかと思ったら、きゅうりのような実をつけます。
驚くほど強く、どんなに他の野菜がダメな年でも、もう良いというくらいたくさん収穫できるのですが、どういうわけか去年は不良でした。今年はそういうことのないよう、丁寧に苗を作り、マルチというビニールもひいて、少し早く収穫できるように育てていました。そのかいあってか、葉はずいぶん大きくなり、立派な模様も出てきました。この分だと、ちょうどアスパラが終わった頃、食卓へお出しできるのではないかと、楽しみです。


6月21日
煙った風景
夕方ピアノの練習をしながら、霧雨に煙る景色を眺めた。雲が低く立ちこめ、山もその手前の丘も、まったく姿を隠している。そうすると、まわりの雑木林や、カラマツ林の深まる緑、ずいぶん白みをました麦畑、すぐ前のキカラシの葉の黄緑、と、植物の種類だけあるさまざまな緑のうつくしさが、一層際立ってみえる。濡れた緑のみずみずしさに、晴れた日とはまったく違う安堵感を覚えた。


6月20日
寒い雨
6月も終わりに近づいているというのに、今日は朝からストーブが欲しいほどの寒さです。今年は、晴れというと、毎日いやになるほど良いお天気で、そうかと思うと雨続き。あまりの寒暖の差に、人間も農作物も参ってしまいます。


6月19日
ラベンダー
昨日用があって、旭川に行きました。空港から旭川医大に向かう道のつきあたり付近は、両脇にラベンダーがたくさん植えられています。きのう見ると、伸びた茎の先に、本当に小さいラベンダーの蕾が、ぎゅっと固く、それでも濃い紫色になっていました。この道の両脇が、美しいラベンダー色になるのは、あと2、3週間先でしょうか。


6月18日
朝の太陽
今、こちらは朝4時には、真昼のように明るい。いや、明るいらしい。私は、寝坊なのでそんなに早く起きることはまずないのだが、先日泊まられたお客様は、あまりの明るさに時計を見て、夕方まで寝てしまったかと驚いたそうだ。実際、私が起きる頃には、もう太陽は真上まで昇っている。外へ出た時の眩しさに、後ろめたさを感じてしまった。
新聞を見ると、今日の日の出は、3時48分、日の入19時15分。どうりで一日が長いはずである。


6月17日
バースディパーティー
先週は、14日、そして昨夜と二回の誕生パーティがあった。14日は、神戸からいらしたアメリカ人ジェフリーさん、夕べは東京の加藤さんの誕生日(正確には加藤さんは15日。)で、それぞれパートナーの方から、何か本人には内緒でお祝いを、という依頼があった。そこで、旭川で一番と私が思っているケーキ屋さん「シェ・イリエ」の、絶品ガトーショコラを届けていただき、泊まられたお客様をさそって、ケーキパーティーをすることになった。
本人に内緒という楽しい計画に、私たちもちょっとわくわくしながら、夕食の片付けを終え、お茶を用意して皆さんで大テーブルを囲んだ。ジェフリーさんも加藤さんも、突然のことに目を丸くして、この作戦は大成功となったのだった。


6月16日
山の白
今日は、昨日より更に良いお天気です。雲ひとつない青空に、同化するように静かにそびえる十勝岳連峰の、もうわずかになった残雪と、このところの寒さで降ったらしい頂上の新雪、そして立ち昇る噴煙の白が、際立っています。


6月15日
久しぶりの青空
一週間近く、寒い雨模様の日が続いていた。もう人間も、作物も、いいかげん縮こまっていたので、青空のなんと気持のよいこと。朝、いつものようにティンクとムックと外に出たら、久しぶりの良いお天気を喜んでいるかのように、小鳥たちも、カッコウも、そしてカラスまで、賑やかにはしゃいでいた。今日は気持ちのよい一日になりそうだ。


6月14日
休日の過ごし方。
昨日6月13日は、6月でただ一日の、そして秋までではおそらく最後の、虎の子の休日でした。どう過ごしたのかを書き始めたら、すごく長くなってしまったので、これは薫風舎日記の方に小連載をすることにしました。今朝は、朝ごはんを食べながら「ちゅらさん」をリアルタイムで観るという、夢のようなひとときを過ごして、行動開始。さあ、秋まで張り切って頑張ろう!


6月13日
沖縄ブーム
昨日買ってしまった。「ちゅらさん」のサウンドトラック。NHK朝のテレビ小説に、3人ですっかりハマってしまったのだ。あの沖縄の、青く輝く海と空、そして何の悩みもないようなカニが、テレビの画面を横切っていく姿を見た時の、あの一瞬の幸福感。
もちろんリアルタイムで見ることは不可能に近いので、ビデオにとる。そして、その日のうちにどうやってその15分間を捻出するかで、仕事が手につかない。・・・ということはないが、3人頭がいっぱいになっているのだ。
そして、夜11時をまわった頃、こそこそとプライベートにある小さいテレビにかじりつき、声を殺しながら笑ったり、時には泣いちゃったりしているのだ。シーズンに突入し、だんだん身動きが取れなくなってきている私たちにとって、えりぃの笑顔と、愛すべき古波蔵家と一風館の人々、そして白い砂浜をのんびりと歩くカニが、心の支えだ。今、薫風舎は密かに沖縄ブームである。


6月12日
みゆきの杜ユースホステル
昨日、薫風舎のお客様で、去年長野県木島平高原に「みゆきの杜」ユースホステルを開業された中村さんが、奥様と一緒に泊まりに来て下さいました。
中村さんが初めて薫風舎へ泊まられたのは、98年10月。そのときに、近い将来ユースを開業したいと、熱く語っておられました。勉強のために、道東のユースでヘルパーをして、そのあといろいろな宿をまわっておられるとのことでした。
昨年冬、ふたたび薫風舎へ来られた時には、その夢はもうすでに現実のものとなり、夏のオープンに向けて、またご結婚に向けて、忙しくされている時でした。オープン前に、もう一度薫風舎を見たいと、大阪から一泊のために、フェリーに乗ってわざわざ来て下さいました。
ホームページを時々拝見しては、ぜひ泊まりに行きたいと思っていましたが、先に中村さんのほうが短いオフを利用して、いらしてくださったのでした。久しぶりにお会いした中村さんに、ペアレントとしての貫禄を感じました。私は、ユースは一度も利用したことがないのですが、中村さんの営む宿には、何としてでも一度泊まってみたい、と願っています。ホームページはこちらhttp://homepage2.nifty.com/MIYUKINO/


6月11日
ヘルシーマラソン報告
昨日はびえいヘルシーマラソン大会でした。お客様がスタート地点へと向かわれてから、3人大急ぎで全館清掃を終え、11時過ぎに、各コースのゴール地点である丸山運動公園へと車を飛ばしました。毎年、裏の三号線で応援をするのですが、今年ははじめてゴール地点まで行ってみることにしたのです。
じっちゃんが出場した5Kmのコースは、10時スタートだったので、無事ゴールに到達しているなら、もうとっくに走り終えているはず。公園近くに行くと、ものすごい車と人の数で、この中からじっちゃんを探すのは、至難の業だと思いました。手分けして探していると、じっちゃんはすでに悠々と完走し、着替えを終えているところでした。
たくさんの出店も出ていて、実況アナウンスや、表彰の生演奏などもあり、寒空の下ではありましたが、ちょっとお祭り気分です。雑然とした出店の前のパイプ椅子を椅子取りゲームのごとく見つけて、みんなでそばや芋団子などを食べたのでした。
そうこうしているうちに、ハーフのゴールが近づきます。お客様のゴールの瞬間を撮ろうと、カメラを片手に待ち構えました。続々と走りぬいた選手たちが、グラウンドへと入ってきます。寒さに震えながら、きょう出発された方たちの顔を必死で探しましたが、なかなか見つけることができませんでした。
一時間ほど待っていると、ご常連の斉藤さんの姿が見えてきました。顔色一つ変えずに、きれいなフォームでのゴールでした。残念ながら、他の方たちのゴールの瞬間は確認することはできませんでしたが、皆さん無事に完走されたようで、私たちもうれしく思いました。


6月10日
大会の朝
寒い雨がしとしとと降っています。今日は、美瑛ヘルシーマラソン大会です。昨日泊まられたお客様は、薫風舎オープン以来大会皆勤賞の斉藤さん、昨日書いたじっちゃんこと長谷川さんはじめ、ほとんど全員が出場されます。
コースはハーフ(21.09Km)、クォーター(10.54Km)、ワンエイツ(5.27Km)の3つ。それぞれ出場するコースに分かれて、もうすでにほとんどの方がスタート地点へと向かいました。
こちらへ来てから6年間、大会は必ず良いお天気でした。雨の大会は今日が初めてです。皆さんどうか最後まで全力を尽くして頑張って欲しいと思います。


6月09日
じっちゃんリベンジ
この「ひとこと」ではもうすっかりお馴染みになってしまった、アッコちゃんの若干70歳のボーイフレンド、じっちゃんこと長谷川さんが、昨日薫風舎やってきました。目的は、明日行われる美瑛ヘルシーマラソンへの出場です。
2月にあっこちゃんとともに宮様スキーマラソンに出場し、無念のリタイアをしてから5ヶ月あまり。(ご存じない方はぜひバックナンバーをご覧ください。)あのときの屈辱を晴らすべく、マラソンへの再チャレンジです。昨日到着してから、早くも走り込みを始めたじっちゃん。果たしてリベンジとなるか。明日は5Kmのコースに出場します。


6月08日
麦の穂
雪解けと共に爽やかな緑を楽しませてくれた、玄関の向うの秋蒔き小麦に、きれいに穂が出そろいました。ちょっと白味がかった青竹色の絨毯に、初夏の訪れを感じます。


6月07日
月明かり
昨日は満月だった。夕食の後片付けを終えてデッキの外に出ると、月あかりで山の稜線がくっきりと見えた。ちょうど十勝岳の噴煙の上がるあたりの真上に、赤い星がひとつ光っていた。そのさらに上には、かすかに赤味を帯びた満月が、煌煌と輝いていた。


6月06日
ムックの散髪
今朝、あまりにもムックが暑そうで、しかも腿のあたりにフエルト化したものすごい毛玉があったので、散髪を始めた。ムックは放っておくと、ライオン丸のようになるくらい毛が長いので、夏になるとその毛を私が短く刈るのだ。しかし、体中に生えた毛を、体裁よく刈るのは至難の業だ。ムックは世界一散髪される時いい子にしている犬だと私は信じているが、それでも切り始めると、何がなにやらわからなくなってしまうのだ。
そして、散髪が終了したときに、私は家族中の不評を買う。お客様にも、「この毛はいったい・・・?」とよく笑われてしまう。今回は、思い切って体中かなり短くした。私はいままでで最高の出来だと思ったのだが、主人とあっこちゃんに「山羊みたいでかわいそう!」といわれ、ムックは力なくデッキの下へともぐりこんでしまった。


6月05日
山の風景
昨日は、午後からとてもよいお天気になりました。お客様が台湾の呉さんとお友達二人だけだったので、5人で山のほうへと出かけました。白樺街道から模範牧場、望岳台へと向かう道の山の風景は、残雪の白と、新緑の緑の入り混じり、眩いばかりでした。吹上温泉のぬるめの露天風呂にみんなで浸かりながら、久しぶりに気持のよいひと時を味わったのでした。


6月04日
寒い朝
5月のかんかん照りの天気に、6月1日、待ち望んでいた雨が降ってから、こちらはぐっと気温が下がりました。ストーブが欲しくなるほど寒い朝が続いています。
昨日は、雨の合間に久しぶりに顔を出した十勝岳のてっぺんに、うっすらと新雪がかぶっていました。めずらしく裏の木に姿を見せたカッコウも、寒さに声が出ないようでした。
今朝も寒い朝ですが、お昼から天気は回復し、またしばらく青空が続きそうです。


6月03日
チャイのお墓
昨日チャイのお墓を新しく作り替えた。2年前の8月交通事故でこの世を去ったチャイのことは、去年の薫風舎日記に書いた。その時作ったチャイのお墓は、煉瓦を並べただけの粗雑なものだった。いつかちゃんとしたものを作ってあげようと思いながら、ずいぶん時間が経ってしまった。
先日、きれいな石を見つけたので買ってきて、3人で土を入れなおし、煉瓦を周りに置いて、新しいお墓が出来上がった。お墓の周りに、2年前に札幌の母が実家から持ってきてチャイのためにと植えてくれたミヤコワスレが、ずいぶん増えて、蕾をたくさんつけていた。


6月01日
ほっとひと息
昨日は、お客様のいない休日。朝から待ち望んでいた雨が降り出しました。カラカラに乾ききった土が雨水をしっとりと吸収して、畑もようやくほっとひと息つくことができたようです。私たちもほっとひと息。雨降りの静かな一日となりました。


5月31日
ライラック
札幌で生まれ育った私にとって、ライラックの花には、ちょっと特別な思い入れがある。5月の末から6月の始めにかけて、どこの家の庭にも見かけるライラックがいっせいに花を咲かせ、歩いているとなんともいえない、甘いいい香りが漂う。ライラックのたわわに咲いた白や紫の花が、初夏の爽やかな季節の訪れをつげるのだ。
美瑛に来てからライラックの花をあまり見かけず、淋しく思っていた。先日札幌の実家で、満開のライラックに久しぶりに季節感を感じて、ますますそう思った。帰ってきてから、ちょっと注意してみると、ライラックの木を植えているうちが、そうないわけではなかったことに気づいた。美瑛や旭川の住宅地の庭先に、ちゃんときれいに咲いているライラックがあった。なのに、どういうわけかライラックに札幌で感じるような存在感がないのだ。なぜなのだろうと、ここ2、3日考えている。
ここに住んでいると、住宅街を歩く、ということはめったにない。車で素通りするだけでは、ライラックの花も匂いも、あまり感じることなく終わってしまうのだろうか。広々とした畑の風景には、ライラックは似合わないのだろうか。
今、ちょうどとなりの小原さんの奥さんがいらしたので、聞いてみたら「ライラック?あんまり見ないねえ。この季節といえば、ライラックというより私はアスパラだね。」いずれにしても、旭川周辺の人たちには、ライラックへの意識はあまりないようである。


5月30日
雨を待つ
異常に良いお天気が続いている。5月に入ってから、ほとんどまとまった雨が降っていないため、畑はからからの状態だ。
10日ほど前に蒔いた大根や人参も芽が出てこない。蒔いた次の日の、黄砂のような強風で、種が吹き飛ばされてしまったのか、または乾きすぎているからだと思う。気を取り直して、今日は朝から今までかかって、また新たに人参と大根、とうもろこし、大豆などを蒔いた。天気予報どおり、明日雨が降ってくれないことには、またまた干上がってしまう。雲ひとつない青空と無神経なほど照りつける太陽が、どうにも恨めしい。


5月29日
忍路の海
日曜日の夕方、妻が小樽でピアノのレッスンを受けるというので、私とアッコちゃんもいっしょについて行った。レッスンの間私たちは、小樽から余市へ向かう途中にある、「忍路」と書いて「おしょろ」と読む小さな漁村を訪ねた。
到着したのが5時ごろ、初夏を思わせる太陽がまだ白く輝いており、港を囲むようにそそり立つ岩肌の下の磯に腰かけて、しばし日向ぼっこをした。陽が徐々に水面をオレンジ色に変えてくる頃、防波堤の上へと場所を移した。そして、釣り糸を垂れる人に混じって座り、小さなつり船が行き来するのを見ながら、夕暮れ時を待った。好奇心旺盛なアッコちゃんは港の周りを散策していたが、陽が落ちる頃には防波堤の下のテトラポットに陣取っていた。
太陽が水平線に沈むと、キラキラとしていた水面が赤紫色のまだら模様になり、あたり一面が茜色に染まって、港の夕焼けはクライマックスを迎えたのだった。
ピアノのレッスンで絞られていた妻には申し訳ないが、夕日の忍路はいつまでも記憶に残る絵となった。アッコちゃんもカメラを忘れたことだし、またいつの日か、今度は3人で忍路に行くことにしよう。


5月27日
雪形
昨日の夕刊にニセコの「白馬の雪形」の記事があった。
春から夏へと変わる季節に、山肌に残る雪が描く模様を雪形といい、ニセコワイスホルンには毎年この時期、山頂へと駆け上がる馬の形が現れるのだそうだ。
信州や東北地方の雪形については、何度か見聞きしたことがあるが、北海道には少ないのではないかと、以前から漠然と思っていた。
目の前の十勝岳連峰にも雪形がありそうなので、今朝からよく見える山々に目を凝らす。さまざまなかたちが文字となって頭をかすめるが、少し照れくさいので、ここに書くことはやめることにする。


5月26日
キカラシ
今週の月曜日、薫風舎をかぎ型に囲むように、キカラシの種をまかせてもらいました。去年からまわりの畑は、永さんが千葉さんから借り受けて、畑作をしていますが、7月まで畑に入らないということ聞き、それまでの間、花を咲かせることにしました。
キカラシは畑にとって緑肥作物になり、病害虫の発生を押さえ、土壌保全など、さまざまな効果があるそうです。最近は景観作物として、鮮やかな黄色の花が、人々の目を楽しませてくれる役割も担っています。
今朝畑に近づいて見ると、緑色の双葉が畑の中からぴょこぴょこと顔を出していました。この芽が花を咲かせるまでになり、薫風舎の周りを彩ってくれるのは、7月の中旬ごろになると思います。


5月25日
ピアノの練習
夕食が一通り終わると、ピアノの演奏が始まる。短い曲1、2曲だが、毎日のように人前で演奏するというのは、エネルギーがいることであろう。
お客様の少ない冬のシーズンにしっかりと練習をして、オンシーズンに備えたいというのが演奏者の心積もりらしい。しかし、すでに万全の体制でいなければならないこの時期に、例年通り特訓が始まっている。思うように練習の時間が取れないのは、同居人の責任というのが演奏者の言い分である。
ということで、昨日今日と久々に「今日のひとこと」を担当した同居人の背中の向うで、ピアノの音が前へ行ったり、後ろへ飛んだりとしている。「時間がないぞー。」こういうことを言うと、また怒られるのである。


5月24日
朝靄
今朝6時に目を覚ましラウンジへ行くと、窓からまわりの畑にうっすらと朝靄がかかっているのが見えた。
朝食後、お客さんと話すのはまずは天気の話しからになることが多く、今朝もお客さんから「朝早くには靄で真っ白でしたね。」といわれ、つい「そうでしたね。」と返事をした。もっと早い時間には真っ白だったのだろう。自分が見た景色は真っ白ではなかったので、「そうでしたね。」ではないはずなのに。
お客さんより遅く目を覚ますことは、よくないと思っている自分がどこかにいるようである。話しのタイミングということもあるが、このようにことばを合わせてしまったあとは、気持もモヤモヤとするものである。


5月23日
アボリジニの美術展
きのう、北海道立旭川美術館に「オーストラリア・アボリジニ展」を観にいってきました。札幌からわざわざ、その美術展を観に来た妹と、ちょうど美瑛界隈に滞在中の佐竹氏と、あっこちゃん、私たち夫婦の5人ででかけました。
アボリジニといえば、昨年のシドニーオリンピックでご記憶の方もいらっしゃると思いますが、オーストラリアの先住民のことです。数万年もの間、伝統や法、生きる智恵などを、各部族ごとに儀式などの際に砂地に描き、子孫に伝承してきたのだそうです。その芸術性の高い絵は、部族の秘密なども描かれたため、儀式が終わるとすぐに消し去られていました。
1970年代になって、その絵をカンバスに描こうというアート・ムーヴメントが勃興し、初めてその高い芸術性が、世に知られるとともに、長い間国の同化政策のため影に追いやられていた、アボリジニの民族の精神と魂が、ふたたび覚醒し、文化再興に大きな役割を果たしたとのことです。
点描を中心とした独特の色合いの美しい図柄は、一見抽象画のように見えますが、その絵の中には、言葉ともいえるさまざまな意味あいが込められており、心に迫ってくるメッセージを感じました。横に小さく書かれたその意味を照らし合わせながら絵画を観るという、普段の絵画展とは少し違う観かたへの新鮮さと、一つひとつに意味付けをしながらなおかつ微動だにしない、その絵画自体の言われようのない美しさに、心洗われる思いがしました。
旭川での美術展は27日までです。お近くの方はぜひ足をお運びください。


5月22日
カッコウについて
昨日カッコウが鳴き始めたと書きました。今朝も、今まさにカッコウの声が裏の林に響き始めました。ホームページご常連のお客様、薫風舎日記のバックナンバーをのぞいてくださる酔狂な方は、よくご存知のことと思いますが、わからない多くの方のためにここで解説を。カッコウには非常に重要な役割があるのです。
薫風舎の初めての夏を前に、野菜の種を買いに行った時のこと、蒔く時期を聞くと、「カッコウが鳴いたら蒔いていいよ。」と言われました。びっくりしてなぜかと聞き返すと、カッコウが鳴くと、もう霜が降りる心配がなくなるのだそうです。それ以来、カッコウの鳴き声は、種まきのバロメーター。忙しくて作業が遅れていると「早く蒔け!早く蒔け!」と鳴いているように聞こえます。そして、その音程の不思議さ。これはぜひ、これを機会に薫風舎日記のバックナンバー(98年7月1日から時々連載)をのぞいてくださいますよう。ちなみに今日は気温が低いせいか短3度に近い長3度。これから7月中旬まで、カッコウの爽やかな声が薫風舎のまわりに響き渡ります。


5月21日
国道231号線
歩く怪人佐竹氏が、現在国道231号線を歩いているらしい。231号線は、通称石狩街道とよばれ、札幌から石狩大橋を渡り、厚田村、浜益村、雄冬、増毛を経由して留萌に抜ける、日本海岸の海岸線を走る国道である。この国道は、あまり道外の観光客の方には知られていないが、私は北海道の中でも指折りの美しい道だと思っている。同じ日本海の海岸線でも、積丹半島や、檜山の方とはまた違う、独特の風景が広がる。特に、厚田村の聚富から望来の浜に下るところの景色は本当に美しい。・・・と言ったら、佐竹さんは今日朝バスで札幌を出発して、聚富で下車。今その道を望来に向かって歩いているという情報が入った。
もっと詳しく書きたいところだが、今日はタイムオーバー。外では、カッコウが鳴き始めたとあっこちゃんが叫んでいるし、種まきをしなければ。またそのうち詳しく書きます。あしからず。


5月20日
朝の散歩
今朝は、めずらしく早く目が覚めた。外の爽やかな感じが、ベッドの中からもわかったので、主人を起こして散歩に出かけることにした。こんなにいい環境の中にいて、こんなことはめったにあるものではない。ティンクとムックをいつもとは逆にこちらの方から促して、玄関のドアを開けた。
昨日久しぶりにまとまった雨が降ってくれたおかげで、まわりの畑や木々の緑が、生き生きと輝いている。裏のまっすぐな道に出て、山とは反対の方へと、少し早足で歩いた。アスパラ畑では、お手伝いの人たちが、腰を丸めて一本一本収穫をしていた。例の?美瑛遺産にめでたく登録された看板山(丘のまち美瑛の美瑛遺産参照)まで歩いて、戻ってきた。
良い季節になってくると、なんだかいつも時間に追われている。こんな贅沢な時間がここにいてなかなか味わえないのは、何ともどかしいことか。


5月19日
種まき3〜ひとまず第一陣終了
石拾いを切り上げ、いよいよ種を蒔きます。まずは、紐と棒を使ってまっすぐに畝を切り、有機肥料を撒きます。この按配に、いつも迷います。作物によって必要な量が違い、多すぎても少なすぎてもダメなのです。結局いつも適当に撒いて、良かったのか悪かったのか・・・。その年の作物の出来、不出来は、天候や種を蒔く時期、撒いたときの土の状態などによっても大きく左右されるので、肥料の量だけでは推し量れず、毎年勘に頼ることになってしまうのです。
肥料を蒔き、それを混ぜながらふたたび畝を切り、作物によっては土を盛り付けてから、丁寧に種を蒔きます。このときの種の深さや土の掛け具合によっても、発芽の状態が変わってくるので、年々神経を使うようになってきました。
一昨日は、人参、大根、とうもろこしの種を蒔きました。どれも少しずつ、時期をずらしながら蒔くので、一回の作業時間は意外に短いのですが、これから6月中旬までは、仕事の合い間を縫って、折をみては畑に出動することになります。
昨日はビーツ。ボルシチなどに使われる大きな赤いかぶです。黄砂と言っても過言ではないほどの強風に見舞われ、砂ぼこりをかぶりながらの作業となりました。種を蒔きながら、ふと昨日植えた人参の方を見ると、土が風で飛ばされて、種が皆むき出しになっていました。それをひとつひとつふたたび指で抑え、土の中にもぐりこませました。
あとは、無事元気に芽を出し、薫風舎の食卓へと運ばれるべく、おいしく育ってくれるように祈るばかりです。


5月18日
種まき2〜まずは石拾い。
昨日は予想外のよいお天気に、3人張り切って外に出ました。前日ロータリーをかけたところに石がゴロゴロ出てきたので、まずはみんなで石拾いです。
十勝岳の麓であるこの地域は、火山の影響でものすごく石が多いのです。農家の方たちは、春先、広大な面積の畑のなかに入り、這いつくばって、ひとつひとつ石を拾っています。いつもそれを見ると、本当に大変なことだなあと頭が下がります。
うちの畑など、それに比べたらネコの額ほどのものですが、毎年なかなかその作業が出来ません。やり始めると無数の石の前に、星を掴むような気分になってきました。時間がないので、今年もまた切りのいいところでやめることにしました。
石拾いをすると、自分たちの足がまた土を固めてしまいます。もういちどロータリーです。するとまた新たな石が無数に出てきます。しかし、これをしていると永遠に石拾いから脱することが出来ないので、諦めて次に進みます。つづく


5月17日
種まき
この季節は外の仕事が山積みです。畑の種まきや苗作り、鉢や花壇を作ったり、木を植え替えたりと、やらなければならないことはたくさんあるのですが、お天気と宿の仕事の具合を見ていると、なかなか思うには任せず、いつも気をもんでしまいます。
先日の好天続きに畑に出れず、ようやく動きが取れるようになると今度は雨模様。いよいよ畑のスケジュールも押し迫ってきたので、昨日はいかにも雨の降りそうな空をにらみながら、ロータリーをかけていると、予報よりずいぶん早く雨が降り出してしまいました。
どうもそろそろ、天下の雨男、佐竹大魔人も本道上陸の恐れあり!参った!と頭を抱えていたら、天の助け。昨日から天気予報が変わり、今朝はカラッと青空が広がりました。さあ、ぐずぐずしてはいられません。今日中に、巻き返しです。


5月15日
アスパラ情報
今日、朝早くから外の作業をしていたら、薫風舎のお客様にはおなじみの「沢尻農園」の奥さんが、アスパラをたくさん持ってきてくださいました。この数日の季節外れの好天気、高温は、畑には毒だよと、こぼしておられました。おかげでアスパラも、ものすごい勢いで急に伸びて、農家の人たちも採るのが大変なようです。沢尻さんのアスパラも、スタートです。少しですが、春掘りの甘いジャガイモもまだあるそう。早い者勝ちですので、お早めに。地方発送可(Tel&Fax 0166−92−4965 自宅) 沢尻農園ホームページ


5月14日
小原さんからのうれしい知らせ
昨日夕方、お隣りの小原さんからうれしい知らせが届きました。皆さま(そして私たちが、)待ちに待ったグリーンアスパラガスの登場です。先週は寒い日が続いたので少し遅れるかなあと思っていましたが、2日間の好天で、じっと待機していたアスパラが、一気にニョキニョキと出てきたんだと思います。
これから6月いっぱいまで、小原さんが一家総出で収穫したアスパラが、薫風舎の食卓の主役となります。採れたてのアスパラの甘くてとろけるようなおいしさ。ああ、これをどうお伝えしたらよいか・・・。「至上の喜び」と言っても決して大げさではないと、私は思っています。


5月13日
日本晴れ
夕べ天気予報を見ると、沖縄以外日本中が晴れマークでした。美瑛上空にも雲ひとつありません。この青空が九州まで続いているのかと思うと、なんだか感動します。
予想最高気温が25℃。引き出しの奥から半袖を引っ張り出しました。昨日から急に暖かくなったので、まわりの木々も、草たちも、ぐんぐん緑になっています。


5月12日
新雪
今日は久しぶりに青空が出ました。昨日不気味な「なんとか怪獣」(あとからシーボーズと判明。)に見えていた山も、今日は稜線までくっきりとその姿をあらわしています。山のてっぺんには、粉砂糖をまぶしたように新しい雪がかぶっています。しばらく見ていると、トンビが気持良さそうに高く旋回していきました。


5月11日
怪獣の山
今日は不思議な空模様です。どんよりとした白とねずみ色の雲が低く漂い、残雪と青黒い山肌が斑になった十勝岳が半分見えています。お天気のあまりよくない日の、この季節の山は、時折りこんな少し怖い表情を見せます。ウルトラマンにでてきた、なんとかいう怪獣をいつも思い出します。


5月10日
コニファー
シーズン前に異例の強行軍となってしまった、釧路、霧多布、帯広の旅から、夕べ無事に帰ってきました。(バックナンバー参照)今回の旅行の真の目的は、実は「食べること」でも「景色を見ること」でもなく(信じてもらえないでしょうが。)、コニファーという針葉樹を買いに行くことでした。毎年この時季恒例の行事なのです。
車に詰める量が限られているので、いつも車に載せられるだけ買ってきては、庭に植えています。青白い葉が美しいプンゲンストウヒや、独特な伸び方をするビャクシン、黄金色の葉のサンキストなど、コニファーにはたくさんの種類があり、その色や形の違いを利用して、寄せ植えや庭のアクセントにするのです。毎年少しずつ増えていくコニファーを見るのが楽しみになっています。
上に伸びる木はもうだいぶ増えてきたので、今年は背の低いグランドカバー用のものをたくさん買いました。今日は朝から冷たい雨が降っているので、木々は玄関の外で待機中です。早くお天気になってくれないかなあと思っています。


5月09日
牡蠣ふたたび
牡蠣を夢見て厚岸を目指したのは、3月だった。(ひとことバックナンバー参照。)今回は、釧路市内に5月1日オープンした、母の知り合いのパン屋さん「イエローヴァリー」のところへご挨拶をして、すぐに帯広に向かうつもりだったので、宿をゆっくり出発した。道を間違えて、ふたたび鶴居のほうへ向かってしまい、大きくロスをした後、車が釧路のほうへ向かうと、あの、気絶しそうにおいしい牡蠣の味が、3人の脳裏に浮かんだ(3人とはおなじみ私たち夫婦とスタッフのあっこちゃん。同行のムックとティンクには当然のことながら、牡蠣の味は浮かばなかった。)。そしてやがて、車が釧路市街と厚岸への分かれ道に到達すると、モノに取り付かれたように、私たちはふらふらと厚岸のほうへと向かってしまったのだった。
3月に来たときとあまり変わらない、どこまでも荒涼とした風景は、もはや3人にはどうでもよかった。先日biei.com サーバー佐竹氏から送りつけられてきたビデオテープに出ていた「桜亭」の牡蠣コース1500円と、3月に天上の思いを体験した厚岸漁協エーウロコ、ここまで来たらダブルで味わうしかない。
お昼過ぎ、歩いていたおばちゃんを捕まえて「桜亭」の場所を突き止め、難なく牡蠣コースにありつくことができた。店内は地元の人で溢れ返り、私たちはかろうじて狭いカウンターに座ることができた。牡蠣酢に柳川風、牡蠣汁、牡蠣フライ、そして口の中でとろけるうまさの牡蠣の軍艦巻きしめて1500円は安い。甘くて大きな牡蠣を堪能した。
店を出ると、すぐさまエーウロコに直行だ。母の日にカーネーション?いいや生牡蠣に限る。と言い合いながら、私たちは牡蠣の発送を依頼し、それからあの3月に味わった牡蠣を思い浮かべながら、蒸し牡蠣を頼んだ。がしかし、願いはかなわなかった。保健所が厳しくなり、店内では食べられなくなったのだそうだ。今度はショックで気絶しそうになってしまった。あの、3月に味わった蒸し牡蠣は、幻と化してしまったのだった。
思い余った私たちは、車をさらに東へと向けて走らせた。こうなったら、霧多布まで行ってやる。おなかはもう牡蠣を欲してはいなかった。満腹中枢が満たされて、ようやく景色を楽しむ余裕が出てきたのだ。まだ緑には遠い湿原の風景もまた美しかったが、おかげで、釧路にたどり着いたのは、5時半をまわっていた。オープンしたての「イエローヴァリー」はとてもかわいいパン屋さんだった。残念ながらパンは完売。隣接の喫茶店でコーヒーをいただき、帯広へと向かった。9時過ぎに、帯広にたどり着いたとき、3人と2匹はもうへろへろになっていたのだった。


5月08日
道東への旅
釧路の近くの山花温泉に来ています。昨日朝、10時30分に薫風舎を出発。十勝岳のふもとの日新ダムを通って上富良野へ抜けると、桜の花がほころびはじめていました。本幸から麓郷を通って国道38号線に出る近道、新得から鹿追、上士幌町へ抜ける道と、地形や土の色、緑の進み具合や木の種類によって少しずつ変わっていく田園風景を楽しみながら、車は東へと向かっていきました。
足寄あたりに来ると、もうすっかり景色は美瑛や富良野とはまったく別の種類のものとなります。道東特有の雄大さと、猛々しさは、広がる、というよりは立ちはだかっているようにすら思える深い森の風景です。
阿寒湖から下へくだり、農道を超えて鶴居村へと入りました。道道を走っていると、畑の中にたくさんの丹頂鶴の群れを発見しました。真っ白な美しい姿の鶴は、みんなでキタキツネの子供をからかっているようでした。小さいキツネは、大きな鶴たちに囲まれ逃げ惑い、しまいに追い払われて姿を消しました。湿原の脇を通る頃には、あたりは薄暗くなっていました。あまり赤くならなかった夕日を映して、目下に大きく広がる釧路湿原は、藤色に煙っていました。


5月07日

ああ、今日でゴールデンウィークも終わりだなあ、と昨日午後思っていたら、サァーッと雨が降り出しました。連休中、まわりの農家の方たちは、連日夜中までトラクターを動かしていました。そろそろ雨が欲しいのではと思っていたので、なんだかほっとする雨でした。
ピアノの生徒に「GWはどこかへ行くの?」と聞くのが酷なほど、この季節は農家は忙しいのです。昨日お昼からの雨は、畑にも、農家の方々にとっても、恵みの雨となったに違いありません。
夜中には雨はやみ、今朝はまた朝早くからトラクターの音が聞こえていました。


5月06日
土の色
昨日は朝早くから、笹本さんが、うち玄関の向うのカラ松林の手前の畑をおこしていました。今朝、ムックとティンクと外に出ると、だいぶ濃くなってきた秋蒔き小麦の緑と、その向こう側のおこされた土の黒色のコントラストが、目に飛び込んできました。
少し歩いていくと、今度はきれいに並べられたかわいいビートの苗が点々と続く畑が、ずうっと向うまで続いていました。


5月05日
最後のフレーズ
一日から滞在されている梁さんのグループは、毎日十勝岳、旭岳へと、春スキーを楽しんでおられる陽気な大阪の5人組です。ろうあの梅本さんと内田さんをはじめ、皆さん手話での会話も早口の関西弁。手話も達者だがお酒もすごい。毎日楽しい酒盛りが続きました。
わたしは、シーズン初めで夕食後のピアノが不調続きだったので、梅本さんと内田さんには気づかれずにすんだと内心ちょっぴり喜んでいました。ところが、夕べピアノを弾き終わりテーブルに近づくと、梅本さんは、ピアノの響きがかすかに聞こえるということ。あらら、バレてた。それで、ぜひ「北の国から」のテーマを弾いてもらいたい、というリクエストをいただきました。
学生時代は、メロディーを聞けば即座に伴奏をつけ、人間カラオケ機と言われた私。今ではかなりさび付いているとはいえ、あのくらいはなんとかなるゾ。と思って、最初から頭の中でメロディーを思い浮かべてみたのですが、どうしても最後のフレーズが思い出せない。実は、ドラマをあまり見たことがないのです。言い訳をしながらピアノの前に座り、うろ覚えのメロディーを弾いたのでした。何度弾いても、一番最後の2小節がよくわからなくて、ちょっと変な北の国からになってしまいましたが、それでも梅本さんは、ピアノの前に座ってうれしそうに聞いてくださったのでした。


5月04日
穏やかな朝
こんなに毎朝穏やかなGWはめずらしい。毎日朝起きると、きりっと冷え込んだ空気に、十勝岳連峰の見るたびに少しずつ少なくなっている残雪と、秋蒔き小麦の緑が眩しく目に飛び込んでくる。まわりの木々は、薄っすらと新芽のヴェールをかぶりはじめている。


5月03日
エゾエンゴサク
朝ムックとティンクと散歩に行くと、裏の小さな会館の雑木林の中に、エゾエンゴサクが満開です。少し透明な青い花は、よく見るとクリオネのような、小人のとんがり帽子のような不思議な形をしています。そんなかわいい形の花が、たくさん顔を寄せ合って、ひっそりと咲いています。摘むと、すぐにしおれてしまうので、散歩の途中に、ちょっとのあいだ足を停め、楽しむようにしています。


5月02日
アスパラ登場!
夕べは10ヶ月ぶりに、グリーンアスパラガスが、薫風舎の食卓を飾りました。といっても、となりの小原さんのアスパラまでは、まだ10日近く待たなければいけません。ようやく美瑛産ハウス物のアスパラが出だしたのです。甘さみずみずしさは、さすがに小原さんのアスパラには及びませんが、久しぶりの採れたての味は、それでも格別でした。
お客様にお出しした残り、いえ、ちゃんと自分たちの分も数に入れたのですが、厨房では、昨夜、割り切れなかった余り1本を巡って、早くも壮絶な争いが繰り広げられたのでした。


5月01日
寝不足
昨日は、1時過ぎにようやくベッドに入った。すぐに眠りについたように思うが、ムックが急に主人をたたき起こした。夜中の3時だ。こんなことはめったにない。ムックは、必死で主人の布団をはがしにかかっている。一度は寝ぼけながらムックを戒めたのだが、しばらくすると私のほうへ来て、必死で訴えかけている。分けなく騒ぐことは絶対にないので、急にトイレに行きたくなったのだろうかと、外に連れて行くことにした。
主人は早起きで私はいつも寝坊するので、こんな時くらいはと、私が連れて行った。ムックは暗がりの中に消え、用を足しているようだった。しばらくして、玄関先で呼ぶと、なにやら必死でかぎまわって、一向にこちらへ帰ってこない。
畑の際をかぎまわっていると思ったら、全速力で裏のほうへと走っていった。なんせ暗闇だ。こちらはかすかな足音と、薄ぼんやりと白く動く影しか、頼りにならない。名を呼びながら追いかけていくと、今度はもどってきたと思いきや、私を通り越し、納屋の向うの畑の中に消えていった。何か動物が来ていたに違いない。
もう私の足ではだめだ。車の鍵を取りに走った。何をしているんだ私は。真夜中狂気の世界へと入り込んでしまったようだった。車を出して小原さんのうちのほうへ向かうと、どろどろになったムックが帰ってきた。とてもこのままでは家中へ入れられない。玄関の前のホースから氷のようにつめたい水を出し、真っ黒なムックの顔や足を洗ったのだった。足を拭き、ようやく部屋へ帰ってくると、ティンクが心配そうに迎えてくれた。主人は高いびきだ。夜中に走り回って、私の目はすっかり覚めてしまい、朝方まで寝付けなかったのだった。


4月30日
「ZERO LANDMIND」
今日はどんよりと寒い日です。昨日買ってきた、坂本龍一の「ZERO LANDMIND」を聞いています。「平和」という言葉をこの場所で書くと、返って安っぽくなってしまいそうな気がするのでやめますが、このCDがたくさん売れて、ひとつでも地球に埋まっている地雷が少なくなれば、と願っています。TBS今夜9時からの「地雷ZERO」できるだけ多くの方に見て欲しいです。


4月29日
デッキで昼寝
暖かくなって、ムックとティンクも、昼間外のデッキにいる時間が長くなりました。はじめのうちは「何で外にいなきゃいけないの?」と訴える目をしていましたが、このところのぽかぽか陽気で、すっかり外が気に入ったようです。ラウンジの前のデッキに寝そべって、日がな一日気持ちよさそうに日向ぼっこをしています。


4月28日
花の苗症候群
買い物に行くと、そこここでかわいい鉢植えや苗が目に付くようになってきました。目に入るとついつい近づき、気がつくと山のように買ってしまう病が、今年も発生してしまいました。玄関の外には、買ってまだ手付かずの苗がたくさんならんでいるのに、また見かけると手に持ってしまうのです。
ちょっとやそっとの鉢植えを並べても様にならないので、いつも作っては買い足ししてしまいます。きょうは絶好のガーデニング日和なので、まずは外にある苗を使って、寄せ植えを作ることにしました。これからしばらくは、庭作りに追われる毎日です。


4月27日
あたたか
昨日からひさしぶりに暖かい日差しが戻ってきました。夕方買い物から帰ってきて、ムックとティンクのところに行くと、このあたりで雲母と呼ばれている小虫の大群が、デッキの周りに渦巻いていました。どうも急に気温がある一定の温度に上がると発生するらしく、毎年この時季、ほんの一時ですが悩まされます。まったくうっとうしい限りなのですが、ああ、本当に春がやってきたなあと思う瞬間です。
小虫に群がられて閉口していたムックとティンクを放して、裏の雑木林まで歩いていくと、福寿草の群生しているところに、エゾエンゴサクが咲き始めていました。エゾエンゴサクは、日陰にひっそりと咲く青い小さな花で、毎年GWの頃になると、裏の林にたくさん咲くのです。もう少し歩くと、土筆も芽を出しています。昨日からの暖かさに誘われたのでしょうか。


4月26日
ああ忙しない。
シーズン前夜は、いつもバタバタしている。昨日は、フロントまわりやカウンターの下に押し込めてあったものをすべて外に出し、大整理を始めたら、ラウンジと廊下がすごいことになってしまった。どうもこのままでは収まりがつかないので、整理箱やなんかを買いに行くことにした。庭のことや仕込など、あれやこれやと気持が焦ると、かえってうろうろとはかどらない。とにかく大急ぎで買い物を済ませてくることにしよう。


4月24日
幻の塩ラーメン
昨日午前中、用があってひとりで旭川に行った。わたしは用事を足す間も、頭の中は「お昼に何を食べるか」で一杯になっていた。今日はあっさりしたものにしよう。具体的には決まらぬままお昼時になった。車を駐車場から出しながら、いよいよどうしようかと思った途端、先日泊まられた鈴木さんが、連日にわたってラーメンの話をされていたことを思い出し、無性にラーメンが食べたくなった。ラーメンといえば「ふるき」だ。幸いすぐそばにいたので、迷わず車を向かわせたのだった。
ラーメンといえば味噌、「ふるき」といえば味噌野菜と決めている私だが、しばらく前から「塩ラーメン」が食べたくて仕方なかった。今日はあっさりしたものが食べたいし、「塩」を食べる絶好のチャンスだ。そうだ、塩五目にしよう!車を走らせながら、気持ちは高揚した。
店につくと、もうすでにかなり混んでいる。駐車場に車を入れて、「塩五目、塩五目」と呪文のように唱えながら、早足で店の前まで来た。暖簾をくぐって、ガラッと引き戸を開ける。左手に、味噌ラーメンをすするおじさん、いや、おじさんがすする味噌ラーメンが目に入った。「お客さん何にしますか?」畳み掛けられるように聞かれて、「み、みそやさい・・・。」思わず上ずった声で答える私。
またもややってしまった!「塩ラーメン」は幻と化してしまったのだった。


4月23日
人参の掘り起こし
今日は朝から澄みわたった良いお天気です。朝7時、太陽はもうずいぶん高くまで昇っています。空には雲ひとつなく、新雪の十勝岳が、眩しく輝いています。
ここ2、3日雪模様でできなかった外の仕事。まず手始めに、ひと冬雪下で過ごした人参の掘り起しから、やろうと思います。前の年に植えた人参は、冬のあいだそのままにしていると、雪をかぶった土の下で冬眠します。そして、春になり掘り起こすと、びっくりするほど甘くみずみずしくなっているのです。
うちでは、それをなるべく早いうちにピュレにして、スープとしてお出ししています。さて、今年の人参の味はどうでしょう?


4月22日
シーズン前の最後の楽しみ
これからしばらくは、何かにつけて「シーズン前最後かも」という枕詞がついてしまう。昨日は連泊の鈴木さんと一緒に十勝岳の白銀荘に行き、帰ってきてから4人で薫風舎特製餃子パーティーをした。こんな事を出来るのも「シーズン前最後かも」しれない。
天気予報に反して、昨日は夕方になるにしたがってお天気がますます良くなっていった。夕暮れに差しかかった十勝岳連峰は、このところの冷え込みで新雪をかぶり、輝くばかりに美しかった。ぬるめの露天風呂にゆっくり浸かっていると、だんだん空の色が薄いオレンジ色に変わっていった。
すっかりあたりが暗くなった頃、家に帰り着き、さっそく夕食の準備を始めた。夕方作って冷凍庫で寝かせてある餃子のほか、昨日はベトナム風生春巻き、帆立と青菜のオイスターソース炒めを作った。餃子好きの鈴木さんのために(本当は自分達が食べたいので)、焼き餃子と、白菜とニラも一緒に茹でた水餃子がメインだ。昨日作った焼き餃子用の餃子は、今まで作った中でも一番よく出来たのではないかと思う。
そういえば、昨日から4人で食べる事の話ばかりしている。お腹がはちきれんばかりに夕食を食べてなお、おいしいもののはなしに花が咲き、シーズンを目前にした静かな薫風舎の夜は楽しく更けていった。


4月21日
冷えた青空昨日の夕方には、朝から降っていた雪はやんでいました。ちょうどピアノのレッスンをしている頃、青空と新雪のかぶった山々が顔を出しました。
今朝もよいお天気。でも一昨日までの柔らかな青空とは全然違う、冷えた空の色です。


4月20日
初夏から吹雪
昨日までとても暖かくて、日中は半袖でもよいくらいでした。ところが朝起きると、ところどころ白い雪が積もっていました。みぞれ混じりの冷たい雨から、とうとう今は本格的な雪模様です。
4月にはめずらしい汗ばむ陽気に、このままでは済まないであろうとは思っていましたが、まさかいきなり雪になるとは。全く春の天気は油断できません。
そうそう、今日は、薫風舎のスタッフで大切な家族でもある、愛知のあっこちゃんが帰ってきます。そろそろ空港に迎えに行かなくちゃ。


4月17日
東京散歩2−恵比寿のイタリア料理店(15日の続き)
その小さいイタリア料理店(Bar Pomatoー「 食べある記」参照)で、ゆったりと心ずくしの料理をいただいて、わたしたちはすっかり満足しきっていた。おなかがすいていなかったにもかかわらず、くどくない味付けと素材のよさで、最後のドルチェとエスプレッソにいたるまで、どれもみなおいしくいただくことができた。一見頑固そうなオーナーシェフは、きびきびとした動作で自慢の料理をテーブルに運ぶたびに、わたしたちの目をまっすぐ見て、にこっと笑う。オーナーの意思がちゃんと伝わるこういうまじめなお店は、あふれかえるようにイタリア料理店が建ち並ぶ東京でも、そう多くはないのではないか、と思った。
帰りしな、魚のこと香草のことなど、少し話をする機会があった。話しているうちに、店が6月一杯で閉められることを知った。ショックだった。なぜこういう店が、そんなことにならなければいけないのか。テレビや雑誌の取材も断り、一人ひとりのお客さんを大切に、おいしい料理を食べさせたいという一心で仕事をするオーナーが営む小さな店。「これだけ価格破壊が進むと、とてもやっていられないんです。」ご主人は吐き出すように言った。そういう店に、真っ先に不景気の波は覆い被さるのか。とても人事ではない。神保町の静かな喫茶店のご主人も、全く同じことをおっしゃっていた。「大きい資本で、安売りをされたら、個人ではとても太刀打ちできないよ。」一方で、テレビで派手に紹介されたり、流行を追うだけの中身のない店は、行列さえできている。価格破壊とブランド志向。その狭間で、時代に流されず、本当にいいものを追求しようとする個人の店は、一体どうすればよいのか。


4月15日
東京散歩2−恵比寿のイタリア料理店
東京最後の夜は、イタリア料理と決めていた。前回、東京レストランガイドというホームページで見つけた、当時オープンしてわりと間もなかった青山のレストランのランチがとてもよかったので、今度はディナーをそこで、と考えていた。ところが、2年前訪れてから、その店は急にテレビや雑誌に頻繁に出るようになり、かなりメジャーな店となってしまった。果たして前に行ったときと同じ満足度をえられるだろうか。雰囲気や味が変わってしまっているのでは、と疑わしくなってきた。
旅行が近づいて、具体的に店を吟味する段になり、久しぶりにレストランガイドを開いた。思ったとおり、辛口の評価が軒を連ねていた。2年でこれだけ評判が落ちるとは、恐ろしいことだ。とても行く気がしなくなり、あらためて他の店を探すことにした。
出発の前日に、レストランガイドでいろいろと調べていて、一軒のイタリア料理店に目がとまった。言った人のコメントが、みなとてもよい。オーナーシェフが切り盛りする、小さなこじんまりした店らしい。恵比寿のBar Pomato。ここにしよう。
最終日は、新宿のHMVでCDを買いあさり、そのあと新大久保の職安通りまで歩いて、韓国料理を山のように食べてしまった。そのあと代官山を一回りして、なお胃袋の中をビビンバやチヂミなどが、おおきく占領していた。とにかく歩いて消化させてしまおうと、代官山から恵比寿のそのイタリア料理店まで、坂を下っていった。あすにつづく


4月14日
春の雨
一昨日、昨日の雨で、まわりの雪はすっかり解けてしまいました。ひと冬越して硬くなった雪には、暖かい日差しよりも、しとしと降る冷たい雨のほうが効き目があるようです。今日は久しぶりにうす曇の合い間から太陽がのぞき、ムックとティンクが景色を眺めながらデッキで気持良さそうに日向ぼっこをしています。


4月13日
そばつゆで酔う人
昨日はちょっと肌寒かったので、お昼ごはんに暖かいとろろそばを作ることにした。せっかくだから、ちゃんとかつおと昆布でだしをとり、おいしいそばつゆが出来上がった。食べ始めると、主人の顔が真っ赤になった。私もちょっと赤くなった。つゆにお酒とみりんを少し入れすぎたらしい。アルコールはとんでいるはずなのにおかしいなあ、などといいながら、主人はとろろがもったいないと、つゆを全部飲み干してしまった。
後片付けを終える頃には、主人はかなりまわっているようだった。頭ががんがんするといって、そのまま薪ストーブの前で寝てしまった。4時過ぎまで、うんうん言いながら横になっていたが、いいかげん動こうと思ったらしく、ティンクとムックと雨の中散歩に出かけた。
帰ってくると、ますます顔色が悪い。頭痛がどんどんひどくなっているという。とうとうトイレで2回ももどしてしまった。そして、布団にもぐりこみ、またうんうんうなりながら、結局10時近くまで寝込んでしまったのだった。
朝起きるとすっかり元気を取り戻し、ほっとしたものの、そばつゆで酔うとはあまりにめずらしい。これから料理にお酒を使う時には、十分注意しなければいけない。


4月12日
土の匂い
融雪剤を撒いていないのでいつまでも白いまま残っていた、うちの周りの畑も、ようやく土が顔を出しはじめました。どうやら今年は、前の笹本さんの畑も裏の小原さんの畑も、秋蒔き小麦らしく、薄緑のカーペットが毎日濃くなっていくのを見ながら、私たちはにんまりしています。春の匂いは、解けていく雪と土、ひと冬雪の下で過ごした枯れ草の、ちょっと蒸れた匂いです。


4月11日
東京散歩ー極上ばらちらし
羽田に到着したのは、4月2日1時前だった。予定では、まず紀尾井町にあるホテルに荷物を置いてから表参道まで行き、そこで昼食をとって、青山にある祖母のお墓参りをすることになっていた。青山といえば今流行のオープンカフェで、話題のカフェご飯と洒落こもうとかなり前から決めていた。
新橋で乗り換えようと一旦改札を出た。その途端、突然チャラチャラ系の食事はいやだ!と思ってしまった。和食が食べたい。予定外のことに私は頭が混乱した。主人が、「そうだ、あのサライに載っていたばらちらしはどうだ!」と言った。「おお!何というすばらしいアイディア!」私は興奮した。と、次の瞬間大変なことに気づいた。夕べあれだけ準備をしたはずなのに、ばらちらしの情報をメモしてくるのを忘れたのだ。店の名はおろか、銀座ということしか覚えていない。私は途方にくれ、あきらめようと思った。しかし主人はあきらめない。たしか三井アーバンホテルの裏手のほうだった。「仙」という字をなんとなく覚えているという。とにかく歩いてみることにした。
アーバンホテルの界隈をなめるようにくまなく歩いてまわったが、どうもそれらしい店はない。おなかはすいてくるし、だんだん雲をつかむような気持ちになった。どう考えても無理だ。私は、わりとあきらめが早いほうなので、すぐに他の店にしようよと言ったが、こういうとき主人は異常な粘りを見せる。もう一巡した。分からない。時計は2時に近づいていた。主人が電話ボックスに走った。電話帳をめくって「仙」という字を探した。「これじゃないか?寿司仙!」住所も近い。とにかく電話をしてみた。やはりそうだった。昼の営業を終わろうという時間なのに、気持ちよく応じてくださった。場所を聞いて行ってみると、何度も歩いていた道から、本当に小さな小道を入ってすぐのところにあった。極上のばらちらしに身も心も満たされて、幸せな旅の幕開けとなったのだった。( 食べある記参照)


4月10日
東京に思うー1
2年ぶりに5日ほど東京を歩き回りました。おいしい店を発掘し、例の「スタバ」をはじめいろいろなCafeも歩きました。(相変わらず食べる事ばかり。)書きたいことはたくさんあるのですが、シーズンを目前にしてそのことばかりも書いていられないので、折をみて少しずつ「食べある記」や「薫風舎日記」などに書いていこうと思っています。このひとことにも、ちょっと感じた事を少しずつ。
昔から東京に行くたびに思うこと。それは地下鉄や電車の自動改札。札幌は、地下鉄ができたときから自動改札でした。切符を通して料金不足や間違えがあると、ばたっと扉が閉まります。東京は私の記憶では、ずいぶん後まで改札にカチカチやっている人がいました。それでも行く度に自動のところが増えて、いつのまにかすべて自動化されていました。
東京の自動改札を始めて通ったのは、高校の頃かそこらだったと思いますが、いつもちょっとした違和感がありました。東京の自動改札は、近づくととりあえずばたっと扉が閉まり、切符を入れると開くのです。なんだか、疑われているみたいで、毎回その瞬間すこし不愉快な気持ちになっていました。
ところが今回ふと気がつくと、札幌式のすがすがしい改札が増えていたように思うのです。毎日何度も通るし一瞬のことなので、定かではないのですが、なんとなくそう思いました。やはり、私のように不愉快になる人が沢山いたに違いない、と勝手に信じています。


4月09日
行動開始はしたものの。
昨日までうだうだと過ごしてしまったので、今日は張り切って(といっても相変わらずスタート遅し。)冬服の整理や片付けをはじめました。もうデッキのドアを開けても、全然寒さを感じません。普段見て見ぬ振りをしていたところも引っ張り出して、ホコリだらけになりながら掃除機をかけ、思い切っていらないものを捨て始めたのですが、どうも片付くどころか広がる一方で、だんだん収拾がつかなくなってきました。このままでは寝ることもできません。これはいくつか収納ケースを買ってこなければどうしようもないということになり、仕方がないので、旭川まで出かける羽目になりました。
お昼過ぎに出発して、昼食をとったりついでに他の買い物もしたりしていたら、もう夕方近くなりました。なんだろう。この能率の悪さ。毎年4月は、こういうことをしているうちに、気がつくとシーズンに突入しているのです。何年たっても懲りない私たちであります。


4月08日
何もしない日曜日
どんよりと静かな日曜の昼下がりです。残雪の十勝岳はうしろの雲の色にすっかり同化して、昨日の輝きとはまた、ちがった趣を見せています。融雪剤を蒔いた畑は、ずいぶん土や秋まき小麦の緑が出てきてます。
旅行から帰って2日もたっているのに、なんだか今日は何もやる気が起きません。新宿のHMVで山のように買ってしまったCDをかわるがわる聞きながら、こんな日はじたばたせずにのんびりしようと、二人で「何もしない日曜日」を決め込んでしまいました。


4月07日
東京を歩く
5日間にわたる東京旅行から、昨日無事薫風舎に帰ってきました。今日の美瑛は、雲ひとつない青空のした、ふりそそぐ春の日差しを受けて十勝岳連峰が輝きわたり、微動だにしない風景を見せています。
東京はどこもかしこも桜が咲き誇り、まさに春爛漫でした。真っ先に行った青山の祖母のお墓に向かう道、鎌倉の八幡宮、飛鳥山公園、ホテルから駅に向かう間の公園、何度となく桜のトンネルをくぐりました。帰る頃にはその枝先に、新芽が出始めていました。
本当によく食べ、よく歩いた今回の旅でありました。毎日てくてくと歩きながら、面白いようにさまざまな色合いを見せる街の景色と人々の表情を眺めました。新しいところへと移り変わろうとするものとそれに流されていくもの、その中にいて変わらないもの、変わらないでいつづけようとするもの。混沌とした都会の風景に、なにか複雑な気持ちを抱きながら帰ってきました。


4月01日
春休み
雪のちらつく四月の美瑛です。静かな日曜日の昼下がり。今日からしばらく、薫風舎も春休みです。
昨年7月から空室状況のお知らせのついでに、ホームページになんとなく毎日一言を書き添えていました。お天気のこと、景色のこと、果ては音楽のこと、食べることなど、好き勝手なことを書いているうちに、夏だけのつもりが春まで続いてしまいました。
そろそろネタもなくなってきたし、ぼちぼちやめようかと考えはじめると、きまって「毎日楽しみに読ませていただいています。」などというメールをいただき、調子に乗っているうちに、気が付くと早9ヶ月。毎日読んでくださっている皆様、ときどき覗いてくださる皆様、そして感想メールを送ってくださった大勢のかたがた、本当にありがとうございます。とりわけ反響の多いのは「おいしいもの」のとき。さすが薫風舎のお客様は食いしん坊ぞろいと、ますますうれしくなる私たち夫婦です。
さて、宿とともに、この「ひとこと」も5日ほど春休みをいただきたいと思います。土曜日あたり、新ネタを引っさげて(あまり期待しないように。)復活いたしますので、これからもどうかよろしくお願いいたします。


3月31日
春のコンサート
今日は、私のピアノ教室の発表会でした。発表会といっても、生徒は3人。会場はレッスンの時と同じ薫風舎のラウンジ。演奏は私を含めてたった4人の小さなコンサートです。私がここにきたとき、まだ3人とも小学校にあがる前でした。ドとレの区別もなかなかつかなかった子供たち。あまりにも練習をしてこなくて私に雷を落とされ、ベソをかきながらレッスンを受けたこともありました。まるでカタツムリのごとくの歩みではありますが、毎年春にコンサートをすると、その成長ぶりに感心させられます。
今年はみんな、ずいぶん長い曲にチャレンジしました。ご両親の前で、立派な演奏を披露しました。4人で1曲ずつのソロ演奏のあと、1人ずつ私との連弾で、「もののけ姫」の曲を演奏しました。
30分の短いコンサートのあと、夕べ主人が焼いてくれたケーキを食べながら、暫し楽しい歓談の時が続きました。


3月30日
桜便り
冬から春へと季節が変わろうとしているが、このところ気温も低めで、依然として薫風舎まわりの畑には雪が積もったままである。 融雪剤を撒かれた畑は、ところどころ土も見え始めて、我が家の玄関先に敷いてある砂利もようやく顔を出したところだ。
本州の知人友人から、続々と桜満開の知らせが入る。冬の間には、晴れだろうが暖かろうが、なんとも思わずにいたが、この数日の桜情報に気もそぞろになる。ゆっくりと時間が流れるのは良しとして、春の訪れは駆け足でやってきて欲しいというのは、なんとも我がままな願いだろうか。


3月29日
あっこちゃん春休み
今日から4月中旬まで、あっこちゃんが愛知に帰省します。昨日スーパーで薫風舎特製ビビンバの材料を買いながら、あっこちゃんは食べれないねえと言ったら、私も食べたいとぷんぷくりんにふくれてしまいました。お昼の飛行機なので空港ででも食事をしようかと思っていましたが、ビビンバをを食べてから空港に行くことにしました。
さてちょっと早目のお昼を大急ぎで作ることにするか。


3月28日
夢の餃子パーティー
ご常連の大和さんは、今回、薫風舎特製餃子を食べに東京から来てくださいました。今日のひとことを読んでいて、どうしても餃子を食べたくなったのだそうです。餃子が夢にまで出てきてしまい、これは行かねばならぬと飛行機のチケットを手配したそうです。こんなにうれしいことはありません。そういうわけで、夕べは大和さんを囲んで夢の餃子パーティーとなりました。
夕べのために、先週は3人で2日にわたり2種類の餃子を作り、冷凍しておきました。餃子は作ってすぐ食べるよりも、冷凍庫で一度寝かせた方がぐっとおいしくなる、というのが何度か作ってみての私の考えです。2月にいらした宮崎さんにそのことをお話ししたら、どうもそれは理にかなっているらしい。きのう食べてみて、やはりそう思いました。
2種類の中身ですが、豚肉、生しいたけのほかに、ひとつは白菜とねぎ、もう一方はキャベツ、セロリ、えびで作りました。白菜の方は焼き餃子、キャベツの方は水餃子でいただきました。今回は皮の分量も、焼きと水で変えてみました。自分達で作ったものを、おいしいおいしいと言うのは気が引けますが、餃子は何でこんなにおいしいんだろう!大和さんが喜んでくださったのが何よりでした。薫風舎冬のシーズンを締めくくる餃子の宴は、愉快に丑三つ時まで続いたのでした。


3月27日
晴れた!
昨日から、ご常連の大和さんが泊まられています。去年の夏に来られた時にもひとことに書いたのですが、大和さんが泊まられるときは、その前後どんなに雨が降っていても、予報が悪くても、必ず晴れるのです。
ちょっと中途半端な季節なので「今回はきっとダメね」なんて夕べ話していたら、とんでもない!今朝起きるとやはり青空が出ていました。
そういえば、一昨年、昨年とちょうど偶然同じ日に居合わせた自称嵐を呼ぶ男佐竹氏の妖気さえも、スーパー晴れ女大和さんのパワーにはかなわなかった、ということを忘れてはいけません。夏、どうしても晴れて欲しいと思っている方は、どうか大和さんと同じ日にお泊まりください。


3月26日
ムックかぶりつき
夕べTVで「101」という映画をやっていた。数年前にヒットした「101匹ワンちゃん」の実写版だ。きっとムックが大喜びするに違いないとテレビをつけた。
ムックはTVとパソコンが大好きで、プライベートルームにテレビがついていると、画面の真正面にお座りをして食い入るように観る。動物が出てくるとしっぽを振って喜んだり、うなったり忙しい。好きな番組やCMはどうも音楽も覚えているようで、その曲が流れると、隣の部屋で寝ていても飛んでくる。NHKの自然百景が特に好きで、誰もいなくても一人でじっと観ている。
夕べの映画は、予想されていたこととはいえ、ものすごい興奮状態だった。画面に向かって吠える、かじりつく、頭つく、飛び跳ねる。そしてCMにはいると、すぐに休憩だ。その合い間を縫って私のところにジャーキーをねだりに来たり、水を飲んだりと抜け目がない。また映画が始まると、すぐにTVに飛んでいく。結局、放送中ほとんど画面にかぶりつきだった。わたしたちは映画の最中、画面の半分近くを占めるムックの後姿を眺めているだけであった。


3月25日
雪解けすすむ
季節はぐんぐん春へと近づいています。畑に積もった雪は、日に日に低くなっていっているようです。数日前に、玄関の向うの笹本さんの畑にも融雪剤が撒かれました。黒い墨のようなものを、スノーモービルで白い雪の上に撒いていくのです。そうすると、撒かれていないところよりもずっと早く土が見えてきます。
昨日渡り廊下から窓の外を見たら、白いところからほんの一部分、まあるく芝生の緑が見えました。今朝はそれがだいぶ大きくなっていました。


3月24日
おかしい
今朝何気なくテレビのCMを見ていたら、右下に「うた、ビリーバンバン」とでていた。ああ、ビリーバンバンって、あの「ばんばひろふみ」のグループだよね、と言うと、主人に「違うよ!」とバカにされてしまった。
「え?ビリーバンバンでしょ!」と食い下がった。「ばんば」だから「バンバン」だとずっと思っていた。主人が「ビリーバンバン」は菅原兄弟とか言う人たちではなかったか、と言った。そういえば、そんなような気がしてきた。あれ?それではばんばひろふみのいた2人組みはなんていうグループだったんだろう。だんだん頭がこんがらがってきた。
「いちご白書をもう一度」はばんばひろふみが歌っていたと思っていたが、それは「ビリーバンバン」ではなかったのか?それでは、いったいなんというグループだろう。おかしいなあ。頭は混乱するばかりだ。かといって、調べるという気にもならない怠慢さ。朝っぱらから、変なことで頭を悩ませてしまった。


3月23日
雪解け
車通りの多い道は、すでにアスファルトがでていたが、裏の砂利道も硬くなった雪が解けて、ゴム長靴でないと歩けないほどぬかるんでいる。
薫風舎の駐車スペースは、この冬、我ながらきれいに除雪ができたなと、満足していたら、ここ数日で、その思いはひっくり返った。トラクターでの削り方が浅かったのだろう。残った雪がやわらかくになり、日当たりの良いところ悪いところで状態が違うので、グズグズデコボコの有り様だ。やり直したい気もするが、また冬へと逆戻りするよりは、このまま春への入口を進んだ方が、同じ徹を踏まなくて良いようにも思う。
ようやく天気予報にも傘のマークを見るようになった。


3月22日
札幌日帰り
きのうは、昼食を旭川で済ませ、それから札幌へ日帰りのドライブをしてきた。第一の目的は妹美佳の個展を観に行くこと。札幌「ミヤシタギャラリー」は、静かな住宅街にあり、オーナー宮下さんが温かい笑顔ときびしい眼差しで、作品を選び、訪れる人々を迎えてくれる。4月1日まで開催しているので、札幌にお住まいの方、ぜひとも足をお運びいただきたい。
ギャラリーへ向かう前に、僕は「ヨドバシ」へ行きデジタルカメラを選んでいた。その間に、あっこちゃんと妻は、久々の街歩きに舞い上がり「ユニクロ」「LLビーン」などでシャツやズボンを買いあさっていたらしく、ほとほとあきれてしまった。
夕食は母と妹夫婦を交えてベトナム料理店へ行った。これが予想を越えるおいしさで、次々と運ばれる皿があっという間に空になっていった。疲れた体を引きずるようにして美瑛に帰ったのが深夜1時をまわっていたが、生春巻きの味を思い出し、にんまりと布団にもぐりこみ、ようやくハイな気分の一日が終わった。


3月21日
強風の露天風呂
きのうは朝から気温が高く、ものすごい風でした。家が吹き飛ばされるのではないかと心配しながら、夜久しぶりに旭川の街に出ると、街往く人たちは皆春のいでたち。買い物公園の温度計を見ると、6時でプラス8℃もありました。
帰りに東神楽町の温泉「花神楽」に行きました。露天風呂の方にでると、すごい風に体が縮み上がりました。そういえば、街中では風のことをすっかり忘れていた。まわりの木々がごうごうと音を立てています。
今日は気温が高いのだから、真冬には寒くてたどりつけなかった一段上の露天にも歩いて行けるはずだ、と思って出たのですが、とりあえず一番近いところに体を沈ませ、どうしようかと考えました。やはり、せっかくだから上まで行こう。暖かいのだ。前に来た時よりも20度以上。そう自分に言い聞かせて、数段の階段を上るべく立ち上がったのでした。
素っ裸の体に情け容赦なく吹き付ける、荒れ狂う風。ふん、大げさな、と思っている方、ぜひお試しください。上の湯船に浸かるまでの、わずか数秒の長かったこと。拷問にあっている気分でありました。


3月20日
スノーマン
春霞の中、まわりの木々は大きく揺れ動き、ごうごうと音をたてて強い風が吹き荒れています。今日は、朝から気持の悪いほど気温が高くなりました。まわりの雪はぐずぐずになって、うちの前で車が2台も、解けた雪にタイヤが埋まって立ち往生しました。これからすっかり雪がなくなるまでのしばらくの間、びしゃびしゃの雪に悩まされるうっとうしい日が続きます。
玄関を出ると、きのうまで何とか持ちこたえていたアイスキャンドルが、すっかりその姿を消して、そのかわりに溶けかかった小さな氷の塊がひとつありました。スノーマンを思い出しました。


3月19日
牡蠣への道あらため食いだおれの旅ー最終章
気絶するほどおいしい牡蠣の話に3日間も費やしてしまい、もうそろそろ話題を変えたい気持ちだ。が、ここまで長々とお付き合いいただいた方々のために「その後」について書かねばなるまいと思う。
13日夕方、ようやく牡蠣にありついた私たちは、荒れ狂う風の中バラサン岬をちょっと観光したのち(そこでヤマネ発見!)、すぐさま釧路に引き返した。その日の宿探しにちょっと手間取ったが、7時過ぎには厳選に厳選を重ねた回転寿司屋へと向かったのだった。釧路は回転寿司のレベルが高いとは聞いていたが、予想以上だった。
次の日、佐竹さんがぜひ行きたいという松竹屋菓子店で、いま都会で大ブレイクだという「ねこのたまご」を一個ずつ口に放り込み、怪しいカニ屋にはだまされることなく、帯広に向かった。帯広では蕎麦だ。長年培った鋭い勘で当たりをつけたお店は大当たり。そして、寄らねばならぬ六花亭。本店ではなく、白樺通りのお店に入ると、佐竹さんは食べたいケーキが3種類もあると、目が血走っている。興奮する佐竹さんを3人羽交い絞めにし、何とか一個に絞らせたのだった。あとの2種類はお土産に。そう思っていると主人は主人で、まんじゅうやら何かを買っている。だんだん、狂気の世界へと入り込んでいるような気分になった。
清水町で温泉に入り、夕食には新得蕎麦を食べるという佐竹さんと主人。食べている以外ほとんど車の中だから、胃もどうかしている。蕎麦のはしごなど生まれて初めてだが、もうざるそばくらいしか入らない。みな、もうろうとしながら新得の蕎麦屋へと向かった。
狩勝峠を超えて美瑛へとたどり着いたのが9時過ぎ。今日中にお召し上がりくださいと書いた、六花亭のケーキの箱が重たかった。


3月18日
牡蠣への長い道のり3
道の駅から流氷(と思ったら結氷しただけ)の厚岸湖を左に見ながら橋を渡った。あと30分も走れば霧多布湿原だが、そんなことはどうでもよかった。牡蠣だ。満腹中枢はすっかり満たされているにもかかわらず、4人の鼻息は荒かった。市街に差し掛かると、佐竹さんが「あっ!ちょっと待て。ひき返せっ!」と叫んだ。見ると右手に「エーウロコ厚岸漁業組合」という看板があり、その横に市場らしき建物があった。車をUターンさせて駐車場に入れ、あまり期待しないようにと気を静めながら、みんなで建物の中に入っていった。
中はがらんとした雰囲気だった。が、たしかに生け簀の中にたくさんの牡蠣が入っている。LLが1個120円。まさかここでは食べさせてくれないだろうとは思ったのだが、ふと奥に目をやると一台の電子レンジが目に入った。
生け簀の前の女性に「ここで食べられるのですか?」と、ほとんど「ダメもと」で聞いてみると、ちょっと困った顔をした後に「何個くらいですか?」と聞かれた。「は、はっこ」と声は上ずる。奥のおじさんが「皿があるからそれに入れて」とか何とか言ってくれた。4人が生つばを飲んでいるうちに、女性は大きな牡蠣を8個取り出し、たわしで洗って皿に入れ、ラップをかけて電子レンジのタイマーをセットしてくれた。5分ほどして「チン!」という音が鳴った。ちょっと口をあけた牡蠣が運ばれてきた。
4人は、皿と一緒に持ってきてくれた牡蠣の殻開け専用ののみのようなもので、殻をこじ開け、爪楊枝でアツアツの牡蠣を口に放り込んだ。その瞬間4人、いや少なくとも私は気絶しそうになったのだった。貝に残った汁がまたすごい。みんなあっという間に2個とも平らげてしまった。私はそのとたん「しまった、あと3個ずつ注文するべきだった。」と心の中で叫んだが、2時間後に食べる予定の夕食は、釧路の回転寿司ともう昨日から決まっていたので、ぐっとこらえたのだった。


3月17日
牡蠣への長い道のり2
釧路からさらに東へ1時間ほど走ると厚岸町だ。時計は3時に近づこうとしていた。一旦空腹を感じ出すと、その一時間がとほうも長く感じられる。山のような焼き牡蠣まであともう少しだ。
ようやく道の駅の看板が見えた。見えたとたんにいやな予感がした。牡蠣のシーズンは冬だが、こんな時期に観光客がうようよいるはずはない。オフシーズンの観光地は寂しい。頭の中にふっとCloseの不吉な文字が浮かんだ。しかし、駐車場に入ると意外にも車がたくさん並んでいた。おおっ!この時期こんなに車があるなんて、世に厚岸ブームが巻き起こっているのかもしれない。私たちは吹きすさぶ風を切って、牡蠣の形をイメージしたその建物に入っていった。・・・さびしい。人があまりいない。あの車はなんだったのだろう。ふたたびいやな予感を感じつつ、2階のレストランに上っていくと、やはりさびしかった。炉辺焼きのコーナーとレストランは営業していたが、どうも「山のような焼き牡蠣」がドーンと出てくる雰囲気はない。なんだか納得のいかぬまま、とりあえずレストランに入った。
焼き牡蠣や牡蠣フライ、牡蠣ご飯などが少しずつ味わえるお弁当のようなものを注文した。運ばれてくると「お、おいしいねえ」といいながら、みなだんだん無口になっていた。
とりあえず満腹になった私たちは「ちょっと厚岸の街でもまわってみるか。」と車を出した。皆の心の底には、街をまわったらひょっとして「焼き牡蠣」にありつけるかも、という儚い望みがあったのだった。さらに明日へ!


3月16日
牡蠣への長い道のり
13日早朝、怪人佐竹氏と私たち3人と2匹は、厚岸の牡蠣をたずねて美瑛を出発した。噂では厚岸の道の駅に行くと、焼き牡蠣が山のように出てくるという。何年も前から、そういう情報を入手していたので、佐竹さんも私たちも虎視眈々とそのチャンスを狙っていたのだった。そしてこのたび、ようやくそれが現実のものになろうとしていた。
釧路までは車で5時間と言われているが、その距離だと間に休憩を入れなければいけない。7時過ぎに出発して、途中南富良野のコンビニで朝食を買い込み、帯広に着いたのが11時過ぎ。帯広駅前の六花亭本店でお茶を飲むことにした。もうお昼ご飯を食べてもよい時間ではあったが、今食べては山のような牡蠣を食べ切れないかもしれない。しかし、これも前から念願だった六花亭のピザにも惹かれる。食い意地のはった4人は、とりあえず一枚で2つの味が楽しめるというハーフアンドハーフを注文し、8等分にして2つの味をそれぞれ8分の1ずつ味わった。
釧路に入ったのが2時近く。和商市場でトイレタイムだ。玄関を入ると、ものすごい呼び込みの嵐だった。そんなことに引っかかる4人ではない。まっすぐに用を足して、市場の中の海鮮丼屋や寿司屋に目もくれず車に戻った。あと厚岸までおよそ1時間だ。和商市場を歩いたせいで、胃の働きが活発になってしまい、車に戻ると急に空腹感が沸いてきた。はたして、4人は山のような焼き牡蠣にありつくことができるのだろうか?!あすへつづく。


3月15日
港町
今、釧路に来ています。昨日、美瑛から狩勝峠を越え十勝に抜けると、季節は一段早く進んでいました。帯広から釧路に向かうと、今度はもう北海道とは思えぬ風景でした。雪のない北海道の冬景色は、どうも想像の外にあります。荒涼とした枯れススキの平原に、ところどころねずみ色に硬くなった雪の塊が見えました。市内に入るとほとんど雪はなく、旭川や帯広とは違う、海沿いの街独特の雰囲気があります。朝起きて、ホテルの窓から幣舞橋の向こうに広がる街を眺めると、なぜか本州の日本海側の港町にでも来ているような錯覚を起こしました。
さて、なぜ私たちが今釧路にいるのか。えへへへへ。詳しくはまた明日。


3月14日
夕日
厚田村の聚富中学校に赴任してまもなく、学校から教員住宅へ向かう道の真正面に見た、大きな茜色の太陽を忘れられません。昨日そのなんとも美しい夕日を、白金模範牧場から眺めることができました。
昨日は朝から、透き通るような青空が広がっていました。十勝岳連峰や遠くトムラウシの山々まで、春の太陽を浴びて白く大きく見えていました。あまりの美しさに、夕暮れ時、みんなで白金模範牧場へと出かけました。西の空を見ると、聚富で見たのと同じ茜色の太陽が、遠い山々へとゆっくりと沈んでいきました。太陽の上にまっすぐに細く伸びた一筋の雲が、夕日を反射してだんだんと赤く染まっていきました。


3月13日
立待月(たちまちづき、17日の月)
ゆうべ、いつものように暖炉の前でお客様とお話しをしていました。若いご夫婦の奥様が窓に頭をつけるように「月が見えないかなあ」とおっしゃいました。私も一緒に頭を擦りつけ外の様子を見たのですが、一昨日の満月の夜とはまるで違い、暗闇に包まれていました。「今日はダメですね」と言いあって、また暖炉の周りに腰掛けて、しばらくするとあっこちゃんが「あっ!」と窓の外を指さしました。
見ると、トムラウシのすこし上あたりに、ばかでかい鬱金(うこん)色の月がぼおっと見えはじめました。月は見ている間に雲間から上り、それとともに十勝岳連峰の稜線がくっきりと姿をあらわしました。白い息を吐きながら、皆でデッキの外に出てカメラを構えていると、その少し歪な大きな月は、少しずつ白味を帯びて輝きを増しながら、上へと昇っていったのでした。
今朝起きると、もうずいぶん高くなった輝ける太陽の下、木々に霧氷が付いていました。霧氷の付いた條々に溶けて凍った氷の粒がキラキラと、まるでダイアモンドをちりばめたように光り輝いていました。


3月12日
ほんとうに宴のあと
賑やかなコンサートの夜が明けると、ひと組、またひと組と薫風舎をあとにします。幸せなひと時をみな名残惜しむように、昨日はお昼近くまで、大勢が大テーブルを囲んでいました。その方たちもやがて家路に立たれ、連泊のお客様も出かけられると、あの賑やかさがうそのように、また静かなラウンジがもどってきました。
夕べは、もう一泊された獣医の中村さんと石脇さん、学生時代、小林さんが伴奏されていた合唱団で歌われていた土谷さん、そして小林さんと私たち家族で、美瑛の居酒屋にくりだし、前日よりだいぶさびしくなった打ち上げ2次会となりました。ラウンジに帰ってくるとひとしきりおしゃべりをしたあと、気がつくと小林さんはデッキチェア−で、あっこちゃんと主人、コンサートを聴きに来ていた私の母は暖炉の前で、みな熟睡していたのでした。
今朝、中村さん石脇さん、土谷さんが帰られました。そしてお昼過ぎ、小林さんを空港までお送りして、今年のWinter Piano Concertは幕を閉じたのでした。
いつもと変わらぬ薫風舎のラウンジが、なんだか淋しく感じられます。


3月11日
Winter Piano ConcertY
昨日午後、小林功さんによる第6回目のWinter Piano Concertが薫風舎で行われました。澄みわたった青空の下、雄大な十勝岳連峰がまばゆいばかりに輝いていました。調律の蛯名さんによって美しく整えられ、小林さんの指先から流れ出すピアノの音色は、ときに繊細に、ときに力強く私たちの心に響いたのでした。
バッハの折り重なるように絡み合う深みのあるフーガ、目を瞑ると情景が思い描かれる心やさしきドビュッシー、目前に広がる雪原がポーランドの風土と重なりあうショパンのマズルカ、そして飾るところなくその姿が浮かび上がってくる、ラ、カンパネラの鐘の響き。どの場面でも変わることのない小林さんの誠実な音楽が、私たち聴衆の心の奥底に染みわたっていきました。
演奏会が終わり、少しずつ暮れていく美瑛の風景を、皆それぞれの思いで眺めたに違いありません。まだ感動の覚めやらない夜の宴、冬の夜空に輝く明るい満月が印象的でした。


3月10日
コンサートの朝
ピアノの調律の音が響きだすと、薫風舎全体が本番前の緊張感に包まれていきます。
冷え込んだ気持ちのよい朝。空はぴんと張り詰めた空気の中、真冬のように澄みわたり、十勝岳連峰がすこしのくすみもなく大きく輝いています。
今朝早く調律師の蛯名さんが札幌から駆けつけてくださいました。お忙しい合間を縫って、小林さんのコンサートの時には必ず調律をしに来て下さいます。Winter Piano Concert は蛯名さんなしではありえないのです。まるで雲が少しずつ晴れて美しい青空が広がっていくように、ピアノの音が少しずつ整えられ、澄んでいきます。
さあ、まもなくリハーサルが始まります。


3月09日
舞台裏前日
ああ忙しい!明日はコンサートだ。夕方小林さんが到着するまでに、あれもこれも、やっておかなければならない。まずピアノまわり。あそこはどうしてあんなに散らかるのだろう。楽譜や本がどんどんピアノの上と横のいすにうず高く積まれていく。人事のように言っているが、すべて私の仕業だ。毎年、小林さんのコンサートの前に大慌てで片付け、その度に「今年は出した楽譜はその都度片付け、ピアノの上には本や楽譜を置かないようにします。」と一応心に誓うのだが、私がそううまくやれるわけはない。今年もいつものごとく大掃除だ。
それから、明日の夜の仕込やら、なんやかんや・・・ああ、私はいったい何をしているんだ。パソコンの前に座っている場合ではないのだ。というわけで、今日はこの辺で。


3月08日
大テーブル搬出
コンサートの時にいつも頭を悩ませるのが、大テーブルの搬出だ。ラウンジにでんと座った全長4メートル近くもある大きなテーブルは、二人や三人ではとても移動できない。コンサートが終わったあとは、勝手知ったるご常連の皆さんが、あれよあれよというまに会場を元どおりにしてくださり、いつも本当にありがたい気持ちになる。問題は搬出だ。
演奏会当日の朝にお客様がいらっしゃる時には、お願いして手伝っていただくのだが、今回は小林さんご本人と、あとは女性2名。本番前のピアニストに重たいものを持たせるわけにはいかない。男手が主人だけではかなり苦しい。どうしようかと思っていたら、頼もしい助っ人が登場した。
昨日あっこちゃんの元の職場の同僚3人が泊まりに来て下さった。若い男性3人だ。これはお願いするしかないだろう。快く引き受けてくれたので、今朝、みんなで大テーブルと中テーブルを早々と廊下に出してしまった。
テーブルが廊下に出て、コンサートへの気持がいよいよ高まってきた。さて、今日はこれから3人で、コーヒーブレイクのクッキーでも焼こうと思っている。


3月07日
小林功さんとの出会い
今年もWinter Piano Concertが近づいてきた。小林功さんの薫風舎での演奏会も早いもので6回目を迎える。
はじめに小林さんのことを知ったのは、オープンしてまもなくのGWだった。案内板でも度々登場する、旭川の平松さんが泊まりに来て下さった。夕食後いつものごとく音楽に話題が移り、ピアニストの小林さんの話になった。士別市で毎年行われる林峰男さんの伴奏者として小林さんが来られたときに、その演奏のすばらしさと人柄に触れ、すっかり意気投合されたこと。何年か前に旭川の北の剣淵町という小さな町で、バッハの平均律第一集全曲のコンサートをやられたこと。平均律全曲など、一晩の演奏会ではとても考えられないプログラムだ。
平松さんが、「そうだ、小林さんのコンサートをここで開こう!」と突然言い出した。あまりにも突然の発言にキョトンとしていると「バッハのゴールドベルク変奏曲だ。」とプログラムも決まってる。ゴールドベルクとは!なんと魅力のあるプログラムだろう。でも、ご本人をまったく存じ上げないし、まさかこんな田舎の知らない宿にきてくださるなんて考えられない。などと考えるまもなく、平松さんが「電話貸して!」と叫んだ。私が目をぱちくりしている間に、平松さんは小林さんに電話をかけ、なんと来年冬のコンサートがその場で決まってしまったのだった。
そのあと直接話した方が良いと受話器を渡され、困ってしまった。突然のことに、初対面の人となんと話をすればよいのか。そう思いながら電話に出ると、小林さんも電話の向うでどうも目をぱちくりしているようだった。「なんだかよくわからないけれど、とにかくよろしくお願いします。」と挨拶し会ったときの様子を、今でも時々小林さんと思い出して、笑ってしまう。


3月06日
あっこちゃん帰還
きょう午後、2月20日から愛知に帰省していたスタッフのあっこちゃんが帰ってくる。しばらく2人と2匹で寂しい暮らしをしていたので、会えるのが楽しみだ。今日本州はずいぶんと暖かいようなので、春めいてきたとはいえ−5度前後の空気に、身の引き締まる思いをすることだろう。
毎日のようにメールでやりとりをしていたのだが、話題はもっぱら「今日は何食べたの〜?」と食べることばかりだった。相変わらず食い意地のはった3人だ。さて、今日は久しぶりに3人で何を食べようか。


3月05日
春の嵐は十勝から
昨日は全道大荒れの予報が出ていた。土曜の夜、ニュースで等圧線を見たらすごいことになっていた。明日はどこにも行かないで家で待機していようと構えて朝起きたら、風もないどんよりとした静かな天気。肩すかしを食ってしまった。おかしいなあ、そんなはずはないと思っていたら、TVのニュース速報で、十勝地方暴風雪波浪警報(だったか、詳しくは覚えていないが。)と出た。やはり。春先の大荒れの天気は、決まって下のほうからやってくる。湿ったいやな空気を感じた。
午後になっても、どろんとした不気味な景色だった。夕方近くになって、突風がごうっと音を立ててやってきた。風はすぐおさまったが、気が付くとじゃばじゃばと雨が降っている。屋根に落ちるうるさい雨音を、久しぶりに聞いた。
夕べは遅くまで、ラウンジで用を足していた。12時近くに部屋に戻ろうとしたとき、今度は音もなく湿った雪が降っているのに気づいた。朝起きると重たい雪がずいぶん積もって、5月のように強い日差しを受けて表面が生温く解けていた。


3月04日
冬の夕景
何日ぶりだろう。昨日は午後から十勝岳連峰が久しぶりにその姿をあらわした。もう4時半をまわったというのに、明るい灰青の澄み渡った空を写して、雪の山は輝いていた。残り少ない冬の時間を惜しむように、空気はしだいに張り詰めていく。夕日は赤くならず、暗くなるまでのしばらくの間、空の青を帯びた白い山々が静かにそこにあった。
しばらくしてふたたび見ると、空は薄い紫みの青に変わり、山はいよいよ無表情な白さをもって音もなくそびえていた。


3月03日
おひなさま
ああ今年はお雛様を飾りそびれてしまった、と思っていたら、木工の会社を営む古い友人から、木で作った小さいおひなさまがさっき届いた。手作りのかわいいお雛様と御内裏様には、私と主人の名前が刻まれていて、顔を近づけると木のいい香りがする。なんとうれしい贈り物だろう。
しぼんでいた私の気持は一気に膨らんだ。きょうはちらし寿司を作ることにしよう。(と、まずは食べる方に頭がいく。)そして桃の花と長命寺の桜餅を買ってきて、みんなでささやかなひな祭りのお祝いをすることにした。欧風料理の最後にちらし寿司とはかなりミスマッチだが、お祝いだから・・・まあいいか。


3月02日
旭川の映画館
昨日は1日映画の日。前から観ようと思っていた映画(超お下劣米製ドタバタ喜劇。崖っぷちすれすれを髪の毛一本のところで往ったり来たりするような下品なギャグの根底に流れる、生命に対する暖かいメッセージ?!を汲み取るのは、頭の固い人にはちょっとムズカシイかも知れません。眉をひそめられると困るので、あえて映画の名前は書かないことにします。ハイ。何、知りたい?ヒントはジム・キャリー)を1000円で観ちゃおうと、旭川まで出かけた。
こちらに来てから年に1、2回は映画館に足を運ぶようにしているが、旭川の映画館は寂しい。あまりに寂しいので、去年は見たい映画2本とも札幌では最近あちこちにできているシネコンまで出かけてしまった。従来の映画館のイメージとは違うピカピカの館内、座りやすく飲み物も置けるようになっているきれいな客席、そこには人があふれ返り、チケットを買うのも席を見つけるのも大変だった。田舎者の私たちは、目を丸くしたものだった。
旭川ではどんなに話題になっている映画でも、たとえ週末でも混んでいたためしがない。昨日は映画の日だというのに、10人に満たなかった。喜劇なのに笑うのもはばかられる人数だ。映画が終わって外に出ると、もう受付にもどこにも係員はいない。せっかく面白い映画を観たのに、なんだかため息が出てしまった。
古い映画館と遠のく客足。いったいどちらが先だろう。10年程前の、岩内に唯一残っていた映画館が時代の波に逆らえずしずかに幕を閉じたというドキュメンタリーと「ニューシネマパラダイス」という映画の印象がダブって記憶に残っている。人気の少ないさびれた映画館に、何か割り切れないわびしさを感じた。


3月01日
屋根の雪
今朝ラウンジのほうへ行くと、庭側の屋根の雪が落ちてすごいことになっていました。解けたり凍ったりしながら硬くなった、雪というよりは氷の塊に近いものが窓に迫るようにうずたかくなっている姿を、ああなんと表現すると分かってもらえるか。
3月に小林さんのコンサートがあるときにはいつもラウンジの屋根の雪が心配の種で、演奏中にもしドドーンと音をたてたらと考えると、ぞっとします。また今年はいつにもましてすごい量が屋根に載っていたので、一度誰かに頼もうかと、きのう話していたところでした。あともうひとがんばり、玄関側の雪も落ちてくれないかと願っています。


2月28日
楽書の値段その2
一昨日、注文してあったベートーヴェンのピアノソナタの研究書を取りに、YAMAHA旭川店に行った。受験のとき以来ずいぶん長いこと遠ざかってしまっていた、というか年を重ねるにつれだんだん恐れ多くなってしまい、あえて避けていたベートーヴェンソナタをすこし勉強しようと思い始めたからだ。2冊のうち欲しかったほうのが絶版だった。またかと思った。しかしシュヴァイツァーのときのように、即刻古本屋を捜し歩くという訳には、今はなかなかいかない。中身もわからないので、東京に行ったときにでも神保町を歩いてみようかと思った。仕方がないので前から店にあって、行くたびに迷いに迷っては本棚に戻していた本を、再び手にとった。そんなに厚い本ではない。180ページ足らずの普通の単行本なら1300円くらいのものだ。ぱらぱらとめくってみた限りでは、今どうしても買っておかなければならないというほどには思えなかった。3000円くらいかなあと裏を見ると、4800円!
私が今一番知りたいのは、ベートーヴェンの装飾音の扱いだ。そんなことは、もっと前に勉強しておかなければいけないことだった。(そういうことだらけで、本当に情けない。)実際、そこら辺のところが的確に書かれている本というのは意外に少ない。だいいち、1冊や2冊の本を読んで、ベートーヴェンのピアノ曲の装飾音のことを分かろうなんていうほうが、間違っている。モーツァルトやハイドンなど彼以前の作曲家の作品も知らなければいけないし、ほかの器楽曲、交響曲、室内楽のことも・・・。あれ?何を書いているんだ私は!自分の勉強不足をひけらかしている場合ではない。4800円とは、いくらなんでも高すぎるということだ。もう一度帰って考えるか。しかしあとから買おうと思ったときに絶版になっていたら・・。
結局迷った末に、注文してあった本とその4800円の本、バッハの平均律の研究1と2、3月の発表会に子供に弾かせようと思う「宮崎アニメ」の連弾集で、しめて14,704円也。しかもヤマハのカードで1割引にしてもらってこの値段。あんまり高くて悔しくなり、帰りに太ってやる!と止める主人を振り切りケーキセットを注文してしまった。まずはこの性格を直さなくてはいけない。


2月27日
楽書の値段その1
専門書は高い。しかも、すぐ絶版になってしまう。どんなに高くても、必要なものは買っておかなければ、大変なことになる。
受験のとき習っていたピアノの恩師に、シュヴァイツァーの「バッハ」はぜひ読んだ方がよい、と言われた。シュヴァイツァーとは、そうあの有名な、伝記にもなっている医学者です。じつは、バッハの研究者として、またオルガニストとしても歴史に残る偉業をなした人でもある。
本屋さんに行ってみると、分厚い本(今見るとそうでもない。)が上中下全3巻あった。一冊3000円はしたと思う。(あとから確かめたら2500円だった。)20年以上前の学生にとっては大変な高額だ。とにかく上だけを買って、読んでから次を買うことにした。しかし、細かい字がびっしり詰まっており漢字が多くて(これも今見たらそうでもない。)なかなか読み進まない。読まなければいけないと思いつつ、本棚に眠ること10年余。全くわれながら恥ずかしい。
再びその本を、ちゃんと最後まで読もうと思ったのは、私の所属する札幌コダーイ合唱団で「マタイ受難曲」の公演が決まったときだった。今度は、一巻を一気に読み進め、中、下巻を探しに本屋へ行った。ところが、どこにも無い。札幌中の本屋を探してもないのだ。信じられない気持ちで、出版元の白水社に問い合わせてみた。絶版。そんなばかなことがあっていいのか?なぜあの時、とりあえず3巻そろえておかなかったのかと悔やんでも遅すぎた。今度は札幌の古本屋という古本屋を、主人と二人歩いた。神田の音楽専門の古本屋にも問い合わせた。しかし、望みはそのたびに吹き消されるだけだった。私ががっくりと肩を落としているのを見かねた主人が、東京の古本屋に片っ端から電話してくれた。そして、何軒目だっただろう。3巻まとまったものがあった!即刻取り寄せた。茶色く変色した古めかしいその本が送られてきた時のうれしさは言いようがない。私が昔購入したのは1983年刊行の新しい装丁のものだったのだが、送られてきたそれは、シュヴァイツァー著作集の第12、13、14巻として1957年に初版されたものの第7版、1961年に出版されたものであった。私の生まれた年だ。一冊当時600円!それを数千円で購入しても惜しくはなかった。前のよりさらに小さい字で、時々旧漢字に悩まされながらも、読むのがうれしかった。皮肉なことに美瑛に越してきてからまもなく、白水社創立何年記念だかで、絶版になった名著が復刻された。美しい装丁でよみがえったシュヴァイツァーの「バッハ」を時々本屋で眺める。(長くなったので明日に続く。)


2月26日
冬の幸せ
冬の幸せ、それは朝ごはんを食べながら「はなまるマーケット」を観ることだ。はじめてこのページを訪れた人は、何というペンションだと眉をひそめるかもしれません。だがしかし、5月から10月までほとんど休みがなく、冬といえどもそうやってだらだらとした時間をすごせる日は、意外に少ない。たまの日曜日に寝坊してパジャマのまま朝昼兼用の食事をし、また布団にもぐりこんだり、夕方近くに散歩に出かけるなんていう日があっても許されるように、私たちにとっても、たまには(たまにかなあ?)はなまるな朝があってもいいではないか!(と机を叩く。)
実際はじめのうちは、これはまずいといつのまにか過ぎていった朝に罪悪感を覚えたりもしたのだが、最近は開き直って、そういう朝は少しのんびりすることにした。これがあるから、夏もニコニコ楽しく仕事ができるんだ、きっと。(なんちゅう都合のよい考え。)
そう、今日はそういう朝を過ごして、まだ外の景色も見てないんです。天気ぐらい見に行かなくては。ああ、もう番組が終わってしまう。そろそろ行動開始しよっと!


2月25日
霧氷
今日で3日続けて、朝霧氷が出た。玄関の向うのから松林も、裏の雑木林も、デッキの前の畑の向うにある白樺林も、葉の落ちた枝の先の先まで、ビロードのように白いものがついていた。夕べ少し降った雪がまわりの雪原に美しく覆いかぶさり、真冬よりずいぶん高く昇るようになった日の光を浴びてキラキラとしている。コーヒーを落とそうとカウンターに立ったら、あまりの眩しさに目をあけていられないほどだった。
裏の小川から立ち上った霧が、白樺林のすそのところから小学校に向かってゆっくりと移動していった。太陽が輝きだすと、ぴんと張り詰めた冬の景色はすぐに緩み、さっきまであった木々の霧氷も儚げに消えていった。


2月24日
特製コチジャンモドキ(昨日の薫風舎流石焼風ビビンバのつづき)
なぜモドキかというと、コチジャンのことを詳しく知らないからだ。たまに何かのソースやタレなどに書いてある原材料を見ながら自分で作ってみることもあるが、あいにくコチジャンがうちにはなかったので、ビビンバを作る段になってから慌てて想像しながらそれらしいものを作ってみたら、これがめちゃくちゃ美味かった!いいかげんなことに本物についてその後ちゃんと調べもしていないので、いつまでも「モドキ」のままだが、美味ければ良いじゃないか。ということで今では我が家の大事な調味料となっている。
まずすり鉢に韓国唐辛子(粉)、ニンニクとショウガのすりおろしを入れる。そこに、フライパンで熱々に温めたごま油をジュワッと注ぎいれて、すりこぎで練る。そこに八丁味噌を入れてさらに練り、これだけでは味がとがっているので、みりん、砂糖、塩を味を見ながら少々入れてみた。適当に作ったのでこれからもう少し研究したいところだが、このときは唐辛子だいたい半カップくらいにニンニクを5、6片、ショウガ1カケ位にしてみた。これが本当においしいのだ。ビビンバだけでなく、野菜炒めやチゲをはじめちょっと一味欲しいとき本当に重宝している。もうそろそろ前のがなくなるので、またたくさん作って冷蔵庫に保存しておこうと思っている。欧風田舎料理にはちょっと不似合いなので、お客様の食卓にはほとんど登場することはないと思われるのが残念なくらいだ。・・・と書くとすぐに不平メールが届くので、ちょっと研究してみます。そのうちドレッシングに潜んでいたりするかもしれません。


2月23日
薫風舎流石焼風ビビンバ
石焼ビビンバはたまらない。バリバリのおこげご飯と具を韓国スプーンで混ぜながら、ふうふういって食べるところをちょっと想像しただけでも(時々思わず想像してしまうのだ。)、ヨダレが出てしまう。しかし、年末に粗食宣言をしてからは、なるべくお肉は食べないようにしているので、すっかり焼肉屋から遠ざかってしまった。ああ食べたい。でも石鍋は買うと一個6000円くらいする。3個で18000円だ。いくら食べたくても、家で作るのにそれはべらぼうな値段だ。と思っていたら、ちょっと前にはなまるマーケットで、フライパンで作る焼きビビンバをやっていた。おお!目から鱗とはこのことだ。私としたことが、こんなことも思い付かなかったなんてウカツだった。さっそく試してみたら、これが天にも昇るおいしさ。病みつきになってしまった。
まず、それぞれに適した味付けのナムルを作る。モヤシは大豆モヤシに限る。ゆでて熱いうちに塩とごま油、それにここからは企業秘密なのだが(と声をひそめて)、ちょっと砂糖とおろしニンニク、みじん切りのねぎを入れる。ゼンマイはごま油でいためて甘しょうゆの味付けだ。ほうれん草は塩とごま油。それにちょっと太めに切った大根とにんじんのなます。どれにもたっぷりの白ごまを一緒にあえておく。ところが、困ったのがコチジャンだ。どうもそこら辺で売っているのはおいしそうじゃない。せっかくの味が台無しになりそうだ。そこで、作ってしまった!自家製コチジャンモドキ。これについては長くなるので、明日ご紹介します。
お肉もちょっとは欲しいので、ひき肉を炒めて酒、しょうゆ、それに自家製コチジャンモドキで味付けする。そしてここで登場するのが、テフロンの深めのフライパン。冷たいうちにごま油を塗り、そこにご飯を敷く。その上に、コチジャンモドキをちょっと塗りつけてから、ナムルをドカドカと入れ、中央にひき肉を置き、またコチジャンモドキを入れてフライパンに火をつける。ご飯がバチバチいってきたら、へらでご飯をフライパンに押し付けるようにして焦げ目をつける。それから大胆に、なべの中ですべての具をビビン(韓国語で混ぜるということ。)してしまうのだ。ビビンする。押し付けて焦がす。を繰り返し、やがてバリバリアツアツの石焼風ビビンバが出来上がってしまう。そこで、石焼ビビンバ通のあなた、何か足りないと思いませんか?そう、卵です。ところが、ここに卵を加えてしまうと、ばりばりのおこげがベチャベチャになっちゃう。そこで卵は隣のコンロで別に半熟目玉焼きを作っておくのだ。同時に出来上がらせて大急ぎで盛り付け、熱々のビビンバに半熟目玉焼きをビビンしながら食す。これが薫風舎流石焼風ビビンバだ。ぜひお試しを。おいしいキムチがあったら、これも一緒に食べるとなおおいしい。


2月22日
雪温む
夕べ夜中にムックが突然すごい勢いで吠えた。びっくりして飛び起きると、いつも物静かなムックがやけに興奮している。屋根の雪でも落ちたのだろうか。ムックは屋根の雪の落ちる音を過剰に怖がるのだ。こちらも寝ぼけているので、なだめて布団にまたもぐりこんだのだが、その後3回も熟睡しているところをたたき起こされてしまった。寝ているお客様を起こしやしないかと気をもんだ。朝起きてラウンジの方へ歩いていると、案の定、細い窓から屋根から落ちた雪がゴロゴロしているのが見えた。
ラウンジの窓から外を眺めると、久しぶりに見えた青空が真冬のものとはまるで違う。空の色も、雲も、空気も、みな柔らかい。明るくやさしい日差しに、雪景色が温かくさえ感じられる。こうやって、ずんずんと春は近づいてくるのだ。私はもう少し冬眠していたい気分なのだが。


2月21日
長命寺
昨日、「たべある記」にもご紹介した旭川の和菓子屋「むらこし」に桜餅を買いに行った。先日「むらこし」のご主人と桜餅の話になり、このあたりでは道明寺しか作っていないので、うちでは長命寺を作ろうということで、ひな祭りが近づくと2種類の桜餅を作られる、というお話を伺った。毎年楽しみにしている桜色のクレープのようなものを巻いた桜餅が、長命寺と呼ばれることをはじめて知った。
私は子供の頃から、桜餅といえば餡を粒々の餅で包み桜の葉を巻いた道明寺のことだった。札幌でも旭川でも、和菓子屋さんやスーパーで道明寺が桜餅として売られている。たまにそのクレープ巻きのタイプを見かけると、偽物かと思っていた。「むらこし」の長命寺を食べて、初めてそのおいしさを知ったのだった。
あらためて主人に聞くと、主人は子供の頃から長命寺を桜餅と呼びこちらのほうがポピュラーで、道明寺は道明寺だったのだそうだ。ちょっと調べてみると、桜餅は江戸向島の長命寺が発祥地で、現在は関東では長命寺、関西では道明寺が桜餅と呼ばれているらしいことがわかった。
昨日は久しぶりにいらっしゃる苫小牧の小清水さんに食べさせようと、その、ほんのり桜色の長命寺を買いに行き、思わずその隣にあるうぐいす餅と、そのまた隣で買ってほしそうにしていた胡桃餅も手に取ってしまった。全部6個ずつ入っている。あっこちゃんもいないし、どうやって片付けようか・・・。誰かお茶を飲みに来てくれませんか?


2月20日
あっこちゃん帰省
今日、70歳のボーイフレンドじっちゃんこと長谷川さんとともに、あっこちゃんが愛知に帰ります。3月のコンサートまで、ほんの2週間ほどの里帰りです。ほんの2週間といえども、私たちにとっては淋しい限りです。でも、愛知のお母様は、大事な娘が1年近く見知らぬ土地に行ってほとんど帰らず、どんなに寂しくしていらしただろうと思うと、とてもそんなことは言えません。あっこちゃん、あまり友達とあちこち遊び歩かないで、ちゃんとお母さん孝行するんだよ。
当の本人は、昨日まではスキー大会もあってばたばたと忙しかったので、今ごろごそごそと荷造りをしています。11時には薫風舎を出発するのに、間に合うのだろうか・・・。


2月19日
大会続報
昨日12時30分頃「ひとこと」を書き終えた直後に、電話が鳴りました。じっちゃんからでした。「戦線離脱」とのこと。自衛隊の方に保護ざれ、車に乗ってゴールに到着したそうです。本当にご無事で何より。勇気ある撤退に、私たちは心の中でエールを送ったのでした。
あっこちゃんは、その後ゴールを目指してすっ飛んでいったそうなので、私たちは連絡を待ちました。そしておよそ1時間後、あっこちゃんが無事ゴールインしたとの電話が入り、それまで緊迫していた薫風舎の空気が一気に安堵感へと変わった(ウソウソ)のでした。
帰ってきた二人に話を聞くと、小学校のスタートから大きく引き離され、やっとのことで心臓破りの坂を越えたときには、すでに2時間が経過していたそうです。じっちゃんはそれでもなんとか先に行こうと自衛隊の人たちを振り切り頑張ったのですが、4Km地点であえなく断念。そのあとあっこちゃんは1時間半足らずで残りの8Kmを走りぬき、見事3時間25分で完走。初レースにして、立派な記録でした。
午後2時30過ぎ、フルマラソンと歩くスキーをそれぞれ無事終えられた神谷さんご夫妻とともに二人は元気に戻ってきました。競技が終了するのを見計らって丘に歩きに行った富岡さん佐藤さんもまもなく戻ってきて、ようやく日が差してきた雪景色を見ながら、皆で今日一日の労をねぎらい合ったのでした。


2月18日
大会速報
朝からものすごい雪となりました。今日はいよいよ宮様国際スキーマラソンです。夕べ薫風舎に泊まられたお客様は、フルマラソン、ハーフ、12Kmとそれぞれのコースに出場すべく早めに朝食をとり、悪天候の中スタート地点へと向かいました。
フルマラソンは9時にスタート。先頭集団は15分ほどで、スタート地点からおよそ9Kmのあたりにある薫風舎の前を、軽やかに通り過ぎていきました。そのあとハーフがビルケの森、12Kmの歩くスキーがすぐ前の美沢小学校を、それぞれ10時にスタートです。皆さんが通る時間を見計らって、私たちは家とコースを行ったり来たりして応援しました。
10時を過ぎると、歩くスキーの選手たちが怒涛のごとく小学校からこちらにあふれ出てきました。昨日泊まられたお客様の一人、神谷さんの奥様は、元気に早々と私たちの前を通過されました。が、しかし、じっちゃんこと長谷川さんと我が薫風舎のホープあっこちゃんはなかなか見つかりません。心配しながら見ていると、とうとう大方の選手が行ってしまいました。そしてその選手たちから大きく遅れた二人が・・・。あれはまさしくじっちゃんとあっこちゃんです。転びながらようやく私たちの前へとやってきました。わずか500mの地点でこんなに離されてしまって、果たしてゴールまでたどり着けるのでしょうか。それよりこの滑りで、この先の、丘に向かう心臓破りの坂を上れるかどうかが心配です。じっちゃんとあっこちゃんの運命はいかに?!明日のひとことを乞う御期待です。


2月17日
大会前夜
きょうは、朝から細かい雪が降っています。数日前からコース整備も頻繁に入り、窓から見ていると、ときおり競技用のスーツを着たスキーヤーが、しなやかなスケーティングで前の畑を通り過ぎていきます。いよいよ明日は宮様国際スキーマラソンです。
きょう泊まられるお客様は、半分近くが大会に出場されます。いつも来てくださる長土居さんご夫妻、去年帯広の美味しい情報をたくさん教えてくださった渋田さんはじめ、お目にかかるのがとても楽しみです。
天気予報はどうも芳しくありませんが、どうか明日は太陽がそれに打ち勝ってくれることを祈ります。出場しない私たちも、だんだんわくわくしてきました。


2月16日
じっちゃん登場!
久々に十勝岳のてっぺんが見えた。あっこちゃんの若干70歳のボーイフレンド(?)で、去年の6月から薫風舎を訪れてくださること早4回目となるご常連、じっちゃんこと長谷川さんがいらっしゃるからに違いないと思った。今回の目的は、18日の宮様クロスカントリースキー大会に出場すること。あっこちゃんとともに12Kmのコースに挑戦される。
12月にうちの周りを少し歩いただけでいきなり大会出場とはあまりにも無謀ではないか、本当に大丈夫なのだろうか、と非常に心配しているのだが、ご本人自信満々である。うかがうと、数年前一人でフィンランドに行ったとき、一日中クロカンで走られたそうだ。本格的に滑るのはそれ以来ということで、ますます不安は募るのだが、長谷川さんのパワーを持ってすれば、苦しさも何のその。きっと本番を誰よりも楽しんで、元気にゴールされることと思っている。


2月15日
コンサートのチラシ発送
一昨日、札幌の妹から小林さんのコンサートのチラシが届いた。週末熱を出し寝込んでいた妹をせかして、チラシを作成、印刷して発送してもらった。きょうは昼食を食べてから、3人でチラシ発送の準備をしている。ちょうど始めた頃、あっこちゃんの友人で薫風舎にもよく泊まりに来てくれるともちゃんから、バレンタインのチョコと紅茶のセットが届いた。美味しいフレーバーティーを飲み、チョコをとりっこして食べながらわいわいやっていたら、程なく作業は完了。なんとか今日中には発送できそうだ。
3月10日、どうか大勢の人たちが聴きにきてくださいますように。


2月14日
12Km完走
昨日は、滞在中の下村さんとスタッフのあっこちゃんが宮様スキー大会の12Kmのコースに挑みました。下村さんは去年もちょうど今ごろ宿泊されて、歩くスキーでのんびりと丘や森の中をまわられていました。あっこちゃんは今年スキーは初体験ですが、果敢にも宮様の12Kmのコースに申し込んだのでした。
なかなか練習する時間がとれず、まだ数えるほどしか乗っていないのに、気がつくと大会は目前。昨日は大事な本番前の予行演習です。日曜日に超常連宮崎御夫妻にクロカンの極意を伝授していただき、張り切ってのスタートとなりました。熱い紅茶をポットに入れて、背中にはタオルを入れて、万全の体制で薫風舎を出発したのが午前10時ちょっと前。ふたりでゴールを目指したのでした。
ふたりの予定としては、途中貴妃花という木工のギャラリーに寄ってから街まで行き、もみじのお好み焼きを食べて、北工房でコーヒーを飲んで迎えを待つ、ということになっていました。2時近くになっても連絡がないので電話をしてみると、ようやく役場の前とのこと。もみじはランチが2時までなので、お好み焼きは断念せざるを得ず、駅前でラーメンを食べて主人がPick Up、久しぶりの北工房のコーヒーも諦めて、3時過ぎに無事帰って来ました。
週2回水泳に通っているという下村さんは、そう疲れた様子も見せず淡々とされていましたが、あっこちゃんはさすがにバテたようで、夜みんなで歓談していたら目が半分になっていました。


2月13日
ラーメンの後は?
昨日はお客様が滞在中の下村さんお一人だったので、お昼にラーメンを食べにみんなで旭川まで出かけました。下村さんは案内板を読んで「ふるき」のラーメンを食べたいと思っておられたそうなので、久しぶりに行ってみると、残念ながら定休日。それではと、橋を渡って「ありこま」というラーメン屋に行きました。「ありこま」は化学調味料を使っていないせいか、こくがあるのに後味がスッキリしていて、旭川で気に入っているラーメン屋さんのひとつです。昨年暮れに大食い選手権というのを見ていたら、決勝戦でこの店が出て驚きました。プリンス何とかというのが、帝王と女王赤坂という人を押さえて16杯で優勝していました。店に入るとその時の様子が、あちらこちらに張り出されていました。
さて、ラーメンを食べるとその後はソフトクリームとうちでは決まっています。5年程前、シーズン2回目のパワフルスタッフ大阪の洋子ちゃんとラーメンを食べに行った時、食べ終わった彼女が「ラーメンを食べるとアイスクリームを食べたくなりませんか?!」と力強く尋ねました。それまで全く意識していなかったのに、そう言われるとなんだかそんな様な気がしてきて、シーズンが終わる頃にはすっかり洗脳されてしまっていたのでした。それ以来ラーメンのあとのソフトクリームは、私たちのちょっとゆずれない習慣となっているのです。
また都合よく、「ふるき」や「ありこま」など私たちのよく行くラーメン屋からそう遠くないところに、「Garden」という興部町の美味しい牛乳ソフトを食べさせてくれるお店があるから困ったものです。昨日は下村さんも巻き込んで、その「Garden」に去年できたレストランでソフトクリームをいただきました。
それから雪の美術館をちょっと見学して、今度は行きつけの和食屋さんで夕食。そのあと花神楽という東神楽町の温泉に入って、薫風舎に帰ったのは9時過ぎでした。私たちの食べ続けの一日に、すっかり下村さんを付き合わせてしまいました。


2月12日
冬を楽しむ2
今日は、朝食の頃は晴れ間ものぞき、期待を持たせる天気でした。皆さん朝食が終わると思い思いに、前々から楽しみにしていた予定を実行すべく、張り切って写真やクロスカントリーの準備をはじめられました。
ところが気がつくと窓の外は真っ白け。にわかに大雪となってしまいました。こんな天気では、だれひとり外に出る気にはなれません。しばらく待っていると雪は止みちょっと日が差すのですが、腰を上げる間もなくまた降って来ます。そのうちに、みんなだんだんあきらめムードとなり、結局、薪ストーブの前でお茶をすすりながらうだうだとおしゃべりをしていたら、お昼近くになってしまったのでした。これもまた冬の楽しみというものです。


2月11日
冬を楽しむ
今朝は久しぶりに賑やかな朝となりました。夕べ遅くまで飲んでいた宮崎さんご夫妻と和田さんは、6時には起きて写真撮影に出かけていました。朝ごはんを食べると、スノーシューで前の畑をのんびり散策したりクロスカントリーで丘を歩く準備をする人たち、暖炉の前でのんびりする人、タンノイのスピーカーの中央に座って音楽を聞き入る人など、みなそれぞれの楽しみ方で冬を満喫しているようです。


2月10日
餃子
昨日一年ぶりに餃子を作りました。明日から超常連の宮崎さんや下村さんが泊まられるので、薫風舎の餃子を食べていただきたいと思ったからです。
2年ほど前から、冬になると自分達で餃子を皮から作って食べるのが楽しみになっていました。夏からあっこちゃんに「冬になったら餃子を作ろうね。」としょっちゅう言っていたのですが、なかなか作る機会がなく「いつになったら餃子作るの?」と言われ続けていたのでした。ようやくチャンスを見つけ、夕方から3人張り切って餃子作りを始めました。
餃子の皮は主人の担当。こねて丸めてのばすまでは、他の誰も手伝うことができません。主人が皮をこねている間に、私たちはあん作り。キャベツやニラ、ねぎ、肉とひたすら細かくしていきます。内モンゴルの友人タムさん曰く、餃子のあんの中にニンニクは入れないそうです。中国や台湾の人に会うと聞いてみるのですが、みなそう言います。うちでもいろいろ試してみた結果、どうも入れないほうが美味しいような気がします。以来うちでは、ニンニクが欲しい時はタムさん流に、付けダレにみじん切りにしたニンニクを入れることにしています。
もうひとつうちでこだわっているのは、お肉です。お肉は必ず、挽き肉ではなくかたまりを細かく叩いて使います。ボロネーズソースやハンバーグなどでもそうすると全然美味しさが違ってきます。昨日はそのほか、シイタケや干しえびも入れたあんにしました。あとは主人が伸ばした皮に、あんを入れていくだけです。
餃子のことは書き出すと止まらないので、今日はこの辺で切り上げますが、やってみると意外に簡単。一度皮から餃子を作ると、これは病み付きになること請け合いです。是非何も予定のない日曜日、みんなで餃子を作ってみませんか?


2月09日
月にかかる輪
夕べは久しぶりに夜中までピアノの練習をしました。12時過ぎに切り上げてラウンジの電気を消すと、月の光に照らされた外の景色が浮かび上がってきました。主人とふたり外のデッキに出てみると、きりっと引き締まった空気に、体が凍りつきそうになりました。見上げると薄い雲の向うにまあるい月が透けて輝いています。その月のまわりに大きく円を描くように虹の輪がかかっていました。愛媛出身で厚田在住の画家、越智喜久張さんの月の絵を思い出しました。
私の教え子でもある長女るみこさんが、あるとき月にかかった虹を見て「お父さんのあの絵は本当だったんだ。」と改めて感動したそうです。越智さんもこんな雪の季節に、厚田の丘を照らす明るい満月を静かに見上げていらっしゃったのではないか、とふと思いました。


2月08日
満月
夜になっても外が妙に明るいと思ったら、満月が近づいた証拠です。2、3日前外に出たら、月が出ていないのにあたりの景色がはっきり見えました。月の満ち欠けを示したムーンカレンダーを見ると、やはりそうでした。今日2月8日が満月です。
街に住んでいた時には、月が景色を照らし出すなんて想像もできなかった。美瑛に来てまず驚いたのは、暗闇の世界でした。そしてある冬の夜、美瑛の街から薫風舎に向かう途中、目の前にぽかんと満月が出ていると思ったら、あたりがあまりにも明るくて驚いたのでした。正面の十勝岳連峰の、稜線と山肌がくっきりと浮かび上がっています。あまりの美しさに家を通り越して、十勝岳の中腹の望岳台まで車を走らせました。
目の前に広がる幻想的な世界。月明かりに映し出される白々と不思議な色の山に、昔のパラマウント映画のオープニングの映像が思い出されました。
今夜、満月に映し出された山々を、薫風舎の前のデッキから眺められることを、私は密かに期待しています。


2月07日
Astor Piazzolla
久しぶりにPiazzollaを聞いた。Astor Piazzolla の彼自身の演奏による「His Last Concert」である。何年前だろう、バンドネオン奏者、楽団リーダー、そしてタンゴ作曲家として優れた業績を残したアルゼンチンの大巨匠Piazzollaがにわかに注目され、タンゴ界のみならずクレーメルはじめクラシックの名手たちがこぞって彼の作品を演奏した。私はラテン音楽はあまり得手ではないのだが、そうそうたる演奏家の録音がCD売り場のクラシックコーナーに並べられているのを見て、とても興味を引かれた。その中でもとりわけ評判の高かった、世界的ピアニストで指揮者でもあるマエストロ、バレンボイムの演奏「わが懐かしのブエノスアイレス」を購入した。初めて聞くPiazzollaの作品の新鮮な響きとリズム、タンゴという枠を超えた高い芸術性、演奏家が取り上げるのも訳はないと納得した。バレンボイムのピアノのこの上ない美しさ。そのあと数枚買ったPiazzollaのCDのなかでも、群を抜いていると思った。
たまたまその頃いらしたピアニスト小林功さんにそのCDを聞かせると、「美しすぎて何かしっくりこない。」とおっしゃったのをよく覚えている。なるほどそういわれてみると、その洗練された演奏は確かに耳に心地よいが、タンゴの土臭さが伝わってこない。そのあと見つけた「His Last Concert」を聴いて、小林さんの言葉がますますよくわかるような気がした。タンゴを育んできたブエノスアイレスの町の匂いとほこり臭さ、生まれたときから体にしみこんでいるであろうリズムと響きが頭ではなく直接心臓に伝わってくる。
今ではすっかりブームは去ってしまったきらいがあるが、久しぶりにPiazzollaを聴いて、そのときの感動がよみがえった。


2月06日
春です。
2月になると、急に春を感じるようになります。今朝ムックとティンクと外に出た時の気温は−20℃近くだったのに、それでも日差しは1月とはたしかに違う。雪の色も違って見える。日の光が照りつけて、屋根から下がったつららの先やデッキの上で固まった雪をじんわりと解かしていくのを見ると、もうすっかり春の気分です。
これから季節は、行きつ戻りつしながら確実に移り変わっていくのだと思うと、少しずつ去り行く冬に名残惜しさを感じます。


2月05日
まねし小僧
なぜか急に、小学校の教科書に出ていた戯曲を思い出した。狂言の話をモチーフにした子供向けの寸劇「まねし小僧」である。
登場人物はまねし小僧と数人の少年たち。ある少年が通りかかると、まねし小僧が待ち構えていて、ことごとく少年の言動を真似する。真似されてしだいに頭にくる子供とオウム返しのようにまとわりつくまねし小僧。「やめろよ。」「やめろよ。」「やめないとぶつぞ!」「やめないとぶつぞ!」ついに少年は言う。「ぶつならぶってみろ!」ここでまねし小僧は待ってましたとばかりに少年をぶつのだ。
最後は同じ被害にあった少年が一致団結して、まねし小僧をやりこめて幕となる。「真似をされる」ということは誰にとっても不愉快きわまりない。それを逆手にとって嫌がらせをする「まねし小僧」がなぜか哀れに見えた。子供心にユーモアの中に何かしらじらとしたものを感じ、後味の悪い物語として記憶に残っている。
学生時代、私は北大軽音楽部に所属しバンドをやっていた。定演などで、オリジナルと称していかにも既成のものを真似たような曲を演奏するバンドなどもあって、そういうときには「パクリだな。」といっせいにみんなの軽蔑の的となる。私は小さい頃から、真似するのも真似されるのも大嫌いだったので(真似されて喜ぶ人はいないと思うが。)、そういうバンドを見ると無性に腹が立った。
また、軽蔑すると同時にそれぞれ自分自身を戒めていたのかもしれない。何もないところから物を創り出すというのは、どんなに小さいことでも産みの苦しみをともなう。誰しもそんなときには、心の「まねし小僧」からの誘惑の声と戦わなければならないのだ。自分たちには、たとえ学生素人バンドであっても、魂だけはは売らないという自分自身へのプライドがあった。だからこそ今振り返ってもよい思い出となっているのだ。
なぜそんなことを今ごろ思い出したのだろう。


2月04日
恋愛準決勝戦
原題は「Royal Wedding」というのに、なぜ日本では「恋愛準決勝戦」となったのだろうか。フレッド・アステア主演で1951年に作られた、MGMのミュージカル映画である。
ブロードウェーで活躍している芸人兄妹が、英国王室の結婚式にちなみイギリスに渡って舞台を成功させ、おまけに自分達もそれぞれが一生のパートナーを見つけ、ハッピーエンドというはなし。
アステアといえば“ダンス”だが、この映画の中でとりわけ語られる機会が多いのが、ホテルの一室で壁と天井までを使って踊るシーンだ。サラ・チャーチル演じるイギリス人ダンサーに恋をしたアステアが、その高揚した気持を表すダンスシーンは、アステアのアイデアとテクニックが凝縮されたMGM屈指の名場面であろう。「あれは本当に素晴らしいダンスだった。たいていの人はどうやって踊ったのかわからなかった。・・・・・・・何もかもが逆さになったんだ。ほとんどの人が理解しない。難しすぎて説明できないんだ。」といった完璧主義者といわれる本人の言葉が、そのシーンの完成度の高さを言い尽くしていると思う。
恋愛準決勝戦、そしてバンドワゴンと50歳を過ぎてからのフレッド・アステアの映画も、1930年代ジンジャー・ロジャースとのダンスで一世を風靡した頃と比べても何も見劣りするものは無く、そのエレガントな輝きは増すばかりなのだ。
きょうはいつものひとこと担当者が、地域の敬老会の手伝いをしているので、昨日3人でかじりついた映画について、代理人がひとこと。


2月03日
吹雪
ようやく小降りになってきた。昨日から北海道は大荒れとなり、留萌北部の国道では吹雪のため100台以上が立ち往生し、近くの保養センターに避難して一夜を過ごしたそうである。美瑛のあたりは、日本海側に比べると比較的雪は上から降るものだが、それでも朝ムックとティンクと外に出たら、薫風舎のこげ茶色の壁や窓、屋根から下がっているつららやクモの巣までも、雪に吹き付けられて真っ白になっていた。
前にもちょっと書いたことがあるが、私が教員時代新卒から5年間暮らした厚田村の吹雪もすごかった。大雑把に言うと留萌の下になるので、昨日の立ち往生の様子も想像がつく。しかし、あの吹雪だけはどんなに説明しても、実際体験しないと絶対に分かってもらえない。北海道人であっても、である。車に乗っていると5センチ先も全く見えないくらいなので、路肩がどこなのか分かるはずもないのだ。助手席に人がいればドアをあけて下を見てもらいながら走る。私は大抵一人だったから、そういうときはたまにうっすらと見える左上の電信柱の影らしきものをたよりに、ほとんど勘だけで走らせた。それでも吹き溜まりで道が全く無くなったところに突っ込んで、生徒の親に助けてもらったこともある。月曜の朝、命からがら実家から学校にたどり着き、今通ってきた道で多重衝突事故があったと聞かされ肝を冷やしたこともあった。余談だが、早朝「吹雪で休校」の連絡があったのでそのままベッドに戻って寝ていたら、しばらくして教頭先生から「教師は休みじゃないよ。」と電話が入り、慌てて顔も洗わず家を飛び出し、職員会議の最中にこそこそ職員室に入ってみんなに笑われたこともあったなあ・・・。とにかく春になると、毎年よく無事でいたと思うほどだった。
ああ、こう書いていてもきっとあの感じは伝わらないだろうなあと思うと、どうにももどかしい。


2月02日
カレー復活
オープン当初、薫風舎は昼間ランチもやっていました。その時の目玉はインドカレー。十数種類の香辛料をブレンドし鶏足肉と野菜をじっくり煮込んだトロトロのカレーと全粒紛で作ったチャパティの絶妙な組み合わせは、当時一世を風靡したものでした(と勝手に思っている。)。夏のシーズンが始まると、とてもランチなどやっていられるはずもなく、早々にあえなく断念。薫風舎のカレーはわずか9ヶ月で幻の味となってしまいました。
今でも冬になると、時々「カレーを食べたいのですが。」という問い合わせがあるのはうれしい限りですが、仕込みにやたらと時間がかかるのと、一度作ると鍋やらフライパンがカレー臭くなり、しっかり洗ったつもりでも、しばらく炒めたものが皆カレー色になったりするので、お客様の料理に支障が出ます。というわけで、いつしか自分達用であっても薫風舎でカレーは御法度、となっていたのでした。
しかしたまには家でカレーが食べたい。特に約1名食べたい食べたいと騒ぐ男性がいるので、条例見直しを検討していた矢先、薫風舎冬の人気メニュー「ポトフ」の貴重なだし汁がちょうど残ったので、思い切ってまかないカレー専用鍋を購入。我が家でカレーという喜ばしい出来事が、昨日ようやく実現しました。
久しぶりに、ターメリック、クミン、コリアンダーなど10種類あまりの香辛料を調合し、薫風舎特製カレー粉を作りました。玉葱とニンニクを少なめ(健康のため。)のごま油でよーくいためてから、スパイスを加え、ポトフのスープとトマトジュースを入れ、沢尻農園のレッドムーン、大根、人参、キノコ、カリフラワー、ブロッコリーなど野菜を片っ端からゴロゴロと入れて煮込み、最後にたまたま買ってあったアサリをワインで蒸して加えて、昨日はサラサラのスープカレーを玄米ご飯とともにいただきました。
泊まられたお客様は、スパイスのよい香りにいつカレーが出てくるかと期待して、がっかりされたかもしれません。自分達で食べてしまいました。あしからずお許しください。


2月01日
気分はスタバ
昨日旭川のA氏から思いがけない贈り物が届いた。スターバックスコーヒーのマグカップが3個。今の私には一番うれしいプレゼントだ。
スターバックスコーヒー。首都圏の方は笑われるかもしれないが、私にはもう一年近く前から憧れの店である。アメリカ映画にもしばしば登場するそのセルフサービスカフェは、ドトールとならび最近では急速に店舗数を増やしているそうだが、カフェをテーマにしたコラムなどにもしばしば取り上げられ、すこぶる評判が良い。夏には愛好家の方から写真つきのメールまでいただいた。
喫茶人の私としては、どうしても押さえておきたい店だ。しかし旭川には期待できない。2、3年前にやっとドトールが一軒できたのだ。だが、170万都市札幌なら絶対あるはずだ。そう信じて去年の4月に札幌に帰ったときに探してみた。たまたま入った電気屋の店員に「スターバックスコーヒーはどこですか?」と訪ねてみた。「え?スタ?な、なんですか?」私は憮然として「スターバックスを知らないんですか?!」。「聞いたことないですねえ。」・・・。だめだ。聞く人を誤った。きっと缶コーヒーで済ませるタイプなんだ。結局見つからなかった。しかし170万都市札幌に無いはずがない。次に探すチャンスをようやく見出したのは、それから9ヶ月も後の12月だった。4丁目付近にないなら、絶対駅周辺だ。やはり無かった。納得がいかぬまま美瑛に帰りインターネットで調べると、福岡にまであるのに北海道にはまだ上陸していない。この地域格差。私は愕然とした。
こうなったらこっちから行くしかない。そう鼻息を荒くしていたら、先週東京に行っていたA氏がそんな私の願いをどこで知ったのか、マグカップをしかも3個。なんと気のきいた贈り物だろう!早速昨日の昼下がり、美味しいコーヒーをいれて、美味しいカステラとともに、ちょうど見えはじめた十勝岳連峰を眺めながら、スターバックスのマグカップで憩いのひとときを味わったのだった。どうだ参ったか。


1月31日
丘を散歩
今年こそ、冬のあいだに体力づくりをしようと意気込んでいたのだが、なかなか出かけるチャンスがなく(ホントホント!)振り返るとわずかにスノーシュー1回歩くスキーでその辺2回。これはまずいと一昨日夕食の仕込みの合い間、ピアノの下に隠してある(!)腹筋台を引きずり出しちょっと試してみたら、腹筋ゼロの情けなさ。どうも他の2名も似たようなものらしい。これではいけないと気を取り直し、久しぶりの青空にも誘われて、昨日は3人で丘の方まで歩くスキーをしに行った。
気温は−5℃と暖かい散歩日和。近くの丘まで行って車を止め、スキーを履いて出発した。遠く十勝岳連峰を望み、薫風舎の建っている美沢を見下ろす丘はなだらかなアップダウンで、スキーにはちょうど良い。一昨日久しぶりに降り積もった雪で少々歩きづらかったが、白く重なりあう丘と葉の落ちたカラマツの防風林、沢に静かに建つ民家を隠すように植えられた木々が、もくもくと広がる雲とすがすがしい青空にとけあって美しく、心地よかった。
これこれ、これなのだ!汗をかくのはなんと気持の良いことよ。この感じを忘れないうちに、今日も午後からちょっくら歩きに行くとするか。


1月30日
点心な日
私たちが中華料理、特に「餃子」好きであることはかなり有名だ。自分たちで皮から餃子を作ることが冬の楽しみのひとつでもある。そういえばこの冬は、まだ一度も作っていないなあ。と言ったら、忙しい時期になるとおいしい餃子を見つけては送ってくれる横浜の友人が、夏に私たちのあいだで大好評だった川崎の中華料理屋の餃子とシュウマイをたくさん送ってくれた。
その店は友人曰く、有名でもなんでもないどこにでもあるような中華屋だという。夏には、銀座で行列のできる超有名店とここの2種類を送ってくれて、わくわくしながら食べ比べた。銀座の餃子は、「どうだ、文句あるか!」という立派な餃子。川崎の餃子は、「私どもは当たり前のことをまじめにやっているだけでございます。」という言葉が聞こえてきそうな美味しさだった。どちらも甲乙つけがたいが、私はそういう何の衒いもない川崎のお店の味に非常に興味を引かれたのだった。
天候不良のせいで到着が予定より遅れ、友人共々やきもきしていたが、昨日の朝無事到着。昼食は焼餃子定食となった。餃子を焼くことに関しては並々ならぬ自信のある主人が、到着の遅れで頼りなくなった皮の餃子を見事に(ちょっと褒めすぎ?)ぱりっと焼いてくれて、送ってくれた餃子5人前を3人でぺろりと平らげた。野菜の甘味がジュワッと口の中に広がる。あまりの美味しさに、お皿から一つ一つ餃子が減っていくことが切なかった。
夜はシュウマイセットだ。お客様の夕食を作りながら、もったいないから半分だけにしようと相談したのに、いざ蒸し器を出したら全部のせてしまった。このシュウマイがまたねぎが効いて美味しいのだ。3人「ウメェ〜!!」と羊になりながら目を細めて食べた。
これは、ぜひとも近いうちに自分達の足で行かなければ。2001年陽春決行!「食べある記」を乞う御期待!(・・・とまだ映画かぶれが抜けない。)


1月29日
静かな雪
今日は、朝から大きな牡丹雪がたくさん降っていました。静かにまっすぐに降る雪は、庭の低い木や足跡をふんわりと覆い隠していきます。空は厚い鉛白色の雲。その雲の向う側から薄黄色の太陽が透けて輝きだし、雲を追い払おうとしています。やがてあたりは日の光で明るくなりかけて、雪も小降りになってきました。しかし太陽はすぐに雲に覆われて、何事もなかったかのように、また深深と音もなく雪が降り始めたのでした。


1月28日
あきれた3人
ここ5日ほどお客さんのいない日が続いたので、たまっている仕事を片付けたりピアノの曲も最低2曲は暗譜して、本も読み、歩くスキーや泳ぎにも行って・・・と色々と計画していた。しかし、振り返ると、どうも何一つ満足にできないまま、漫然と時間ばかりが過ぎてしまった。いったい私たちはこの5日間何をしていたのだろう。よく思い出せない。
だいたい夏と冬の一日が同じ24時間だなんて、とても信じられないのだ。朝起きて、朝ごはんを食べ、お昼ご飯を食べ、食休みをして夕食を食べるだけでも、あっという間に一日が終わってしまう。夏は、冬になったらのんびりしようと夢にまで見るのだが、のんびりしている覚えもないまま時は過ぎていく。
こんなことなら初めから何もせずのんびりしようと思えばよかったのだが、ぐうたらなうえに気が小さく、その上なんだかんだと小さい用事が沸いてくるので、心も体も休まらないまま、結局刻々と時間だけが過ぎてしまった。昨日の朝はいよいよ3人追い詰められ、話し合った。
どうしよう。えーい仕方がない。今日は映画でも観てぱーっとやろう。早々に支度をして、昨日封切られたアメリカンコメディーを見て大笑いし、最近評判のイタリア料理を食べて、愉快に帰ってきてしまった。我ながらあきれたものである。


1月27日
散歩への憧れ
今朝3人で朝食を食べながらTVを見ていたら、旅番組で斎藤慶子が横浜を歩いていた。北海道の冬の生活は気に入っているが、この季節に東京や横浜の街の中継などを見ると、無性にうらやましくなってしまう。薄いジャケット一枚で街をぶらぶらと歩くなんて、私たちにとっては夢の向こうの世界である。
町をぶらぶらと散歩する。不思議に思われるかもしれないが、そんな楽しみ方が北海道ではなかなかできない。どうも、街自体がそういう作りにはなっていない。冬の除雪のことがあるので、まず道路が広く作られている。冬になると道を歩く人はそういないので、歩いている人がふらりと入れるような小さい店なども成立しづらい。民家も頑丈で見方によっては閉鎖的なつくりだ。そこから、東京の下町あたりを歩いたときのような、住んでいる人の「生活」を感じ取ることは難しい。
今日はお天気が良いからとあてもなく家を出てぶらぶらと散歩し、路地裏の面白いお店や趣のある建物を発見したり、そこに住む人々の生活のにおいを感じたり、気に入った喫茶店で本を読んだりして時間をつぶす、というようなどこにでもあるような休日を無性に味わいたくなって、池波正太郎の「散歩のとき何か食べたくなって」とか、泉麻人の「散歩のススメ」など本屋さんで見かけると、つい手にとってしまうのだ。


1月25日
旭川散歩
昨日は用事があってめずらしく一人で旭川に出かけた。9時に家を出て、10時には用は済んだのだが、一人で出かけるなんてめったにないことなので、用事を足した美瑛寄りの場所からわざわざ街の方まで車を走らせた。
朝食を食べていなかったので、まずは腹ごなしだ。色々と考えたが、旭川で気の利いた朝食を食べれるところなどそう思いつかない。結局駐車場に車を入れて、旭川でただ一軒の「ドトール」でベーグルサンドを食べた。食べながら、さてこれからどうしようかと思いをめぐらせたが、当てもなく歩くにはちと寒い。結局いつも行く、前にひとことにも書いた本屋「MEGA」に行き、「エリオット・アーウィット」の写真集を探してみることにした。あいにく写真集は見つからなかったが、池波正太郎の「東京のうまいもの」−散歩のとき何か食べたくなって−と、林望先生の「イギリスは不思議だ」(どちらもコロナブックス)という写真つきエッセイ集を手にとった。
それからどのくらい本屋をぶらぶらしただろうか。結局その2冊を買うことにしてレジへ向かいながら、財布に持ち合わせのないことに気づいた。久しぶりの一人歩きに、いい年して財布にお金を入れてくるのを忘れたのだ。ひとり恥ずかしい気持に駆られながら、3000円足らずの本をカードで購入した。それからは、財布の残高を計算しながらコーヒーを飲んだり、小物を買ったり。だんだん心細くなってきたので駐車場から車を出して、ずっと行ってみたかった「甘処茶屋ぶんご」(詳しくは食べある記参照。)で昼食をとり、おかげでムックとティンクのササミジャーキーを買えずに帰路につくこととなった。
帰り道、空港の脇を通っていたら、ちょうど正面から飛行機が着陸するのが見えた。それを眺めながら、たまに一人で出掛けるのも悪くないなあと思ったのだった。


1月24日

雨に唄えば
一昨日、いつもの3人で「雨に唄えば」をビデオで観た。
年に一回は必ず観る映画のひとつである。
ジーン・ケリーが主役で、MGMのミュージカル映画の代表作ともいわれる作品は、1952年に作られた。物語はサイレントからトーキーへと転換期を迎えている映画界で起こったであろう出来事が、ジーン・ケリーのダンスとタップを中心に底抜けに明るく、楽しく描かれているのである。
その中で私が特に好きな場面は、Make 'Em Laughという歌をバックにドナルド・オコーナーが踊るシーン。映画スタジオの中で、ジーン・ケリー主役の主人公ドンを元気づけるところなのだが、このドナルド・オコーナーの跳ねつづける踊りの連続は、完全に主役を食ってしまっている。毎回この場面になると、ドキドキと胸が高鳴り、目は吸い付けらるように画面へと向かってしまう。
デビー・レイノルズを加えて3人で踊る、Good morningの場面や、あまりにも有名なジーン・ケリーがどしゃ降りの雨の中を唄い踊るSingin'in the Rainのシーンなども、もちろん拍手喝采なのだが、あのオコーナーの鬼気迫る踊りのすごさは、ひとつ世界を超えてしまってるといっても言い過ぎではないと思うのである。
それにしても、MGMのミュージカルはいい。ああ、フレッド・アステアよ、またの機会に。
いつもの担当者が旭川へ用を足しに行ったので、ピンチヒッターがひとこと。


1月23日
暖かい
冬になるといつも思うのだが、人間の体感温度というのは不思議だ。−20℃を下回る日を何日か体験すると、−10℃前後の日に外に出たときに暖かく感じる。これは、美瑛の冬がすでに当たり前になっている私たちに限ったことではない。愛知から来て、今シーズン初めてこちらの冬を体験しているあっこちゃんですら、「今日はあったかいねー。」と家の中と同じ格好で外に出て喜んでいる。そして−2、3℃となるにいたっては、妙に生ぬるい空気が気持ち悪かったりする。
これが、10月末から11月にかけて気温が0℃前後になったときには、どうしようもなく寒くかんじるから本当に不思議だ。上からちらちらと白いものなど落ちて来ようものなら、身も凍る思いである。寒さということからすると、この頃が一番つらい季節なのだ。雪のない地方の冬はこんな感じかと思うと、とても耐えられないような気がする。
よくお客様に「北海道の冬の厳しさ」について聞かれるが、「厳しい」という言葉は何かぴんとこない。−20℃のときに、Tシャツ一枚で外を歩けばそりゃ「厳しい寒さ」でしょうが、そんなことをする人はあまりいないのであって、みんな当たり前に生活しているのです。
お正月だっただろうか、何日か滞在しているお客様が1泊で帰られるお客様の見送りに外に出たとき、連泊の方たちが、やはり「今日は暖かい。」と口々に言い、帰る人が肩をすぼめて「ぶるっ!さ、さぶい・・・。」と大急ぎで車に乗り込んだ光景を見て、人間の感覚というのは本当に不思議なものだと思った。


1月22日
かんの温泉ーその2
宿に着いて部屋に通されると、外観のイメージとはずいぶん違うきれいな和室に驚かされます。早速浴衣に着替えて、タオル片手に一風呂浴びに行くことにしました。
かんの温泉では、それぞれ趣のある5つの浴室に8つの違う泉質の湯を楽しむことができます。昔から、かんのの湯で治らぬ病はないと言われているそうです。以前来たときは、小町の湯という小浴場をのぞいてすべて混浴でした。はじめて来たときはそのことにちょっとたじろぎましたが、どの浴場も、もうもうと湯気が立ち昇りほとんど何も見えず、また、訪れている人たちものんびりと湯浴みを楽しむ湯治客が多いので、混浴ということがほとんど気になりませんでした。それでも、秘湯ブームで若い女性が増えたせいか、今回は2つの浴場が時間で女性専用となっていました。
本館に隣接したクロレラの湯は、石でできた湯船の下から熱い湯が湧き出ています。もともとは露天風呂だったところに建物を後から建てただけあって、不思議な空間です。熱めの湯にゆっくりとつかり、部屋に戻って夕食をいただきました。夕食は、このあたりで取れた山菜や川魚を中心とした和食で、手作りでいかにも体にやさしく、いつもながらとてもおいしいかったです。
おなか一杯になった私たちは、布団の上でごろごろと食休みをしながら、どのように風呂を回ろうかと相談したのでした。本館からくねくねと階段を下りながら進んでいくと、木造の湯治棟を通って小浴場、中浴場、そして一番奥に大浴場と続いています。大浴場は、その中でも最も野性味あふれる、まるで洞窟の中にでもいるような浴場です。中央に大きな湯船があり、奥にはそれと異なる泉質のぬるめの岩風呂が2つ。壁をなめるように流れてくる温泉の成分が長い年月で岩壁に同化し、鍾乳洞を思わせる風情です。その上の中浴場はシンプルな構造ながら、泉質と温度の異なる2つの湯船があり、熱めの湯とぬるめの湯にかわるがわる入ると、とても温まります。夜は女性専用になっていて、湯治のおばあちゃんたちが大勢入っていました。「あんたたち、どっから来たの?」「1泊かい。もったいないねえ。」などと人懐っこく話しかけられ、あっこちゃんも私もすっかり仲良くなって、和やかなひとときに気持ちまで温まったのでした。
露天風呂は、ランプのともる脱衣所を出ると木造りの湯船がふたつ。冬の星座を眺めながら、のんびりとつかりました。正面にはエゾ鹿の餌場があり、朝は鹿たちの朝食風景を眺めながら入浴することができます。
私たちはここに来るたびに、このかんの温泉の魅力にとりつかれてしまいます。浴衣にタオル一本持ってあちこちの浴室を渡り歩いていると、頭から指先の血管一本一本にまで新鮮な血が行きわたって、本当に元気になっていきます。たった一泊でしたが、私たちは至福のときを思う存分味わい、近い将来必ずやまた訪れることを誓って、かんの温泉を後にしたのでした。


1月21日
かんの温泉ーその1
一昨日、私たち3人と2匹は然別峡かんの温泉に泊まりに行きました。かんの温泉は、北海道でも数少ない野趣あふれる秘湯で、美瑛から狩勝峠を越えて然別のほうへおよそ車で3時間ほどのところにある、山の中の一軒宿です。
私たちがここを訪れるのはこれで3度目。初めて泊まったのは8年程前になるでしょうか。温泉の本などで数多く紹介されてはいたものの、写真に写っている湯治棟や浴場があまりにもすごそうだったので、かなりの勇気を振り絞り予約の電話を入れた記憶があります。
その時も確か真冬。然別湖に向かう道の途中の二股を左に行くと、くねくねとした山道になります。そこを20分ほど走ると、その道のどん詰まりに渓谷にはさまれるように建っている古びた宿が、突然現れるのです。車を降りると、駐車場の脇のあちらこちらから湯気が沸き立ち、その正面に木造の、まるで明治時代の炭鉱にきてしまったかのような建物が2棟目に入ります。そこで、はじめて来た私たちはちょっとたじろぎ、しかし覚悟を決めて、玄関を探しながらその2棟をつなぐ短い渡り廊下に近づいたのでした。昔の木造校舎の廊下を思い起こさせるその渡り廊下に、引き戸があります。ガラガラと開けると、もうひとつ引き戸が。そうして恐る恐る渡り廊下をくぐり抜けると、その向こうに「新館」というにはあまりにも気が引ける、それでも手前の建物よりは新しい宿泊棟の玄関がようやく見えるのです。その壁は、モルタルがぼろぼろに剥がれ落ち、これから私たちの行く手に何が待ち受けているのか、恐ろしさを通り越しわくわくさせるようなたたずまい。
しばらくぶりに三たびそこを訪れた私たちは、初めてのときとちっとも変わらないその風情に安堵感を覚えながら、そして初体験のあっこちゃんは、おそらく8年前に私たちが味わったと同じ気持ちをかみ締めながら、その玄関をくぐったのでした。−明日につづく。


1月19日
読めば元気になる本
昨日、久しぶりに髪を切りに旭川に出て、夕方までいつもの3人は自由行動となりました。美容院を出てから待ち合わせ時間に少し間があったので、向かいの富貴堂本店に入って新刊のコーナーなどをぶらぶらと見てまわっていました。すると、一冊の本に目がとまったのです。まず、憂鬱そうなゴリラの白黒写真が目に飛び込んできました。そして、帯に大きな字で書いてある「全米でベストセラー!!」という文字。いったい何の本なんだ?その下に小さい文字で「誰でも落ち込む日がある。でも大丈夫!あなたをきっと元気にします。」・・・なあんだ、最近しょっちゅう本屋で目に付く、うさんくさい「これであなたも幸せになれる!」みたいな類のHow toものかあ・・・と一旦がっかりしてから、それでもこちらをけげんそうに見続けるゴリラの表情と、キャッチコピーのそういう本にしてはカラッとした言いまわしにちょっぴり惹かれて、半信半疑でその本を手にしたのでした。
本を開いて、私は「おお!!」と声をあげ目を丸くし、信じられないことにそのあと本当に愉快で幸せな気分になったのです!早々に買い込み、3人で読むたびににんまりしています。ああ、中身についてもっと説明したい。でも、これ以上は書けない!!どうかぜひとも、今日本屋さんに立ち寄ってその本を探してみてください。そして、落ち込んでいる人もいない人も、幸せな気持ちを味わっていただきたい。一瞬にして私が虜になったその本の題名は「The Blue Day Book(竹書房)」。今日、この「ひとこと」を読んでくださったどなたかが、ふらっと本屋さんに入り、この本を手にしてにんまりする顔を想像するだけで、私はふたたび幸福な気持ちになれるでしょう。


1月18日
瑠璃色
一面に雪が降り積もった季節は、白一色のイメージかもしれません。しかし、毎日外の風景を眺めていると、雪の白さを意識するときは少ない。むしろ、夏よりはずっと姿を見せる時間の少ないひくい太陽とそれを厚く覆い隠そうとする雲、そしてときにドラマティックに、またときに淡々と流れていく時間によって織り成される、鮮やかな色彩の変化に驚かされます。
しんしんと粉雪が降り、夕焼けもなく暮れていく静かな日。ふと何かの手を休めて外を見ると瑠璃色の世界が広がっています。夜が訪れるちょっと手前のその藍の、音や時間までもが凍りついてしまうような冷たい美しさです。


1月17日
パリのジャズピアニスト
昨日20年前のパリのことを書いたら、もうひとつ忘れられない出来事を思い出した。
パリの最後の夜は、ヨーロッパ研修の最後の夜でもあった。治安があまりよくないので、夜遠くまで出歩くのはさすがの私も気が引けて、ホテルの近くを同室の親友と少し歩いてから、パリに滞在していた3日間ちょくちょく行ったホテルに隣接するカフェに入った。背の低い木目の美しいアップライトピアノが置いてあり、やさしい目をした髭のおじさんがピアノを弾いていた。耳に心地よいジャズピアノの音色に若い二人は酔いしれて、エスプレッソ一杯でずいぶん長居をしていた。
すると、突然ドアが開き若い男が入ってきた。まっすぐピアノのところに行くと、早口の英語でなにやらまくし立てたあと、おじさんにピアノを譲ってもらい弾き語りをはじめたのだった。曲は、当時流行っていたクィンシー・ジョーンズのアルバムの中に入っていたバラード「Just Once」と言う曲だった。私たちはうれしいアクシデントに驚きながらも、その若者の素直な歌声に聞き惚れ、ますます旅の感傷に浸ったのだった。
一曲歌い終わると、そのひとはにこっと笑って「Thak You」とひとこと言うと、また足早に店を出て行った。そのあと、髭のおじさんはまたニコニコしながらピアノを弾き始めた。閉店の時刻も近づいたのか、やがてお客は私たち二人だけとなり、従業員が夕食を持ってテーブルのほうへ出てきた。そのころには髭のおじさんと私たちはすっかり仲良くなり、私たちにもピアノを弾かせてくれた。そして、日本人だとわかると、レパートリーがたくさん書いてある小さい五線のバインダーを見せ、日本の曲はどう和音をつけたらよいか良くわからないので、教えてくれと言う。見ると、さくらさくらなど数曲の古い日本のメロディーが書いてあった。当時音楽科の学生には珍しくどんな曲でも即座に伴奏付けやアレンジをしてまわりを驚かせていた二人だったが、西洋音楽ばかりを学んできた私たちにとって日本音階に和音をつけるのは非常に難しく、どうもしっくりくる伴奏ができない。日本人なのに、誰もが知っている日本民謡にちゃんと和声付けができないなんて、本当に恥ずかしかった。それでもおじさんは非常に喜んで、自分の楽譜にコードを書き込んでいった。自分たちに納得のいかない和音に、すこし後ろめたさを感じながらも、知らない土地ではじめて会った外国人と、音楽を通して語り合える喜びを味わい、私たちは満足だった。
そのあと撮ったピアノの前で3人で笑っている写真は、いまでも私たち二人にとってかけがえのない宝物である。


1月16日
モンパルナスのカフェ
今、都会ではカフェブームとやらが起こっており、東京あたりでは人気のある店には行列などもできていると何かに書いてあった。 物心ついてからの喫茶店愛好者で、自称「喫茶人」である私にとって、憩いの場である「喫茶店」がそのような小洒落た横文字に名前を変えてミーハー的ブームになるというのは、どうも釈然としない。居心地の良い店が増えるのは非常にうれしいのだが、私は20年来ヨーロッパの街並みに溶け込んだオープンカフェに少なからず憧れを抱いていたので、この空前のカフェブームが、安っぽい偽カフェの乱立につながらなければ良いのだがと、とても心配なのである。
20年近く前、大学のヨーロッパ研修(といってもほとんど観光旅行であった。)で、東欧やオーストリア、イタリア、フランスなど、数ヶ国をまわった。旅行の直前に、偶然TVで古い白黒映画を見た。貧困の中で36歳の若さでこの世を去ったエコール・ド・パリの代表的画家モディリアーニの半生をフランスの知性派二枚目俳優ジェラール・フィリップが演じたフランス映画「モンパルナスの灯」である。その映画に感動した私は、ぜひパリでモンパルナスに行こうと思ったのだった。
幸いパリではまる一日自由行動だったので、親友と二人地下鉄を乗り継ぎ、モンパルナスへと出かけた。モンパルナスは、その前に行ったモンマルトルやコンコルド広場とはまったく違い、およそ観光客などは寄り付かないような閑静な住宅街だった。街路樹が生い茂った日陰の多い歩道を歩いていくと、やがてぽつんと、もう名前も忘れてしまったが、ガイドブックにも載っていたモディリアーニや当時のエコール・ド・パリの芸術家たちが出入りしていたというカフェがあった。
確か、静かな通りに面した外のテーブルに座ったと思う。近くの席の女性が、バケットサンドを食べていたので、私たちもコーヒーと生ハムのバケットサンドを注文した。バケットの間にバターと生ハムがはさまっているだけのきわめてシンプルなサンドウィッチをほおばりながら、映画の中の主人公のことなどに思いを馳せ、しばし感慨にふけったのだった。
今でもパリといえば、ルーブル美術館よりもシャンゼリゼ通りよりも先に、モンパルナスの静かなカフェを思い出す。


1月15日
模範牧場で鹿に遭う
photo clipを更新していると、後ろから、ついでに「今日ひとこと」も書きなさいという“神の声”があったのでひとこと。
昨日、1月14日。美瑛の街で買い物をして帰ってくると、西の空に太陽が傾いていくのが見えた。急いでデジカメを手にとり、車を白金街道へ走らせ、山に向かった。真冬の夕暮れ時に模範牧場。なかなか良さそうである。
途中バックミラーに日が沈んでゆくのを気にしながら、10分ほどで目的地に到着。真っ白な雪原、その遥か彼方に太陽が落ちていく。見惚れていたいところだが、ここで一枚。車を奥の方へ進め、角度を変えてもう一枚。と、そこで、牧場の反対側にある森の中から鹿が突然現れた。突然現れたのは、実はこちらの方かもしれないが。野生の動物を見るのは、なぜかうれしいものだ。すぐに森の中へ逃げ帰ったのだが、車を走らせると次々と鹿の姿を見ることができた。1頭は道路へ出てきて、こちらと正面に向き合った。こんな時、もう少し仲良くなれるかも知れないと考えるのは、大間違いである。少し近寄ろうとすると、雪深い住処へとあっという間に帰っていった。
気がつくと、遠い西の空へとすっかり陽が沈んでいた。色のない世界が広がる闇のなか、これから野生の生き物たちが生き生きと動きだすのだろう。


1月14日
待ってました!
先週はのっけから立て続けに「この冬一番の冷え込み」となった美瑛だが、週の後半は雪がちの中途半端な寒さだった。いつも来てくださる水口ファミリーや小林さんは写真が目的なので、なんとか一日くらいはきりりと冷えてくれないかとやきもきしていた。
この季節は、気温が下がれば下がるほど美しい風景を見ることができる。澄みわたった空と大きくそびえ立つ山々。木々には霧氷がつき、雪の表面はきらきらと輝く。早朝の刻々と変わりゆく光と影の世界は、とても言葉にはしがたい。
今朝私がまだ布団の中にいたとき、TVから「今朝はこの冬一番の寒さとなりました。」というアナウンサーの声が聞こえてきた。「おお、ついに来てくれたか!」とぬくぬくと布団に包まりながら興奮した。
早く起きた主人に聞くと、朝は玄関の寒暖計が−24度。まずまずの冷え込みだ。水口さんのお父さんと小林さんは、とっくにカメラを持って丘のほうへと出かけられていた。
8時過ぎに帰ってこられた水口さんと廊下ですれ違うと、顔は真っ赤で体がまだ凍りついているように見えた。「寒かったでしょう。」と聞くと「いやあ、激寒です!」と目を輝かせながら、そして寒さで顔を引きつらせながら答えてくれた。


1月13日
雪まつり
札幌雪まつりの雪像作りが始まったと、今朝TVのニュースでやっていた。札幌市民(少なくとも私と私の周りの札幌人)にとって雪まつりとは、子供の頃ならいざ知らず、さしてわくわくするものではない。ああまた車が渋滞するなあとか、この時期になると急に除雪が行き渡り、もっと前からちゃんとやってくれよとか、そういうことがまず先に頭に浮かんでしまう。
そう言いながら、住んでいたときにはシーズン中一回くらいは何気なく大通り公園に足を踏み入れ、ついでに11丁目あたりまで歩いてしまい「何をしているんだ私は。」と恥ずかしい気持ちになったりしたものだ。
美瑛に来てからは、わざわざ雪まつりを観にいくなんてことは断じて絶対無く、だんだん昔の遠い記憶となってきた。その記憶の中で一番鮮明なのは、受験生時代のことである。今ではどうかわからないが、私の頃は「雪まつりを見にいった人間は落ちる。」というジンクスがまことしやかに流れていた。大体、2月の初旬に街に行って浮かれているようでは、ちょっとまずいのではないかと思われるが、当の受験生にとってはただ事ではない。行ってはいけないと言われるとなんだか妙に気になるものである。しかし、会場は非常に滑りやすいので、万が一滑って転んだら不吉極まりない。仲間と協議の結果、残念だが今年は諦めようという結論に達する。しかし、用事があって街に出かけてバスに乗ると、車窓からどうしてもきらびやかで賑やかな雪まつり風景が目に飛び込んでくる。それだけでイヤーな気持ちになったことが、大人になってからも雪まつりが始まるとちらりと頭をかすめる。


1月12日
発芽玄米餅のおしるこ
昨日は鏡開き。そうそう、おしるこを作らなければと、朝慌てて小豆を水につけた。主人曰く、「おしるこ」とは「こしあん」で作ったものだそうである。小豆を煮ただけのものは「ぜんざい」であって、断じて「おしるこ」とは呼んではいけないのだそうだ。そう言われればそのような気もするが、なんとなく合点が行かないので日本語大辞典で調べてみた。すると、「お汁粉」にはこしあんを使う「ごぜん汁粉」とつぶしあんの「いなか汁粉」があるそうだ。ということはつぶしあんでも「おしるこ」で間違いはないわけだ。
そうか、主人は東京生まれだから、お上品な「ごぜん汁粉」があたり前。私は北海道育ちだからどうせ「いなか汁粉」ですよ。おしるこは、こしあんだと甘ったるくて仕方がない。やっぱり小豆の歯ごたえがないと食べた気がしないのである。ということで、今回は「いなか汁粉」と相成った。
その「おしるこ」に入れるお餅だが、こちらは意見が一致して「発芽玄米餅」に前々から決まっていた。去年から、発芽玄米を取り寄せているのだが、そこから暮れに「発芽玄米餅」ののし餅をたのんでみた。これが、すごくおいしいのだ。褐色のお餅は、つぶつぶが残っていて歯ざわりがよく、噛めば噛むほど味わいがある。安倍川でも磯辺まきでも、もちろんお雑煮でもおいしく、すっかり気に入ったので、最後の3人前を鏡開きの時に食べることにしてとっておいた。
ところが、前日からつけておかなければならなかった小豆を当日の朝に水につけたので、ようやく煮上がったのは夕食後。とてもそれからおしるこを食べることはできなかった。仕方がないので、今日のお昼にでも、と思っているところである。


1月11日
白い月と赤い月
1月8日、水道凍結騒動で札幌への出発がすっかり遅れてしまった。しかし、そのおかげで、冷え込んだすばらしい景色を眺めながらのドライブを楽しむことができた。冬にしか決して見ることのできない透明感のある青空と白く輝く低い太陽。そして、その光を浴びて大きくそびえたつ十勝岳連峰と大雪の山々。光と影のコントラストは目に眩しく、どこまでも明るい。それは、雪の日のモノトーンの凍てついた風景とは全く違うものだ。
旭岳の方に目をやると、まだ3時過ぎだというのに大きな白い月がぽっかりと出ていた。ほとんど満月に近い月といつにも増してごつごつと見える雪山は、少し落ちかけた日の光をうけて、まるでそこだけ別世界のように見えたのだった。
夕べ、美瑛に向かって高速を走らせていた私たちは、今度は、暗闇にやけに大きく浮かぶ赤い月を見た。鈍い光を放ったその月は、怪しい美しさをもってじっとこちらを見ていた。


1月09日
水道管凍る
昨日で年末年始の忙しさも一段落したので、札幌の実家に行こうと、3人で急いで掃除をしていました。すると、昨晩の冷え込みで、客室棟の2階の張り出し部分、6号室と7号室の洗面台の水道管が、すっかり凍り付いてしまっていました。北海道では珍しくないことなのですが、そのままにしておくと水道管が破裂してしまうおそれがあるので、もし凍ってしまったら、直ちに何とかして溶かさなければなりません。このままにして札幌に行くわけにはいかないので、あわてて家中のポータブルストーブを集め、とにかく水道管のまわりを暖かくすることにしました。
外は正午近くになっても、−10度を下回っています。そう簡単には水は出てきそうにありません。午前中の出発は諦め、とりあえずお昼ご飯を食べることにしました。
昼食の後かたづけを終え荷造りも済ませて、3人で6号室に詰めて、おやつを食べたり昼寝をしたりして、ひたすら水道から水が出てくるのを待ちました。室温はどんどん上がり、みんな汗だくです。しかし敵も去る者、水道管からは、くすりとも音がしません。変な時間が刻々と過ぎていきました。
あまりに部屋が暑いのでもう下へ行こうと私が根を上げ、部屋を出たついでに7号室をのぞいたとき、蛇口からちょろちょろと水が出てきました。見ているとその水はだんだん勢いを増し、3人は手に手を取って喜び合ったのでした。それから30分あまり経ち、粘っていた6号室も開通。ようやく長い苦しみから解放され、3人の目には涙が潤んでいたのでした(嘘つくな!!)。とにかく一件落着。早速車に荷物を積み込み、このところの冷え込みに一抹の不安を抱きつつ、いざ札幌へと出発したのは、午後3時をとっくに過ぎた頃でした。


1月08日
七草粥
きのうは七草粥を食べる日だった。前日主人にたのんで、七草セットなる、七種類の草がパック詰めになっているものを買ってきてもらった。雪に閉ざされたこの北海道で七草粥を食べるには、このパック詰めを買うしかない。しかも何も考えずに、ナズナ、なんとかいう7種類のなかなか覚えられない名前の草をまとめて手に入れることができるのだから、便利極まりない。
そんなありがたい七草セットだが、買うときには毎年、ちょっとだけ釈然としない気持がのこる。この草がちょろっとはいっているものが、398円とはどうなんだ。高すぎないか?
七草セットは、かなりいい商売になるのではないか。何せ、1月7日に七草粥を食べようと思ったら、あれを買うしかないのだ。だが待てよ。よく考えてみると、一年に一日だ。一日じゃどうしようもない。しかも、あのひょろひょろとした草を、七種類も一つ一つパック詰めする作業は、ゆるくない。(ゆるくないとは北海道弁で、超大変という意味。)などと、げすな考えが頭をかすめた。そんなろくでもないことを考えて七草粥を食べちゃあいけない。
思い直して、昆布だしとおいしい塩で七草粥を作り、おいしい梅干とともにおいしくいただいたのだった。
そんなことより、今日の寒さは半端じゃない。外は、マイナス23度。冷え込んだ美しい景色のことを書きそびれてしまった。


1月07日
カミホロ荘を思う
先日、混んでいるとのことで行くのを断念した十勝岳温泉のカミホロ荘は、実は2年前の8月に全焼して、去年の暮れ新しく建て直されました。
昔のカミホロ荘は、北海道ではなかなか出会えないひなびた雰囲気を持つ温泉でした。木造の建物は、決してきれいとは言いがたいものでしたが、なんとなく落ち着く場所で、私たちはとても気に入っていました。ぎしぎしと音をたてそうな細い急な階段を昇っていくと、小さめの脱衣所があり、その奥に浴場があります。壁や床はもう長い年月の間に硫黄で汚れて、シャワーも2つしかついていません。内風呂は、確かアルカリ性と酸性の2種類の泉質のお湯があり、代わる代わる入ると非常に温まります。外に出ると、内風呂よりは少し新しい木造りの露天風呂があって、エゾ松の木々の間から富良野盆地を見下ろすことができました。秋も深まった頃、湯船に浸かりながら暮れていく夕日をゆっくりと眺めるのが、私たちにとって最高の贅沢でした。その上の凌雲閣、吹上温泉白銀荘と、次々に立派にきれいになっていく中、いつまでも古い静かな温泉として、残ってくれるものと思っていました。
ところが1999年8月、たしか14日の夜8時頃、おびただしい数の消防車が白金街道を山へ向かって走っていきました。10時にムックの散歩に出て、裏の道から山を見てギョッとなりました。十勝岳の中腹あたりがめらめらと燃えているのです。あれはちょうど十勝岳温泉あたりではないかと、心配しながら帰ってきたのでした。次の朝、先に起きて新聞を手にした主人が声をあげました。飛び起きて新聞を見ると、「カミホロ荘全焼」という大きな見出しが一面にでかでかと載っていました。幸い死傷者は出なかったそうですが、古い木造の建物は跡形もなくなってしまったそうです。恐ろしさと寂しさに呆然としたことを、今でも覚えています。
カミホロ荘リニューアルオープンのニュースにちょっと寂しさを覚えるのは、きっと私たちだけではないと思います。


1月06日
昨日は休日
久しぶりの休日。昨日「ひとこと」に書いたように、スノーシューでちょっと散策をして、十勝岳のカミホロ荘で温泉に浸かるという楽しい計画を遂行すべく、いそいそと午前中の掃除、ピアノのレッスンをこなしていった。ところが、生徒を迎えに来たお母さんとちょっと世間話などしていたら、昨日(つまり一昨日)カミホロ荘のことをTVでやっていたとのこと。げげっ!それはやばい。それでは今日はものすごい混みように違いないと思い、念のため電話で確かめてみた。すると案の定、駐車場も入れないくらいの混雑ぶりとのこと。正月早々いも洗いはかなわんと、近くの白金温泉に予定変更と相成った。
午後から薄日もさしてきて、絶好のスノーシュー日より。白金に行く途中のインフォメーションセンターに車をとめ、3人で(ムックとティンクは鹿などを追いかけ迷子になるといけないので、車でお留守番。)いざ出発だ。
森の中へ大またでずかずかと入っていくと、運動不足がたたりすぐにもものあたりが痛くなってきた。それでも、新雪の上を歩くのは本当に気持が良い。うちの前で大はしゃぎしていたお客さんの気持が、よくわかった。3人でわけもなく大笑いしながら川辺まで歩き、ふかふかの雪の上に大の字になった。薄水色の空が大きかった。トレッキングというのもはばかられる短い散策ではあったが、すがすがしいひとときに3人は満足し、白金温泉へと向かった。
久しぶりの運動で疲れた身体を温泉でゆっくりと癒し、うちへ帰りつくと、しばらくぶりに見えた山が夕日で赤く染まっていた。


1月05日
スノーシュー
今日は久しぶりのオフである。3、4日前に、あっこちゃんに「どこに行きたい?」と聞いたら、すかさず「温泉!」と答えた。もうすっかり、薫風舎ナイズされている。私も同感である。もちろん主人も言わずもがな。すぐに話はまとまり、昨年リニューアルオープンした十勝岳の国民宿舎「カミホロ荘」に行くことにした。
でも、それだけではあまりにも芸がない。今年の3人の目標のひとつ「体力づくり」を思い出し、この年末年始薫風舎のお客様に大人気だった、スノーシューでの散策をしてから温泉に浸かるという、アクティブな計画に変更した。
スノーシューは、ひとことで言うと洋風かんじき。これを履いて雪の中にずかずかと入っていくのが、思いのほかおもしろい。うちの前の畑や雑木林の間を歩くだけでも楽しいし、車に積んでいって山や丘のほうを歩と、クロスカントリーとはまた違ったわくわくするような面白さがある。
これから掃除を済ませ、あ、午前中にピアノの生徒が2名くるのだ。レッスンが終わってからお昼を食べて、なんとか2時前には出発したいものである。


1月04日
クリスマスローズ
去年の5月に、帯広で立派なクリスマスローズを見つけて、買ってきました。
ローズという名がついていますが、実際はキンポウゲ科で、12月にバラのように可憐に咲くのでその名がついたそうです。しかし、本来のクリスマスローズは日本では栽培が不可能で、日本で売られているものは、春咲のレンテンローズという種類だそうです。
そのクリスマスローズを大き目の鉢に植え変えて、夏の間はコニファーの鉢植えと一緒に、玄関の前に置いておきました。雪が降る頃渡り廊下に入れるまで、無造作に放置してあったにもかかわらず、元気にしていました。
ところが、外の気温が下がってくるにしたがい、手のひらを広げたような大きな葉が、どんどん黄色くなってきたのです。12月中頃になって慌ててラウンジへ入れましたが、黄色くなった葉が緑に戻るわけもなく、なかば諦めて、それでもあっこちゃんが一生懸命水をやってくれました。
するとしばらくして、枯れた葉の根元から、小さな青々とした葉がたくさん芽吹いてきたのです。そして、黄色くなった葉をすべて切り落とすと、その葉がどんどん伸びて、気がつくと、その葉の先にかわいい蕾がいくつもついていたのでした。
何日か前に、その蕾がひとつ花開きました。青みがかった薄い赤紫色の控えめな花です。バラのような華やいだ感じはなく、むしろ清楚でうつむきがちなその花の、なんと美しいこと。静かな息づかいが聞こえてきそうです。



    1月03日
    ベートーヴェンの室内楽
    薫風舎のBGMは、朝も夜もたいがい主人が選んでいる。そして元旦の朝は、毎年決まってバッハのブランデンブルク協奏曲をかける。あの明るい管楽器の響きと華やかなチェンバロが際立つ合奏曲は、まさに元旦の朝にはぴったりの音楽だと、私にも異論がない。
    ところで、昨日はたまたまベートーヴェンの四重奏曲がかかっていた。掃除をしながら、ひとりでに流れてくるその曲を何気なく聞いていたら、ベートーヴェンの室内楽は新年にはぴったりだと、なんとなく思った。なぜだろうとぼんやりと考えてみたのだが、なぜか名曲喫茶を思い出した。どうして名曲喫茶とお正月が結びつくのか、またまた考えた。
    それは、きっとこういうことだろうと思う。お正月も2日、3日となると、どこかに出かけたくなるものだ。出かけたくなるといっても、せいぜいスーパーの初売りに行って、さして欲しいものもないのに、ぶらぶらと歩くくらいなのだが、その帰りに、せっかくだからおいしいコーヒーでも飲んで帰ろうと、雰囲気のいい喫茶店に入る。何の飾り気もない店内だが、入口にはちゃんとお飾りがしてあって、鏡餅なんかも置いてある。クラシック好きの寡黙な主人は、にこりともせずにコーヒーを落とす。命より大事であろう立派なスピーカーからは、そう、ベートーヴェンのピアノ三重奏が、お客さんの会話を邪魔しない程度の音量で流れている。ああ、新しい年を迎えたんだなあ、と落としたての濃いコーヒーを飲みながら、改めて思う。こんな経験、本当にあったのかどうか、定かな記憶はないのだが、ラウンジの掃除をしながら、正月早々そんな馬鹿なことをボーっと考えてしまったのだった。とにかく、ベートーヴェンの室内楽は、お正月にはぴったりだ。


    1月02日
    賑やかな朝
    今日は、気持ちのよい朝です。うす曇の合間から太陽が透けて輝いて、夕べうっすらと降った雪を照らしています。朝食を早々に終えて、ほとんどのお客様が外に誘われるように出ていかれました。みんな、白い息を吐きながら、子供のようにはしゃいでいます。
    30日から泊まられていた静岡の森ファミリーは、今日が最後とばかり、家族3人雪と戯れています。息子の海里君が、昨日ホームセンターで買ってもらったプラスチックのスキーで転びながら歩いていると、向こうではお母さんが雪の中で泳いでいます。冬が始めての藤田さんは、カメラを取りに急いで部屋に引き返されました。スタッフのあっこちゃんも、幼馴染のりんちゃん、ともちゃんと外で雪遊びです。
    みんなの笑顔が賑やかな、お正月の朝の風景です。


    1月01日
    新年明けましておめでどうございます。
    本年も、どうかよろしくお願いいたします。

    夕べは、小雨の降る中、毎年恒例の美瑛神社の初詣に行ってきました。雨の年明けは、私の記憶の中では初めてです。
    11時40分、みんなで薫風舎を出発。気温が高く、道の雪が溶けてツルツルになっていました。10分ほどして、美瑛神社に到着すると、もう、鳥居の外にあふれんばかりに人が集まっていました。毎年、美瑛のどこにこんなに人がいるんだろうと思われるほど、美瑛の初詣は賑やかなのです。
    しばらく並んで待っていると、ドンドーン!と大きな音がして、新しい年になったことを知らせてくれました。それからしばらく、美しい打ち上げ花火が、冬の夜空に広がっていました。
    「どうか、今年も家族みんなが健康で、無事に過ごせますように。」花火が終わった頃ようやくまわってきた自分の番になると、後ろの列を気にしながら、それでもいつにもまして心から、そう祈ったのでした。